隠幕    そして闇の中へ



 仰々ぎょうぎょうしい装飾を施された大扉が、重い音を響かせながらひらかれた。

 豪華ごうか絢爛けんらんな石造りの空間の中を、久遠悠真はゆっくりと歩いていく。

 服装は普段と同じ、黒を基調きちょうとした――シャツの上に長袖のジャケットを羽織はおり、下はデニムに近い素材のズボンに、丈夫じょうぶな革製のブーツを穿いている。

 これらの衣服は、すべてアリシアが見立てたものであった。正直、悠真はお洒落しゃれうとい。ただ、場所次第で今の格好は浮いてしまうのだと痛感つうかんする。

 みがき上げられた白く輝いた石はとてもなめらかで、床に敷かれている紅い布も緻密ちみつ刺繍ししゅうが施されていた。神聖な雰囲気が色濃くただよう場であったのだ。

 初めておとずれる場所に、悠真の腹部と胸に妙な緊張がくすぶる。


 大きな通路の両脇には、騎士達が男女交互に並び立っている。悠真が通るたびに、騎士達は腰にびた剣を抜き、剣脊けんせきひたいへと近づけていく。

 流れるように連鎖れんさしていく光景は、どこかドミノ倒しを連想させた。

 今でも時折ときおり、日本がひどなつかしく感じるときがある。

 禁忌きんきの悪魔が光の聖女だったと、世界中に知れ渡ってから――悠真は目まぐるしい日々ひびを駆け抜けてきた。変化したものもあれば、変化しないものもまたある。

 過ぎた日々を振り返りながら、悠真は玉座ぎょくざの前を目指して歩く。玉座の付近には、二人の男神官しんかんと、白い甲冑かっちゅうで武装をした二人の女騎士が立っていた。

 神官はどちらも相当高齢こうれいの様子で、きざまれたしわの数が貫禄かんろくを生んでいる。


 女騎士達はまだ若いが雰囲気はするどく、選びに選び抜かれた最高の女騎士らしい。

 踏段ふみだんを備えた高台にある玉座のほうに、悠真は目を向ける。そこには可憐かれんな少女が悠然ゆうぜんしていた。銀色の長髪を綺麗に整え、全身を装飾品で飾りつけしている。

 端麗たんれいな顔に薄めの化粧けしょうをしているのか、どこか高貴こうきな雰囲気を放っていた。生地がシルクのようにつややかできらびやかな白い衣も、彼女にはとてもよく似合っている。

 神々こうごうしいまでに威厳いげんに満ちあふれた少女の、十数歩手前で悠真は立ち止まった。

 たっぷりと一呼吸の間を置き、悠真は腕を組みながら気楽に声をかける。

「よう、シャル。久し振りだな……つっても、今回は二週間振りぐらいか」

 苦笑する悠真に、通路の端にいた男騎士が素早く抜剣ばっけんして剣尖けんせんを向けてきた。


「なんという口のかただ……聖女様に無礼ぶれいであるぞ! が高い、下げよ!」

 憤慨ふんがいした面持ちで激昂げっこうする老いた男神官に、悠真は頭をいて誤魔化ごまかしておく。

 玉座ぎょくざからゆっくりと立ち上がったシャルが、数段しかない階段を下り始めた。振る舞いからは気品がかもされており、美しさにみがきがかかっていると思える。

だれか……この者達二人を、牢獄ろうごくへ送ってください」

 ゆるやかにき通る声がつむがれた。驚いた悠真の肩が跳ねる。

 シャルに手で示された神官と騎士の二人は、悠真以上に落ち着きをなくしていた。どちらもあわてふためく様子が、表情と仕種しぐさに色濃く表れている。

「なっ、せ、聖女様?」


貴方あなた達のほうこそ……いったい誰に向かって口を利き、剣を向けているのですか。彼は、私にとって英雄なのです。牢獄で一か月ほど反省はんせいしてきてください」

 無慈悲むじひなシャルに、悠真はあわてて両手を胸の前で振る。

「一か月は、かわいそうじゃねぇか? 別に、そこまでしなくたっていい」

「貴方様が、そうおっしゃるのであれば――彼の配慮はいりょに感謝してください」

 強くとがめるように言い放ったあと、シャルは悠真の数歩先で足を止めた。

「少しの間、彼と二人だけにしてください。この場に、誰も駐留ちゅうりゅうを許しません」

「し、しかし、聖女様……」

 明確な不快感が、シャルの銀色の瞳に宿る。綺麗な顔に苛立いらだちが浮かんでいた。


 すがめられた目でにらまれ、抗議こうぎした一人の女騎士は言葉を飲み込んだようだ。

「了解、しました」

 シャルの命令に従い、場にいた全員がぞろぞろと外へと向かって歩き出していく。甲冑かっちゅう衣擦きぬずれの音が木霊こだまする。

 一分にも満たない時間で――広い空間には、悠真とシャルの二人だけとなった。

 静まり返った雰囲気が、重圧的に居心地の悪さを与えてくる。

(こんな場所に、いつもシャルはいるんだな……)

 くすりと笑ったシャルが、銀髪に細い指を通した。虹色に輝くイヤリングが覗く。

「ふふ。悠真、二週間振りね。今度は何をしていたの?」


 いつもの調子に戻ったシャルの声と言葉づかいに、悠真は安堵あんどする。

「俺は相変わらず、ごたごたに巻き込まれちまってるよ。シャルのほうはどうだ?」

「うぅん、私は……ちょっと疲れが溜まっているかも」

 言われてみれば、少しやつれた印象がある。悠真は眉根まゆねを意識的に寄せた。

「大丈夫なのか。はやる気持ちはわかるが、あんまり無理とかすんなよ」

 シャルはやさしく微笑んだ。光の聖女としての責務せきむは、息が詰まるに違いない。

 少しでも気をまぎらわしてあげたいと考え、悠真は意識的に声を明るくする。

「そうだ。聞いてくれよ、シャル」

 この二週間での出来事を、簡潔かんけつにまとめながら説明していく。


 会えない間に体験した出来事を話すのが、もはやお決まりとなっているのだ。

 これまでは別の場所で会っていたのだが、今回は〝面会めんかい〟といった形式であった。おそらく、光の聖女としての責務がいそがしくなっているのだろう。

 シャルと会えない時間が多いのはさびしいが、現状を考慮こうりょすると仕方がない。

 だから悠真は、許される限り彼女のそばにいてあげたいと思っていた。 

 話していると当時の光景が色濃く脳裏のうりによみがえり、わずかに吐き気をもよおす。シャルの心地よい雰囲気がなければ、正直つらいところであった。

「それで、エレアとアリシアがさ――」

「ほかの女の話はしないで!」


 声が空間に反響はんきょうした。張られた声に驚き、悠真はわずかに体がる。

 はっと息を呑んだシャルが、気まずそうに顔をしずませていった。そのただならない雰囲気と態度に、悠真はいぶかしく思う。いつも会っていた彼女らしくない。

「シャル。お前、本当に大丈夫なのか……?」

「ごめんなさい……ちょっと、苛々いらいらしているのかも」

 えない表情で、シャルがのぞき込んでくる。

「ねえ、悠真は今でも私の味方でいてくれるの?」

「あ、ああ。もちろんだ。んなの、あたりまえだろ。ずっとだって言っただろ」

 口許に力のない笑みを浮かべ、シャルは手を差し出した。


「ねえ、悠真。ここから私を連れ出して……そして、どこかに私を連れ去って」

 困惑こんわくに満ち、悠真は胸のあたりで両手を揺らす。

「待て待て待て。本当にどうした、シャル。何があったんだ?」

 シャルは今にも泣きそうな顔をして、完全に力が抜けたように手が下へ落ちる。

 力のない声で、シャルはつぶやくように言った。

「どうして、連れ出してくれないの。悠真は、私の味方のはずなのに……どうして、あの日みたいに、私の手を引いて連れ出してくれないの?」

「だから、待てって言ってるだろ。ちょっと、ちゃんと話をしよう」

 シャルが両手で頭をかかえ、激しく首を横に振った。


「うるさい、うるさい! うそつき! 私の味方だって、言ってくれたのに……あの日だって、世界中を敵に回しても味方だって言ってくれたのに!」

 声を裏返らせて怒鳴どなった彼女の突然の怒りに、悠真は訳がわからなくなる。

「どうして、エレアとアリシアは自由なの! 私だって、自由でいたい! 私も……こんなことなら、禁忌きんきの悪魔のままでよかった!」

 光の聖女としての責務せきむが彼女を追い詰めたのか、シャルから余裕よゆうが消えていた。

「光の聖女になんか、なりたくなかった!」

「シャ、シャル……お、落ち着けって。な、とりあえず、落ち着こう」

「そうしたら、悠真は、ずっと私の英雄のままでいてくれたのに!」


 シャルは目許をゆがめ、涙でらした顔でにらんでくる。

「悠真なんかきらい。大嫌だいきらい。私の目の前から消えて、今すぐ消えて!」

 悠真は、言い知れようのない深い傷を心に負う。

 シャルに何があったのか、その理由は何一つとしてわからない。わかるのは彼女に拒絶きょぜつされている――悠真にとってそれは、あまりにもつらいものであった。

 問いたい気持ちはあるが、今のシャルはまともに喋れる状態とは思えない。悠真も悠真で、あまりにもショックが大きすぎてひどく混乱している。

「聖女様!」

 出入口の大扉が力強くひらかれ、悠真は振り返った。騎士達が流れ込んでくる。


「この者を牢獄ろうごくへ送って! 生死は問わない! 光の聖女にあだをなすやからです!」

 悠真は驚愕きょうがくし、シャルを向き直った。

「な、何を言ってんだ、シャル!」

「早く捕らえなさい! 早くして!」

 シャルが悲鳴みた声を出すやいなや、さやから剣が抜かれる音が響き渡る。

「おい、シャル! なんの冗談じょうだんだ。すぐ撤回てっかいしろ!」

 シャルが、もの凄い剣幕けんまくにらんでくる。

うそつきの悠真なんか、大嫌い……この世から、消えてしまえばいい」

 聞きたくない言葉だった。するどい痛みが胸に打ち込まれ、悠真の思考が停止する。


 シャルは後ろを振り返り、かつかつと音を立てて歩いていく。

 彼女の後ろ姿が、なんとも言えないかなしい気分にさせた。

「聖女様にあだをなす者、おとなしくしろ!」

 われを取り戻した悠真は、声がしたほうへ視線をすべらせた。

 男騎士が剣を振り被っている。かろうじてけると、風圧が悠真の肌をでた。

 最初から当てる気などないとわかる、そんな剣筋であった――なかば反射的に、男の騎士のほおに拳をたたき込み、吹き飛ばしてしまう。

 それが開戦の合図あいずだと言わんばかりに、騎士達の眼が色をなした。


 何が何やらまるでわからない。どうして、こんな状況になったのかも――なぜか、シャルが敵意てきいをあらわにした。理解できるのは、本当にそれぐらいしかない。

(くっそ……!)

 理由はどうあれ、この場は引くしかない。悠真は大きく後退し、胸に手を当てる。

(来い、ガガルダ!)

 心の内側でめいじて、悠真は光る左手を横に大きく伸ばした。指先から腕へ黒いもやを走らせ、素早く転化を行なっていく。

 騎士の一人が放ってきた斬撃ざんげきを、先に転化しておいた――鋼鉄こうてつ並みの硬さがある、漆黒しっこくの左腕をたてにしてふせぐ。金属音が高らかに響いた。


 次いで、悠真は左腕で強く払う。するどい爪で威嚇いかくし、騎士達と距離をたもたせる。

 一秒ほどで完全に転化を終え、悠真は両翼りょうよくを大きく羽ばたかせた。騎士達の上空を越え、開かれた大扉から外へ飛んで脱出する。

 上空へ辿たどり着くや、いやな気配を背後から察知した。

 肩越しに、悠真は後ろのほうへ目を向ける。火、水、風、光と各属性の攻撃系統の秘術が、おそろしい勢いでせまって来ていた。

 いくつかはかわせたものの、被弾ひだんしたほうが多かったかもしれない。

 しばらく必死に激痛をこらえたものの、悠真は無意識に転化を解いてしまう。両翼を失い、そのまま重力に従って落ちていく。


 準備不足の転化のせいで生命力もかなり失い、傷は深いと感じられる。薄れていく意識の中で、シャルの暴言ぼうげんだけが悠真の脳裏のうりに張りついていた。

 そしてこれまでの記憶が、走馬灯そうまとうのように駆け巡っていく。

(なんで……どうしてだよ、シャル……)

 落下の感覚を全身で受けつつ、悠真の意識と視界は――

 瞬間的に、闇の中へと閉ざされた。



                ―― 銀色の髪と瞳を持つ少女 終 ――



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