第三十四幕 一筋の涙



 悠真は重いまぶたを、ゆっくりと持ち上げる。

 視界がひどかすんでおり、よく見えない。

 ぼんやりとした視界の中で、銀色の髪を垂らした神々こうごうしい女神の顔が映る。しかし整った顔がせつないほどに曇っており、うれいている様子が色濃くかもされていた。

 憂いた女神をよそに、とても心地よい感覚が頭を通じて伝わってくる。

(シャル……?)

 ようやく、悠真は彼女の名を思いだした。

 次第に、視界がはっきりとする。目許にある小さな黒子ほくろが印象的なエレアの顔と、柔和にゅうわな印象を与えるアリシアの顔も見えた――悠真は一気に意識が完全に覚醒かくせいする。


「なんだ、どういうことだ。この状況はいったい……」

 なかば飛び跳ねるように、悠真は上半身を起こした。

 せわしなく周囲を確認する。どうやら、シャルに膝枕ひざまくらをされていたらしい。しかもそんな自分を囲むように、エレアとアリシアも腰を下ろしていた。

 じわりとはじき、悠真は自然とうめく。

 おっとりとしたアリシアの顔に、やさしい微笑みが浮かぶ。

「気分はもう、よろしいのかしら?」

「お前、本当に無茶むちゃばかりして、馬鹿ばかじゃないのっ?」

 なぜかエレアが憤慨ふんがいしていた。隣にいるアリシアが、にやにやとしている。


 確かに無茶な行動は多い。異世界に来てから無茶しかしていないとすら思える。

 悠真がおぼろげな記憶を掘り起こしていると、シャルが力のない笑みをたたえた。

「あまり、心配をさせないでくださいね」

「ああ、俺、相当やばかった……みたいだな」

 言っている最中にうなずいた三人を見て、悠真は頭をきながら視線をらす。

「彼女と、みんなのおかげよ」

「ん、彼女?」

 アリシアに目を向けると、手を差し出している。

 手の先には、リアンと――ちょうど、体を起こしていくアルドの姿があった。


「いいか、禁忌きんきの悪魔の信徒! 借りを作りたくなかっただけだからな!」

 リアンがおにのような形相で伝えてきた。悠真は首をかしげ、苦笑する。

「ああ、いや、なんかよくわからんが……助けてくれたんだろ。ありがとう」

「ふん!」

 リアンは腕を組み、そっぽを向いた。

 彼女の隣にいるアルドが、くやしそうな顔をしているのに気づく。

「認めよう、完全に私の負けだ。まさか、敵の捕虜ほりょまで助けてしまうのだからな」

馬鹿ばかか、お前は。人が死ぬ姿なんか、普通は見たくねぇだろ」

 一瞬、アルドが呆気あっけに取られた顔をしてから不敵ふてきに笑う。


「そうか。しかしそれは、あまりめられたものではないな。いつか、後悔こうかいする日がくるかもしれないぞ。生かした相手がまた敵となり、牙をく場合もある。最悪――大切な人を失う可能性だっていなめないぞ」

「だったら、何度でも倒してやる。二度と手を出したくないと思うまでな」

 悠真の言葉が終わるやいなや、手をたたいたような音が広がる。

試練しれんは、無事ぶじに終了です。黒髪の青年側の一行いっこうは、左の紋章陣に乗ってください。敗者側の一行は、右の紋章陣に乗ってください。塔から排出します」

 ミアストが淡々たんたんと説明した。

 指示にしたがい、アルドがリアンの肩を借りて歩いていく。


「なあ、アルド!」

 足を止めたアルドに、悠真は笑みを送る。

「今回の俺は、闇の精霊王の力を借りなきゃ、絶対お前に勝てなかった。だからさ、今度はまた秘術とか抜きでやろう。いつか、俺だけの力でお前に勝ってやるからな」

 アルドはくやしそうな笑みをらし、片手を軽めに振った。

「今度こそ、息の根を止めるのが騎士としてのつとめだ。私以外に殺されるなよ」

 悠真は適当な場所を眺める仕種しぐさを見せ、誤魔化ごまかしておく。

 指示された紋章陣の上に、アルドとリアンが乗った。ゆっくり浮遊した紋章陣が、塔の下へと二人を連れ去っていく。


 騎士達をやや茫然ぼうぜんとしながら眺めていると、ミアストが悠真の眼前に立つ。

「では、いい加減に乗ってもらってもいいですか?」

 ミアストは一切ぶれない。あくまでも事務的に対応してきた。

 悠真は苦笑でこたえ、シャル達と紋章陣に乗る。

 運ばれていく感覚は、エレベーターに近いものがあった。こちらの世界ではこれが通常なのだろうかと、間持たせの意味も含んで答えのでない想像をする。

 ほどなくして、悠真達はひらけた大きな空間に辿たどり着いた。飾りつけこそないが、神秘的しんぴてきな雰囲気に、悠真は目を大きく見張る。

 巨大な玉座ぎょくざが一つあり、姿勢正しく鎮座ちんざしている者がいた。


 まるで雪のように白い肌をしており、ゆったりとした空色の布服を着ている巨人だ――胸の大きさや顔立ちから、女だと思われる容姿であった。

来訪者らいほうしゃ達よ、初めまして。われきり摩天楼まてんろうぬし――ハオです」

うそ、まさかルニム族……?」

 アリシアが驚愕きょうがくのこもった声でつぶやいた。柔和にゅうわな顔が、驚きで満ちあふれている。

「はい。おっしゃる通りです……私はルニム族、最後の生き残りです」

「嘘を言わないでください。早く話を進めてもらえますか?」

 あっさりとミアストが否定し、話の進展をうながした。

 ハオは白けた顔で、ミアストのほうをにらんでいる。


「マジで嘘だったのかよ!」

「はい。本当はルニム族がいた時代から存在している、霧の精霊王です」

(霧の、精霊王……)

 ガガルダと同じくらいを持つ精霊なのだと理解する。

 ふと肩がつつかれた感覚を覚える。いつの間にか、ミアストがそばにいる。

「ところで黒髪の青年、殴らないんですか。やりましょう、ぶっとばしましょう」

 ミアストがハオの方角に、何度も拳を突いた。

 無表情で言われると、どこか怖いものがある。悠真は少しばかり腰が引けた。

「いや、それより……どうして、あんな試練しれんを与えた。ちゃんと説明してくれ」


無論むろん、適性を測るためです。もしも考えもなく勝利へ走り、捕虜ほりょを救えなければ、適性なしと判断しました。本来なら、味方側の捕虜さえ助ければよかったのですが、まさか敵側の捕虜まで救ってしまうとは少し想定外そうていがいでしたね」

「精霊達の力があったからだ。こんなの、普通は無理難題だろうが」

 悠真は語気を強めて言いはなつ。

 どう考えても、闇の精霊王や水の精霊主の力なくしては不可能だった。

 不思議な空気感のあるハオが、悠然ゆうぜんうなずく。

「はい。ですから、なんじならではの試練なのです」

「どういう意味だ?」


「今回の試練は、闇の精霊王と水の精霊主を宿、汝の〝ためだけに〟与えた試練なのです。まあ、もしも聖印せいいん騎士団の彼が勝利した場合、たとえ捕虜を救えずに殺したとしても、ここへ導くつもりでしたが」

 悠真は、訳がわからない心境であった。つまりハオは、悠真であれば試練の達成が可能だからこそ与えたと言っている。しかし不透明な問題がある。

 この世界に来てから、まだ一日にも満たない。接点がどこにも見当たらないのだ。

「どうして、俺なんだ! 俺は、あんたを知らない」

「我も汝を知りませんでした。ですが、闇の精霊王ガガルダは知っています。そんなガガルダがを、見ないわけがあると思いますか?」


 自然とほおが引きつったのを、悠真は自覚する。

 おそらく悠真が異世界の住人であることを、ハオには知られているに違いない。

(今回の一件は、全部ガガルダのせいか……)

 おおよその事情を呑み込むや、悠真の肩がぐったりと落ちる。

 ハオの声が静かにつむがれた。

きり摩天楼まてんろうは、古代の種族――ルニム族の一人がつくり出した、巨大な錬成具れんせいぐです」

「えっ……? 霧の精霊王ハオ、それは本当でございますか?」

 エレアが瞠目どうもくして、ハオを見上げていた。

 アリシアとシャルの顔も驚きに満ちている。


「はい。そしてわれは、そのルニム族に寵愛ちょうあいを与えた精霊王です。だから彼の死後も、こうして百年に一度現れては、選び抜いた来訪者に試練を与えています」

「あれ? 霧の摩天楼は、ルニム族がいた時代からあるんですよね? それなのに、覇者はしゃとなった者は三人しか存在しないんですか?」

 シャルの問いに、ハオは小さく笑う。

 悠真達のそばで立っていたミアストが、素早くシャルの眼前に移動した。

「それは、星暦せいれきの紀年法に入ってからの話ですね。紀元前での資料の多くが失われ、極わずかに残った資料を、現星暦の者達が発掘および解読できていないだけです」

「それでも数は少ないですが、記録に残らなかった覇者というのも存在しますから」


 ハオは言い終えるや、両手を合わせた。

「では、きない問いはここで終え、そろそろを始めましょうか」

 悠真の眼前にある地面が盛り上がり、伸びたそれは台座の形へと変化した。中央に金属の鉄板のようなものが埋め込まれ、何やら文字らしきものが書かれている。

 じっと凝視ぎょうししていると、ハオのゆるやかな声音が耳に届く。

「さあ、その台座にれ、願いをとなえよ。願いはかたをなし、汝をおとずれます」

覇者はしゃは黒髪の青年のみです。ほかの者に権限はありませんのでご了承りょうしょうください」

 ミアストが、ハオの言葉を補足した。悠真は腕を組み、首をかしげる。

「いや、俺は文字が読めない。だれか代わりに読んでくれないか」


 シャル達は台座へ視線を落とした。全員がしぶい顔を浮かべている。

「読めませんね」

「私にも無理ね」

 シャルとエレアの二人に次ぎ、アリシアが難しい顔をした。

「これは文章ではないわね。きっと、秘法文字の一種かしら」

「やはり貴方あなた博識はくしきですね。これは、ルニム族の編み出した秘法文字の一種です」

 ミアストの無表情に、かすかな驚きが浮かんだ。

 そんなミアストを眺めつつ、悠真は質問を投げる。

「なあ、願いってどこまでがかなうんだ?」


神々かみがみ品々しなじなから悪魔の品々まで、汝の願いに沿った一品ひとしなが生み出されます。つまり神々や悪魔以上――ルニム族でさえ不可能な願いは叶いません」

 悠真はうなりをあげ、思考を巡らせる。ずいぶん漠然ばくぜんとしていて難しい。

「あのさ、禁忌きんきの悪魔を普通の女の子にしたいって願いはだめなのか?」

「えっ、ゆ、悠真さん!」

 あわてるシャルをよそに、ハオがゆったりとうなずいた。

「汝〝次第〟ですね。願いが品へ変わったさい、どう扱うかは覇者次第なのです」

「えっ! マジで? 可能なの? 叶うの?」

 悠真は驚きに背を押されたように、身を乗り出した。


「はい。おそらくですが……禁忌の悪魔にまつわるすべてが記された、一冊の書物が誕生すると思われます。それをもちいれば、汝の願いも〝きっと〟かなうでしょう」

 悠真は、強張こわばった表情をするシャルを見た。

「シャル。俺、この願いに決めた!」

「でも、悠真さん。きり摩天楼まてんろうですよ。もっといい品が、いっぱいあるんですよ」

 戸惑とまどった様子のシャルが、震えた声をつむいだ。

 禁忌きんきの悪魔から普通の少女になれる可能性がある。それなのに、シャルは別の品をすすめてきた。よくわからない謎の対応に、悠真は不思議に感じる。

 謎に関して黙考していると、エレアが素早く寄ってきた。


「そうよ。たった一つの品で、帝王とまでなれる品もあるのよ」

 悠真はかわいた笑いをらす。

 たとえ禁忌の悪魔の件がなかったとしても、そこまでは望まなかったに違いない。ぶん相応そうおうという理由ではなく、単純に帝王とは面倒めんどうな〝役職〟に感じられた。

「禁忌の悪魔にまつわるすべて……私は、興味があるわね」

 アリシアのつぶきに、悠真は笑顔でうなずく。

「そうだろ? それに……別に、俺はいいんだ。自分がどこまでできるかだなんて、そんなのわからねぇけど、救ってやれるんなら救ってやりたい。ただ、それだけだ」

 台座にれると、金属の鉄板のひんやりとした冷たさが伝わってくる。


「だから、俺は願う」

「ちょ、ちょっと! 悠真さん!」

「禁忌の悪魔を――普通の女の子にしてやりたい」

 台座が、まばゆい輝きをはなつ。

 咄嗟とっさに目許を腕でおおっていると、次第に光が弱まっていく。

 台座の上には、ハオが予想した通り一冊の書物が出現していた。

「本当に書物なんだな。表紙に何か書いてあるが、なんて書いてあるんだ?」

禁忌きんきの悪魔にまつわる歴史……と、書かれてあります」

 シャルの声はか細い。ひどく不安そうな顔を見て、ようやく彼女の心境を察した。


「シャル。もしかして、自分がどういった存在か知るのが怖いのか?」

「はい、少し……」

 なんとも言えない表情で、シャルがぎこちなくうなずいた。

 悠真はシャルの肩に手を乗せる。

「大丈夫。絶対に、シャルは禁忌の悪魔なんかじゃない。だから、一緒に知ろう」

 悠真はやさしくシャルをはげましたのち、両手を腰に置いた。

「しかし、だ。俺は文字が読めないから、そこはよろしく頼むぞ」

魔導まどう生命体のときもそうだけど、お前……本当に最終的には締まらないわね」

 あきれ顔のエレアがぼそっとつぶやいた。これには悠真も笑うしかない。


「それじゃあ、開くわよ」

 目を輝かせたアリシアが、好奇心を抑えきれない子供のように書物をひらく。

 しばらくして――各々おのおのの表情が、驚愕きょうがくの色に染まった。

 何やらただならないものを予感させたが、だれも内容を口に出さない。

 最初に声をあげたのは、表情を強張こわばらせているエレアであった。

「ちょ、ちょっと! これって、本当の話なのっ?」

「そんな、うそでしょう。こんなの……あまりにもひどすぎるわ」

 アリシアが沈痛ちんつうな声音で言った。悠真は眉根まゆねを寄せて見つめる。

「そんな……私が?」


 シャルが自身を、そっと抱き締めた。

 そして――シャルの目から、一筋の涙がこぼれ落ちていく。



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