幕間一   光の聖女



 銀色の瞳に見つめられ、悠真はまるでへびにらまれたかえるのごとく固まっていた。

 石造りの内装をしたカフェには、周囲の目を気にしなくてもいい個室が一つある。ここはと、面会をするためだけに造られた場所だった。

 現在――彼女は非常に危険な立場にある。そのため、仕方のない処置であった。

 楚々そそとした雰囲気のある銀髪の少女は、き通る声をつむいだ。

「ずいぶんと、お楽しそうでしたね」

「あ、いや……」

「優勝、おめでとうございます」

 柔和にゅうわな笑みを浮かべ、銀髪の彼女は小首をかしげた。


 傍目はためからは、楽しげに会話しているようにしか見えないだろう。しかし悠真は冷や汗が止まらない心境しんきょうだった。なぜかさきほどから、敬語で話してくるのだ。

「まさか、悠真さんが法術学園祭に出場されているとは、夢にも思いませんでした。私が〝光の聖女としての責務せきむを、必死に果たしている〟最中さなか……エレアノールさんとな距離を大きく縮められた模様ですね」

 まったく微笑みはくずれない。それが、逆に恐怖をあおった。

「人々の前で話すのは、慣れませんね。思い返せば……赤面せきめんせざるをない言葉しか会場の皆様に送れませんでした。けれども、悠真さんは凄いですね。あれほど大勢の人達の前で、エレアノールさんに〝下着姿で抱き合う〟とか言えるのですから」


 空気感が張りめていた。肌にしびれが走り、胃には謎の激痛が走る。

「まるで婚約こんやくを約束された仲にも見えたでしょうね」

「いや、それはないだろ……」

「そうなのですか? 黒鉄騎士団の団長ヴァーミル様が、悠真さんは未来の娘婿むすめむこだとおっしゃっておりましたが、私の聞き間違いだったのでしょうか」

 一瞬、悠真は意識をうしなった。

 エレアの父親と面識がある――それも驚くべき情報の一つではあるが、それよりも謎の婚姻こんいん話までもが、彼女の耳に届いているのに震撼しんかんする。

 悠真は下を向いた。ぽたぽたと汗がしたたり落ちていく。


「私との約束は、もう果たせなくなりそう――」

「ば、馬鹿ばかかよ! そんなことあるわけねぇだろ。お前と一緒に、世界を見て回る。ヨヒムとニアをむかえに行く。俺はずっと、その約束を果たしたいと思ってる」

 くすりといたずらな笑い声が耳に入った。

「ふふっ。ちょっとした冗談じょうだんよ、悠真」

 口調や雰囲気はいつものものに戻っているが、まだ安心はできない。

 悠真は反省はんせいを表情に作り、言い訳をしておく。

「なんか、すまん。俺にも、どうしてこうなったのか、マジでわからんのだ」

なかば無理矢理の形ではあったと、ヴァーミル様から聞いたから」


「なんだ、シャル。何もかも知った上だったのか」

 悠真は安堵あんどの溜め息をらす。

 シャルが笑顔のまま、首を横に振った。

「悠真が〝そんな言葉のやり取り〟を〝平然〟とするなんて知らなかったよ?」

 悠真は苦笑で誤魔化ごまかすほかなかった。

 どうにか流れを変えられないか、悠真は必死に別の話題を模索する。

「あ、そ、それよりさ、そっちのほうはどうなんだ? ほらじゃ教団きょうだんとかさ」

「んぅ……近々、何か大きな動きがあるみたい」

「大きな動き……?」


 シャルは真面目な顔をしてうなずいた。

「今回、ヴァーミル様とお会いした本当の目的はね――悪神あくじん禁忌きんきの悪魔を信仰しんこうする組織の中に、レヴァース王国も諜報員ちょうほういんを潜入させていたの。不穏分子ふおんぶんし監視かんしといった名目でね。その諜報員から大きな動きがあるって報告がきたらしいの」

「邪教団の大多数は、解体されたっつぅのに……厄介やっかいな話だな。まあ、やっぱり俺がもっとちゃんと考えてから、情報を公表するべきだったんだろうけど」

「うんん……いいの。悠真の選択は、何も間違ってなんかいない。それにね、禁忌の悪魔が光の聖女だったって認識が広まったおかげで、いいこともあるから」

 続きを待っていると、シャルがやさしい笑みを浮かべた。


「いつか、悠真と旅をする。そんな普通の人としての願いを、持てるようになった。禁忌の悪魔のころの私には、絶対にかなわない願いだったから」

 どこか心があたたかくなる感覚だった。

 ただ、何かを忘れている。そんないやな感覚も少しあった。

 嫌な感覚の正体しょうたいつかめないままだが、今は光の聖女の優しい笑みにこたえる。

「そっか。願いを早く叶えるためにも、俺も力になれたらいいんだけどな」

「だめよ。悠真の力は危険すぎるから。もう二度と……それなのに悠真ったら、また転化したでしょう。あれだけだめだってアリシアにも言われていたのに」


「いや、うぅん。なんか、すまん……でもさ、仕方がないだろ。エレアがどうしても優勝したいって必死になっていたし、あれしか方法がなかったんだ」

「あまり、心配させないでね」

 不安そうな顔のシャルを見て、悠真は少し前の過去を振り返った。

 シャルが光の聖女としての覚悟を持った日の記憶――悠真は拳を握り締める。

「……まあ、俺の力は集団戦に不向きなのは間違いないからな。なんかくやしいな」

「大丈夫。邪教団は私の問題なの。だから、悠真にまもってもらうだけじゃだめなの。私だって、悠真を護れるぐらい強くなるから」

 シャルの覚悟を宿した眼差しに、悠真は笑みで返した。


「そっか」

「きっと、これが一番近道になるはずだから……待っていてくれる?」

「俺はのんびりと待っているから、絶対に無理はするなよ。でも、もし……それでもこんな俺の力が必要となったら、いつでも呼べ。俺は、ずっとお前の味方だから」

「ありがとう、悠真。あなたがそばにいてくれるだけで、私は頑張れるから」

 銀色の瞳をうるませ、シャルはうれしそうに顔をほころばせた。

 少しの間おたがい見つめ合ったのち、悠真はふと思いだす。

「そうだ。巫術士ふじゅつしとしてくらいを上げるための訓練のほうはどうなんだ」


「想像以上に、きびしいかな。一つ位を上げるだけでも相当なのに……一つ上がると、それ以上に大変な道のりがあるみたい。こうして経験してみて、思うの。大精霊から寵愛ちょうあいさずかったアリシアって、本当に凄いんだなって」

 シャルの苦い顔を見ながら、悠真はかわいた笑いを漏らす。

「あいつは、ちょっと特殊とくしゅだと思うけどな」

「でも、私も負けないように頑張らないとね」

「ああ。でも、さっきも言ったが根詰こんつめすぎるなよ」

 ゆったりとシャルがうなずいた瞬間、木造の戸がたたかれた。

 戸の奥から、くぐもった女の声が飛んでくる。


「失礼します。よろしいでしょうか、シャルティーナ様」

「はい、どうぞ」

 シャルの承諾しょうだくで、戸が開かれていく。

 入室してきたのは、光の聖女を信仰しんこうするラスティア教団の女騎士――ハーミット・エルミナという樹人じゅじん族の女であった。

 教団員特有の正装でもあるのか、純白を基調きちょうとした外套がいとうよろいを組み合わせたような格好の彼女は、そっと胸に片手を置き、優美な一礼をした。

 横長の耳に引っかかっていた長い金髪が、さらさらと流れ落ちていく。

 き通るような美貌びぼうを持ち上げ、女騎士の青い瞳がシャルに向いた。


「シャルティーナ様……そろそろ、ラスティア教団支部へと戻る時間です。おそらく司祭しさい様が今頃いまごろ意味もなく、教団内部を徘徊はいかいしている頃合ころあいでしょう」

 どこかいさましげな声音で告げられるや、シャルの表情が少し曇った。

 二日振りに再会してから、まだ間もない。

 本当は、もっと話をしていたいのだろう。悠真も同じ気持ちではあるが、こうして会える場と機会きかいを約束通り用意してくれているのはありがたい。

 悠真は女騎士を気遣きづかい、シャルに微笑みを見せた。

「また、次に会えるのを楽しみにしてる」

「悠真……うん。そうね」


 さびしそうな顔をしたシャルから、ハーミットへ視線を移す。

「シャルのこと、頼んだぞ」

 ハーミットが、すっと片目を細めた。

「ふん、害虫に言われずとも、たとえ千度命を失おうともまもるに決まっている」

 悠真は半眼で見つめると、ハーミットも半眼でにらんできた。

 しばしの沈黙をて、シャルがあわてた声をかける。

「ちょ、ちょっと、ハーミィ!」

「失礼しました。どうも羽音がうるさく、つい愚痴ぐちをこぼしてしまいました」

 シャルに頭を下げるハーミットを眺めながら、悠真は溜め息をつく。


「まあ、俺がきらいでも構わんが、シャルに何かあったら許さねぇからな」

「それ以上に、羽虫がシャルティーナ様をけがしそうで、こちらは気が気ではない」

 再び、お互いにらみ合う。

 シャルが席を立ち、せわしなくハーミットの身をひるがえらせた。

 ハーミットを押し出すシャルが、肩越しに顔を振り返らせてはにかんだ。

「それじゃあ、悠真。また連絡するからね」

「ああ、またな。シャル」

 シャルとハーミットの後ろ姿を見送り、悠真は天をあおいだ。

 静まり返った個室で一人、胸にぐるぐるとさびしさが巡り続けていた。



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