第三十三幕 胸の奥にある痛み



 後ろに倒れていく悠真の姿が、シャルティーナの目にはゆっくりと映った。

 シャルティーナは頭が真っ白になる。思考する余裕よゆうなどどこにもない。

 どさっと倒れた音が反響して、まるで世界のすべてが止まったような気がした。

「い、いやあぁあああ――っ!」

 シャルティーナは、自然と腹の底から悲鳴をあげていた。

 力ずくで開かれたさく隙間すきまを擦り抜け、悠真のそばで腰を下ろす。

 息を止め、彼の口許で耳をました。

 呼吸音が、ほぼ聞こえない。それどころか、少しずつ弱まっている。


 秘力の欠片かけらも持たない悠真は、生命力をかてとして精霊に転化するしかない。

 生命力の消滅――それはすなわち、完全なる死を意味していた。

 われを失いつつあるシャルティーナには、どうすればいいのかわからなくなる。

「いやあぁ、悠真さん、いやあぁあああっ!」

 まだシャルティーナの秘力は完全に回復していない。それでも無意識にとなえる。

が母との契約により生まれし、親愛しんあいなる水の精霊と光の精霊よ――」

 ほのかに輝く小さな青い光球と白い光球が、シャルティーナの周囲を舞う。

「我が秘力を糧とし、その姿を現したまえ!」

 展開された水と光の紋章陣は強く輝き、そこからニアとヨヒムが顕現けんげんした。


 シャルティーナは涙でゆがんだ視界に、二体の精霊を入れる。

「お願い、ニア、ヨヒム! 悠真さんを、助けて! お願い! お願い!」

 どちらの顔も非常にけわしい。

 悠真のそばへと寄ったニアとヨヒムが、彼の胸に手を当てた。

「これは、もう……生命力が、ほとんど残っていないわ」

「これでは……」

 ニアとヨヒムの言葉に、シャルティーナの身が小刻こきざみに震える。

 涙がとめどなくあふれる中で、今度は少女二人を見据みすえる。

「エレアノールさん、アリシア様! どうすれば……何か、方法はないですか!」


 シャルティーナはなか怒鳴どなるように尋ねた。

 いやしをつかさどる水の精霊主フェリアエスとは違い、生命力を回復する術など普通の人にあるわけもない。それは、シャルティーナもよくわかっている。

 わかっていながらも、それでもいたのだ。

 そばで立っていたエレアとアリシアの顔は、ひどく曇りきっていた。

「私の属性は雷なのよ。それに、たとえ秘術を自由に扱えたとしても……」

「私が契約している精霊にも、生命力を回復させるなんて芸当げいとうできないわ」

 シャルティーナは深い絶望が胸の中に落ちる。

 そんなシャルティーナに、ヨヒムが声をひそめて伝えてきた。


我々われわれなら可能だが……しかしそれには、なんじの秘力があまりに少なすぎる。生命力を回復させるなら莫大ばくだいな秘力がいる。人の生命力とは、それほどの対価がいるのだ」

無論むろん、我々が自発的に精霊術を施すのは可能よ。ただ、それだと我々が……」

「どうして! だって精霊主フェリアエスは、悠真さんを回復させたのよ」

 ヨヒムが辛辣しんらつな顔をして、首を横に振った。

の水の精霊主は本体であり、さらに言えば癒しを司る精霊なのだ。しかし我々は癒しを司る精霊でもなければ、分霊ぶんれい――さすがに、そこまでの力はない」

「そんな、それじゃあ……」

 シャルティーナの脳裏のうりに、一つの案が浮かんだ。


「それなら、私も悠真さんと同じで生命力をかてにするから!」

 今度はニアが首を横に振り、苦い顔をした。

「汝が生命力を糧にしたところで意味がない。圧倒的あっとうてきに秘力が足りないわ」

「それに気づいているだろう? 汝にはもう、精霊をとどめるだけの秘力すらもない。今も我々が自発的に、ここに分霊として顕現けんげんし続けているのだ」

「そんな……お願い、お願いだから……」

 すっと、エレアノールが進んだのを視界の端でとらえる。

「リアン様、救護きゅうご術士じゅつしとしてすぐれていた貴方あなたであれば、可能ではありませんか?」

 いつの間にかアルドのかたわらに移動していたリアンが、神妙しんみょうな顔をしてせた。


禁忌きんきの悪魔の手先に……力になれとおっしゃるのですか? ご冗談じょうだんでしょう。彼が死ねば禁忌の悪魔の戦力はげます。それに、アルド様にこれほどの深手ふかでを負わせた相手を救う義理ぎりなど、私には持ち合わせておりません」

 リアンの発言に、シャルティーナは生まれて初めて激しい憎悪ぞうおいだいた。

 本来、異世界の住人である悠真には、この世界に関する物事のすべてが関係ない。しかしやさしい彼は、命をして〝全員〟を救ったのだ。

 そんな敵まで救った彼に対して、リアンの言葉は心底しんそこ許しがたいものであった。

「と、言いたいところですが、借りを作りたくもありません」

 おもむろにリアンが立ち上がり、シャルティーナの眼前に立った。


「なんて目をしているのだ。いいか? その信徒に借りを作りたくない。だから力を貸すだけだぞ。さすがに、生命力を回復させるなんてすべは持っていないが……私は、自分の秘力のしつを変化させて相手に流し込み、増加させられる」

 リアンが素早くかがみ、シャルティーナの手をつかんだ。

「これで、貸し借りはなしだ。煌々こうこう輝門けいもん。聖なるかねを打ち祝福しゅくふくいだけ」

 つないだ手の真上に、光の紋章陣がえがかれた。

 射し込んだ陽光ようこうびるような暖かな光が生まれる――次第に、シャルティーナの体内に大量の秘力が流れ込んできた。

 沸々ふつふつと秘力がみなぎってくる感覚に、シャルティーナは目を大きく見開く。


「ニア、ヨヒム。急いで! お願い!」

「おお、これならいけそうか?」

「うぅん。足りない気がするけれど……」

 ニアとヨヒムが悠真の前に立ち並び、水と光の紋章陣を生み出した。

 明滅めいめつする小さな光球がふらふらと舞い降り、悠真の体の中へと溶け込んでいく。

「あ、ほら。やっぱり足りないわ!」

 戸惑とまどいを顔に浮かべるニアに次いで、ヨヒムが叫んだ。

「もっと秘力をそそぎ込むのだ!」

「私の秘力は使えませんか! 秘術はだめでも、秘力ならば自信があります」


 素早く詰め寄ったエレアノールに、リアンがいさましい眼差しでうなずいた。

「エレアノール様。私が浮かべた光の紋章陣の下に、手を置いてください」

 リアンとシャルティーナの重ねた手の上に、エレアノールが手を乗せた。

 アリシアも、そっと手を重ねてくる。

「よろしければ、私の秘力も使ってください」

「それでは御二方おふたかた、手のひらに秘力を集中して集めてください!」

 リアンの言葉が終わるや、膨大な秘力がつながれた手を通じて流れ込んでくる。

 シャルティーナは不意に、眩暈めまいと吐き気を覚えた。


 人によって属性が異なるのと同じく、秘力の性質せいしつも異なる。だから本来であれば、別の性質の秘力は相容あいいれない。もしも無理に流し込めば、絶命ぜつめいする場合もあった。

 彼女が扱っている秘術は、対象者と同質どうしつの秘力に変換する術に間違いない。しかし秘術といえども、限度はあるに決まっている。

 それでもただ一つの想いを胸に秘め、シャルティーナは必死にこらえた。

(絶対……悠真さんを、絶対に助ける!)

「おぉ……これならいけそうだ」

 ヨヒムの言葉にも、シャルは一切気をゆるめず秘力を与え続けた。

 紋章陣の輝く色が濃さを増し、悠真に流れる光球も一際ひときわ大きく変化する。


 少しずつ、悠真の顔色がよくなっていく。

 それからほどなくして――二体の精霊がえがいた紋章陣がかすんで消える。

 リアンの生み出した紋章陣もまた、薄くなって霧散むさんした。

「たぶん、これで大丈夫だろう」

「ええ。これならもう平気ね」

 ニアとヨヒムの言葉に心から安堵あんどして、シャルティーナは自分の胸を押さえる。

 すぐさま悠真の上半身をかかえ上げ、太ももの上に彼の頭を乗せた。

 ほおに手をえ、状態を確認する。さきほどとは違って、生気に満ちあふれているのが感覚的にわかった。心配する必要がないと理解するや、視界がまたにじんでいく。


「ありがとう……みなさん、本当にありがとうございます」

 心が喜びに満ち、シャルティーナは涙ながらにお礼を告げた。

 ニアとヨヒムが、おさない顔に微笑みを浮かべる。

「さて、それじゃあ。シャルお姉ちゃん、またね」

「近いうちに、会いに行くからね」

 いつもの調子に戻ったニアとヨヒムが、そう言い残してすっと去った。

 つかの間の沈黙をて、リアンが立ち上がる。

「私は、アルド様を治癒ちゆしに行く」

 疲れた様子もなく、リアンがアルドのほうへと向かった。


 彼女の背に、シャルティーナは声をかける。

「あ、あの、本当に、ありがとうございました!」

「ふん、言っただろう。貸しを作りたくない。これからは、また敵同士だ」

 リアンは肩越しに、不敵ふてきな笑みを見せた。それでも感謝の気持ちは失わない。

 悠真のそばでアリシアが腰を下ろし、リアン側に顔を向けて喋った。

「それにしても……彼女は凄い秘術の使い手ね。自分の秘力だけでも驚きだけれど、他人の秘力までも、その人と同質の秘力に変換できるなんて」

「私の父もなげいていました。アルド様と同様、自分の騎士団に招きたかったと」

 今度はエレアノールが、アリシアの隣で腰を下ろした。


貴方あなたの雷属性もそうだけれど、彼女の秘術もそれに匹敵ひってきする希少さね」

「こいつには無反応秘術って馬鹿ばかにされましたが……こいつのほうが、馬鹿です」

 エレアノールが半眼でにらみ、苦い笑みをこぼした。

 しかし途端とたんに、彼女は神妙しんみょうな顔になる。

「でも、アルド様と戦っていたこいつは、ちょっとだけ、格好良かったかも」

「あらあら? 恋でもしちゃったのかしら?」

 茶化ちゃかしていうアリシアに、エレアノールが戸惑とまどいがちに否定した。

「ち、違います! だれが、こんな奴……ありえません。むしろ、きらいです」

「そう? 私が見た限り、ずっと悠真君を目で追っていたように思えたけれど」


「なぁ――ご、勘違かんちがいです! やめてください、アリシア様!」

「ふふ、照れなくてもいいのに」

「照れていません! こんな世間知らずの無礼ぶれいを極めた男なんか、大嫌いです!」

 茶化し続けるアリシアと、あわてふためいたエレアノール――シャルティーナはなか茫然ぼうぜんとした意識の中で二人を眺め、そしてふと思う。

(恋……?)

 どう感じれば恋となるのか、シャルティーナにはよくわからない感情だった。

「恋って、どういうものなんですか?」

 シャルティーナが素直に疑問を口にした。


 エレアノールが、顔を真っ赤にして否定してくる。

「だから、恋なんてしていないって言っているでしょう!」

「あ、ごめんなさい。そうではなく、恋……どう感じれば? 恋なんですか?」

 言葉にして質問するのが、想像した以上に難しい。

 アリシアが顔を明るくして、人差し指を立てた。

「ああ、恋心の説明ね。言葉にするのは少しばかり難しいわね。うぅん……」

 おっとりとした顔に微笑みを宿し、アリシアはうなずいた。

「ん、そうね。自分にとって特別な人であり、その人の中でも特別でありたいと願う気持ち――そう感じた瞬間から恋かしらね」


「一般的には、そばると幸せを感じ、離れるとさびしくなる。気づけば、その相手のことばかり考えているって感じかなぁ……だから、私は恋していませんから。一日で心惹こころひかれる軽い女でもありません!」

 エレアノールが鼻息をあらくして告げると、アリシアがくすりと笑う。

「恋は……時間ではないのだけれど?」

「アリシア様は、いったい私をどうしたいのですか!」

 また始まった二人のやり取りを、シャルティーナは眺めながら思考を巡らせる。

 少ししてから、今度は太ももに乗せた悠真の顔を見た。起きているときとは違い、子供みた寝顔をする彼の黒髪を無意識に整える。


 はっとわれに返り、シャルティーナは自分の行為こういじ入る。

(私は……悠真さんの、そばにいたいと思っている)

 エレアノールの一般論をもとにすれば、当てはまる箇所かしょが多いと感じた。

(私は……悠真さんに、恋をしている?)

 当然、自問したところで答えは返ってこない。徐々じょじょに頭が混乱してくる。

 シャルティーナにとって、悠真は特別な存在となっている。ただ、彼自身の中でも特別であってほしいとまでは思わなかった。そんな資格など、どこにもない。

 そもそも彼は、異世界の住人なのだ。いつかきっと、帰ってしまう日がくる。

 それに――


(そう、仮に恋だったとしても……)

 禁忌きんきの悪魔はそばにいるだけでやくおとずれ、とどまった場所に災厄さいやくを振りく――

 だから自分は、たとえ恋をしたとしても、してはいけないのだといましめる。

 戒めれば戒めるほど、心が締めつけられるような苦しさが増していく。

 シャルティーナはじんじんと痛い胸に手のひらを当て、静かに抑えておいた。



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