終幕    夕日に染まった草原



 世界は茜色あかねいろに染まりつつあった。

 見渡す限り広がる草原の草地に寝転んで、悠真は赤く染まった空を眺めた。

 今頃いまごろ――エレアは呪われた屋敷を浄化した代表として、商霊誌にどう記載するのか苦悩くのうしているに違いない。結局、悠真とシャルの存在はせさせておくことにした。

 アリシアは聖印せいいん騎士団が滞在たいざいしている商業都市へと足を運び、まだ諸々もろもろ事後処理に追われているのだろう。火柱の件もだが、大半は悠真の存在の口止めもねている。

 悠真達の手配状は、アリシアの迅速じんそくな対応のおかげで、早々と取り下げられていた。晴れて自由の身となったからか、世界がずいぶん明るく感じられる。

 そして、シャルは――


「悠真さんは、これからどうするんですか……自分のいた世界に帰るんですか?」

 隣で腰を下ろしているシャルが、ゆったりとした声で尋ねてきた。

 悠真はふと記憶がよみがえり、さっと上半身を起こしてシャルと並び座る。

「あぁ、そうそう。シャル、お前さ……話は、ちゃんと最後まで聞こうぜ。俺もう、元の世界には戻れないんだ。だからあっちへは二度と帰れないし、行けもしない」

「えっ……?」

 やや裏返った声をあげ、シャルは唖然あぜんとした顔をする。

 世界と世界をつなきんじられた秘法に関して、悠真は簡潔かんけつに説明を行なった。

 次第に、シャルの表情が驚きに満ちていく。


「そんな事情で、俺はこっちの世界にずっといるしかないんだ」

「ご、ごめんなさい……ちゃんと、話を最後まで聞くべきでした」

 シャルがずかしげに視線をせた。

 たっぷりと二呼吸ほどの間を置き、シャルが浮かない顔で見据みすえてくる。

「きっと、さびしいですよね? 悠真さんの世界にいる方々かたがたとは、もう……」

「あぁ、まあ……職場の人達には世話せわになったから、まったくさびしくないと言ったらうそになるけど、俺のところはもともと人の入れ替わりが激しかったからな。慣れとは違うが、会えなくなるのは仕方がないさ。それに俺は、天涯てんがい孤独こどくだからな」

 なんと返答すればいいか迷っているのか、シャルは口を閉ざした。


 特に返答を期待しているわけでもない。悠真は静かに笑っておく。

「でも、本当。それを踏まえた上で、どうするかな。別にあてもないんだよな」

 悠真はまた空をあおいだ。

 ほのかに土星に似た月が見え始め――青かった月が、あざやかな緑色をしていた。目の錯覚さっかくを疑ったが、どう見ても昨日とは色が違う。

「えっ? 夕焼けのせいか? 月の色が昨日とまったく違う気がするんだが」

「昨日は海月かいづきでしたが、本日は嵐月らんげつですね」

「なんだ、嵐月って?」

 悠真は訳がわからずに問うと、シャルが月に関しての説明をしてくれた。


 まるで月の満ちけのように、こちらの世界では月の色が変化していく。しかも、色に応じた属性の秘術は、不思議と効力が跳ね上がるそうだ。

 どこか狼男おおかみおとこ彷彿ほうふつとさせる話に思えた。

「マジか……俺のいた世界じゃ、基本的に月は黄色っぽい色でしかなかったからな」

 悠真は感嘆かんたんの溜め息をつき、シャルに視線をえる。

「特にあてもないって言ったけど、そうでもないのかもな。俺は、まだこの世界を、まったくと言っていいぐらい何も知らない。だから、少しずつ知りたいかな」

「……どこかへ、旅立ってしまうんですか?」

 小首をかしげるシャルに、悠真は笑ってこたえる。


「冒険者か……いや、旅人か。それも、いい考えかもしれないな。でも、当面は商業都市で生活の基盤きばんを学びたい。俺のいた世界とでは、いろいろと違うだろうし」

 大陸の外側は、シャルもあまりよく知らないと言っていたのを思いだした。生活の基盤を学んで整えたのち、シャルと一緒に世界を見て回るのもおもしろいと考える。

 お互い見知らない新しい物事を知っていくのは、きっと楽しいに違いない。しかしそれは、あくまでも建前たてまえであった。本音は少し別のところにある。

 もっとシャルのそばにいたい――悠真は素直に、心でそう感じていたのだ。

「そうですか……」

「なんだよ、どうした?」


 やや沈黙をて、シャルは顔を向けてきた。うるんだ銀色の瞳が輝いている。

「私はずっと……ひとりぼっちでした。産まれて間もないころは、ニアとヨヒムに面倒めんどうを見てもらって、物心がつく前から別の精霊の精域せいいき転々てんてんとして」

 シャルが顔をせた。それから、せつなさを宿した目で見つめてくる。

「だから、その……私も、悠真さんと同じ天涯てんがい孤独こどくの身で、この大陸の外側をあまりよく知りません。それで、えっと。だから、私は悠真さんの傍にもっといたいです。そう思われるのは、迷惑めいわくですか?」

 夕焼けの光のせいもあってか、まるで一枚の絵画を思わせる光景だった。

 夕日をびる少女――題名は、おそらくそんな感じなのだろう。


 少し見惚みほれてから、悠真はわれを取り戻す。彼女も同じ気持ちをいだいてくれていた。

 うれしさとずかしさの両方が胸に込み上がってくる。

「俺はシャルも……その、一緒に旅をしてくれるものだって勝手に思ってた」

 シャルの肩と銀色の瞳が、わずかに揺れた。

 照れかくしの意を込め、悠真は言葉をつけ加える。

「一人旅もいいかもしれないが、ちとさびしいし? つまらないし?」

 心から嬉しそうな笑みを浮かべるシャルは、胸の前で両手の指をからめ合わせた。

「はい。一緒に行かせてください。私も、悠真さんと世界を見て回りたいです」

 シャルの仕種しぐさ、声、表情――これほどまでに、心音を速めさせる存在はいない。


 何一つとして色褪いろあせない神々こうごうしい美しさに、拍車はくしゃがかかっている気がした。ただ、一つ難点をげれば、人の話を聞かずに突っ走るのが玉にきずに違いない。

「あとさ、もういい加減、敬語じゃなくていい。もっと楽に話してくれ」

「はい。あ、えっと……うん、そうするね、悠真さん」

「その〝さん〟も、やめないか? 年も二つしか変わらないんだ」

「うん、わかった。悠真」

 シャルは意外と、すんなり呑み込んでくれた。

「あと……これからは、人の話は最後までちゃんと聞こうな」

「悠真がそう言うなら、うん。そうするね」


 悠真は半眼でシャルを軽くにらんだ。一筋の汗がほおを伝う。

「呑み込み早すぎじゃね? 俺の言葉が、神の言葉みたいになってるじゃねぇか」

「悠真が言うなら、私はなんでも従うよ」

 シャルは柔らかく笑い、小首をかしげた。

(ん、なんでも……?)

 一瞬だけ変な想像をするが、悠真は即座そくざに打ち消す。

 気まずい気持ちをかかえていると、シャルがすずやかな声をつむいだ。

「悠真は、私の英雄だから……禁忌きんきの悪魔ときらわれ、ひとりで歩いていたところに突然現れて、私の手を引いて明るい世界へ連れ出してくれた英雄なの」


 気恥きはずかしそうに微笑むシャルを見て、悠真も少し恥ずかしくなる。

「英雄、ね」

 つぶやいた言葉をさかいに、悠真とシャルは沈黙につつまれた。

 余韻よいんひたるような時間をシャルと共有しつつ、悠真は広大な草原に視線を移す。

 ここは地球でもなければ、日本でもない。別の惑星、ネクリスタと呼ばれる星――別の世界なのに地球とどこか似ていて、そしてまるで違う世界だ。

「俺さ、自分のいた世界では……本当につまらない生き方をしてたんだ」

 シャルが見据みすえてくる仕種しぐさを、視界の端でとらえる。

 しかし悠真は、草原を見つめ続けた。


「母親が病死したとき、きっと一緒に俺も生きる気力を失ったのかもな……目的も、理由も、未来への希望も、なんかどうでもよくなっちまった。別にさ、死にたいとか思ってたわけじゃなく、ただ漠然ばくぜんと生きるために生きてたって感じかな」

 悠真は意識して微笑み、シャルに顔を向けた。

「でもさ、こっち世界に来て……自分なんかとは比べものにならないぐらい、つらい人生を歩んできたシャルと出逢であった。それから何度も命懸いのちがけの戦いをして、そのたびに生きてる実感を強く感じたんだ。あんまり上手うまくは言えないけどさ、俺はきっと……変われた気がする。楽しいんだ。今、人生が凄く楽しくて、仕方ないんだ」

 真摯しんしな眼差しで、シャルは黙って話を聞き続けてくれている。


「そういう意味じゃ、俺にとっての英雄はシャル……お前なんだ。こうやって自分が変わるきっかけをくれて、人生が楽しいと思わせてくれたんだからな」

「悠真……」

「本当に、ありがとう。だから、たとえこの先どんなことがあったとしても、たとえ世界中の人を敵に回したとしても、俺はシャルの味方でいる。ずっとだ」

 シャルの目から涙がこぼれ落ちていく。唐突とうとつな展開に、悠真は言葉に詰まる。

「ご、ごめん。違うの。これはうれしいだけ。悠真の気持ちとか、凄く嬉しいの」

 何度シャルの涙を見たのだろうか――ただ、この涙は悪い涙ではない。

 悠真は微笑し、涙を指でぬぐってあげる。すると、シャルの目が大きく見開かれた。


 つかの間の硬直後、シャルが涙を流しながらほがらかに微笑んだ。

「夢を見るのがね、好きだったの。小さいころから、似た夢を見るのよ。だれかと一緒に歩いて、他愛たあいもない話をして、夕焼けの空を見あげて――悠真がしてくれたように、私の涙を指で拭ってくれる。少し違う部分もあるけど、今、夢が現実になった」

「そりゃあ、予知夢よちむってやつかもしれないな」

 シャルはうるんだ瞳と顔をせた。

「私は禁忌きんきの悪魔……誰かのそばにいるのは絶対にありえなくて、許されない」

「シャル……」


「それでも、夢なら誰の目も気にしない。自由だったの。でもね、そんな夢でも……一つだけ絶対にかなわない願いがあった。悠真には、それが何かわかる?」

「うぅん……叶わない願いか。なんだろうな」

「夢は覚める……でも、これは夢じゃない現実で、きっと覚めないよね?」

 悠真はゆっくりとうなずいた。

「ああ、覚めない。これは現実で、シャルは禁忌の悪魔じゃない。光の聖女だろ」

 涙でらした顔に、シャルはやさしい微笑みをたたえた。

 不意に、シャルが寄りうように身を寄せてくる。わずかに悠真の肩が跳ねた。

 耳をまさなくても、彼女の静かな息遣いきづかいが聞こえる。


 悠真の心音が速まった。その音が、シャルに届いているかもしれない。

(でも、なんか、いい雰囲気だな……もしかしたら……)

 思ってから、悠真は胸中で否定する。こちらの世界の恋愛事情はよくわからない。それに今まで、異性と恋人的な交際こうさいをした経験もない。

 だから悠真には、少し困惑こんわくする展開であった。

 日本と同様――気持ちを伝えれば、恋愛をじくとした交際にいたる可能性はあったが、確実性などどこにもない。これからの関係がこわれる場合だってある。

 それが非常に怖く思う。そもそも、知り合ってからまだ間もない。シャルに軟派なんぱな男と思われるのもいやだった。


 錯乱さくらんした悠真が何度も巡る思考を自制していると、シャルが可憐かれんな声でつぶやく。

「今、幸せなのかな? この感情はよくわからないけど、心が心地いいの」

 はっと、悠真は気づいた。こちらの世界がどうのこうのではない。

 シャル自身、人が人として歩むべき道を正当に歩んでこなかったのだ。

 自分自身にあきれ果て、悠真は心の内側で嘆息たんそくする。

「なあ、シャル」

「ん……?」

「これから俺もシャルも、いろいろ学んで、いっぱい知って、たっぷり楽しもうな」

 これが、悠真の出した結論だった。シャルは言葉なく、柔らかな笑みを見せた。


あせらなくてもいい。ゆっくりでも構わない。だから、今はこのままでいいか)

 瞬間――眼前に、白色と青色の紋章陣が二つ同時にえがかれていく。

 シャルが秘術を詠唱えいしょうしたわけではない。謎の紋章陣に、悠真はうめきを漏らした。

 じっと見守っていると、紋章陣から子供の姿をしたヨヒムとニアが颯爽さっそうと現れた。悠真とシャルは、咄嗟とっさにお互いの距離を取る。

「やあ。シャルお姉ちゃん、悠真お兄ちゃん」

「こんばんわ。シャルお姉ちゃん、悠真お兄ちゃん」

 満面の笑みで、ヨヒムとニアは軽い挨拶あいさつをしてきた。

 呆気あっけに取られた悠真は、われに返る。


「そうだ……お前らに言いたいことがあったんだ。やってくれたな? 俺は本当に、お前らを普通の子供とばかり思ってたんだぞ」

「えへへ、ごめんね、悠真お兄ちゃん」

 ヨヒムは頭をいて誤魔化ごまかし、ニアは小さな腕を組んだ。

「闇の精霊王ガガルダが連れてきた人が、どんな人なのか知りたかったのよ。私達も闇の精霊王と面識めんしきのある精霊だからね」

 悠真ははっとする。その言葉が意味するのは、一つしかない。

「え? ニアとヨヒムは、悠真が異世界の住人だって、最初から知っていたの?」

 シャルの戸惑とまどいがちな言葉に、ヨヒムはゆっくりとうなずいた。


「もちろんさ。でも、安心して。それを知っている人はシャルお姉ちゃんだけだし、精霊もガガルダに深く縁のある精霊ぐらいしか、知らないはずだから」

 がっくりと悠真は項垂うなだれる。

「また、ガガルダか……」

「闇の精霊王ガガルダが連れてきた人に、間違いはなかったね」

 ニアの言葉が終わるや、二体の精霊はシャルにかなしげな顔を向けた。

「シャルお姉ちゃん。さびしいけど、これでもうお別れになる」

「シャルお姉ちゃんのお母さんとの契約が、今をもって終了したの」

 シャルは驚愕きょうがくに満ちた表情を浮かべ、震えた声でき返した。


「え、な、何を言っているの? どういうこと?」

「シャルお姉ちゃんのお母さんと交わした契約は、シャルお姉ちゃんが心の底から、本当に幸せだと感じる日が来るまで――今、シャルお姉ちゃんはそう感じたよね」

「幸せだと思えるように、私達はこれまで導いてきた。そして今、その念願ねんがんがついにかなったわ。悠真お兄ちゃんの努力もあって、禁忌きんきの悪魔ではなくなったね」

「人として歩める世界を知り、未来へ希望を持ち、心の底から本当の幸せを感じた。だからもう、シャルお姉ちゃんのお母さんとの契約は終わった」

 シャルが小刻こきざみに首を横へ振った。

「そ、そんな、突然……私は、ニアとヨヒムが――」


「契約は契約――それ以上は望めない。それは、よくわかっているでしょう?」

 ヨヒムが小さな手で、シャルの発言を制した。

 ニアがシャルのそばに寄り、小さな手で銀色の髪をでる。

「だから、今度は……シャルお姉ちゃんが、私達と契約しにおいで」

 ヨヒムは両手を大きく広げた。

「僕は光の精霊主ヨヒム。いつか巫術士ふじゅつしとしてのくらいを上げられたら」

「私は水の精霊主ニア。いつでも私達は、シャルお姉ちゃんに寵愛ちょうあいを与えるよ」

 シャルの目から涙が落ちる。しかし彼女の眼差しに、しんのある強さが宿った。

「わかった。待っていてね。私、必ずニアとヨヒムのところに、絶対に行くから」


 ヨヒムとニアは満面の笑みでこたえ、少しずつ薄れて消えていく。

 緊張の糸が切れたように、シャルは唇を結んで嗚咽おえつらした。

 これが最後の別れではない。またいつの日か、会える日がくる。巫術士としていくつ位を上げればいいのか、悠真には推測もできない。

 ただ、そう遠くないうちに、きっとまた会えると思えた。

 子供のように泣きじゃくるシャルの頭を、悠真はやさしくでる。

 彼女は天涯てんがい孤独こどくの身だと言ったが、それは少し違う。話を聞く限りでは、ヨヒムとニアが育ての親なのだ。人と精霊の違いは、まだよくわからない。

 それでも〝人を育てる〟大変さであれば、少しはわかっているつもりであった。


 ヨヒムとニアも、本当はもの凄くさびしいに違いない。

「大丈夫。またすぐに、会えるさ」

 シャルが、悠真の胸に顔をうずめてきた。

 戸惑とまどいが生じたが、悠真ははじを捨てる。やさしくシャルを抱き締めた。

 やはりずかしいものは恥ずかしく、どうすればいいのか一切わからなくなる。

「ああ……よし、一緒に行こう。ヨヒムとニアを迎えに、俺もついていくから」

「うん。うん……お願い、悠真」

「おう、約束だ。ヨヒムとニアを迎えに行ってから、一緒に世界を見て回ろうな」

 すすり泣くシャルが落ち着くまで、悠真はずっとシャルを抱き締めておいた。


 夕日に染まった異なる世界の中で、ずっと――

 ただ、ずっと――



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