第二十六幕 自分のことは後回し



 アリシアの真紅しんくの瞳に見据みすえられ、悠真は話の続きを待つ。

万物ばんぶつの〝何か〟から、途方とほうもない時間をかけて、精霊は静かに誕生するの。それは花や木だったり、あるいは火や水だったりと本当にいろいろね」

 お伽噺とぎばなしを語る口調でアリシアは言葉をつむぎ、悠真は黙って耳をかたむけた。

 万物から誕生する精霊は、同様に誕生した精霊達と生活を共にする。やがて多くの精霊の中で力をつけた精霊がしゅとなり、ほかの精霊を統括とうかつしてみちびく存在となる。

 精霊主せいれいしゅとなった精霊は、ある領域――つまりは一つの精霊界を築き上げ、自分達の領域をまもるために、ほかの精霊達とさらに力をつけていく。

 こうして一つの精霊界は徐々じょじょに拡大し、多くの精霊主と精霊が誕生する。


 ある一定数の精霊主が誕生すれば、今度はその精霊主達の中でもっとも力を持った精霊が大精霊になり、果ては精霊王へといたるらしい。

 仮に精霊が死んだ場合、あふれんばかりの高濃度な秘力は、精霊界へと還元かんげんされる。そうやって新たに精霊達が誕生するかてとなり、精霊界の秘力は循環じゅんかんするのだ。

「だから厳密げんみつに言えばね、精霊自体に人と同じような魂という概念は存在しないの。精霊それ自体が、魂と形容してもいいのだから」

 悠真は首をひねる。それならば、闇と水の精霊達が言った魂が何かがわからない。

「わからない? つまり、精霊達は存在そのものをあなたにそそいだの」

 ようやく悠真は理解に到達とうたつする。本来、精霊界で循環されてしかるべきなのだ。


 人で例えるなら人生でた経験、知識、技術をつぎ込んだにひとしいのだろう。

 精霊王からの置き土産みやげだと思っていた。何も知らない自分に、教えてくれているのだと呑み込んだ――実際は、存在そのものを注ぎ込んだからにほかならない。

 余裕よゆうもなかったからだが、そこまで深く考えてはいなかった。

 アリシアに言われ、改めて考え直し、とても複雑な心境になる。

(俺に、そこまでしてくれる価値が、本当にあったのかよ……?)

 すべてがそのまま、悠真に移植いしょくされているわけではない。魂に溶け込んだ精霊達の本心までは、悠真にもわからない部分であった。

 なんとも言えない心情にひたっていると、アリシアがやや興奮した様子を見せる。


「長い歴史をすべて振り返ってみても、だれ一人として存在していないわ。悠真君は、巫術士ふじゅつしにとっては未知となる第四の手段……そうね、転化型てんかがた行使こうしできるわけね」

 アリシアは両手で机をたたき、大きく身を乗り出した。彼女の胸が激しく揺れ動く。

「凄いわ、悠真君。こんなの捨てて置けないわ。私も、あなた達について行くから」

 きぬを思わせるなめらかな肌、たわわに実る豊満ほうまんな胸――悠真の目は釘づけになる。

「お、おぉ……」

 不意に、悠真の左側の太ももが。二回ほど軽く叩かれたのに気づいた。

 左側に座っているシャルが、小首をかしげながら微笑んでいる。

 見惚みほれるような銀色の瞳の奥に、どこか怒った色が見えかくれしている気がした。


「話を聞いていますか? アリシア様が、ついて来るとおっしゃっていますが」

 正気しょうきに戻った悠真は、あわてて言葉を返す。

「いや、だめだろ。言っただろ、これ以上迷惑めいわくはかけられない」

 しかしアリシアは、さらにその身を乗り出した。

「別に構わないわよ。そんなものどうでもいいと思える価値が、悠真君にはあるの。これは長い巫術士界隈かいわいの歴史に、新たな一枚を加えかねない話だわ」

 狙ってやっているのではないか――そう勘繰かんぐるぐらい、彼女は胸を強調してくる。もしそうだったとしても、その術中に男の悠真ははまらざるをない心持ちだった。

 アリシアが、すっと椅子に座り直す。つやのある唇に微笑みをたたえた。


「悪い話ではないはずよ。私の知識は、必ずあなた達の役に立つわ。旅の資金だって工面くめんできるし、食料の調達から隠れ家的な宿の手配も可能。それより何より――」

 アリシアはおもむろに、自身の腹部にある衣服のすそめくり上げていく。

 あまりに突拍子とっぴょうしもない彼女の奇行きこうに、悠真はぎょっとする。何を考えているのか、気がれたのではないかと疑うほかない。

 ほどなくして、彼女の行動理由になった思われるものが視界に入った。傷一つないなめらかさをきわめた肌に、小さなタトゥーがきざまれていたのだ。

「私は、火の大精霊ラシーアから寵愛ちょうあいさずかった者なの。適性を測る錬成具でなら、七つ光るってところね。つまり、巫術士ふじゅつしとしてのくらいを高める指南しなんができるわ」


「あの小さな犬みたいなのって、大精霊だったのか」

「ふふっ。それでどうかしら。いい条件と思うのだけれど――」

 懸念けねんの大半を捨て去れるぐらい、最高の条件だといっても過言ではない。

 アリシアが着ている衣服を整えながら、ぼそっとつぶやく。

「それに悠真君にとっては、私の〝おっぱい〟がいつでも見られるわね」

 そのアリシアのつけ加えに、悠真はあわただしく立ち上がった。

「別に、それは関係ないだろ! 別におっぱいとか、好きなわけじゃねぇから!」

「あら、そう?」

 見透みすかしたような目をして、アリシアがくすりと笑う。


 いたたまれない気持ちになり、悠真は頭を軽くきながらシャルを向いた。

 銀髪の彼女は、じっとりとした眼差しでにらんできている。

「うっ、あぁ……ど、どうする、シャル。俺はさ、この世界のすべてがわからないと言っても過言かごんじゃない。だから、アリシアの知識や頭の切れは確かに魅力的みりょくてきだ」

 少し考え込む姿勢を見せたあと、シャルは静かにうなずいた。

「お二人が問題ないとおっしゃるのなら、私に拒否きょひする権利はありません」

 どこか事務的な返しをしたシャルに、悠真は腰に手を置いてから首を横に振る。

「権利とかじゃない。シャルがどうしたいのか、シャルの気持ちを知りたいんだ」

 シャルは目を見開き、顔をせた。


「これまで、私は……一人でした。でも、悠真さんに出逢であえて、エレアノールさんとアリシア様と出逢えて、今、本当に人として、生きている気がするんです」

 途切とぎれ途切れに語ったシャルが、ほがらかに微笑んだ。

「こんな気持ち初めてで、合っているかわからないですが、凄く楽しいです」

 悠真も、シャルに微笑んでこたえる。

「そっか。そういうことだ、アリシア。しばらくの間、よろしく頼む」

「話がまとまってよかったわ。エレアノールさん、あなたはどうするのかしら」

 アリシアの問いに、エレアは浮かない顔をした。

「私はまだ学生ですから、同行はできません」


「あ、いいえ。そうではなく、今回のことをだれかにらす可能性の話よ」

 悠真は目に力を込める。アリシアはエレアが裏切る可能性について考えていた。

「待て待て待て。エレアが、そんなことするわけねぇだろ」

「彼女は、あなた達を狙っている騎士団が仕える王国側の者なの。たとえ彼女に話すつもりがなかったとしても、彼女を〝殺して〟でも――あるいは精神系統の秘術で、情報を引き出そうとする者がいる可能性だってあるわ」

 悠真はうっかりしていた。ここは地球でもなければ日本でもない。

「確かに……精神系統の秘術まで行使こうしされたらわかりませんが、他言をしないだけの覚悟は持っているつもりです。シャルと接して、私も考えを改めましたから」


 エレアの解答に、アリシアはゆったりとうなずいた。

「それならば、あなたにやってほしい仕事があるの。今回の件から、王国側が禁忌きんきの悪魔に関してなんらかの策をこうじるでしょう。さいわい、あなたは王の切り札と呼ばれるおかたの娘ね。動向のみ上手うまく聞き出し、逐一ちくいち、私に伝えてくれないかしら」

「おい、それはエレアに国を裏切れってことじゃないのか。さすがにだめだろ」

「狙ってくるのは、彼女の国だけではないわ。それこそ……世界中を相手にするの。これぐらいしないと、シャルティーナさんはもちろん、私達もすぐに殺されるわ」

 悠真はうめく。それ以上の代案があるわけでも、対処法があるわけでもない。

「だからって――」


「それに……無理強むりじいはしないわ。諸々もろもろの判断は、彼女の意志にゆだねるから。ただ、出逢であったばかりの私を友人と思ってくれるのなら、協力してもらえるとうれしいわ」

 アリシアはずるい女だと、悠真は素直に思った。

 挨拶あいさつ片膝かたひざを地に着けるほど――そういう相手だからと理解している上での発言に聞こえた。そんな相手に友人としてとまで言われ、無下むげ拒否きょひできるはずもない。

「アリシア様は人が悪いです。友人として、とまで言ってもらわなくても……当然、私は協力させていただきます。シャルが殺される姿など、見たくありませんので」

 エレアは力のない声をあげた。

 落ち込んだ雰囲気を放つエレアに、アリシアはやさしげな声をかける。


「そう、よかったわ。でもね、エレアノールさん。友人と思いたい気持ちは本音よ。けれど、それ以上に私は手段をえらばないというだけの話なの」

 目をせたアリシアの顔に、暗い影が落ちた。

まもるべきものを護るためならば、手段を択んではいけないの。ただ、それだけ」

 アリシアもアリシアで、何か暗い過去をかかえていそうな気配が感じ取れた。

 内容を問う勇気は微塵みじんもないが、少なくとも彼女の言葉に間違いはない。一時的な感情や思考で、アリシアを否定してしまった自分がずかしくなる。

 行き当たりばったりではなく、真剣に熟考しているからこその発言なのだろう。

「アリシア、ごめん……」


「あら、何に対して謝罪しているの?」

 アリシアは悠真を見上げ、不思議そうに視線を重ね合わせてくる。

「その、本当に頼りにしている。だからこれからも、よろしく頼む」

「何かよくわからないけれど……ええ。こちらからも、よろしくお願いするわね」

 アリシアは人差し指を立てて、柔和にゅうわな顔をほころばせた。

「それでは、よろしくついでに、悠真君の転化を生で見させてもらえるかしら?」

「それはだめだ」

 悠真が腕を組みながら即答すると、アリシアは目を丸くした。

「な、どうしてそんな意地悪いじわるを言うの?」


「俺は、ここにいるみんなとは違って、秘力がまったくないからだ」

「そういえば、そんな話をしていたわね。錬成具で調べたって言っていたわね?」

 アリシアの問いに、シャルは困り顔をして首を縦に振った。

「悠真さんには、本当にどうしてかわからないですが、秘力がないみたいです」

「錬成具に不具合がある……というわけではなくかしら?」

 悠真が即座そくざに割って入る。

「闇の精霊王から伝えられた話だが、俺には秘力そのものがないんだ」

「では、悠真君は、どういった方法で転化を行使こうししたの?」

 怪訝けげんそうに、アリシアが首をかしげた。


 悠真は少しなやんでから、正直に告げる。

「生命力そのものをかてとして、俺は転化した」

 一同――三人の女達が、一斉いっせいに驚きの声をあげた。

 不安を宿した眼差しのシャルが、素早く立ち上がって悠真に詰め寄ってくる。

「悠真さん、だからあんな倒れかたをしたんですか?」

「お、お前! さすがに、それは絶対にだめよ!」

 気づけば、エレアが強張こわばった面持ちをして隣で立っている。

 悠真が戸惑とまどっていると、アリシアからうなり声が聞こえた。

 腰を下ろしたままのアリシアが、難しい顔をしながら静かな声で告げてくる。


「生命力をかてとするのは、お勧めできないわね。生命力とは、生きる力そのもの――生命力を糧に力を行使するのは、すなわち命を削っているにひとしいの」

 異性三人から、こうも非難ひなんめいた対応を受けると少し怖いものがある。

「……だからガガルダは、常に危険が付きまとうし、簡単に命を失うはめになるとも言ってた。それと使う場所は厳選げんせんしろってな。十数秒で俺は動けなくなったが」

「むしろ、それで済んでよかったほうだわ。一歩でも間違えていれば、いつ死んでもおかしくないの。本当に凄い力なのに、少し残念ざんねんね」

 アリシアは唇をとがらせ、不満そうだった。これには悠真も苦笑するしかない。

「でも、生命力を高める方法とかがあるかもしれないし?」


「どう、かしらねぇ……秘力を高める方法ならいざ知らず、生命力の高め方だなんて聞いた覚えがないわ。エレアノールさんとシャルティーナさんはどうかしら?」

 エレアとシャルは、そろって首を横に振っている。

 深く肩を落としてから、悠真は溜め息混じりにつぶやく。

「まあ、そこは……のちのち考えればいいか」

「現段階では二度と扱わないほうがいいわ。凄く見たいけれど、気になるけれど」

 アリシアは、好奇心を必死に抑え込んでいる様子だった。

(今は、シャルが安心できるようにしてやるのが先決だな)

 心配そうな眼差しで見据みすえてくるシャルに、悠真はやさしく微笑んでおいた。



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