第三十三幕 胸の奥にある痛み
後ろに倒れていく悠真の姿が、シャルティーナの目にはゆっくりと映った。
シャルティーナは頭が真っ白になる。思考する
どさっと倒れた音が反響して、まるで世界のすべてが止まったような気がした。
「い、いやあぁあああ――っ!」
シャルティーナは、自然と腹の底から悲鳴をあげていた。
力ずくで開かれた
息を止め、彼の口許で耳を
呼吸音が、ほぼ聞こえない。それどころか、少しずつ弱まっている。
秘力の
生命力の消滅――それはすなわち、完全なる死を意味していた。
「いやあぁ、悠真さん、いやあぁあああっ!」
まだシャルティーナの秘力は完全に回復していない。それでも無意識に
「
「我が秘力を糧とし、その姿を現したまえ!」
展開された水と光の紋章陣は強く輝き、そこからニアとヨヒムが
シャルティーナは涙で
「お願い、ニア、ヨヒム! 悠真さんを、助けて! お願い! お願い!」
どちらの顔も非常に
悠真の
「これは、もう……生命力が、ほとんど残っていないわ」
「これでは……」
ニアとヨヒムの言葉に、シャルティーナの身が
涙がとめどなく
「エレアノールさん、アリシア様! どうすれば……何か、方法はないですか!」
シャルティーナは
わかっていながらも、それでも
「私の属性は雷なのよ。それに、たとえ秘術を自由に扱えたとしても……」
「私が契約している精霊にも、生命力を回復させるなんて
シャルティーナは深い絶望が胸の中に落ちる。
そんなシャルティーナに、ヨヒムが声を
「
「
「どうして! だって精霊主フェリアエスは、悠真さんを回復させたのよ」
ヨヒムが
「
「そんな、それじゃあ……」
シャルティーナの
「それなら、私も悠真さんと同じで生命力を
今度はニアが首を横に振り、苦い顔をした。
「汝が生命力を糧にしたところで意味がない。
「それに気づいているだろう? 汝にはもう、精霊を
「そんな……お願い、お願いだから……」
すっと、エレアノールが進んだのを視界の端で
「リアン様、
いつの間にかアルドの
「
リアンの発言に、シャルティーナは生まれて初めて激しい
本来、異世界の住人である悠真には、この世界に関する物事のすべてが関係ない。しかし
そんな敵まで救った彼に対して、リアンの言葉は
「と、言いたいところですが、借りを作りたくもありません」
おもむろにリアンが立ち上がり、シャルティーナの眼前に立った。
「なんて目をしているのだ。いいか? その信徒に借りを作りたくない。だから力を貸すだけだぞ。さすがに、生命力を回復させるなんて
リアンが素早く
「これで、貸し借りはなしだ。
射し込んだ
「ニア、ヨヒム。急いで! お願い!」
「おお、これならいけそうか?」
「うぅん。足りない気がするけれど……」
ニアとヨヒムが悠真の前に立ち並び、水と光の紋章陣を生み出した。
「あ、ほら。やっぱり足りないわ!」
「もっと秘力を
「私の秘力は使えませんか! 秘術はだめでも、秘力ならば自信があります」
素早く詰め寄ったエレアノールに、リアンが
「エレアノール様。私が浮かべた光の紋章陣の下に、手を置いてください」
リアンとシャルティーナの重ねた手の上に、エレアノールが手を乗せた。
アリシアも、そっと手を重ねてくる。
「よろしければ、私の秘力も使ってください」
「それでは
リアンの言葉が終わるや、膨大な秘力が
シャルティーナは不意に、
人によって属性が異なるのと同じく、秘力の
彼女が扱っている秘術は、対象者と
それでもただ一つの想いを胸に秘め、シャルティーナは必死に
(絶対……悠真さんを、絶対に助ける!)
「おぉ……これならいけそうだ」
ヨヒムの言葉にも、シャルは一切気を
紋章陣の輝く色が濃さを増し、悠真に流れる光球も
少しずつ、悠真の顔色がよくなっていく。
それからほどなくして――二体の精霊が
リアンの生み出した紋章陣もまた、薄くなって
「たぶん、これで大丈夫だろう」
「ええ。これならもう平気ね」
ニアとヨヒムの言葉に心から
すぐさま悠真の上半身を
「ありがとう……
心が喜びに満ち、シャルティーナは涙ながらにお礼を告げた。
ニアとヨヒムが、
「さて、それじゃあ。シャルお姉ちゃん、またね」
「近いうちに、会いに行くからね」
いつもの調子に戻ったニアとヨヒムが、そう言い残してすっと去った。
つかの間の沈黙を
「私は、アルド様を
疲れた様子もなく、リアンがアルドのほうへと向かった。
彼女の背に、シャルティーナは声をかける。
「あ、あの、本当に、ありがとうございました!」
「ふん、言っただろう。貸しを作りたくない。これからは、また敵同士だ」
リアンは肩越しに、
悠真の
「それにしても……彼女は凄い秘術の使い手ね。自分の秘力だけでも驚きだけれど、他人の秘力までも、その人と同質の秘力に変換できるなんて」
「私の父も
今度はエレアノールが、アリシアの隣で腰を下ろした。
「
「こいつには無反応秘術って
エレアノールが半眼で
しかし
「でも、アルド様と戦っていたこいつは、ちょっとだけ、格好良かったかも」
「あらあら? 恋でもしちゃったのかしら?」
「ち、違います!
「そう? 私が見た限り、ずっと悠真君を目で追っていたように思えたけれど」
「なぁ――ご、
「ふふ、照れなくてもいいのに」
「照れていません! こんな世間知らずの
茶化し続けるアリシアと、
(恋……?)
どう感じれば恋となるのか、シャルティーナにはよくわからない感情だった。
「恋って、どういうものなんですか?」
シャルティーナが素直に疑問を口にした。
エレアノールが、顔を真っ赤にして否定してくる。
「だから、恋なんてしていないって言っているでしょう!」
「あ、ごめんなさい。そうではなく、恋……どう感じれば? 恋なんですか?」
言葉にして質問するのが、想像した以上に難しい。
アリシアが顔を明るくして、人差し指を立てた。
「ああ、恋心の説明ね。言葉にするのは少しばかり難しいわね。うぅん……」
おっとりとした顔に微笑みを宿し、アリシアは
「ん、そうね。自分にとって特別な人であり、その人の中でも特別でありたいと願う気持ち――そう感じた瞬間から恋かしらね」
「一般的には、
エレアノールが鼻息を
「恋は……時間ではないのだけれど?」
「アリシア様は、いったい私をどうしたいのですか!」
また始まった二人のやり取りを、シャルティーナは眺めながら思考を巡らせる。
少ししてから、今度は太ももに乗せた悠真の顔を見た。起きているときとは違い、子供
はっと
(私は……悠真さんの、
エレアノールの一般論を
(私は……悠真さんに、恋をしている?)
当然、自問したところで答えは返ってこない。
シャルティーナにとって、悠真は特別な存在となっている。ただ、彼自身の中でも特別であってほしいとまでは思わなかった。そんな資格など、どこにもない。
そもそも彼は、異世界の住人なのだ。いつかきっと、帰ってしまう日がくる。
それに――
(そう、仮に恋だったとしても……)
だから自分は、たとえ恋をしたとしても、してはいけないのだと
戒めれば戒めるほど、心が締めつけられるような苦しさが増していく。
シャルティーナはじんじんと痛い胸に手のひらを当て、静かに抑えておいた。
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