第十三幕  危険な妖魔



 場の空気に困惑こんわくする悠真は、ただじっと事態のなりゆきを見守っていた。

 大将達は無言のままディルを見つめ、口を開こうとする気配は一切ない。不可解な発言をしたディルも、あれからずっと口を閉ざし続けている。

 何を根拠こんきょに吸血鬼と断定だんていしたのか――ロラーナと接した悠真からすれば、ただ村に住んでいる人といった認識しかなく、吸血鬼とはまったく思えない存在だった。

 悠真は無言の重圧じゅうあつに耐えきれなくなり、沈黙をやぶる。

「ディル。あのロラーナって子と、村の広場で偶然ぐうぜん会ったから少し喋ったんだが……別に変な感じとかまったくしなかったぞ」

「ああ、ロラーナはいい子だ。ディル坊、やぶから棒にどうしたんだ」


 大将の言葉に、紅髪べにがみの彼はかなしそうに金色こんじきの瞳をせた。

「どんな理由があって吸血鬼に加担かたんしているのかはわからないが……吸血鬼は絶対に討伐とうばつしなければならない対象だ。見過ごす真似まねはできない」

 ディルの発言から、光の聖女のさびしげに悲しんだ姿が脳裏のうりに浮かんだ。彼女もまた同様に、少し前までは討伐の対象だとされていた。

 悠真は自然と、やや強めに拳を握り締めていたのに気づく。

「仮に吸血鬼だったとして、別に被害ひがいとか出たわけじゃないんだろ。討伐対象だとか言うのはやめねぇか。あまり好きな言葉じゃないんだ」

「ディル坊。私達は――」


「吸血鬼の情報を持っていた冒険者が行方ゆくえ不明だ。すでに被害が出ている」

 ディルに言葉をさえぎられ、女将は黙ってしまう。

 大将は戸惑とまどいがちに、野太い声を発した。

「そもそもだ。その情報自体、本当かどうかあやしいもんだぜ? 言っただろ。ここは小せぇ村だから、そんな情報があればすぐ回るって」

「話す気がないのであれば、それで構わない。本人に直接けば済む話だからな……ただ大将達の口から、ちゃんと話を聞きたかっただけだ」

 ゆっくりと席を立ったディルを、悠真も腰を上げてから両手で制する。

「待て待て待て。何をするつもりだ」


「もちろん、吸血鬼を討伐とうばつする。野放しにはできない。いいか、吸血鬼は人のように見えて人じゃない。あれは妖魔ようまだ。一体の吸血鬼が少しずつ国中の人々を吸血鬼へと変え、または捕食するといった事件があった」

 ディルは腕を組み、ゆったりとした口調で続ける。

「百年ぐらい前に一つの小さな村が吸血鬼にほろぼされ……ほんの数十年前には一つの群島ぐんとう国家が滅ぼされた。悠真、こういった〝疑う余地よちすらもない〟事例が、ほかにも山のようにある。今現在でも、生き証人がいるぐらいなんだ」

 吸血鬼とは、桁外けたはずれの危険をはらんでいる。この説明の裏には、おそらく銀色の髪と瞳を持つ彼女とは別物――口に出していないが、そう伝えたかったのだと察した。


 はっきりとした実例じつれいがあると断言された以上、悠真は言葉を返せない。

「いい人だとか、悪い人だとか……ことが起こってからでは手遅れだ。僕は国民をまもる王国の騎士として、吸血鬼を討伐とうばつしに行かなければならない」

 そう言い残し、ディルは一人で酒場を後にした。

 場に重い空気が残され、だれも口を開かない。悠真は大将達を振り返った。

「あの、大将に女将さん。本当に、ロラーナさんが吸血鬼なんですか?」

 大将と女将が顔を見合わせ、それから静かに語った。

「正直、わからねぇ……だけど、ロラーナの旦那だんなは間違いなく吸血鬼だ。傷だらけの旦那が村の近くで見つかり、瀕死ひんしの状態だったロラーナをずっと気にかけてた」


「最初は私らも、彼が吸血鬼とは知らなかった。でもね、彼女を助けるためならばと正体しょうたいを明かし、彼女が助かったあとでなら殺してくれてもいいと言ったのさ」

 女将の声はひどしずんだものだった。

 大将はややあわてた素振そぶりで、胸の前で両手を横に振る。

「いや、でも! 傷がえていく内にわかったんだ。噂にあるような吸血鬼の話が、何かの間違いなんじゃねぇかって……それぐらい、真面目まじめでいい奴なんだ」

「私ら村の者は、本当に誰もおそわれてなんかいない。むしろ彼らのおかげで、果実酒の味が一段と美味おいしくなったって評価が上がったぐらいさ」

 大将はえない顔をして、絞り出すようにつぶやいた。


「ただ、まあ……ディル坊もディル坊で、間違ってないってわかってんだ。あいつも国をまもるために必死なんだって、俺達ぁちゃんと知ってっかんな」

「あの子にあんな顔させて、私らどうしたらいいのかわからなくなっちまったよ」

 また沈黙が落ちたが、長くは続かなかった。

「悠坊。無理を承知しょうちで頼みたい。なんとかディル坊を止めてやってくれねぇか」

「あんた、あの子の友人なんだろ? 私からも頼むよ」

 頭を下げる二人を見てから、悠真は視線を落とした。

 吸血鬼に関して、悠真はよく知らない。ディルの騎士としての義務ぎむもまた、実際はよくわかってあげられなかった。どれだけ考えても、答えが出るはずもない。


 ただ一つだけ、わかるものがあった。

 悠真は少しずつ決意けついを固める。そして、視線を大将達へと戻した。

「俺には何が正しくて正しくないのか……よくわかりません。それでもディルともう一度、話してみたいと思います。ロラーナさんが住んでる場所、教えてください」

「ああ、ありがとう」

 大将と女将は、そっと顔を見合わせてから表情を明るくした。

 何も聞かずに飛び出した。その彼が、なんの情報も得ていないとは考えられない。おそらく別行動を取ったとき、吸血鬼に関する情報を得たに違いない。

 悠真は、はやる気持ちを必死におさえ込んだ。



        ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 村の奥に大きな屋敷がある――ずいぶん古びてはいるものの、庭園ていえんは手入れが行き届いていた。色とりどりの花が咲きみだれ、とおった水が流れる水路もある。

 そんな古びた屋敷の庭園で、ディアスは一人の男と対峙たいじしていた。

 見た目は中肉ちゅうにく中背ちゅうぜいの、まだ若々わかわかしい好青年といった容姿をしている。

「僕は黒鉄くろてつ騎士団の団員――ディアス・エヴァンスだ。それでわかるだろう?」

 鳶色とびいろの髪をかき上げ、男は不敵な笑みを浮かべる。

「君が……というわけではないが、そんな者がいつか来るとはわかっていた」

 ディアスは眉根まゆねを寄せた。暗部が下手へたを打ったとしても、気づかないはずがない。しかしどういうわけか、情報がれているふしがある。


 つとめて冷静に、ディアスは男の紺色こんいろの瞳を見つめた。

「ここは僕にとって、とても思い出深い場所なんだ。今はまだ村人達には手を出していないようだが、それでもお前らは討伐とうばつされなければならない対象だ」

わるいが、私は諦めが悪い。そう簡単には討伐されてやらんぞ」

 ディアスは胸元にひそめていた錬成れんせい武具ぶぐから、大剣に転換した。

 ゆっくりと大剣を構え、ディアスは目に力を込める。

「問題ない。実力で排除はいじょするまでだ。この村を滅ぼさせはしない。絶対に」

「短い時の中にしか生きていない若造が、知ったふうなことを……」

「もうはどこにいる? いや、いいさ。それも僕が見つけて討伐する」


 男は血相けっそうを変え、容姿も少しずつ変化していった。猛獣もうじゅう彷彿ほうふつとさせるきばや爪に、するどい瞳――男の容姿は完全に吸血鬼そのものへと変貌へんぼうげた。

「彼女はただの人だ! 私にやさしくしてくれた人だ! 手出しはさせない!」

 吸血鬼の発言は、ディアスの気分を重くさせた。村人達に手を出さなかった理由をそれとなく呑み込んだ。おそらく、彼は〝変えられた側〟の混血種こんけつしゅで間違いない。

 変えられた者の中には吸血鬼の呪法じゅほうあらがっている事例がいくつもある。だが、それもいつかは爆発してしまい、人を襲う吸血鬼となる。

 もともとは人――そうであったとしても、野放のばなしにはできない。

 ディアスは憐憫れんびんの情をみ殺し、討伐とうばつすることのみに心を染め上げる。


 吸血鬼は地を踏み締め、ひらめくような速さでディアスとの距離を縮めてくる。

 間合いに軽々かるがると侵入してきた吸血鬼が、鋭利えいりそうな爪を大きく振り被った。攻撃が届かないであろう位置に、ディアスは身をずらしてから大剣をいだ。

 吸血鬼は瞬時に身を低くして、大剣をするりとすり抜ける。爪での攻撃は、攪乱かくらん目論もくろんだものだった。そう判断するや、ディアスの腹部に吸血鬼の拳がめり込む。

 素早さも、力も、技術も一級品と言える。そう認識にんしきを改め、ディアスは後方へ吹き飛ばされながらも体内で秘力を練り上げていく。

涼風りょうふう暴門ぼうもん。夜空を舞う鳥よ、が身体に宿れ!」

 強化系統の秘術を発動し、ディアスは瑞々みずみずしい若葉の色をした風をまとう。


 瞬間――吸血鬼の声が響いた。

常闇とこやみ葬送そうそう。闇の住人よ、血肉を食いすすれ」

 虚空こくうえがかれた無数の闇の紋章陣から、赤黒い剣が雨のごとく降りそそいだ。

 ディアスは大剣でいなしながら、吸血鬼を目指していった。しかし赤黒い剣の数が尋常じんじょうではない。わずかなすきを突かれ、吸血鬼の蹴りが飛んできた。

 剣脊けんせきたてにしものの、楽々らくらくはじかれてしまうほどの威力がある。

 後方へ大きく跳躍し、ディアスはいったん距離を取った。

「黒鉄騎士団の団員が、その程度なのか?」

 吸血鬼のせせら笑いを聞き、ディアスはほおを引きつらせる。


 どうやらこの吸血鬼は、規定きていされた等級を凌駕りょうがする戦闘力を持っているようだ。

 そもそも妖魔の等級とは、当然個体こたいの戦闘力も含まれているが、それよりも人類におよぼす〝危険度〟のほうが色濃い。さらにつけ加えれば、目安めやすにしかすぎないのだ。

 特に〝人に近い〟個体ほど――ディアスは首を横に振った。

(ただの混血種じゃない、か……でも、僕がここでやらなきゃだめなんだ)

 本来、三級下等以上の妖魔が確認された場合、最低でも一つの騎士団以上の戦力が動く。しかしそうなれば、村にどれほどの被害が出るのかわからない。

 国をまもる騎士としてではなく、村に思い入れのある一人の男として村を護りたい。だからこそ、真偽しんぎの知れない報告からでもこうして小人数で動いているのだ。


(僕がここでやられれば、親父が騎士団を動かすだろう……絶対にそうはさせない)

「私の平穏へいおん邪魔じゃまする人の子よ、さばきを受けろ」

 吸血鬼は手のひらを顔の前にかざした。指にはめてある赤い指輪が、まばゆい光を放つや、一本の赤い剣が生み出される。吸血鬼は悠然ゆうぜんと構えを取った。

「私は、こんなところで死ぬわけには……諦めるわけにはいかないのだ!」

 吸血鬼は閃光せんこうを思わせる素早さで、再びディアスとの距離を縮めてきた。



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