果実酒の村

幕間二   光と闇と炎



 大自然に囲まれたみずうみほとりに、古城に似た一つの屋敷がある。

 しっかりとした手入れが行き届いている庭園の一隅いちぐうに、シャルとエレアのほか――マルティス帝国の皇女こうじょアリシアと、ラスティア教団の女司祭しさいが立っていた。

 やや離れた位置でハーミットが剣を抜いており、悠真は地にしている。

「くそっ……!」

 歯をみ締めながら、悠真は対峙たいじした相手を見た。

 風で金髪をなびかせる女が、するどとがった剣先を向けてくる。

「なぜ攻撃してこない。なぜ秘術を行使こうししない。答えろ、久遠悠真!」

 悠真は答えない――いや、こたえるだけの余裕よゆうもない。


 無力化のみを狙った攻撃が、すべて相手に見切られてしまった。そのたびに反撃を繰り出され、現状は立つのが難しい状態にまで追い込まれている。

 相手が女でなければと思うものの、性別を差し引いても彼女は異常に強い。

 聖印せいいん騎士団の団長ですら、舌を巻きかねない実力を持っていた。

 息を整えてから、悠真は口を開く。

「どうして……シャルが、お前らに拘束こうそくされなきゃならない」

勘違かんちがいするな。拘束ではない。護衛を目的とした保護だ!」

「一緒だろうが! 俺は……シャルが自由になれるように、命をけて戦ったんだ。お前達の置き人形なんかにするためじゃねぇんだよ!」


 目の前に立っているハーミットの表情が、一際ひときわけわしさを増した。

 ハーミットは力強い踏み込みを見せる。するどい剣が悠真の右頬みぎほおをかすめ、そして地を突く音が耳に届いた。少し遅れて右頬にかすかな痛みが走る。

「くっ……」

「ならば貴様きさままもれるか? 一撃すらも当てられない者が聖女様を護れるのか!」

 ハーミットは嫌悪感けんおかんをあらわにした眼差しで、見下ろしてくる。

「礼は、言おう。禁忌きんきの悪魔が光の聖女様だったなど、だれもが想像すらしなかった。これには本当に心から感謝している。だが、これより先は我々われわれ領域りょういきだ」

「ふざ、けるな!」


「ビアガネルス教団が、すでに今回の件で活発化かっぱつかしている。中には――過激かげき武闘派ぶとうは集団も多い。そんな連中が、聖女様を黙ったままほうっておくと思うか?」

 すずやかな目許をゆがめ、ハーミットは続けた。

「それにだ。ビアガネルス教団だけではない。これまで禁忌の悪魔をほふったとされる歴史ある国では……として、壮絶そうぜつ非難ひなんびるはめになるだろう。その結果、何が起こるかなど想像にかたくない」

 土に刺した剣を抜き、ハーミットはくうを切り裂いた。

「だからこそ、現在の光の聖女様は――我々、ラスティア教団が保護するのだ」

「勝手なことばっか、言ってんじゃねぇぞ!」


 気力を振り絞って立ち、悠真はハーミットを強くにらんだ。

「俺からすれば、邪教もえせ国家もお前らも全部同じなんだよ!」

 悠真は胸に力強く左手をえた。

「悠真君! その力は二度と扱ってはだめだと言ったでしょう!」

 やや遠くで見守っていたアリシアが、大音声だいおんじょうで制してきた。

 桃色の短い髪をした彼女に、悠真は視線をえる。

「俺だって、シャルを護ってやれるって証明してやるんだ!」

 悠真はハーミットのあおい瞳を見据みすえ直し、声高らかにめいじる。

「闇の精霊王ガガルダ! 俺に力を貸せ!」


 黒いもやに、悠真の全身がつつまれていく。

「うぅ、う、うぉおおお――っ!」

 ただでさえ、ハーミットから受けた傷で痛みがある。転化する直前に起こる体中がきしむような痛みを、悠真は咆哮ほうこうして打ち消した。

 悠真はもやを腕で払い、闇の精霊王へと転化を完了させる。

 ハーミットの表情が、驚愕きょうがくの一色に染まっていた。

「なっ? 闇の、精霊王?」

 茫然ぼうぜんとしていたのもつかの間、金髪の女騎士は即座そくざに戦闘態勢へ戻った。

 握り締めた剣のつかほおへ寄せ、ひらめくような速さで突進してくる。


紅蓮ぐれんの開錠――」

 ハーミットの発声はっせいとともに、赤き紋章陣が剣先に描かれていく。

劫火ごうかを解き放ち灼熱しゃくねついだけ」

 剣身けんしんに燃え盛る炎をまとい、ハーミットが剣を素早くぎ払った。

 彼女の剣筋を予測してけても炎が追撃を加えてくる。きっと生身のままであれば大火傷おおやけどまぬがれなかっただろう。ただ、ガガルダの皮膚ひふは鋼鉄以上の硬度こうどがある。

 悠真は右腕で振り払い、灼熱の炎をかき消した。

 そして左の手のひらに、小さな黒き紋章陣を発現させて握りつぶす。

 あたりが一瞬にして暗き闇で満たされた。


 暗黒に支配された中で、悠真だけがすべてを見通せる空間となる。

 視界を奪われたはずのハーミットが、やや呆然ぼうぜんとした顔をしていた。だがしかし、それでも彼女は行動を再開する。ふところに手を突っ込み、何かを引き抜いた。

 取り出された何かが地面へたたきつけられ、硝子がらすくだけ散ったような音が響く。輝く白い紋章陣が浮かび、ハーミットの全身があわい光につつまれた。

 そんな光景を見つつ、悠真も手を休めない。力強く両手をからめ合わせる。

 周囲をおおった漆黒の闇が、ハーミットをじわりと抱き込む。

 視界は完全に、闇で閉ざされているはずだった。それなのにハーミットの視線が、自分をしっかりととらえているのだと気づく。


 四方八方に剣を振り回し、ハーミットは闇を切り裂きながらとなえる。

烈火れっかの開錠――火龍かりゅう咆哮ほうこう虚空こくうを振るわせろ」

 周辺に赤き紋章陣がいくつも展開され、激しい炎が勢いよく生み出された。

 咄嗟とっさにハーミットから炎へ対象を変え、悠真は闇を集めて炎を打ち消す。

 ほんの少しでも判断はんだんが遅れていたら、自分が燃え盛る炎に焼かれてしまっていた。しかし身をまもったせいで、闇がすべて消えてしまう。

 また視界が、だれにとっても良好りょうこうな世界に戻ったのだ。

 息つくひまもない。すでに、ハーミットが目の前へとせまってきていた。いつの間にか手にしていたなんらかの道具を剣身にわせ、詠唱えいしょうもなく炎が発生する。


 炎をまとった剣を、ハーミットは大きく振り被った。

 悠真は漆黒の紋章陣を浮かべ、虚空を黒く染める闇の盾を作り上げる。

 闇の盾と炎の剣が衝突しょうとつし合う。衝撃しょうげきを生み、空気が揺れ、激しく破裂はれつした。

 十秒ほどの短い攻防のすえに――悠真の心臓に異変が起きる。自然と転化をくや、心臓がいびつ鼓動こどうを繰り返した。まるで胸を突き破ろうとする勢いにひとしい。

 呼吸が激しく乱れて、きしむような痛みが体中を駆け巡る。再び地にした悠真は、強烈な痛みを必死にこらえ、無理矢理にでも息を整えていく。

 頭が朦朧もうろうとする中で、誰かが前にせまったのがわかった。

「正直、驚かされた。ただ、その力はずいぶんと代償だいしょうが大きいようだな」


 闇の精霊王の力をもってしても、樹人じゅじん族である彼女を無力化できない。

 その事実が、悠真に絶望――くやしさを与えた。

「一対一でも、このありさまだ。邪教や国は一人ではない。数え切れないほどいる。そんな代償が大きな力は、集団戦には向いていない。いい加減かげん、理解しろ!」

「何、終わった雰囲気、出してやがんだぁああ!」

 悠真は痛みを無視し、気力を絞り出して立ち上がった。

 そしてもう何もできないと、瞬時にさとる。意識をたもつのでさえ必死であった。

「まだ、終わってなんか、いねぇから……」

 もはや無意識の領域りょういきで、悠真は左手を胸に置いた。ハーミットがまた構える。


 そのとき――両手を大きく広げたシャルが、ハーミットの前に立ちはだかった。

「もう、やめてください。わかりました。わかりましたから!」

「な、シャル……」

 肩越しに顔だけ振り返ったシャルを見て、悠真は絶句ぜっくする。

 神々こうごうしいほどに整った顔が、今にも泣きだしそうにくずれていた。

「悠真も、お願い。もう、転化しないで」

馬鹿ばか、お前……」

 無理をしていたひざの力が一気に抜け、悠真は地にへたり込んだ。

「悠真!」


 そばに寄ってきたシャルに支えられ、悠真はかろうじて倒れ込まずに済んだ。

 心配を色濃く表情に宿したシャルが、ハーミットのほうへ向く。

「ラスティア教団でもどこでも、私……行きます。だから、もうやめてください」

「何、言ってんだ、シャル」

 手にした剣をさやへと納め、ハーミットは片膝かたひざをついてシャルにひざまずいた。

「どうか、お許しください。戦闘行為こういおよぶつもりは……一切ございませんでした。つい頭に血が上ってしまい、このような事態へとおちいった未熟みじゅくさをじております」

 ハーミットが表情と態度に、謝罪しゃざいの意を表す。

 黙っていたシャルが、少ししてから力強さがこもった声を出した。


「ラスティア教団の保護を、お受けいたします。それから光の聖女としての責務せきむも、可能な範囲内でなら果たしたいと思います。ただし、条件をつけさせてください」

 シャルの発言中、女司祭しさいマイナ・カーチスが歩み寄ってきた。

 三十代なかごろだと思われる――やさしそうな顔立ちをした彼女が、ハーミットの隣で地べたに正座する。そしてやわらかな声音で言葉をつむいだ。

「聖女様の御意志ごいし、お聞かせ願えますか?」

「一つ……可能な限りで構いません。私に自由な時間を与えると約束してください。二つ、私にとって大切たいせつな仲間達と、自由に会わせると約束してください」

 マイナは黙考の姿勢を見せ、しばらくして思慮深しりょぶかうなずいた。


「わかりました。聖女様の御意志に沿えるよう、私のほうから働きかけます」

「最後に……もしも邪教団や、禁忌の悪魔をほふったとする国々の脅威きょういが失われたら、私を自由にすると約束してください」

 マイナとハーミットが困惑こんわくの眼差しで、わずかに首をかしげる。

 シャルはものかなしげな顔をして、ゆっくりとした口調で気持ちを述べた。

「私は禁忌の悪魔としてきらわれ、人としての時間がありませんでした……でも、人として歩める道を彼が与えてくれました。だからすべてが終わったそのときは……光の聖女の役目も捨てさせてください。私を普通の人として生きさせてください」

 シャルの懇願こんがんに、マイナもハーミットもつらそうに顔を曇らせた。


 禁忌の悪魔がどんな存在か、この世界に生きる者は誰もが知っている。理解をしていればいるほど、シャルの願いはあまりに普通で――とてもせつないものであった。

 マイナはかなしみを顔に宿し、すっと視線を下げていく。

「聖女様に危害きがいが及ばないのであれば……我々が、口を出せるはずもございません。彼女も申し上げましたが、これは〝保護〟であり〝拘束〟ではないのです」

 さとすような口調で、マイナはゆったりと話し続けた。

堅苦かたぐるしい部分が生まれるのは、いなめません。ですが、どこに脅威きょういひそんでいるのかわからない以上、こうするほかないのです。どうか、ご理解を……」

「ええ、わかっています」


 マイナにうなずいてこたえてから、シャルが微笑みをたたえた顔を向けてくる。

 表情は微笑んでいるのに、どこかかなしみの色がにじんでいた。

「シャル。お前、どうして……」

「ごめんね、悠真。しばらくの間、待っていてくれる?」

 かすれがちな声をしたシャルに、悠真は重ねてく。

「そうじゃない……どうして、受け入れたんだ」

「それは……」

「申し訳ないけれど、私の入れ知恵よ」

 悠然ゆうぜん闊歩かっぽするアリシアが、会話にじってきた。隣にはエレアの姿もある。


 やや露出度ろしゅつどの高いきらびやかな黒い衣服に身をつつんだ――目のやり場に困るような、胸元を強調している服を着たアリシアが、悠真の近くで足を止めた。

 アリシアは真紅しんくの瞳で見下ろしながら、指を二本立てた。

「ただ、私がシャルに与えた言葉は二つだけ。最後の言葉は、彼女自身の意志よ」

「なんで、そんな……」

 悠真はアリシアをじっと見つめる。しかし口を開いたのは、エレアだった。

「お前はわからないだろうけど、ラスティア教団は変な宗教団体じゃないわよ。はるか昔に実在した光の聖女の意志を尊重そんちょうして、無償で慈善じぜん活動をする団体なの。無償でも運営を続けられているのは、支援をしまない出資者が多いからなのよ」


「だとしても……」

 首を横に振ってから反論しようとしたが、アリシアがさえぎる。

「失礼きわまりない発言になるのだけれど……利用しなさい。神格化しんかくかされた光の聖女を無碍むげに扱う真似まねはしないでしょうし、彼女が言った通り……悠真君の力は集団戦には不向き。それより何より、シャルにずっとこんな顔をさせるつもりなの?」

 シャルが一番つらい決断けつだんをした事実を、アリシアの言葉で悠真は気づかされる。

 心のどこかではわかっていた。これはただの独占欲どくせんよくにしかすぎない。唐突とうとつに現れ、突然に保護を申し出され、いきなりシャルを連れて行こうとした。

 そんなラスティア教団に、シャルが奪われてしまうような気がしたのだ。


 本当に大事だいじなのは、シャルがどうしたいか――それが、悠真にはできなかった。

 涙でうるんだ銀色の瞳を見つめてから、悠真は頭を下げる。

「ごめん、シャル。お前の意志を、ちゃんと聞くべきだった」

 シャルは首を横に振った。

「違う、そうじゃないの。ねえ、悠真。お願い、もうこんな無茶むちゃしないで……」

「シャル……ああ。心配かけて、ごめんな」

「うん」

 安堵あんどの表情を浮かべたシャルが、やさしく微笑んだ。

 やり取りを黙って見守っていたマイナが、静かに言った。


「利用ですか……ええ。それでも構いません。ただ、聖女様におつかえしたい。これが我々の本音なのですから。それから、もう一つ」

 マイナの目に涙が溜まり、すっとこぼれ落ちていく。

 マイナはかなしみに打ち震えるような声音で続けた。

「これまでの長きに渡る時の中で――誰もが悪神の思惑おもわくまどわされてしまい、誰もが光の聖女様であったと気づくことができず、申し訳ございませんでした。どうか……私達に贖罪しょくざいとして、お仕えさせていただけないでしょうか」

 涙を流しながら、マイナは深く頭を下げた。

 言葉を失うほどのひたむきさが、マイナから伝わってくる。


「いいえ。いいんです。私自身、自分が光の聖女であると何も知りませんでした……ですから、頭を下げないでください。これから、よろしくお願いします」

「ラスティア教団は誠心誠意、聖女様にお仕えさせていただきます」

「身の回りのお世話から護衛まで、このハーミットが担当させていただきます」

「はい。よろしくお願いします」

 二人におうじたシャルが、そっと悠真に笑みを向けてきた。

「悠真。しばらくの間、待っていてね。必ず、あの約束を――」

 限界がきたのか、悠真の意識はそこで途絶とだえた。

 途絶えると同時に、また――新しい朝をむかえて目覚めるのだ。



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