第二十八幕 真実の告白



 薄暗い暖炉だんろの広間にある窓から、海月かいづきの青い明かりが柔らかに射し込む。

 シャルティーナは一人腰を下ろし、ぼんやりと部屋内の景色を眺めていた。

 気分が高揚こうようしているからなのか、上手うまく寝つけない。その理由は、わかっている。昨日の出来事できごとは、シャルティーナにとって強大ともいえる変化をもたらした。

 ニアとヨヒムと接していた悠真と出逢であった瞬間から、すべてが変わって――違う、こわれていったと表現したほうが正しいのだろう。

 昨日までの自分は、もうどこにもいない。

 シャルティーナは一つ一つをみ締めるように、今日一日を振り返っていく。

 商業都市で彼と出逢であい、言葉を交わし、そして一緒に食事をする流れとなった。


 自分は、禁忌きんきの悪魔――平穏へいおんに済むわけがない。食事をしていたお店のいざこざに巻き込まれ、正体しょうたいが明るみになったシャルティーナは、一人でその場から去った。

 結果、騎士団と衛兵達に自分の存在がれ、討伐とうばつ寸前までおちいったのだ。

 あのときに、自分の人生は終わるものだと心から覚悟を決めた。しかしあれからもまだ、シャルティーナの人生は続いている。

 危険をかえりみず、彼が騎士団や衛兵達のれから救い出してくれたからだ。

 屋敷の庭園で意識を取り戻したあと、その事実を知ったシャルティーナは、小さな幸せをくれた彼にひど迷惑めいわくがかかると思った。そういった理由から、救ってもらえた事実を頭ごなしに否定し、そんなやさしい彼を強く怒鳴どなりつけてしまう。


 いっそきらわれてしまったほうが、彼のためになるとシャルティーナは考えた。

 冷静になって振り返ってみれば、ずかしいぐらい錯乱さくらんしていたものだと思う。

 あの瞬間も、そして今も、ずっと胸が張りけそうに苦しい。彼がそばにいるだけで無性に胸が痛くなる。けれども、いやな苦しさや痛さではない。

 もっと別の、シャルには表現しきれない何かであった。

 それからほどなくして、今度は紅髪べにがみの少女と出逢であう。ここで本当の意味で、自分の中にある世界がもうこわれたのだと、シャルティーナは再認識する。

 本来、人が近づけば、頭巾ずきん目深まぶかに被るのがあたりまえの行為こういだった。


 それはもはやくせに近いもののはずなのだが――エレアノールの目にまったとき、シャルティーナはそんなあたりまえの行為をすっかりと忘れていた。

 昨日までの自分が現在の自分を見たら、くるっているとしか思えないだろう。

 最初は敵を見る眼差しだった彼女も、悠真と接していくたびにある変化を見せる。まるで友人と接しているような、柔らかな眼差しへと変わっていったのだ。

 命懸いのちがけの戦闘をたあとは、もう普通に名前を呼んでくれるようになっていた。

 そして最後に、マルティス帝国の皇女こうじょであるアリシアと出逢であう。盗み聞きしていた様子の彼女は、はなから禁忌きんきの悪魔を見る目ではなかった。

 何もかもすべて、彼を中心に事は巡り巡っている。


 彼がそばにいるだけで、これほどまで世界はあざやかに明るく、そして違って見えた。

 呪われた屋敷から外へ出た矢先、シャルティーナの胸は別の意味で苦しんだ。

 魔導まどう生命体を破壊はかいし、呪われた屋敷から脱出し、聖印せいいん騎士団の手からも逃れて――こんな非日常のすべてが、あっけなく終わる気がした。

 これ以上、禁忌の悪魔に関わっている理由も意味もない。

 あとは各々おのおのがそれぞれの世界へ帰るのがあたりまえで、仕方がないと覚悟した。

 そこでシャルティーナは、やっと自分の気持ちを理解する。

(もっと、一緒にいたい。もっと、そばにいたい……)

 未知の世界を知り、心からそう望んだ。


 しかしこれは単なるままで、禁忌の悪魔が望んでもいい願いではない。

 だから必死になって、自分の心を押し殺していた。

『シャルが普通の人として暮らせる場所を探してあげたいと思ってる――』

 この言葉が、シャルティーナを少し我が儘にさせる。世界中を敵に回してもなお、それでも彼はそばにいてくれるとわかったのだ。

 正直、シャルティーナは自分の気持ちの正体しょうたいを、正確にはつかめていない。

 これまでの人生、一度も感じた経験のない異質で言葉に言い表せない感情だった。少なくとも、読みふけったどの書物にも載ってはいない。

 ただ、彼が傍にいれば、いつかその正体を掴める気がした。


 高鳴る胸を抑え込むため、シャルティーナは腕で自身をやさしく抱き締める。

 ふと恐怖が身を強張こわばらせる。記憶を失っている箇所かしょがあると話していた。

 もしも記憶がよみがえった場合、どういった変化をもたらすのか――禁忌の悪魔に接していたのも、もともとは記憶がないからにほかならない。

 知らぬ間に手が震えていると、シャルティーナは気づいた。

 息苦しくなり、視界が暗さを増し、少しずつせばまる。

 世界のいろがはらはらとがれ落ちていくような喪失感そうしつかんが、心を支配していく。

「お、シャルじゃないか」

 彼のさり気ない声が聞こえ、シャルティーナの心臓は再び破裂はれつしそうになった。



        ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 悠真は机をはさみ、シャルとは反対側の席に座った。

「まだ起きていたのか。どうした、寝つけないのか?」

 薄暗くて少し見えづらいが、シャルが顔を赤らめている。

「ははっ、別にずかしがることじゃないだろ。俺も子供みたいに寝つけないんだ。まあ、フェリアエスが施してくれた術のおかげだと思う。元気があり余って困るな」

 依然として顔をせるシャルを見て――いまだに顔が赤い。

 屋敷までの道中、肌寒い中を歩いてきた。

 そのせいなのか、悠真は途端とたんに不安になる。

「お、おい、まさか風邪とか何かの病気とかじゃないだろうな」


 素早く立ち上がり、悠真はシャルとの距離を縮めた。

「あ、あ、ああ、あの、あの……」

 気づかれまいとしているのか、あわてたシャルの素振そぶりが不自然であった。

 悠真はすっと隣に腰を下ろし、シャルのひたいに手を当てる。

 火照ほてった熱さはあるが、病的なほどではない。ただ、自分の知らない異世界特有とくゆうの病気をわずらっている可能性が浮かぶ。シャルの銀色の瞳を、悠真はじっと見つめた。

「なあ、体調は問題ないか?」

「……少し、ちょっと、熱くなっただけです」

 言われてみれば、部屋は少しばかり熱気ねっきがこもっているようだ。


 シャルの息遣いきづかいに異変は見られず、無理してかくそうとしている雰囲気でもない。

 本当に問題がないと判断し、悠真はほっと胸をで下ろす。

「そっか。何か病気かと思って焦った」

「ご、ごめんなさい……」

「いや、病気じゃなくて本当によかった」

 しんと静まり返ったが、長くは続かなかった。

「あ、あの、悠真さん」

 シャルが言葉を止めた。彼女からかもされる空気感が、やや硬く感じられる。

「……悠真さんは、ところどころ記憶を失っているんですよね?」


「ん、あ、お、おう」

「もし記憶が全部よみがえったら、どうなると思いますか?」

 真面目まじめな顔でシャルが見つめてくる。唐突とうとつな問いに、悠真は少し困った。

「どうって……うぅん」

 悠真には、答えづらいものであった。実際のところ、記憶など失っていない。

 記憶を失った試しもまたなかった。

 本当に記憶を失った者がよみがえった場合、どうなるのか思考を巡らせる。

「悠真さんが、禁忌きんきの悪魔を気にしないのは、おそらく、記憶を失っているからで、もしも記憶がよみがえったら、どうなるのか……」


 訥々とつとつと、シャルは整理のできていない言葉を並べた。

 記憶がよみがえった場合、接し方が変わってしまうのかもしれない。そんな懸念けねんいだいているのだと、悠真はそれとなく察する。

 これまでシャルは自分の正体しょうたいを明かし、真摯しんしに接してくれている。

 反対に悠真は、正体を明かさずに誤魔化ごまかして接し続けていた。そのすえにシャルは、ありもしないうそ戸惑とまどいを覚え、胸に不安をかかえてしまっているのだろう。

 悠真は自分が卑怯ひきょうに思えた。彼女の銀色の瞳を見据みすえ、短く息を吐く。

「あのさ、シャル――」

 ふと悠真は思いだし、自分の体をくまなく調べる。


 シャルの眉間みけんに力がこもり、怪訝けげんそうに首をかしげた。

「あ、いや、また盗聴的なやつがねぇかと思って」

 部屋に仕掛けられている可能性も捨てきれない。悠真は静かにうなる。

「ああ、あのさ。大事だいじな話があるんだ。ちょっと、外に出ないか?」

 シャルはわずかに驚いた顔で固まり、それからぎこちなくうなずいた。

 玄関から外に出るなり、ただよう霧が少し濃くなった気がする。

 霧をまとう庭園のすぐ近くにある、みずうみのほうを目指して悠真達は歩いた。

 湖のそばに一本の立派りっぱな大樹がある。見通しのいいひらけた場所であるため、何かが仕掛けられているとは考えづらい。悠真達は大樹を前にして立ち止まった。


「ここなら、いいか」

 シャルを振り返り、悠真は両手を腰に置いた。

「ここだけの話にしてくれ。シャルにだけは、ちゃんと伝えておきたいんだ」

「あ、はい……」

 半開きの拳を胸の前にえ、やや強張こわばった面持ちでシャルが顔をしずませた。

 か弱そうな少女の不安げな仕種しぐさを眺めながら、悠真は腕を組んだ。

「あのさ……本当は俺、記憶を失ってなんかいないんだ」

「えっ――?」

 心持ち声を裏返らせたシャルが、驚愕きょうがくに満ちた眼差しになった。


「ところどころ記憶を失っているって話は、ありゃ全部うそだ」

「ど、どうしてそんな嘘を……?」

「全部が全部、嘘ってわけじゃない。俺はこの世界を、本当によく知らないんだ」

 シャルは混乱したように、右に左にと何度も首をかしげる。

「俺は、日本と呼ばれる国にいた。そこは秘術もなければ、錬成具も何もないんだ。闇の精霊王が、世界と世界をつなきんじられた古代の秘法で俺をこっちへ召喚しょうかんした」

 目許をゆがめるシャルに、悠真は緊張しつつも事実を言い切る。

「俺はな、シャル……このネクリスタって呼ばれる星で生まれ育った人間じゃない。地球と呼ばれる惑星にいた、別の世界――異世界の人間だ」


 この告白が、どんな効果をもたらすのか想像もつかない。

 彼女は、ただただ固まっていた。

 肌寒い夜空の下、悠真は自分の選択が正しいのかどうか、何もわからなくなる。

 柔らかな風が流れ、そばにある大樹の葉がれ合う音だけが広がった。



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