第二十九幕 すれ違う想い



 重みのある不安を胸につのらせる悠真は、真摯しんしにシャルと視線を交わらせていた。

 銀髪を風でなびかせる彼女は、かすれがちな声でつぶやく。

「悠真さんが、別の世界……異世界の住人?」

「こうやって喋れるのも、闇の精霊王が頑張ってくれたみたいなんだが、きんじられた古代の秘法は想像を絶したらしい。結果、聞くのと喋る以外は理解できないんだ」

「だから……悠真さんは、文字がまったく読めないんですね」

 けわしい表情を浮かべたシャルが、斜め下へと顔をらしていく。

 自分が彼女の視界には入っていないと理解しながらも、悠真はうなずきでこたえる。


「ああ……それにな、秘力ひりょくや精霊の適性がないのもそうだ。俺のいた世界じゃ秘力を持った人なんかいないし、精霊もいない。まぁ、ぽいものや、都市伝説的なものならあるが、実際の真偽しんぎは知れずだな。俺にないと知ったのは錬成具れんせいぐで調べたときだ」

 シャルが顔を上げ、またせる。何やら疑惑ぎわくてきな雰囲気がただよっている気がした。

「あ、いや、信じられないかもしれないが、これは全部、本当の話だから」

「悠真さんのいた世界は、どんな世界だったんですか?」

他国たこくはよく知らないが、俺の住んでた国は平和かな。錬成具みたいな機械ってのにあふれててさ、この世界じゃまだ見たことないけど、商業都市の人の流れぐらいに走る馬車のような機械とか、そういう文明の利器りきで作られた物が星の数ほどあるんだ」


 日本にいたころの記憶を、悠真は脳裏のうりに思い浮かべていく。

「子供の頃は学業に専念してて、それぞれの人生を歩むために頑張るって感じだな。この世界でもたぶん同じだとは思うんだが、大人になると自分にあった職にいて、お金を稼がなきゃならない。俺のいたところは、お金がすべてだったから」

 話している最中さいちゅう、悠真は上手うまく説明できているのかどうか自信を失う。

 こうして話して初めて、住んでいた国の説明が難しいものなのだと知った。

「ごめん。俺の説明じゃ、わかりづらいかもな――たぶん普通の世界だったと思う。獣人族じゅうじんぞくとか爬人はびとぞくとかいないし、死霊みたいな化け物も何もいないんだ」

 顔を上げたシャルを見て、悠真は目を大きく見開く。


 静かに涙を流しながら、彼女はやさしげに微笑んでいる。それは無理をして作られた笑顔なのだと、すぐにわかるものであった。

 焦燥感しょうそうかんおそわれ、悠真は激しく戸惑とまどう。

「な、あ、え? ど、どうしたんだ、シャル……」

「私みたいな、禁忌きんきの悪魔も、いない世界ですか?」

 かすれた声で、シャルが途切とぎれ途切れに質問した。

 悠真はできる限り心を落ち着かせ、ゆっくりとうなずく。

「あ、ああ、いないな。あのときにも言っただろ。そんな産まれかたをしたとしても、俺のいた世界なら奇跡きせきって言われるぐらいだ。ただそれだけで終わる話なんだ」


「悠真さんを見ていたら、なんとなくですが、わかります。本当に……とても、いい世界なんでしょうね。悠真さんのようなかたがいるぐらい、本当に素敵すてきな……」

 シャルは唇をみ締め、嗚咽おえつらす。

「じゃあ、いつか、そんな世界に……」

 シャルはそこで、ぶつりと言葉を止めた。

 そんな世界に行きたいとでも言いたかったのか、シャルにまだその部分に関しての説明をしていない。もう二度と、世界と世界をつなぐ秘法を扱える者はいないのだ。

 さらに悠真からすれば、地球には二度と帰ることができない状態にすらある。

「ああ……あのさ、シャル。そういえばな」


「ごめん、なさい。少し、一人にさせて、ください。おやすみなさい」

 シャルが口早に告げてから走った。悠真は咄嗟とっさに、右手を前に伸ばす。

「あ、おい、シャル……」

 一人にさせてほしいとの言葉が、追おうとした悠真の足を止める。

 風のやんだ音のない静かな場所で、悠真は上げた手を下ろして立ちくす。周囲にただよきりと同様、どこか気持ちが晴れない。妙なしこりが胸に残った。

 悠真はシャルが流した涙の理由を模索する。あれほど泣くのは少しただならない。説明が下手へただったせいで、何か変な誤解ごかいを生んでいる可能性が浮かんだ。

 もっとしっかり考えてから、事実を打ち明けるべきだったと反省はんせいした。


 やんでいるひまなどない。これからどうするべきなのか真剣に思案する。

 シャルの泣いた姿が脳裏のうりにこびりつき、悠真の頭が上手うまく働かない。思考が二転、三転としたところで、もっと話し合うべきだと結論を導いた。

 問題はどう切り出せばいいか――今頃いまごろは、用意された部屋に戻ったに違いない。

 時間が長引けば長引くほど、話し合う機会を逃してしまうのはよくわかっている。だが、また考えもせずに進むのも、馬鹿ばかだとしか思えない。

 はやる気持ちを抑え、物事の順序をきちんと固めていく。

 悠真は深呼吸してから、シャルの部屋に向かおうと足を踏み出した。その瞬間――視界の端で、霧にじょうじた不吉な影をとらえる。


 なかば反射的に体がった矢先、くうを切り裂く音が耳へと届いた。

 悠真の全身に、不意の戦慄せんりつが駆け抜けていく。

「こちら暗部あんぶ禁忌きんきの悪魔の信徒を、孤立こりつした屋敷のあるみずうみきわで発見した」

 重い響きのある野太い男の声がした。

 足の先から頭の先まで、白い布でおおかくした者が悠然ゆうぜんと立っている。

 まるで忍者を彷彿ほうふつとさせるちであった。しかし顔の形を見ると人ではない。口に当たる部分が、犬やおおかみのように出っ張っていた。

 手に携帯電話と酷似こくじした物が握られており、そこから別の男の声が飛んだ。

《了解。すぐに増援ぞうえんを送る。絶対に逃がすな。場合によっては、その場で殺せ》


 通信機と同じ役割の錬成具らしい。漠然ばくぜんと、白ずくめの男の正体しょうたいを理解する。

「お、お前、まさか……」

「こんな場所に潜伏せんぷくとは、アルド団長のかんが正しかった。いいか、抵抗はするな」

 白ずくめの男が、上半身を低く構える。犬が威嚇いかくするときに見せる姿と似ており、明らかに獣染けものじみた格好であった。悠真の背筋に、悪寒おかんが駆け抜ける。

 尋常ではない速度で距離を詰められ、白ずくめの男が片腕でぎ払う。

 悠真は不格好ながらかがんでかわした。そばにあった大樹がきしみ、倒れる音が響く。

 男の手には、にぶく光った短剣が握られていた。

(おかしい。あの長さじゃ切れないだろ。秘術か。つか、殺す気満々まんまんじゃねぇか)


 後退して距離を離しつつ、悠真は黒い指輪に意識を向けた。まばゆい光から、ひじの付近まである漆黒しっこく籠手こてを誕生させる。

 即座そくざに拳を構えると、白ずくめの男も警戒けいかいした様子で体勢を整え始めた。

(しかし、どうしてだ。なんで聖印せいいん騎士団の連中がこんなところに……)

 突然、右脚みぎあしからするどい激痛が脳に直撃した。

「ぐぁはぁあ――っ!」

 悠真は平衡へいこう感覚を失い、地に倒れ込んだ。眼前の男は、動いていないはずだった。痛みをこらえつつ、右脚のほうへ視線をすべらせていく。

 太ももから先の脚が離れており、血が等間隔とうかんかくてきいている。


「遅いぞ。最低でも、二人一組は規律きりつだぞ!」

「悪い、待たせた。でも、そのおかげで、すぐに連れて来られた」

 少し若い声が、対峙たいじしていた男とは別の方角から聞こえた。

 信じられない光景に、悠真は絶句ぜっくする。一瞬、思考が停止したのを自覚した。

 ざっと数えても十人以上――大勢の白ずくめの者に取り囲まれている。

 激痛とあせりが、同時に押し寄せてきた。き出る冷や汗が止まらない。

 悠真は全力で思考を働かせ、切り抜ける方法を探した。



        ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 用意された自室に戻ってきたシャルティーナは、どさっと寝台ベッドに倒れ込んだ。

 肌触りのよいけ布団にくるまり、身を小さく丸める。胸をきつく締めつける感情を必死に抑えるが、この気持ちはしずまるどころかふくらみ続け、息苦しさが増していく。

 悠真が異世界の住人という話は、素直に受け入れられた。

 むしろ不思議に感じていた大部分が、その告白で埋めくされたと言ってもいい。

 彼は禁忌きんきの悪魔がどういった存在なのか、本当に何も知らなかった。世界中を敵に回しても平然へいぜんとしているのは、きっと別の世界の住人だからにほかならない。

 自分のいた世界に戻ってしまえば、だれもおいそれと追ってはこられなくなる。


 きんじられた古代の秘法――闇の精霊王ですら、想像を絶するぐらいの秘法なのだ。そんなお伽噺とぎばなしにあるような秘法を扱える者が、ほかにいるはずもない。

 それ以前に、異なる世界から人を召喚しょうかんできる秘法が、この世界に存在していたこと自体、シャルティーナからすれば衝撃的しょうげきてきなものであった。

 たとえ秘法の件がなかったとしても、当然いつかは離別りべつしてしまうのだろう。

 心のどこかでわかっていながらも、自然と気がつかない振りをしていた。もちろん即刻そっこくというわけでないのも、きちんと理解している。

 ずっと先にある遠い未来の話なのかもしれない。それでも異世界の話を聞かされ、終わりの始まりとも言える現実がすぐ目の前に感じられた。


 もっとそばにいたいと願ったシャルティーナからすれば、悠真からされた告白は突き放されたのにひとしい――違う、これはただのままでしかないのだ。

 何度も何度も〝仕方ないこと〟だと、シャルティーナは自分に言い聞かせる。

 そうやって気持ちを押し殺すたびに、胸が張り裂けてしまいそうな苦痛がいた。彼の傍にいたいと願う欲求が、際限さいげんなく生まれてくる。

 次第に息遣いきづかいもあらくなり、涙があふれて止まらない。

 たった一日の出来事――昨日までは、考えすらもしなかった。人目を気にして身をかくし、こそこそと生きて、そしていつの日か人生を終える。

 それが自分の人生なのだと、勝手に決めつけていた。


 だから日々ひびの暮らしは、自分にとっての小さな幸せを探す作業でしかない。

 目が喜ぶ色とりどりの草花や、鼻先をくすぐる香りに幸せを感じるのだ。

 心地のよい水にれ、あるいは身を預けてしまうのも幸せに感じられた。

 空をあおぎながら、暖かなだまりにつつまれて眠るのを幸せと感じている。

 こうした小さな幸せが、シャルティーナにとっては生きる支えでもあった。ニアとヨヒムがいない間、そうやって〝十六年間〟もたったひとりで生きてきたのだ。

 闇が支配する孤独こどくな夜に、こっそりと泣いた日は数えきれない。そんな昨日までの自分は、彼との出逢であいをさかいに、もうこわれて消えている。

 しかし何を思ったところで、彼は異なる世界の住人で、この世界の住人ではない。


 彼が去ったあとはまた、たった独りだけの世界に自分も戻るしかないのだろう。

いや、嫌よ、嫌……もう、独りは、嫌)

 そう思った矢先、窓側から荒々あらあらしい物音が鳴り響く。なぜか妙に不安をき立てる物音に驚き、シャルティーナの体が瞬間的に痙攣けいれんしたように跳ねた。

 おそおそる布団をぎ取り、涙をぬぐいながら窓のそばに立つ。

 硝子がらす窓越しに外へ目を向けてみたものの、深いきり邪魔じゃまで見えづらい。

 風の流れでのぞけた霧の隙間すきま――シャルティーナは目をき、恐慌きょうこうをきたす。

「ゆ、悠真さん!」

 自然とシャルティーナは、かれれた声で叫んだ。


 正確な数まではわからない。白い衣に身をつつんだ者達がみずうみの付近に立っている。

 そしてその白ずくめの者達が、地にした悠真を取り囲んでいた。ほどなくして、また霧が邪魔をする。何も見えなくなり、シャルティーナは激しく錯乱さくらんする。

 彼が生きているのかどうか、そこまでははっきりと確認できなかった。

 手や唇が小刻こきざみに震え、次第に足のほうから力が抜け落ちていく。あまりの光景に頭の中が真っ白になり、シャルティーナはすとんとへたり込んだ。

 はっとわれを取り戻したシャルティーナは、即座そくざに気力を振り絞って立ち上がる。

 アリシアの自室へと、急ぐ足をさらに速めた。



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