第十幕   砂喰い



「さあ、悠真。速度が上がるぞ」

 耳の奥を傷めるほどいなないたのち、ルグシオンが疾駆しっくする。

 信じられないほどの速度に、悠真は姿勢を大きくくずした。

「うぉあああ――は、はっえぇえええ!」

 時速で言えば、百キロ以上は出ていそうであった。ルグシオンの角から前方にまくのような障壁しょうへきが展開されており、それが風をほぼさえぎってくれている。

 アスファルトみたいな舗装はされていないが、揺れもあまり気にならない。

「ルグシオンの乗り心地はどうだ」

「悪くない。でも、なんでこんな揺れが少ないんだ。これも〝秘術〟なのか?」


 ディルが短く笑い、片手を少し振る。

「それもあるが、大半は技術だな。車体と車輪に特殊な仕掛しかけを施してある」

「なるほど……これじゃあ、俺の言った自動車なんか必要ないかもな」

「それがメルニア大陸にある移動型錬成具の名称なのか?」

 悠真はつい口走った言葉を、心の内側でたしなめる。

「ああ、あ、忘れてくれ。俺が、そう呼んでるだけだから」

「自動の車か。の国にある錬成具には、いい呼び名かもしれないな」

「はは……だろ」

 悠真は曖昧あいまいに笑い、誤魔化ごまかしておく。


 短めに何度かうなずいたディアスが、真面目まじめな顔つきになった。

「村へ着くまでに、いくつか説明しておこう。実は果実酒以外にも別件の用がある」

 昨日にも似た気配を感じ取り、悠真は直感的にいやな予感を覚えた。

「なんでも最近、村の付近で危険な妖魔ようまの目撃情報があるらしい」

(おいおい……おいおい……)

「だからまあ、その調査もね、可能なら討伐とうばつするのも視野に入れているんだ」

 悠真は深く肩を落とした。なぜか嫌な予感ほどよく当たる。

 女性であれば見惚みほれるぐらい整った彼の顔に、さわやかな微笑みがたたえられた。

「悠真の働き、期待しているからな」


「どうして、俺なんだ……」

「君なら不足ふそくはない。そう思ったからだ」

 昨日の学園祭での経緯けいいからか、ディルは自信ありげにそう断言した。

 自分でまねいた種ではあるのだが、悠真は真摯しんしに否定しておく。

「いや、それ、かぶりすぎだから、本当……」

 片目を細めながら、悠真はかすかに嘆息たんそくした。

「しかしそういうの、浅い知識だから正確にはどうかわからないが……商霊を通した賞金稼ぎや冒険者とかの仕事じゃないのか。王の切り札とまで呼ばれる王国騎士団の団員が、わざわざ出向くほどの仕事なのかそれって?」


 ディルは困り顔であごでた。

「間違ってはいないが……さっきも言ったように妖魔討伐は騎士団の仕事でもある。それに今回の依頼主は、その王の切り札である御本人様からだからな」

「マ、マジか……」

 悠真は驚愕きょうがくを声にした。ディルが腕を組んでから説明してくる。

「親父は村の果実酒をいたく気に入っているんだ。特にこの数年で、味の質がさらによくなったと喜んでいるぐらいにな。ちなみに、あの店で飲んでいた酒もそれだぞ」

「ああ、なんかもう、事情を全部呑み込めた気がする」

 声量を落として告げると、ディルが笑いながら悠真の肩を軽くたたいてきた。


「義理の父親になるかもしれない。今の内に手柄てがらを立てておくのも悪くないだろ」

 少しそんな未来を想像してから、悠真は片手を横に振る。

「いや、そんな未来は来ねぇから」

「兄の僕が言うのもなんだが、外見だけでなら相当美人の部類に入ると思うぞ」

「それは、まあ。確かにそうだけど……」

 ディルは思案しあんの様子を見せてから、忌憚きたんなく尋ねてくる。

「ほかに意中いちゅうの相手でもいるのか?」

 悠真の胸がどきりとした。胸元をつかみ、視線を下げる。

 こたえない悠真にせきを切らしたのか、ディルが重ねて疑問を口にした。


「もしかして、例の光の聖女か?」

 ディルが察した通り、光の聖女となった彼女が意中の相手――悠真は、自分にその〝資格〟があるのかどうか、少しわからなくなっていた。

 彼女が聖女としての覚悟を持った日の記憶が、悠真の心をむしばんでいく。

「……ああ。そうかもな」

 え切らない返答に、ディルがいぶかしげな面持ちで首をかしげた。

「どうして、こうなったんだろうな。俺はたださ、あいつを……普通の女の子にしてやりたかっただけなのに。なんでだれも、あいつを自由にさせてやらないんだ」

 悠真ははっとわれに返った。何を口走っているのか、自分でもよくわからない。


 ぼんやりと見つめてくるディルに、悠真は深呼吸してから伝える。

「あ、いや、すまない。忘れてくれ。こういうのを吐き出せる場所がなかったから、つい変にこぼしちまった……それに全部、弱い俺が悪いってちゃんとわかってんだ」

 空気がどんよりと重くなる。ディルはわずかにうなり声を出した。

「事情はどうであれ、悠真がしたことは世界中の人々を震撼しんかんさせた。それは何物にも代えられない事実だ。数千年に渡る歴史上、だれもなしなかったものでもある」

 ディルは紅髪べにがみに指を通し、やさしげに微笑んだ。

「それに自分が弱いと自覚している意識は、別に悪い意識ではないさ」

 言葉の意味を把握はあくできず、今度は悠真が首をかしげた。


 突如とつじょ、ルグシオンがけたたましい鳴き声をあげる。びくりと肩を大きく震わせて、悠真はルグシオンを見る。二本のつのの先が、微妙に折れ曲がっていた。

 次第に速度がゆるまり、ルグシオンの足が完全に停止する。

「あぁ……お客さん。だめだね、こりゃあ……ちょうどこれから通る場所の方角に、どうも五級を超える危険な妖魔ようまがいるみたいだ」

「あの角が、その方角を示しているのか?」

 悠真の問いに、ディルはうなずいた。

「これが第二の問題点であり、第三の問題点だな。錬成具といえども、ルグシオンと同等に反応を示せる品はかなり価値が高い。普及ふきゅうしないのはそのせいでもある」


 御者台ごしゃだいのほうへ顔を向け、ディルは片手をゆっくりと横に振った。

「御老人、そのまま進んでくれても構わない。どんな妖魔であったとしても……黒鉄くろてつ騎士団員である僕が討伐とうばつしておこう」

「おやおや、そうでありましたか。これはなんと心強い」

 御者台の老人はほがらかな笑みでこたえ、ルグシオンに声をかける。

「さあ、行ってください。心強いお客様ですからねぇ」

 ルグシオンが呼応こおうするかのような声をあげ、再び疾駆しっくする。

「そうだな……いい機会だ。悠真に、とある話を教えてやる」

「ん、とある話ってなんだ?」


「まあ、もう少し待ってくれ」

 それ以上ディルは何も言わず、遠い眼をして道行く先へと顔を向けた。いつまでも口を開かないため、悠真も黙ってディルの視線の先を探っておく。

 車輪の音だけが響き、しばらくしてからルグシオンはまた失速して足を止めた。

 草原には樹木がまばらに生えているぐらいで、変わったところは見受けられない――かすかに地面が揺れだし、地中を掘り起こすのにも似た音が聞こえてくる。

「な、なんだ、この音……」

「悠真、御老人。しばらくここで待機たいきしていてくれ」

 颯爽さっそうと馬車から飛び降りたディルが、歩きながら胸元のアクセサリーを握った。


 まばゆい光が放たれ、ディルは握ったほうの手を振り払った。若草色にき通った大剣をつかんでおり、軽々かるがると振り回しつつルグシオンの先を歩いていく。

 悠真は神経をまして、ディルと音のする方角を観察した。少し先にある土が盛り上がるや、荒々あらあらしい音を立ててのっそりと気味の悪い生物が現れる。

 黒ずんだうろこを持つ魚類だろうか、土竜もぐらを連想させる手足が生えており、大柄な男の一回り――途端とたんふくれ上がり、人を丸のみにできそうなぐらい巨大化した。

 見た目のせいか、やや鈍間のろまそうな感想をいだく。

「あれは砂喰すなくいじゃないか……どうして、こんなところに」

 御者台にいる老人が驚愕きょうがくの声をあげ、じっと砂喰いのほうを見据みすえている。


 ディルは物怖ものおじした様子も見せず、砂喰いとの距離を素早く縮めた。

 砂喰いが奇声を虚空こくうへ放ち、無数のきばが生えた口を開けて巨体をわせる。

 やや腰を低くかがめ、ディルは空高く舞い上がった。人の常識など軽々と超えたその高さに、悠真は信じられない気持ちで目を疑う。

(マジかよ。なんだあの高さは……)

 鈍間のろまに思えた砂喰いの反射神経は、想像した以上にするどい。

 ディルが飛び上がると同時に、大口を向けてまた奇声をあげる。砂喰いの口周辺に黄土おうどいろの紋章陣がえがかれ、悠真はぎょっと体をらせた。

「んなぁっ? うそだろ……紋章陣?」


 黄土色の紋章陣から、破裂したように大量の砂がき出していく。おそらく攪乱かくらんを目的としたものなのだろう。砂喰いの姿がみるみる砂にまぎれて消える。

烈風れっぷう暴門ぼうもん陽気ようきな妖精よ激しく舞い踊れ」

 ディルが風をまとう大剣を豪快ごうかいに振るや、台風を思わせる強い風が発生した。宙にただよった砂をいとも容易たやすく吹き飛ばし、また砂喰いの姿があらわとなる。

 上空にいるディルを、砂喰いが泳いで追いかけていた。

「烈風の暴門。獰猛どうもうに切り裂き生餌いきえみ砕け」

 ディルの詠唱えいしょう翡翠ひすいいろの紋章陣が砂喰いの左右にいくつも浮かぶ。

 いったい何が起こるのか、悠真は息をするのも忘れて見入ってしまう。


 翡翠色の紋章陣から長槍ながやりの形をなした風が、砂喰いの大きな胴体を瞬時に貫いた。その光景はまるで、もりに貫かれた魚を彷彿ほうふつとさせるものであった。

 落下を利用して、ディルは砂喰いの口先から尾にかけて大剣で切り裂いていく。

 地面に着地したディルの背後で、腹を裂かれた砂喰いが地響きを立てて落ちた。

 風船のようにしぼみ、砂喰いは元の大きさへ戻っていく。腹部を切り裂かれ、臓物ぞうもつがこぼれている。異様いようにおいが風に乗り、悠真の鼻を突いた。

「あの砂喰いを、こうも簡単に討伐とうばつするとは……さすがは王国騎士団様ですなぁ」

 感嘆かんたんの声を老人がらした直後、ディルが軽快けいかいに戻ってくる。

 さっと馬車に乗り込み、ディルは腕を組んだ。


「さて、悠真。砂喰いの危険度は五級下等なんだが、一人だけで討伐できるか?」

 突然の問いに、悠真は少し考える。

 ネクリスタでは妖魔に危険度――つまり、ランクをつけていた。ほとんど害のない十級下等から、数字が小さくなるごとに危険度が増していく。

 そして同じ級でも下等、中等、上等と三つに分けられるのだ。

 等級ではほぼ中間となる五級下等といえども、生身のままではきびしいと感じた。

 精霊に転化すれば、おそらく不可能ではないだろう。ただしそれは、他人の戦いをはたから眺めただけの、ただの〝妄想もうそう〟でしかない。

 実際に戦えば、どうなるのかは未知数だった。


 明確な解答を見出みいだせず、悠真は肩をすくめる。

「正直だな。だが、それでいい。これが現時点での、僕と君との戦力差だ」

「あ、ああ……」

「昔の人の言葉に、こんな言葉がある――己の弱さを自覚できない者に、強者の門は一切の関心も示さない。これがさきほど伝えたかったとある話だ」

 ディルはにっこりと笑い、悠真の肩をぽんぽんとたたいた。

「今はまだ弱くてくやしい思いをしているのかもしれない。だけどそれなら、その弱い自分をかてに強くなればいい。悠真にはその資格があるし、素質そしつもある。なんせ伝説にうたわれる十二守護精霊の一体、闇の精霊王ガガルダからのお墨付すみつきだしな」


 ディルの言葉を聞き、そして呑み込んで、悠真は心の中でかすみがかっていた何かが晴れた気がした。言葉にされてようやく、単純なものだと気づかされる。

「そう、だよな……うん。そうだ。強くなればいい。ただそれだけだったな」

くやしい思いも、なやんで途方とほうに暮れる思いも、いつかきっと未来の自分の糧になる。だから顔を下げず、前を見て歩けばいい。ゆっくりと自分らしくな」

「ああ、ディルの言った通りだ。ったく、何を悩んでんだかな……」

 ディルはやや困り顔になった。悠真は不思議に思いながら彼を見つめる。

「悠真の想い人に関しては、僕も大体の事情なら把握はあくしている……しかしな、それはそれとしてだ。兄としては妹との婚姻こんいん応援おうえんしてやりたいのが本音だがな」


 これには悠真も、苦笑いで誤魔化ごまかすほかない。

 エレアと夫婦になった未来を少しばかり想像してから、悠真は首を横に振る。

「というか、エレア自身――残念ながらそんな気はないと思うぞ」

 悠真はエレアとの関係性を素直に伝えた。

 ディルは腕を組み、肩を揺らしながら笑う。

「親父の言葉じゃないが、この先どうなるのかなんてだれにもわからない。だから今は友人として、悠真を応援している。そんな友人からの言葉だと思ってくれ」

「ああ、ありがとう。ディル」

 ディルは力強い眼差しでうなずいた。


「さて……御老人。砂喰いの死骸しがい処理と地盤の調査は、僕のほうから王国に報告しておくから、先を急いでもらってもいいかな」

「はい、わかりました」

 ルグシオンが再び疾駆しっくを始めたころ、ディルが極々ごくごくか細い声でつぶやいた。

「しかし人里ひとざと離れた山奥やまおく住処すみかのはずの砂喰いが、どうしてこんなところに……」

 ディルの呟きの答えを、このときの悠真は知るよしもなかった。



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