第三十六幕 異なる世界から仰ぎ見る空



 商業都市からはずれたところに、取り残されたような形で小屋が建っていた。

 周囲は鬱蒼うっそうとした草木に囲まれており、一見ただの廃墟はいきょ――あるいは、木こりでも住んでいそうな雰囲気があった。どれぐらい人の手が入っていないのかわからない。

 つたまみれの小屋の前に立ち、悠真は普通に開こうとこころみる。

「開かないわよ。噂では、結構な攻撃を与えても開かなかったらしいから」

結界けっかい、でしょうか?」

 腕を組んでいるアリシアの隣で、シャルが小さくつぶやいた。

(なるほど、鍵ってそういうことか。まあ、確かに安心っちゃ安心だな)

 悠真は扉に、そっと手を当てる。


「久遠悠真」

 瞬間――小屋から光のつぶはじけ飛んだ。

「えっ! な、何? 悠真君、何をしたの?」

「ここのは俺専用なんだ。闇の精霊王が、俺の名前を言えば開くって言ってた」

 アリシアは目を白黒とさせていた。隣にいるシャルも目を丸くしている。

 再び扉にれ、ひらいてみた。

「お、ちゃんと開くな」

 小屋の内部は、ずいぶんと殺風景であった。

「なんだ、机ぐらいしかないじゃないか」


 木造の机の上に、丸々と太った革製のふくろと――古びた封筒ふうとうが一枚置かれている。

 封筒を拾い上げ、裏と表に目を通した。そこには何も書かれていない。

 封筒の端をやぶって中身を取り出すと、折りたたまれた二枚の紙が入っている。

 二枚の内の一枚を広げ、悠真は目を見開いた。日本語で文章がつづられている。

「これは、どこの文字ですか?」

「何よ、これ……こんな文字、初めて見たわ」

 シャルとアリシアがのぞき込んできた。

「ははっ……これは、俺がいた国の文字だ。だから知らないのも無理はない」

 アリシアは怪訝けげんな表情でうなり、シャルは気まずそうに視線をらしていく。


 シャルとアリシアを少し眺めたあと、悠真は手紙に視線を落とした。この世界に、父親がどうやっておとずれたのかが書かいてある。

 どうやら、本当に事故的な感じで異世界へと来てしまったようだ。

 仕事で他国たこくにいた父親は、そこで大嵐に遭遇そうぐうした。現地の村人達を避難ひなんさせるため動いていたが、不注意から足をすべらせ、奈落ならくと呼ばれていた大滝に落ちてしまう。

 そんな父親に追い打ちをかけるかのごとく、落雷らくらいが体を撃ち抜いたらしい。

 瞬間的に死を覚悟した父親は、目覚めると見知らぬ樹海じゅかいの中で倒れていた。樹海を彷徨さまよっていたとき――不思議な〝闇の精霊主〟と初めて出逢であったと記されている。

 そこからは、ガガルダへの愚痴ぐちがずらずらとつづられており、そして――


(心残りは、地球に残してきた家族のことだ。綾香あやか、悠真、本当にすまない。こんな私を、うらんでいるだろう。伝えるすべを持たない私にできるのは、日々の謝罪だけだ。だが……私は、常に二人を想い続けている。声が届かないとしても、気持ちは届くと信じている。綾香と出逢であい、息子の悠真が産まれ、どちらも私には大切たいせつな宝物だ)

 悠真の視界が、次第ににじんでいく。

(どれだけ離れていようとも、心は何一つ変わらない。本音を言えば、綾香と一緒に老い、悠真の成長を見守りたかったが……私は今、戦争の真っただ中にいる。戦争の引き金となった二人は、このネクリスタと呼ばれる異世界で出逢った友人達だ。その二人が些細ささいな言葉の違いからにくしみ合い、多くの血を流させている)


 悠真は、ガガルダが告げた法術戦争の話だと解釈かいしゃくする。

(だから私は、二人の友として戦争を終わらせたい。いつか息子に自慢じまんできるような父親でありたいと願う、私のささやかな願いだ。綾香、お前と出逢った瞬間から私の人生はとてもはなやかで、幸せに満ちあふれた。悠真……私を許してくれとは言わない。ただ、お前を愛してくれている綾香と同じで、私も愛し幸せを心から祈っている)

 悠真は必死にこらえるが、涙があふれて止まらない。

「何が祈っている、だ。俺や母さんが、どんな目にってたかも知らねぇで……」

 悠真はうらごとを吐いたものの、不思議と恨んでいないと気づいた。

 それは父親の気持ちを、ガガルダの気持ちを知ってしまったからに違いない。


 異世界を訪れて、悠真は父親に対する恨みが完全に消えた。父親と同様、悠真にもまもってあげたいと思える存在ができたといった理由も大きいだろう。

「悠真さん……」

「まったく、俺の親父にはあきれるな。本当、親子って似るんだとつくづく感じた」

 悠真は涙をぬぐい捨て、もう一枚の紙を開く。

きたなっ! なんだ、この下手へたなひらがなは!」

 ガガルダと名前が書かれた部分を見て、差出人の正体しょうたいがわかった。

 どうやららしく、つたないながらもつづった様子だ。


 内容はおおむね、夢の中で聞かされた話が大半だった。

 その中で不明瞭だった部分も記されている。

(マジか……秘力や秘術へ名称が変わった根源こんげんが、親父だったのか。で、これが)

 悠真は机に置かれた、皮で作られたふくろを見た。

「この革袋かわぶくろの中身、闇の精霊王様からの贈り物だってさ」

 悠真は手紙を置き、丸々と太った袋をひっくり返した。

 じゃらじゃらと音を立てて、硬貨と思われる物が大量に落ちていく。

「ちょっと、これって――」

 アリシアが驚きの声をあげた。隣にいるシャルも目をまばたかせている。


「通貨かなんかなのか?」

「いいえ、今はもう違うわ。失われた旧時代の貨幣かへいなのだけれど……使用された素材自体に価値があるし、収集家とかにでも売れば、きっと――大富豪に匹敵ひってきするほどのお金持ちになれるでしょうね。私も一枚、欲しいぐらいよ」

 悠真は一枚を拾い上げ、苦笑交じりにアリシアの手に握らせた。

「別にいいぞ、持ってけよ」

 おっとりとしたアリシアの眼差しに、きらきらとした輝きが宿る。

「ほ、本当? 本当にいいのかしら?」

「おう、シャルも一枚持っとけよ。俺も一枚持っておくから」


 硬貨の山の中から、悠真は五枚を拾い上げた。

 一枚をシャルに手渡して、もう一枚は自分のふところに入れた。

 あと三枚のうち一つは、エレアにあげるために――手に持った最後の二枚は、商業都市で悠真が窃盗せっとうを働いた店主達に、おびとして渡すために取っておく。

 そして机の上に残された大量の硬貨には、すでに別の使い道が浮かんでいる。

「おい、お前! 私をあごで使うのは、高くつくから覚悟しなさい」

 ちょうどよいタイミングで、エレアが来た。そばには、ピピンの姿もある。

「おお、ありがとう。それでピピン、早速だが聞きたい」

 悠真は、小屋の外にいるピピンに歩み寄っていく。


「ピピンの言ってた商霊誌ってさ、普通の人でも掲載けいさいを頼めばしてくれるのか?」

「もちろんね。情報に信憑性しんぴょうせいがあればできるのね。ただ、少しお高いのねぇ」

 悠真はそっと笑い、一冊の書物を胸の前にかかげる。

「これはきり摩天楼まてんろう覇者はしゃとしていただいた品なんだが――ここには、禁忌の悪魔が実は光の聖女だったとつづられた文面がある。こういうの、商霊誌的にはどうだ?」

 驚きの表情を浮かべ、ピピンは身をらせた。

「えっ? それ本当なのねぇ?」

「本当だってば。見てみてくれよ」

 悠真はピピンに書物を手渡した。ピピンはまじまじと観察し始める。


「あやぁ、本当なのねぇ……霧の摩天楼の品には、一つしるしがついているのね。複製が不可能な霧の精霊印みたいなものなのね」

 悠真はじっと目をらした。薄くではあるが、何かマークがある。

「これなら無償むしょうでもいいぐらいね。世界がひっくり返るぐらいの話なのねぇ」

「ああ、ピピン。商霊誌には、別に俺の名前は出さなくてもいいからな」

「でも、覇者となった人物は少ないのね」

 有名になればなる分だけ、変な事態に巻き込まれる可能性はいなめない。

 異世界の住人は、因果いんがの法則にはのっとらない――ハオの言葉通りだとすれば、下手へたに目立つのはあまりよろしくないとも思える。


「まあ……俺が覇者ってことを知ってる人は限られているからな。だからさ、できる限りといった程度でおおやけにはしたくない。きっと親父も、そうしただろうし」

「お客さんがそういうのなら、いいのね。わかったのねぇ」

 悠真は微笑んでうなずく。それから、はっと思いだした。

「あ、そうそう、ピピン。ちょっと待っててくれ」

 悠真は小屋の机に向かい、出した硬貨を革袋の中へと戻していく。

 そのとき、まだ革袋に一枚の紙のような物が入っているのに気づいた。

 三歳ぐらいの自分に寄りった母親と父親が写る――一枚の古びた写真であった。悠真は少し茫然ぼうぜんと眺めてから、自然と微笑する。


 写真はポケットに入れ、硬貨を全部袋の中に戻す作業を再開した。

 詰め終えたあと、ピピンの待つ場所へ戻り、悠真は革袋をそっと差し出す。

「これ旧時代の硬貨なんだって。売れば大富豪に匹敵する金持ちになるらしいぞ」

 ピピンは感嘆かんたんの声をらしつつ、革袋の中を三本指の手でまさぐった。

「ふっふっふっ……どうだ?」

「あやぁ……相当な金額になりそうなのね。これを、お金に変えてほしいのね?」

 首を横に振り、悠真は苦笑交じりに告げる。

「いや、ピピンに全部やるよ」

 周囲が凍りつくやいなや、数拍すうはく置かれたのち全員が叫びをあげた。


「ちょ、ちょっと、悠真! お前、頭おかしいのっ?」

「な、なんだよ、急に……つか、エレア。初めて俺を名前で呼んだな」

 エレアが少しほおを赤く染め、戸惑とまどいがちに言葉を返してくる。

「な、何よ。文句もんくあるわけ?」

「ねぇよ。それに、ちゃんとお前の分は取ってあるから安心しろ。はい、これな」

 悠真は、エレアの手を取って硬貨を握らせた。

「そ、そういう話じゃない。だって、もの凄いお金よ!」

「そ、そうよ。これほどのお金、個人ではもう二度とおがめないかもしれないわよ」

 エレアとアリシアにかわいた笑いでこたえ、悠真は腰に手を置く。


「ピピンには世話せわになったからな。ピピンがいなかったらどうなってたか……だからこれは、その礼と思ってくれ。それにあんまり現実味のない金を持ちすぎると、俺は自分がだめ人間になりそうな気がする。こういうのは、こつこつがいい」

「気にしなくてもいいのね。あれだけ必死に頼まれたら、普通は断れないのねぇ」

 ピピンの発言で、エレアが憮然ぶぜんとした面持ちでいてきた。

「何を頼んだのよ」

「そこの銀髪の少女の怪我をいやすために、頭を地面にこすりつけてお願いし――」

「わぁああわぁああわぁああ! 余計なこと言わなくてもいいんだよ!」

「別に照れる必要ないのね。ピピンは立派だと思うのねぇ」


 悠真は腕を組み、あきれを込めて溜め息をついた。

「それよりさ、ピピン」

「なんなのね?」

「硬貨の対価たいかってわけじゃねぇけど……もし本当に金がなくて困っててさ、それでも何かをまもるために、必要な何かが欲しいって――あのときの俺みたいに困ってる奴と出会ったら、俺にしてくれたみたいに無償むしょうで渡してやってくれねぇか?」

「悠真さん……」

 シャルのつぶやきを聞きながら、悠真はピピンに笑みを見せる。

「俺さ、マジで感謝してるから」


「わかったのね。商霊が困っただれかを助けるって商品を、お客さんに売ったね」

「ああ、ありがとう。あと商霊誌のほうもよろしくな」

「少しの間、書物を借りるのね。ちゃんとお返しするから、安心してほしいのね」

 了承してくれたピピンにうなずいてこたえてから、悠真は問う。

「それで、ピピン。俺はピピンにとって、ちゃんと〝お客様〟になれたか?」

 ピピンは小さく飛び跳ねた。

「もちろんね。これからも、ご贔屓ひいきにしてもらうのねぇ」

 悠真は静かに笑い、晴れ渡る空をそっと見渡した。

 異なる世界からあおぎ見る空は、地球と変わらない綺麗な空色をしていた。



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