第九幕   馬車に揺られ



 地球にしろ、異なる世界にしろ――久遠悠真の朝は早い。

 地球にいたころは男臭い職にき、悠真は一人で暮らしていた。仕事のある日は朝の五時に起床きしょうする。身支度や朝食を手短てみじかに済ませてから出勤するのが日常だった。

 仕事がない休日は、普段よりも一時間だけ遅く目が覚める。簡単な身支度を整え、それから体がなまらないようジョギングで街の中を駆け巡るのだ。

 日本でみついていた習慣は、こちらの世界でも習慣になりつつあった。

 悠真のうつろな意識が、次第に覚醒かくせいへ向かう。そして息を大きく吸い込んで、素早く上半身を飛び起こした。本日も黒いシャツが汗でぐっしょりとれている。

 激しく息切れしながら、首筋の汗を腕でぬぐい捨てた。


「……くそっ!」

 悠真は黒い髪に指を通し、頭を軽めに振って意識をはっきりとさせる。ふと昨日の出来事が脳裏のうりによみがえり、壁際のほうへ視線をゆっくりと流した。

 昨日は知らない間に紅髪べにがみの少女が隣で眠っていたが、今日はだれの姿もない。ほっと胸をで下ろし、悠真はベッドから――驚愕きょうがくのあまり肩が小刻こきざみに震える。

 背の低い机に座っているディアス・エヴァンスが、さわやかに紅髪をかき上げた。

「やあ、おはよう。今日もいい朝だ」

「へっ……?」

 悠真は、ついの抜けた声をらした。


 妙な沈黙が部屋の中に充満じゅうまんする。

 黒を基調きちょうとしているのは同じだが、昨日とは違いしたしみやすい服装だった。格好やアクセサリーのせいなのか、どこか別人という雰囲気すらある。

 おまけにエレアと同じく、彼も当然のごとく土足のまま部屋に上がり込んでいた。

 お洒落しゃれを楽しんでいる彼の右手には、一冊の小さな書物が開かれている。どうやら悠真が起きるまでの間、読書をして時間をつぶしていたらしい。

 現状の把握はあくはできたものの、やはり理解はできそうになかった。

「目覚めたばかりのところ申し訳ないが、今日は僕に付き合ってくれないか?」

 ディアスは書物をぱたっと閉じ、爽快そうかいに声をかけてきた。


 悠真は少しずつわれを取り戻し、たっぷりと時間を置いてからこたえる。

「いや、待て待て待て……つか、どうやって入ったんすか?」

「ん? ここの家主やぬしに君の友人だと言ったら、普通に鍵を貸してくれたぞ」

 ディアスがそばに置いてあった鍵を拾い上げ、軽く振って見せてくる。

 エレアが侵入してきた件で、家主にはきつく言い聞かせたつもりであった。しかし無駄むだに終わったらしく、今回も本人に確認をしないまま鍵を手渡してしまっている。

(あんのくそじじぃ! まったく理解できてねぇようだな!)

 悠真が怒りに打ち震えていると、ディアスの静かな笑い声が耳に届いた。

「少し遠出になるから、準備はしっかり整えておいてくれ」


「なんですか……どこへ行くつもりなんですか?」

馴染なじみの村まで、馬車で行くつもりだ。そこは、果実酒が名産でね。商業都市まで久方振ひさかたぶりに戻って来たから、これをに立ち寄ろうと思ってな」

 学生時代は、彼もこの商業都市で暮らしていたのだろう。

 どこかなつかしげに言ったディアスを眺めつつ、悠真は不意の疑問を伝える。

「果実酒って……ディアスさん、学生時代にそんなもの呑んでたんですか」

 言ってから気がついた。まだ頭が寝惚ねぼけているのか、ここは日本ではない。

 そもそも未成年の定義は、地球でも国々によって変わっていた気がする。

「悠真はきびしい国の出自しゅつじなのか。ここでは十六から成人として扱われるんだ」


「ああ、やっぱりそうなんですか。僕のところは、二十歳からだったので」

「二十歳……僕もまだまだ勉強不足だな。知らないことでいっぱいだ」

 くやしげにうなるディアスを眺め、悠真はつい苦笑した。

 どれほど勤勉きんべん博識はくしきだったとしても、この世界で日本の情報はられない。

「とまあ、それは置いておいて……友人として、僕に付き合ってくれないか」

 少しなやんだすえに、悠真は諦めの境地で首を縦に振る。

「わかりました。ご一緒させていただきます」

「ふっ……いい加減かげん、もっと気楽に話してくれても構わないんだぞ。友人としてだと言っただろう? エレアノールと同じように接してくれ」


 マルティス帝国の皇女こうじょアリシアもそうだが、身分が高いわりに気さくな人が多い。貴族や皇族ともなれば、もっと傲慢ごうまんいやな奴だといった勝手な印象があった。

 そう思ってから、悠真はエレアと初めて出会ったころの記憶が脳裏のうりに浮かんだ。

(まあ、人によるのはどの世界でも一緒か)

 かわいた笑いをらしていると、彼が二枚目な顔を柔和にゅうわほころばせた。

「友人達はディアスじゃなく、ディルって呼ぶ。だから、悠真もそう呼んでくれ」

 愛称を勧めてきたディアス――ディルに、悠真は戸惑とまどいがちに応じる。

「は、はあ……まあ、敬語とか本当は苦手なんで、ありがたいっすけど」

「よし。それじゃあ――」


 ディルの言葉をさえぎり、悠真は言葉をはさむ。

「じゃあ……ディル。友人として二言いいか?」

「ん?」

 半眼で軽くにらみ、悠真は落ち着いた口調で告げる。

「俺の部屋は土足厳禁げんきんだ。そんでディルが座っているのは、背の低い机だぞ……」

 意表を突かれたような表情をして、ディルがあわて気味に立ち上がった。土足厳禁と言われたのを思いだしたのか、今度は素早く片足を上げて固まっている。

 短く笑いを飛ばしたのち、悠真は欠伸あくびらしながら身支度を整え始めた。






 屋根のない木製の馬車に乗り込み、悠真はディルと対面する形で座っていた。

 商業都市の商業区は、今日も活気に満ちあふれた商売人の張りのある声が盛大せいだいに飛び交っている。人間以外の種族しゅぞくも含め、濁流だくりゅうのごとく人通りが激しい。

 にぎやか街並みは、どこか爽快感そうかいかんのある心地よさが感じられる。

 そんな商業区の中を、闘牛に酷似こくじしたつのを生やしている――ルグシオンと呼ばれる二角にかくじゅう迅馬じんばが、外郭がいかくを目指してゆっくりと進んでいた。

「そういえば、通信具や錬成生命体とか……これだけの技術力があるのに、どうして乗り物系の錬成具れんせいぐって見当たらないんだ?」


「ん、移動型錬成具なら、大陸を走る列車とかがあるだろう」

「あぁ、なんつぅか……」

 自動車を別の何かに例えようとしたが、咄嗟とっさには思い浮かばない。

 言葉に詰まった悠真は、少し黙考する。

「例えば、馴染なじみの村へ行くのに馬車を使うだろ? でもこういうのは、個人こじん個人こじんが小さな移動型錬成具を持っていれば、もっと自由に行き来できると思うんだ」

「もしかして、悠真は錬金術師の大陸と呼ばれるメルニア大陸の出自しゅつじか? 確かに、あの大陸にはそういった移動型錬成具がたくさんあった気がするな」

「いや、というわけでもないんだがな……」


 悠真は苦笑でこたえつつ、メルニア大陸の話に興味をかれた。ディルの発言から、メルニア大陸のほうには自動車に近しい代物があるらしい。

 もしメルニア大陸にあるのだとすれば、やはり不可解さが際立きわだった。なぜいまだに商業都市では馬車が主軸しゅじくとなっているのか、その理由がよくわからない。

 錬成具や錬成れんせい武具ぶぐ品々しなじなは、その大陸から輸入されていると聞いた記憶があった。だから移動型錬成具も同じく輸入されていたとしても、なんら不思議ではないのだ。

 悠真は、ネクリスタをおとずれてから定番ていばんとなっているネタを口にする。

「実は俺さ、ちょっとした記憶喪失そうしつで、記憶があやふやなところがあるんだ」

「ん……そういえば、エレアノールがそんな話をしていたな」


 当然、悠真は記憶を欠片も失ってなどいない。体裁上ていさいじょうそういうことにしておけば、話がスムーズに進められるというだけのいつわりの装いであった。

「まあ、だからよくわからなくてさ。どうして、レヴァース大陸では馬車なんだ?」

「一番の問題は他種族間での問題だな。このレヴァース大陸には多くの種族がいる。の国にあるような設備や基盤は、かなり難しいだろうな」

「俺から言わせれば、交通の便べんが整えば好都合なこともあると思うが……」

「うん、そうだな。だが、そういった長所がある反面、短所もまた同様に生まれる。そうした短所を埋めていくのには、もう少しばかりの時間が必要だな」

 ディルはなげ仕種しぐさを見せ、重みのある溜め息を吐いた。


 悠真は腕を組み、首を小さくひねる。

「一番の問題はって言ったよな。二番とか三番とかってあるのか?」

「ああ。二番目の問題は、妖魔ようまに関して……二番目とは言ったが、一番目と同水準で厄介やっかいな問題なんだ。低級の妖魔なら訓練されていない国民でも問題にはならないが、そうじゃない妖魔が問題だ。中には騎士ですら手を焼く妖魔も多い」

 ネクリスタには妖魔と呼ばれる、怪物と見做みなされた存在が跋扈ばっこしている――実際に悠真が見たことがあるのは動く死体ぐらいで、それ以外は風の噂でしか知らない。

 しかし悠真にとっては、動く死体ですら衝撃的なものであった。そんな非現実的な存在を実際に見てしまえば、聞く話の多くは事実だとして呑み込むほかない。


 ここ最近までは、新生活を迎えるための準備で手一杯だった。だから商業都市から外側の情報は二の次となっており、悠真はまだ上澄うわずみ程度でしか知らない。

 ディルの教えは、悠真からすれば深く知るいい機会であった。

「もしそんな危険な妖魔に遭遇そうぐうしたら、みんなどうしてるんだ?」

我々われわれ騎士が遭遇した場合は即座そくざ討伐とうばつするが、国民はそういうわけにもいかない。だからこそルグシオン――二角獣の迅馬が役に立つ。かなり頭のいい動物で、危険な妖魔を察知するのにすぐれているから重宝ちょうほうされているんだ」

 悠真は納得の姿勢でこたえる。ディルの口許に小さな笑みが浮かんだ。

「ただ、丁重ていちょうに扱わないと怒って逃げてしまうから、扱いの難しい動物でもある」


 悠真は過去を思いだし、自然と苦笑する。馬車に乗るのは今回で二度目だった。

 この世界に召喚された日に、盗んだルグシオンを操作して逃げられたことがある。今までずっと、手綱たずなが切れたから逃げられたのだと思い込んでいた。

 ルグシオンが悠真の扱いに怒ったからなのだと、ようやく理解する。

「本来、危険な妖魔を検知けんちした場合、通常は馬車組合へと報告するんだが……まあ、金を持っている連中なら最初から護衛ごえいやとっているだろうし、もしそうじゃないなら討伐隊や賞金稼ぎとかが到着するのを、安全な場所でただ待つしかないな」

「ああ、なるほどなぁ……そういえば、馬車が止まってた付近に、それっぽい連中がごろごろいたな。一部の者には、そういうのもめしたねになるって話か」


 話の切りもいいところで、悠真達は外郭がいかく付近まで辿たどり着いた。

 門の出入口周辺も、人でごった返している。どこかからやって来たのか、あるいはこれからどこかへ行くのか――それぞれがいろいろな目的を持っているに違いない。

 そういった人々を迎えるための簡易かんい施設も、ここでは多く見受けられた。

「あのさ、ディル」

「ん、どうした?」

「言っちゃ悪いが、こんな速度で馴染なじみの村まではどのぐらいかかるんだ?」

 不可解そうな表情で、ディルは小首をかしげた。

「悠真は、ルグシオンに乗ったことがないのか?」


「ああ、まあ……馬車を利用しなきゃならないところまで行く機会がなかったから」

「そうなのか。それなら、悠真。少しの間だけ下を向いていたほうがいいな。事前に見てしまうと、きっとつまらなくなるから」

 怪訝けげんな眼差しを送ると、ディルは下を指差しながら宙をつついている。

 ディルの指示通りに、悠真は木製馬車の床へ視線を落とした。

「僕が合図あいずするまでは、そのままの状態でいろよ」

「お、おう……」

「それで辿たどり着くまでの時間だったな……商業都市の中では速度を出せないが、もう少ししたらとんでもない速さで走るから、だいたい一時間程度ってところだな」


 悠真はわずかに驚いたあと、短い生返事をしておいた。

(半日以上かかると思ったけど……まあ、それならあまり時間は取られないか)

 心の中で胸をで下ろしていると、ふといぶかしい点が浮かび上がる。

 悠真が盗んだ馬車を走らせたときは、確かに速いといえば速かった記憶がある――しかしとんでもないと言えるほどのものではなかった気がした。

 考え込んでいると、視界の端でディルが立ち上がったのをとらえる。

 どうやら周囲を見渡している様子で、少ししてから再び腰を下ろした。

「念のために頭を下げてもらったが……この時間は、昔からほかの馬車が少ないな。悠真、そろそろ顔を上げてもいいぞ」


 姿勢をただせば、見渡す限りの草原が広がった。

 悠真はしばらく目を奪われる。初めて通ったときは青い月の明りに照らされる夜の草原であった。つい最近の出来事がひどなつかしさを匂わせる。

「それでは、お客さん。しっかりと座っていてくださいね」

 御者台ごしゃだいにいる年老いた男が、柔らかな口調で告げてきた。

 やや緊張しながら、悠真は静かに見守る。老人はそばに置いてあった袋から、黄色い小瓶こびんを取り出した。ふたを開けてルグシオンのつのに向かって何かを振りかけている。

 すると――金色こんじきの紋章陣が瞬時に浮かび上がった。ほどなくして粉々こなごなに砕け散り、ちかちかとした黄金おうごんの輝きを放つ光のつぶが、ルグシオンの角へ吸い込まれていった。



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