霧の摩天楼

第三十一幕 理不尽の極み



 塔に連れ込まれてから間もなくして、悠真は自由に動けるようになっていた。

 しかしずっと暗い闇のままで何も見えない。悠真は声を大きく張りあげる。

「シャル! エレア! アリシア!」

 耳をまして待ったが、だれからも返事はこない。自分と同じ場所にはいないのか、あるいは声を出せない状況にあるのか――圧迫感あっぱくかんのある不安が、悠真の胸につのる。

 両手で周囲を確認しながら、一歩、また一歩とり足で前に行く。

 おそらく進んでいる速度は、歩きたての乳幼児と変わらないだろう。ただ、いくら目をらしたところで、何かがわずかにでも見えてくれるわけでもない。

 そのため、つたない足運びとなるのは、仕方のない状況ではあった。


(んだよ、これ。まったく何も見えないじゃないか)

 胸中でどくづいた瞬間、火が燃え盛るのにも似た音が次々と聞こえてくる。

 連鎖的に青白い光がともり、闇が晴れた。見覚えのある場所に、悠真は息を呑む。

(ここは……ルニム遺跡ってやつじゃねぇのか?)

 禁断きんだん魔導まどう生命体がいた場所と同じく、広々とした石造りの空間には、太い石柱が随所ずいしょに立っている。明かりも石柱に備えられた、青い火の玉によるものだった。

 あちらとは違い、こちらは手入れが行き届いているのか小綺麗な印象がある。

 縦横無尽じゅうおうむじんに視線を巡らせたものの、見える範囲にシャル達の姿はない。

 いまだ安否あんぴを確認できず、胸の奥に焦燥感しょうそうかんが生まれる。


(みんな、どこにいるんだ)

 落ち着きを失っていく心の抑制につとめ、足早にシャル達の姿を探した。

 きり摩天楼まてんろうと呼ばれた塔の端にあたるところなのか、円柱形の太い柱が一つある。そばに寄ってぐるりと回って観察してみれば、裏側にほら穴みたいな箇所かしょがあった。

 おそる恐るほら穴に入ると、螺旋状らせんじょうに続く階段が見える。

(登って来いって、ことか?)

 いやな緊張感に縛られながら、ゆっくりと石で造られた階段を上がっていく。

 少し階段を上ったところで、ふと悠真の脳裏のうりに不吉な想像が張りついた。

(まさかとは思うが、罠とかねぇだろうな……)


 螺旋状の階段で思いつく罠と言えば、大きな岩石が上から転がってくるか、階段がたいらとなりすべり落とされるか――壁からするどい矢が飛んでくる可能性も浮かんだ。

 塔では試練が与えられると、暖炉だんろのある広間で聞いた話がふとよみがえる。だから何が起こっても不思議ではないため、悠真は警戒心けいかいしんを強くして上を目指していく。

 数分がち、悠真のひたいから顎先あごさきへと汗が伝う。まだ果ては見えない。

 十数分が経ち、徐々じょじょに足が重たくなってきた。まだ果ては確認できない。

 数十分が経ち、激しい息切れと眩暈めまいを覚える。果てなどないのかもしれない。

 最終地点がどこなのかわからないだけに、心理的な負荷ふかが大きくなる。それこそ、罠か何かで最初の部分に戻された場合、完全に心が折れてしまいかねない。


 無限に続くのではないのかと懸念けねんした。直後、あおいだ先に出口と思しき光景が目に飛び込んできた。気分が一瞬で晴れ、意気いき揚々ようようと目的の場所まで駆け抜ける。

 出口の先には、さくのない長い一本の橋があった。さらにその先には、柱もなければ何もない、円盤の形をした大広場が見える。

 橋の手前で、悠真はゆっくりと外側をのぞき込んだ。

(おいおい、これ……底が見えないぞ)

 死を連想させる深い闇が、はるか下のほうには満ちていた。

 下のほうから強めの風が吹き上げ、悠真の姿勢がわずかにくずれる。瞬間的に落ちる自分の姿を想像してしまい、ぞっと全身の毛が逆立さかだった。


「あ、あぶぉ、あぶねぇ……」

 き出した冷や汗をぬぐい、飛び跳ねるように脈打つ心臓をしずめていく。

 もっと安全な場所にいたほうがいい。

 悠真は、橋の先に目を向けた。土台がしっかりしている大広場へ足を向かわせる。歩いている橋が自分の体重で崩壊ほうかいしないか、不意の予測が胸を痛めた。

 雑念ざつねんを払い、悠真は辺りを見回してみる。この空間は左右相称さゆうそうしょうとなっているのか、悠真から見れば反対側となる場所にも同じ橋があり、ほら穴もある。

 そのとき、反対側のほら穴から、聖印せいいん騎士団の団長がぬっと現れた。

「あ、アルド!」


貴様きさま、信徒!」

 悠真は自然と走り出した。黒い指輪に意識を送り、漆黒しっこく籠手こてに変化させる。

 アルドもまた駆け、腰に帯びていた剣をさっと抜いた。

 大広場の中央で、悠真はアルドと対峙たいじする。お互いがにらみ合う。

「シャル達を、どうしたんだ!」

「リアンを、どうした!」

 ほぼ同時に言いはなった。わずかな沈黙につつまれたのち、お互い首をかしげる。

「それでは、説明いたしましょう」

 塔の前で姿を見せたミアストが、いつの間にかそばに立っていた。


「四名の選出者で行なう手筈てはずでしたが……主様あるじさまの勝手で気儘きままで我がままのせいで、予定の変更を余儀よぎなくされました。百年の用意も泡と消え、すべて消滅です」

「お、おう……」

 無表情ではあるが、ミアストはどこか立腹りっぷくしている気配をただよわせている。

(百年の用意がいきなり変更されたら、そりゃあ怒るよな……)

「主様が考案した――つまらないし、くだらないし、何もおもしろくもない試練は、たった一つ。達成した者に最上への道を許します」

「たった一つ、だと……」

 アルドは目を白黒とさせた。悠真からすれば、別に最上には興味がない。


「そんなのはどうでもいい。シャル達をどうした!」

「どうでもいい、だと……貴様! ここがどういう場所か、わかっているのか!」

 声をあらげるアルドに、悠真は苦笑でこたえる。

神々かみがみの品がもらえる的な話だろ。そんなのいらねぇんだよ」

「なぜ……! なぜ、貴様みたいなやからが塔に選ばれたのだ!」

「知らねぇよ。つか、もうお前が最上に行けよ。俺は連れが無事ぶじならそれでいい」

 言葉を失ったように、アルドは口をぱくぱくとさせた。

「それは試練の棄権きけん見做みなされますが、よろしいのですか?」

「言っただろ、俺はシャル達が無事なら最上には興味がない」


 無表情のミアストが両手をたたき合わせ、かわいた音を鳴らした。

 それが合図だったのか、大広場の外側に明るく照らされたところが二つ――悠真は不意を打たれ、驚愕きょうがくかかえながら一歩後退する。

 黒い鉄製らしき物で造られた強固そうなおりの中に、シャル達はとらわれていた。

 別の小さめの檻には、リアンも囚われているようだ。

 どちらの檻も、くさり一本で宙に吊るされている状態だった。

「なんだ、これは……!」

「悠真さん!」

 シャルに続き、エレアとアリシアも名を叫んできた。


 囚われているだけで、特に何かをされた様子は見受けられない。

 悠真は、ひとまず安堵あんどする。

「アルド団長!」

 アルドが無言でうなずいてこたえると、リアンはうれしそうに凛々りりしい顔をほころばせた。

 ミアストが手を叩き、数歩前に進んだ。

「棄権されるかどうかは、試練の内容から判断してください」

 あくまでも淡々たんたんと、ミアストが説明を始める。

「これより両者には、命をした戦闘を行なっていただきます。勝敗は、戦闘不能と見做みなされるか、あるいは舞台下へ落とされるか、もしくは死ぬかのいずれかです」


 悠真は腹部が締めつけられる思いであった。

 アルドの実力は推し量れない。商業都市では秘術も何もない状態での決闘であり、今回に限っては全力で向かってくるに違いない。

「敗者が確定した側の〝捕虜ほりょ〟は処刑します。方法は、吊るしてあるおりくさりを切り、深き闇の底へ落とします。そして勝者側の〝捕虜〟に関してなのですが――」

 勝つ以外に、シャル達を救うすべがない。悠真は瞬時にそう判断する。

 だからといって、勝利を素直に容認もできない。勝利とはつまり、相手側の捕虜を殺すにひとしい行為こういでしかないのだ。

 しかしミアストの続けた言葉を聞き、悠真は血の気が一気に引く。


「――檻を落として処刑します。最上を踏み締めるは、両者のどちらかのみです」

「待て待て待て! おかしいだろ! 何を言ってんだ、お前!」

 理解不能なルールを聞かされ、悠真はミアストに詰め寄っていく。

 ミアストまであと数歩といった場所で、見えない何かにはじき飛ばされる。

 尻餅しりもちを着いた悠真は、眉間みけんに力を込めた。

「あ、あまり近づかないでください。周囲に保護結界けっかいが張ってありますので」

「言うのがおせぇよ! つか、なんだ、その理不尽りふじんな話……おかしいだろ!」

「つまらないし、くだらないし、何もおもしろくもないですよね。わかります」

 ミアストは他人たにんごとと言わんばかりに、吐息を小さくらす。


 来たくて来たわけではない。悠真は怒りが頂点に達しそうになった。

 悠真は立ち上がってから、シャル達を向く。沸々ふつふつ激怒げきどを声に乗せる。

「エレア、剣で切り裂けないのか? アリシアの巫術ふじゅつでなんとかならないか?」

「無理! 錬成れんせい武具ぶぐが反応しないの!」

「結界か何かで秘力や錬成武具が抑え込まれていて、どうしようもできないわね」

 悠真は胸中で舌を打つ。エレア達と同じく、悠真からも何もできそうにない。

 大広場の外側にあるおりまで飛べば、辿たどり着けなくはないが、下には奈落ならくを思わせる暗闇が広がっている。さらに加えると、檻にはひらく扉がどこにも見当たらない。

 おそらくただの檻ではなく、なんらかの絡繰からくりが仕込まれた檻なのだろう。


「あの檻は特殊な素材ですので……精霊本体並みの力なしで開けるのは不可能です。まあ、力をふうじてあるので無理なのですが、刑の執行を阻害そがいした場合、檻は少しずつ小さくなって中の者を握りつぶします。なので、諦めてください」

 ミアストの言葉に、悠真は拳を強く握り締めた。これでは救い出す方法がない。

「アルド団長!」

 いさましげなリアンの声が響いた。礼儀正しく立ち、胸に手を当てている。

「必ずや、信徒共を……禁忌きんきの悪魔を討ち、塔の最上へと向かってください。アルド団長に、この副団長リアン、命をささげます」

「……わかった。お前の命、無駄むだにはしない!」


 ひどく心苦しそうな顔をして、アルドがこたえた。

(何を、言ってんだ……こいつら? わかってんのか? 死ぬんだぞ……?)

 リアンとアルドの奇妙な関係に、悠真は力を込めてにらんだ。

「ふざけてんじゃねぇぞ、てめぇら! 本当にわかってんのか! 死ぬってことは、もう二度と会えないし、喋ることだってできないんだぞ!」

 アルドが、にぶく輝いている剣の先端を向けてくる。

「貴様こそ、が部下の覚悟を侮辱ぶじょくしないでくれるか。われら騎士団は任務とあれば、命をすのが当然だ。それは、この私とて例外ではない!」

「お前、あいつが大事だいじじゃねぇのか……部下は使い捨てのこまじゃねぇぞ!」


「私が……大事に思っていないとでも、思っているのか!」

 アルドの目から、けがれのない涙がこぼれ落ちた。

「この私が、部下を駒扱いし、使い捨てにする男だと思うのか!」

 アルドの涙で、悠真は自分の失言に気づく。

 これは、覚悟――いや、生まれ育ってきた世界での差なのだろう。命をしてきた仲間だからこそ、気持ちをんでいるのだとわかった。

 そうであったとしても、悠真はそれをよしとはしない。

「だったら……だったら、命を賭してでもまもってやるって言うぐらいしやがれ!」

 悠真は右拳をあごの近くにえ、左拳と左足を前へと出した。


「たとえどんな状況でも、諦めてんじゃねぇよくそ野郎が! 俺は諦めないぞ。全員を助ける手段を、お前と戦いながら無理でも何でも考え抜いてやるからな!」

 悠真は、ミアストに視線をえた。

「それからお前の糞みてぇなあるじも、絶対にぶん殴ってやるから覚悟しやがれ!」

「そのおりには、われも黒髪の青年側につきましょう。それでは、試練しれんを開始します」

 ミアストが指を鳴らした瞬間、通ってきた橋が光の泡となって消えていく。

 大きな広場は、完全に孤立こりつした舞台へと変化した。

「私はレヴァース王国聖印せいいん騎士団団長、アルド・フルフォード。まいる」

「覚悟しろ、アルド!」


 悠真は自分の声を引き金にして、アルドとの距離を縮めていった。

 悠真は剣そのものではなく、彼の手元を注視ちゅうしし続ける。どんな不思議な力を扱ってくるのかはわからないが、必ずなんらかの反応を察知できるはずであった。

 異世界をおとずれ、まだ一日もっていない。だが、理解した情報もいくつかある。

 この世界に住まう人々は、想像を超越ちょうえつした怪物でもなんでもない――確かに秘術で超人にはなれるのだろうが、それをはぶけば自分と変わらない普通の人なのだ。

 しかも奇跡きせきとも言える秘術は、むやみやたらに連発できる代物ではない。

 だからこそ、秘力ひりょくを必要とはしない武具ぶぐを装備している。商業都市のお店や商霊の屋台で多くの武具が売られていたことが、その考えに自信を持たせた。


 つまり人が扱う秘術とは、体内に宿った秘力を活用して、初めて実現しるただの〝わざ〟でしかない。秘力がきれば、シャルのように疲労ひろう困憊こんぱいの状態へとおちいる。

 これらを含め導かれるのは、秘力とは体力や精神力といった機能の一つなのだ。

 当然、秘力の欠片かけらも持たない悠真よりも、持っている者のほうが有利ではあった。特殊なエネルギーを持っているのだから、有利でないわけがない。

 ただどんなものにも上限は存在している。悠真はそこに活路かつろがあると見出した。

 アルドが放つ一閃いっせん籠手こてで受け流し、アルドのほおに狙いを定め、拳をたたき込む。

 悠真からの一打を受けたアルドが、大きくよろめいた。

(ピピン、精霊じゃなくマジで神様じゃねぇか! ありがとう!)


 もう商業都市でアルドと戦ったころとは違う。

 ピピンと闇の精霊王から力をさずかり、天と地くらいの差で選択の幅が広がった。

 シャル、エレア、アリシアから知識を授かり、選択の幅はさらに拡大している。

 アルドがやや後退し、剣脊けんせきを見せつけるように前へ突き出した。

煌々こうこう輝門けいもん――光刃こうじん戦神せんじん、戦場を駆けろ」

 静かにつむがれた言葉に呼応こおうし、雪白に輝く紋章陣が剣に打ち込まれていく。

 妙な胸騒むなさわぎに、悠真は無意識に後ろへ下がった。背筋に冷たいものを感じる。

が剣技を受けよ、禁忌きんきの悪魔の信徒!」

 アルドの剣は、虚空こくうを大きく切り裂いた。



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