第十一幕  果実酒の村



 商業都市から馬車で一時間ほどにある、メリヴィス村――果実酒で有名な村には、多種類たしゅるいの果物のほかに野菜なども多く育てられている。

 本命である醸造所じょうぞうしょ果樹かじゅえんそばに建てられ、また青果物せいかぶつの出荷場も見られた。

 村の遠くに場違いな印象のある大きな屋敷がぽつんとあったが、そのほかは煉瓦れんがや木造で造られた質素しっそ家屋かおくが多い。とてものどかなそうな田舎いなかではあった。

 村の厩舎きゅうしゃで下車したのち、悠真達は一つの建物の前にいた。玄関付近にある看板に酒だと思われる絵柄の焼印やきいんがあり、悠真は漠然ばくぜんと酒場だろうと見当をつける。

 ディルが観音かんのんびらきの木製の扉を開くや、上部に備えつけられていたすずが心地のよい音色をかなでた。中へと進んだディルの背を追い、悠真も店内に入っていく。


 木の香りが充満している木造の空間には、食べ物の匂いも強くただよっていた。店内の構造から、どうやら酒場だけではなく食事処としても機能しているようだ。

 一人の大柄な男がタオルで手をぬぐいながら、鈴の音色にさそい出された。

わるいねぇ。まだ準備中――」

 野太い声をした男は、ぴたりと言葉を止めた。驚愕きょうがくの面持ちで硬直している。

 はっとわれに返ったのか、嬉々ききとして歩み寄ってきた。

「ディ、ディルぼうじゃねぇか!」

「やあ、大将たいしょう。久し振りだね」

「来るなら連絡の一つでもよこしゃあ、いい食い物でも用意したのによぉ!」


 豪快ごうかいに声を飛ばしてくる男に、ディルは微笑みで応じる。

「急な決定だったからね。だから、そういうわけにもいかなかったのさ」

商霊誌しょうれいしでの情報だが、アル坊も元気してるみてぇだな」

 大将の言葉で、悠真の脳裏のうり聖印せいいん騎士団団長の姿が浮んだ。

 ディルは肩をすくめ、あきれ声で告げる。

「彼は今、かなり落ち込み中だけどね」

「ああ、知ってるぜ! どこかの野郎やろうに、一杯いっぱい食わされたみてぇだな。どこの野郎か知らねぇが、あのアル坊のことだ。近々、復讐ふくしゅうにでも行くんじゃねぇか?」

 笑えない冗談じょうだんに、悠真のほおが引きつった。なるべく存在感を消そうとこころみる。


 ディルが、悠真の背を軽く押した。

「その一杯食わせた野郎が、彼――悠真だ」

「ああん、おめぇが? そういえば、よく見れば取り下げられた指名手配書に……」

 のぞき込むように、大将と呼ばれた男が顔を近づけてくる。

「おうおう、兄ちゃん。どんな手を使って、アル坊を出し抜いたんだ?」

「あ、いや、あのぅ……」

 対応に困っていると、奥からせわしない足音が響いた。徐々じょじょに音が近づいてくる。

 音の方角に目を向けると、げ茶色の髪の女が走ってきていた。

「仕事をほっぽり出して何やってんだい、あんた!」


 大将の横腹にするどい蹴りが放たれる。にぶい音が広がり、巨漢きょかんが宙を舞う。

 荒々あらあらしい物音が鳴り響く中で、両手を腰に置いた女は大将のほうをじっとにらんだ。三十歳ぐらいか、妙に妖艶ようえんな空気感のある容姿をした女だった。

 さして気にした様子もなく、ディルは女に挨拶あいさつをする。

「やあ、女将おかみさん。相変わらず元気そうで何よりだ」

「おや、ディル坊じゃないか! 元気してたかい?」

「ああ、僕のほうも相変わらずだ」

 さきほどと打って変わり、やさしげに微笑む女将と視線が重なった。

「そうかい。それで、こちらさんは?」


「アル坊に、一杯食わせた野郎らしいぞ」

 のっそりと立ち上がりつつ、大将がそう紹介した。

 女将が顔を近づけてくるのを、悠真は視界の端でとらえる。

「なんだってぇ? それじゃあ、あんたが噂の男かい」

「ああ、えぇっと……」

 力強い眼差しに見据みすえられ、悠真は再び対応に困り果てる。

 少しして、女将はつやのある唇に不敵な笑みをたたえた。

「アル坊を出し抜くなんて、そうそうできることじゃない。やるじゃないか」

「まったくだ。おめぇも黒鉄くろてつ騎士団の団員なのか?」


 綺麗に蹴りが入ったと思ったが、大将は平然へいぜんとして寄ってくる。

 悠真は戸惑とまどいつつ、首を横に振った。

「あ、いや、まったく関係ないっす」

「彼は僕の友人で、今日は付きってもらったんだ」

 ディルの発言に、大将達は納得したようにうなずいた。

「まあ、話は座ってしな。特別に、丹精たんせいめた手料理でも振る舞ってやるかね」

 大雑把おおざっぱに席を勧めたのち、女将は奥へと姿を消した。

 一番近くにあった席に着きながら、ディルは大将に何気ない声で尋ねる。

「最近、この村で物騒ぶっそうな目撃情報があるらしいね」


「あぁあ……まあ、ここは小せぇ村だからな。そういう噂はすぐに飛んでくるぜ」

 全員が席に着いてから、ディルは小さな吐息をらした。

「果実酒の仕入れがてら、もし本当に問題があるのなら解決してこいと言われてね。その噂に関して、ちょっと詳しい話を聞かせてくれないか」

「つっても……俺も噂ぐらいしか知らないんだがな。ここ最近、冒険者や賞金稼ぎの連中が妙にさわいでいるみたいだ。吸血鬼が近くにひそんでんじゃないかってな」

 頭の中で言葉の整理をしていたのか、大将は少しの間を置いてから続けた。

「だが、まあ……村のだれかが遭遇そうぐうしたり、被害を受けたりって話は聞かねぇな。もしそんな奴がいりゃあ、それこそすぐ耳に届くからな」


「そうか。大事だいじなさそうでよかった。別に本格的な依頼があったってわけじゃない。そんな噂があったから、噂通りなら解決してこいってぐらいだから」

「ディル坊の親父さんには、いっつもご贔屓ひいきにしてもらってっからなぁ……なんか、気にかけてくれたみたいですまねぇと、ディル坊から伝えておいてくれ」

 大将の言伝ことづてに、ディルはうなずきで応じた。そのとき、店内に鈴の音色が響く。

 酒場に入って来たのは不思議な空気感を持つ――自分と変わらないぐらいの歳か、あるいは下だと思われる栗色くりいろの髪の女だった。

 村の住人らしく、商業都市で見る格好より落ち着きのある服装をしている。ただ、お洒落しゃれをしていないわけでもない。一輪いちりんの白い花の髪飾りをつけていた。


「おぉい、母ちゃん!」

 大将の呼び声で、ゆったりとした足取りで女将が奥から現れる。

「やあ、今日はいつもより早いじゃないか。またいつものかい?」

「はい。よろしくお願いします」

 栗毛くりげの女は深々ふかぶかと頭を下げる。

 女将が目で合図あいずを送るや、女と一緒に店の奥のほうへ消えていった。そんな二人のやり取りと雰囲気から、何かを頼んでいた様子がうかがえる。

「さきほどの彼女は?」

 ディルは静かな声で大将にいた。大将は虚空こくうを見上げてうなる。


「ディル坊達が王都おうとに行って、しばらくしてからだったかなぁ。傷ついて倒れている彼女を、村のもんが保護ほごしてよ。それからは、ずっとこの村にいるんだ」

「そうか。もうあれから三年ぐらいつんだな……」

 ディルはかすかに溜め息をついた。

「本当、女将さんも大将も変わらないな。学園に通っていたころに戻った気分だ」

「今は妹さんが通ってんだろう。はえぇもんだな」

 悠真の脳裏のうりにエレアの姿が浮かぶ。

 ディルが不敵に短く笑い、悠真の背に手を当ててきた。

「実は、大将。親父も公認こうにんしているんだが、彼はその妹の夫になる予定なんだ」


 ディルの発言に、悠真はぎょっとして肩が跳ねる。

 大将は驚愕きょうがくの面持ちで固まっていた。

「いや、待て待て待て。だから――」

「そりゃ本当か! エヴァンス家は名家で美人ぞろいだからな。やるじゃねぇか」

「ヴァーミルさんやディルが、勝手にそう言ってるだけっすから!」

 どこかなつかしむように笑う二人に、げんなりと悠真は嘆息たんそくする。

 不意に、出入口に向かって歩く栗毛の女が、軽く会釈えしゃくをしたのに気がついた。別に対応を期待したわけではないのだろうが、悠真も少しあわてつつ応じる。

 白い布がかぶせられた大きなかごを両手で持ち、女は柔和にゅうわに微笑んでから店を出た。


 悠真達のほうへ、女将がつかつかと足音を立てて歩み寄ってくる。

「もう話しは済んだのかい?」

「ああ。もともと仕入れが本来の目的だからね」

 女将はげ茶色の髪を耳にかけ、妖艶ようえんな笑みをたたえる。

「そうかい。それなら料理ができるまで、村の中を散歩してらっしゃいよ」

「そうだね。久々ひさびさだし、少し散歩でもしてくるか」

 ディルがそうこたえると、女将は左手を腰にえてやや姿勢をくずした。

「二時間後ぐらいに、またこの酒場まで戻っておいで」

「わかった。それじゃあ、悠真。行こうか」


 ディルと一緒に立ち上がってから、悠真は大将達に頭を下げる。

「すみません。ご馳走ちそうになります」

「あんたはこの村に来るのが初めてなんだろう? ゆっくり見ておいで」

「はい、わかりました」

 悠真はディルと並んで酒場を出てから、適当な方角に向かって歩いた。

 少し歩いた先で、ディルが何かを思いだしたような声をあげる。

「あっ。そうだ、悠真。ちょっと別行動でも構わないか?」

「えっ……?」

「少し寄りたい場所があるんだ。だから二時間後に、また酒場に集合しよう」


 悠真は胸の周辺で両手を横に振る。

「いや、待て待て待て。こんな見知らない村で一人にされても……?」

 ディルは小さく笑ってこたえた。

「子供じゃないんだ。迷子まいごになんかならないだろう?」

「そりゃそうだが……ああ、まあ、わかったよ」

 悠真はなかば諦めがちに告げた。馴染なじみの人物と会いたいのかもしれない。

 二枚目な顔立ちから、悠真は女の可能性が高いと見当をつける。

「それじゃあ、またあとでな」

 ディルの後ろ姿を見送り、悠真はぽつんとその場に立ちくした。






 果実や野菜の香りに満ちた村を、悠真はぶらぶらとあてもなく歩いていた。

 この村に住んでいる人はとても愛想あいそがいい。すれ違うたびに挨拶あいさつをしてくるのだ。短い言葉のやり取りではあったものの、温和おんわな人柄の者が多いと感じられた。

 なごやかな雰囲気のせいか、時間がゆっくり流れているような感覚を味わう。

 しばらく道沿みちぞいに歩いていると、先にひらけた場所が見えた。

 村人達のいこいの場となっているのか、休憩している者や商売している者の姿がある――中央に巨大な樹木が一本立ち、そこに見覚えのある女の姿が映った。

(あの子は、酒場に来ていた……)


 白い花の髪飾りをつけた女を、悠真は茫然ぼうぜんと見つめた。不意に、視線が重なる。

 こちらの視線を察知したのか定かではないのだが、突然の視線は対応に少しばかり困るものであった。悠真の目が無意識に右へ左へと泳いだ。

「あ、ああ、えっと……その、初めまして」

 歩み寄りながら挨拶をすると、女が軽い会釈えしゃくをしてくる。

 不思議な空気感のある女であった。外見の美しさから存在感は強く感じるものの、どこかぼんやりとしていて、かすんで消えてしまいそうなはかなさもある。

 この空気感はどこか――まるでさとりを開いた老婆に近いものを彷彿ほうふつとさせた。

「初めまして。酒場にいたかたですね。私はロラーナと申します」


「あ、あぁ。俺は悠真。なんか休憩中、かな? 邪魔じゃまして悪かったな」

 ロラーナは小首をかしげてから、首を横に振った。

「いいえ。ただ、ぼんやりとしていただけですから」

「そうなんだ。確かにこの村もの凄くおだやかだから、日向ひなたぼっこには最適だな」

「ええ、とても。悠真さんは初めてこちらへ?」

 悠真はゆっくりとうなずいてこたえる。

「ちょっと友達の頼みで、果実酒の仕入れを手伝うために来たんだ」

「ふふ、そうですか。こちらに見える方は、やはり果実酒が目当てなのですね」

 ふと、悠真はロラーナに関する情報を思いだした。


「そっか、ロラーナさんはこの村の出じゃなかったんだったな。大将が言ってた」

「そうですね。でも、もうずいぶんと長い間いる気がします」

 悠真は自然と笑みを作る。

「きっと、このおだやかな村の雰囲気がそう思わせるんだろうな」

「はい。悠真さんの言う通りだと思います」

 やや強めの風が吹き、彼女の頭にある花の髪飾りが少しみだれる。遠目からではよくわからなかったが、近くで観察してみれば本物の花をもちいた髪飾りのようだ。

 繊細せんさいそうな細長い指先で、ロラーナは自身の髪飾りを整えた。

「その花ってさ、本物、だよな?」


「ええ。私が育てた花です」

「マジか――ってことは、ロラーナさんは花農家か何かなのか?」

「あくまでも趣味の範囲はんいですね。ただ、これは思い出ぶかい花ですから」

 花にまつわる思い出でもあるのか、ロラーナはどこか遠い眼をした。

「俺はその花を初めて見たけど、なんか凄く綺麗だな」

「ありがとうございます。心を込めて育てた甲斐かいがありました」

 悠真は不意に浮かんだ疑問をそのまま口にする。

「そういえば、女将から何を受け取ってたんだ?」

 わずかにロラーナの肩が跳ねた。悠真は咄嗟とっさに、胸の辺りで両手を横に振る。


「あ、いや。別に気になっただけで、いちゃいけなかったらごめん」

「いいえ、大丈夫ですよ。ただ食材を分けてもらっただけですから」

「食材? 何か特別なもよおしでもあるのか?」

 ロラーナは微笑み、否定の仕種しぐさをした。

「主人に丹精たんせい込めた料理を振る舞ってあげたいのです」

 自分とたいして変わらない年齢だと思っていたため、悠真は静かに驚いた。

 女性の場合、日本では十六歳から結婚が可能となる。日本全国から見ればそれほど珍しい話ではないのだろうが、知り合いに早婚そうこんしたという話は聞いた覚えがない。

 あくまで可能なだけであり、早婚が通常というわけではなかった。


「ロラーナさん、もう旦那だんなさんがいるんだな。ちょっとびっくりした」

「ふふ、ええ。小さいころから共に育ってきたおかたと、無事ぶじに結ばれました」

 幸せに満ちた微笑みを見せてから、ロラーナは不思議そうに小首をかしげた。

「でも、そんなに驚くような話ですか? あ、もしかしたら……さかえている場所から来られた方には、少し早く感じてしまうのかもしれませんね」

「あ、いやぁ……ロラーナさんの年齢がいくつかわからないからあれだけど、俺のいた国では、女は十六歳からで男は十八歳からだったからな」

 悠真は黒髪に指を通し、頭をいた。

「まあ、可能な年齢で即刻そっこくっていうのは、あまり聞かない話だけど」


「そうですか。私は〝十七〟ですから、悠真さんからは早く感じてしまいますね」

 ロラーナの言葉が終わるや、鐘の音が響き渡っていく。

「いけないわ。もうこんな時間……私、そろそろ行きますね」

「ああ。旦那さんに、極上の手料理を振る舞ってあげてくれ」

「はい。それでは、また」

 小走りで駆けて行く彼女の姿を眺めながら、ふと悠真は考え込んだ。

(そういえば……ディルと別行動してから、どれぐらい時間がったんだ?)

 なごやかな雰囲気の村が時間を忘れさせ、じんわりとした冷や汗がいてくる。

 しばらくの硬直をて――悠真は全速力で酒場を目指した。



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