第三十幕  水面に降り立つ少女



 斬り裂かれたあしに、悠真は全神経を集中させた。

 体中の血が逆流するような、激しく異様いような感覚におそわれる。切断された脚がものの数秒でつながり、激痛が跡形あとかたもなく消え去った。

「うぅ……話に聞いた通りだ。これが禁忌きんきの悪魔の信徒たる能力なのか」

 気持ち上ずった声で、白ずくめの男の一人が言った。

(ちげぇよ)

 悠真にひどい息切れが生じる。脚の修復に結構な生命力を消耗しょうもうしたに違いない。

 無理矢理に体を起こして、悠真は湖のふちに背を預ける。自ら追い詰められた状態にひとしい行為こういではあるが、また死角から攻撃されるほうが厄介やっかいだと感じた。


「ふん、馬鹿ばかめ! すでに俺から攻撃を受けてるのが、わかってないようだな」

 口からでまかせを吐きつつ、悠真は現状を打開だかいする策を考える。

「俺は、禁忌の悪魔の信徒だぞ? 俺に攻撃した奴はもちろん、俺と目が合った奴も呪われるからな。この呪法じゅほうは、新たな悪神あくじんを生む呪いだ」

 絵本に登場する悪神あくじんかたった、ただの子供だましにしかすぎない。それでも、一定の効果はられたみたいだ。白ずくめの男達から戸惑とまどいの様子がうかがえる。

 しかしだからといって、素直に退いてくれるような素振そぶりはまったくない。むしろどう対処するのが最善さいぜんなのか、思案している気配が色濃くただよっていた。

(くそっ! もう、やるしか……ないか)


 精霊に転化するしかない。数秒程度なら倒れ込むまではいかないはずだった。

 その倒れ込まない程度のわずかな時間の中で、この場にいる全員を無力化する――どう考えても、不可能だとしか思えない。まだ相手の力も未知数なのだ。

(それでも、やるしかない!)

 胸に手を当てた悠真の目に、信じられない光景が舞い込んでくる。

「では、私はもうその呪法を受けた。それで、間違いないか?」

 濃霧のうむから抜け出てきたように、聖印せいいん騎士団の団長――アルドが大勢をひきいてやって来た。アルドのそばには、紫色の髪をしたうるさい女のリアンもいる。

 二枚目な顔をいさましく整え、アルドはするどい剣を素早く抜いた。


「アルド……」

 絞り出した声に恐怖が混じっていたのを、悠真は自覚する。

きり摩天楼まてんろうを追えば、必ずその近くにお前がいる。と、私は確信していた。やはり禁忌きんきの悪魔もお前も、霧の摩天楼を狙っていたのだろう?」

「霧の、摩天楼……?」

 アルドが何を言っているのか、悠真にはさっぱりとわからない。

 アルドのそばに立つリアンが、男勝おとこまさりな口調で声を張りあげた。

「もう逃がさないぞ、禁忌の悪魔の信徒め! ここで決着をつけよう!」

「くそっ……もうやるしか、ないよな」


 転化する覚悟を決めるやいなや、かわいた小枝を折ったような音が響いた。

 突如とつじょ――悠真とアルドの中間地点に小さな赤いうずが発生する。徐々じょじょに渦が拡大し、そこから燃え盛る炎の毛並みを持つとら酷似こくじした獣が、勢いよく飛び出してくる。

 炎の猛獣もうじゅうは、悠然ゆうぜんと大地を踏み締めた。

なんじらに灼熱しゃくねつを」

 腹に響く声をはなち、炎を身にまとう獣が地面をたたき鳴らした。

 緋色ひいろの紋章陣が随所ずいしょえがかれていく。数多あまたの紋章陣から、燃え盛る炎のむちが飛び、豪快ごうかいな音を立てて打ち回った。熱風がきりを払い、悠真は熱を肌で感じ取る。

 喚声かんせいを重ねながら、騎士達は一か所に押し寄せられていく。


 商業都市にいたころとは違う。今回は、実行した犯人がだれかすぐにわかった。

 悠真は目に力を込め、ただまっすぐにアルドを見据みすえる。

 アルドもまたあわてた素振そぶりもなく、ただひたすら悠真を見つめていた。逃さないと言わんばかりに、視線をはずそうとはしない。

 炎の鞭と炎の獣がかすんで消えていったのを、悠真は視界の端でとらえる。

「そこまでにしてもらえますか?」

 手のひらを叩くような音が二度鳴り、アリシアのつやのある柔らかい声が飛んだ。

 顔の側面にある桃色の髪をでながら、アリシアがゆっくりと向かってくる。

皆様方みなさまがた、私の敷地内で何をしていらっしゃるのでしょうか?」


「な、なぁっ! マ、マルティス帝国の、皇女こうじょ様……?」

 驚愕きょうがくの顔つきで、リアンが悲鳴みた声を出しながら一歩後退する。

 胸に手を当てたアルドが、優美ゆうびな一礼を送った。

「マルティス帝国の皇女アリシア様、お初にお目にかかります。聖印せいいん騎士団の団長、アルド・フルフォードと申します。火急かきゅうゆえ、敷地を犯したつみをお許しください」

「火急とは、禁忌きんきの悪魔がらみでしょうか?」

 物怖ものおじした様子もなく、悠真のほうへアリシアが優雅ゆうがに進み続けている。

 またアルドが、胸に手を当てて一礼した。

「はい、おっしゃる通りでございます」


「申し訳ありませんが、禁忌きんきの悪魔と信徒の身柄は、私の保護下ほごかにあります。二人はマルティス帝国まで連れ帰り、自国で扱いを決めたいと考えております」

 悠真は、アリシアの言葉の意味を理解しかねた。そんな話は一切していない。

「なるほど。マルティス帝国の手柄にしたいというわけですか」

「話が早くて助かります。ですが……少々訂正ていせいさせてください。帝国の〝手柄〟ではありません。私の存在を認識していらっしゃるのなら、ご理解いただけますね?」

 政治的な何かに利用する――悠真は、そう解釈かいしゃくした。禁忌の悪魔の〝仲間〟ならばあく見做みなされる。反対に討ち取ったともなれば、賞賛しょうさんびるに違いない。

(最初から、そのつもりだったのか?)


 唇をみ締め、悠真は敵意を込めた目でにらんだ。

 目の前で歩みを止めたアリシアの表情は、寒気がするほど冷たい。それはまるで、敵を見る眼差しであった。初めて見せる表情に、悠真は少しばかり恐怖を覚える。

 裏切られた気分の悠真をよそに、アリシアが途端とたんに横目で片頬かたほおふくらませた。

「勝手に出歩くからよ。馬鹿ばか

 アリシアがひそめた声で言ったのち、アルド側を振り返った。

 悠真は自分のおろかさにあきれ果てる。これは彼女が見繕みつくろった方便ほうべんだと気づいた。

 現状――なぶり殺しにされるしか道はない。普通に加勢したのでは、禁忌の悪魔の信徒と断定されるため、政治的に利用といった形を取らざるをなかったのだ。


「ですので、ここは引いてもらえませんか。それとも……くさってもマルティス帝国の第八皇女であるこの私に、弓を引きますか」

「ア、アルド団長……」

 リアンの目許は戸惑とまどいにゆがんでいる。だが、アルドは冷静な姿勢をつらぬいていた。

「マルティス皇女様、少し言わせていただいてもよろしいでしょうか?」

「はい。なんでしょう」

「なぜ今頃いまごろになっておっしゃられるのですか。本当であれば通達、あるいは呪われた屋敷の地下……商業都市の商業区で伝えていただければよろしかったのですが」

 アルドの言葉には、妙に力が込められていた。


禁忌きんきの悪魔らの存在を知ったのは、都市衛兵の要請からです。その内容から禁忌の悪魔達は、それまで自由に行動をしていた気配が濃厚のうこうすぎます。それに今も、身柄を拘束こうそくもせず、はないにでもしているのですか?」

(こ、こいつ……!)

 聖印騎士団団長の肩書は伊達だてではない。ほかの者達とは違い、冷静れいせい沈着ちんちゃくだった。

 アリシアが腰の真後ろに両手を置き、人差し指同士が当たらないようにくるくると回している。それがくせなのか手遊びなのか、悠真には判断がつけられない。

「たとえ帝国の皇女こうじょ様でも……禁忌の悪魔に加担かたんする者に、耳を貸す道理はない」

 アルドは明確な敵対宣言せんげんをしてきた。


 小さな溜め息をらし、アリシアが悠真を振り返る。

「ああ……まあ、想定した通りの結果になってしまったわね。これは全部、悠真君のせいだから! こんなの私でなくても、だれにでも無理なのだからね」

 かしこい彼女が見せる初めての一面に、悠真は謹慎きんしんにも可愛かわいいと思う。

「悠真さん!」

 屋敷の玄関がある方角から、シャルの大声が聞こえた。

 不安がたっぷりと宿った顔をしながら、シャルが向かってきている。その隣には、気まずそうな顔をしているエレアの姿もあった。

「あぁあ、もう! 何もかも全部滅茶めちゃ苦茶くちゃ――もう、どうにでもなればいいわ!」


 激しく取り乱しているアリシア以上に、騎士達があわを食っていた。

「おいおい……これは、夢か? 私は、夢でも見ているのか? あのおかたは……黒鉄騎士団の団長、ヴァーミル・エヴァンス様のご息女様では?」

 リアンは白い鉄でおおわれた肩を大きく震わせていた。

 ほかの騎士達も、まごついているのが見て取れる。

「やっぱり、私もお前達についていくわ。私は、私の信じる道を進みたいから」

 エレアは首飾りからやや細身の剣に変化させ、聖印せいいん騎士団員側へ剣先を向ける。

 これにはアルドも、さすがに驚きをかくせないようだ。まさか、自分の上司にあたる娘が敵になるなど、夢にすら思っていなかったのだろう。


 エレアが、腹から絞り出したような大音声だいおんじょうで告げる。

「私は……エレアノール・エヴァンス。聖印せいいん騎士団の者達に告ぐ。この男は、禁忌きんきの悪魔の信徒ではない。十二守護精霊の一体、闇の精霊王から寵愛ちょうあいさずかりし者よ」

 騎士達の間から、どよめきが起こった。突然――アルドが一人、高らかに笑う。

「そうか、禁忌の悪魔! 貴様きさま、精神を操る秘術でも行使こうししたか」

 アルドの激しい勘違かんちがいに、悠真は背筋に冷たいものを感じた。

「ち、違う。私は――」

「貴様は、もはや禁忌の悪魔ですらない。この悪神あくじんめが、討ち果たしてくれる」

 シャルの言葉をさえぎり、アルドは手にした剣を構えた。


まどわされるな。彼らは、もう人ではない。悪神の傀儡かいらいとなり果てた妖魔ようまだ」

「なんっ……で、そうなんだよ!」

 シャルの前に出てから、悠真は拳を構える。アリシアが、悠真の左隣に並んだ。

常軌じょうきいっした情報のせいで、混乱してしまっているみたいね。気が高ぶった者にはありがちかしら。それにしても、私の提案はこれですべてご破算はさんとなったわね」

「何もかも全部、お前のせいだから。この責任、ちゃんと取ってもらうからね!」

 右隣に並ぶエレアが言い、剣を構えた。悠真のほおが自然と引きつる。

 どこまでアリシア達に説明したのかがわからず、悠真は漠然ばくぜんとした不安を覚える。少なくとも、シャルを外に連れ出したところまでは話されたに違いない。


みなさん、本当に、ごめんなさい。私……」

 シャルの震えた声を聞き、悠真は気持ちを改める。

「安心しろ、シャル。お前は何があっても、絶対に俺がまもってやる」

 悠真は前を見据みすえたまま、後ろにいるシャルに告げた。

 アルドが剣を高らかにかかげ、するどい切っ先を悠真達のいるほうへ向けてくる。

禁忌きんきの悪魔と傀儡かいらいとなりし妖魔ようまどもを討ち取る! 感情を捨て、討ち取れ!」

 聖印せいいん騎士団員がときの声をあげ、一斉に飛び出してくる。

 悠真は腹をくくり、胸に手を当てた。瞬間――周囲にただよきりが瞬時に深みを増す。

 一歩先すらも見えないほど、視界が曇ってしまった。


「なっ……」

 音を立てるほどの強風が吹き荒れ、みずうみの方角へと霧が流れていく。

 異常な事態に、悠真は困惑こんわくする。風が流れていく先へ視線を移した。何もなかったはずの湖に、一つの建物が緩やかに浮かび上がってくる。

「なん、だ……これは」

 悠真は声を絞り出してつぶやいた。

 漂っていた霧が薄くなった代わりに、まるで最初からあったかのごとく、円柱形の高い塔がそびえ立っていた。あおぎ見れば、土星に似た青い月に届きそうなほど高い。

 ところどころに濃霧のうむを着飾る巨大な塔は、だれの目をも奪う存在感を放っている。


「う、うそでしょう! まさか、きり摩天楼まてんろう? どうしてこんなところで……」

 戸惑とまどった様子のエレアが、驚きの声をあげた。

 悠真は、暖炉だんろのある広間でされた話を思いだす。

「ア、アルド団長。宮廷きゅうてい法術士団からの進言通り、霧の摩天楼が出現しました!」

 リアンの発言中に、悠真は塔の上から何かが落ちてくるのが見えた。

 少女の姿に見え、悠真は無意識に手を虚空こくうへと差し出す。

「な、危ねぇ!」

 足先から湖に着水する寸前で――透き通るような白い肌をした少女が、ゆっくりと水面に舞い降りた。湖上こじょうやさしく跳ねながら、可憐かれんに悠真達側へと寄ってくる。


 空色の髪を後ろへと大きく払い、白い衣に身をつつんだ少女は塔を背にした。

 やや離れた位置で立ち止まり、無表情のままに言葉をつむいだ。

われは霧の摩天楼の使者、ミアスト。百年に一度の摩天楼へ挑戦できるのは……」

 ミアストは、すっと指を差した。

 その方向から、悠真は自分が指されたのだと思う。

正体しょうたい不明、過去の記録一切なし、漆黒しっこく籠手こてを装着した黒髪の青年」

「え、うわ、やっぱ俺かよ!」

 あまりに唐突とうとつすぎる選出に、悠真は体をらせて驚いた。

「ふ、ふざけるな! なぜ、その男なのだ!」


 声を大きくあらげ、アルドが抗議こうぎした。その『なぜ』は悠真も同様に感じている。

 ミアストは何一つ反応する気配もなく、アルドを完全に無視むししていた。

「銀髪の少女――シャルティーナ。マルティス帝国の少女、アリシア・マルティス。レヴァース王国の少女、エレアノール・エヴァンス。以上が、塔に選ばれし者達」

「う、うそでしょう。私も?」

「どうやら、私達全員が霧の摩天楼に選ばれたみたいね」

 表情を強張こわばらせるエレアに次いで、アリシアが緊張した面持ちで声をつむいだ。

「私も……?」

 シャルのか細い声には、不可解そうな響きがこもっていた。


「ま、待ってくれ。頼む、私にも挑戦する資格をくれ! 頼む、お願いだ!」

 冷静なアルドの必死さに、悠真はやや唖然あぜんとなる。彼から余裕よゆうが消えている。

 覇者となった者には、神々の品が与えられると言っていた。そこにアルドが欲する何かがあるのか――少しばかり、答えの出ない妄想もうそうをする。

主様あるじさまから許可されました。レヴァース王国騎士団、アルド・フルフォード。並びにリアン・ティアガースの二名も招待します。これ以上の変更は認められません」

 終始無表情で、ミアストが淡々たんたんと告げた。

 周囲を薄くただよう霧が、次第に選ばれた者達全員の体にまとわりついてくる。

「うわ、なんだ、これ……あ、くすぐったい! うぁあはっはっは、やめろよ」


 少しずつ、悠真の体が持ち上げられていく。

 そびえ立つ塔の扉が仰々ぎょうぎょうしい音を立ててひらき――

「ちょ、待て待て待て! おっわぁあああ!」

 選ばれた全員が、吸い込まれるようにして塔の中へ素早く連れ込まれた。

 漆黒しっこくつつまれる闇の中で、浮遊感だけが悠真の感覚のすべてを支配した。



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