湖の畔に建つ小さな古城

第二十五幕 これからの方針



 みずうみほとりに建つ小さな古城――

 別荘的な意味合いで建てられたのか、周辺はとても物静かで建物もない。代わりに草木に囲まれており、そばには計り知れない規模の湖が広がっていた。

 屋敷と聞かされていたのだが、古城と形容しても差し支えないだろう。石や煉瓦がもちいられた外装からは、それこそ吸血鬼が紅茶でもすすっていそうな印象がある。

 そんな雰囲気をかもした建物の内部、暖炉だんろのある広間に悠真達は集まっていた。

 景観を気にした室内装飾品も多いものの、どちらかと言えば生活感のほうが色濃くただよう。滞在たいざい期間はよくわからないが、整頓せいとんおこたった様子は見受けられない。

 使用人の姿もないことから、アリシアは綺麗好きなのだとうかがい知れた。


 悠真はひざに置いた手に、すっと視線をとどめる。

 激しい緊張になやまされており、必死に心を落ち着かせようと努力どりょくしていた。観察で気分転換をしてみたはいいが、どうやらたいした効果はられそうにない。

 シャルとエレアの二人にはさまれ、悠真は座り心地のよい長椅子に座っていた。

 そして机を挟んだ先には、アリシアが優雅ゆうがに紅茶をたしなんでいる。

 女が三人に、男が一人――今の今にいたるまで、気にすらしていなかった。こうしてよくよく考えてもみられたのは、切羽せっぱまる状況から解放されたからに違いない。

 まるで石像のごとく、悠真は体中がかちかちに固まる。

(なんだ、これは……どうして、こうなった)


 これまでの人生、まったく女っがなかったわけではない。人並みに女性と接する機会は普通にあったし、免疫めんえきがないというわけでもなかった。

 ただ、悠真が異性と接点を持っていたのは、中学校を卒業するまでの話で、接する機会があったからといって、なかのいい女友達がいたわけでもない。

 唯一ゆいいつの肉親であった母親がやまい他界たかいしたのもあり、中学校卒業後はすぐ職にいて生計を立てていた。そこにはほぼ男性しかおらず、女っ気はないにひとしい。

(事務の小母おばちゃんと、親方の娘さんぐらいか……)

 事務を担当していた年配ねんぱいの女性とは、仕事上接点も多く、よくしてもらっていた。親方の娘さんは四十代なかごろの既婚者で、会えば挨拶あいさつを交わす程度でしかない。


 それが今は歳もさほど変わらない、加えて目を疑うような美人達に囲まれている。

 悠真からすれば妙な気まずさがあり、居心地の悪い場だとしか感じられなかった。こういった展開は、これまで一度たりとも経験しない人生を歩んできたのだ。

 手汗握る静かな空間の中、優美ゆうびに紅茶をたしなんでいたアリシアが声を発する。

「さて、落ち着いたところで――」

 悠真は反射的に、胸の内側で否定する。

(まったく落ち着かねぇよ)

「これからの話でもしましょうか」

 紅茶の入ったカップを手元に置き、アリシアが視線を交わらせてきた。


「エレアノールさんが言った通り、世界中のどこを探したとしても……禁忌きんきの悪魔を受け入れてくれる場所は存在しない。それは、あなたが一番理解しているはずね」

 アリシアの真紅しんくの瞳が、銀髪の少女のほうへと流れた。

 浮かない表情をするシャルが、少しばかりあごを下げる。

「ただしこれは人類が生活している界隈かいわいの話であって、精霊が住んでいる界隈では、この限りではないわ。おそらく、そんな狭間はざまでこれまで生きてきたのでしょう?」

「はい。アリシア様がおっしゃった通り、私は精域せいいきに身をひそめて生活しています」

 何も知らない悠真にとって、二人のやり取りはよくわからないものだった。

「精霊の住む界隈かいわい? 狭間はざま?」


「世界中のあちらこちらに点在する、精霊達の領域というものがあって――精霊達が過ごしている精霊界とつながっている場所を、我々人類は精域せいいきと呼んでいるの」

 悠真は首をかしげ、軽く片手を振る。

「簡単に言えば、精域は家の敷地内で、精霊界が家の中みたいな感じか?」

 ほがらかな微笑みを浮かべ、アリシアはゆったりとうなずいた。

「けれど、精霊は人が精域にとどまっているのを、本来は極端きょくたんきらうわ」

「そりゃそうだろうな。他人が自分の敷地内で生活していたら普通は怖えし」

 アリシアに返したのち、悠真は椅子に深く背をもたれる。

「なるほど。それじゃあシャルは、ヨヒムとニアの精域せいいきで暮らしてたってことか」


「いいえ。私が暮らしていた精域は、別の精霊が統括とうかつしている精域なんです。ニアとヨヒムがそこの精霊と交渉をしてくれて、精域までは許可されていました」

「あぇ? ニアとヨヒムのいる精域なら、何も問題なかったんじゃないのか?」

 悠真が疑問を述べると、シャルは力のない苦笑をらした。

「私の力がおよばず、ですね。ニアもヨヒムも、高位の精霊界の精霊ですので……」

 シャルと食事をしているときの記憶を、悠真はぼんやりと掘り起こしていく。

 完璧かんぺきに記憶しているわけではないものの、親身になって説明をしてくれたシャルの言葉だけは、きっちりと頭の中に入れてある。

「ああ、わかった。あの適性やら強度やらの話につながるんだろ」


「はい。今の私では、ニアとヨヒムの住んでいる精域にすら入れません」

 シャルの言葉が終わるや、アリシアは両手の手のひらを重ね合わせた。

「悠真君の理解もられたところで本題に戻すわね。私は錬成具れんせいぐで耳にしていただけだからあれだけれど、シャルティーナさんは水と光の素質を持っているのよね」

「はい。そうです」

「悠真君は闇の精霊王と契約していて、水の精霊とも契約……したのよね?」

 契約とは少し違う気がした。そもそも、悠真に精霊の適性などないと思われる。

 精霊の適性を調べていた時点で、闇の精霊王はもう体内に宿っていたはずだった。それでも反応しなかったのだから、適性はないと考えるしかない。


 実際の真偽しんぎは知れないため、悠真はとりあえず曖昧あいまいに返事をしておく。

「ああ、まあ……たぶんな」

「それならば、同様の適性を持った水の精霊界――高位の精域せいいきを目指すのが妥当だとうね。高位であればあるほど、巫術士ふじゅつしの数は極端に減っていくのよ。それに加えて、だれもがおいそれと侵入すらできない場所ともなるわ」

「はぁ――なるほどな」

「もちろん、踏み込めるに見合った力をつける必要はあるわ。けれど、現状は二人の最大限である精域に身をひそめるのが、もっとも安全なのは間違いないわね」

 アリシアの提案を聞き、悠真は感心する。自分では絶対に出せない案であった。


 悠真は、視線をシャルに向ける。

 ちょうど彼女の顔も悠真を振り向き、小首をかしげて柔らかく微笑んだ。

「悠真さんがそれでいいのなら、私は構いません」

「そっか。それじゃあ手始めとして、その方向性にしておくか」

 アリシアが手をたたき、かわいた音を二度鳴らした。

「さて、今後の方針ほうしんも決まったところで、私の本題に入ってもいいかしら」

 アリシアの顔に、何やら不気味ぶきみな笑みが浮かんでいる。

「悠真君が言った通り、禁忌の悪魔と接点を持つのは、これ以上ない最大級の危険がつきまとうわ。それこそ、世界を敵に回してしまうほどにね」


 両手を太ももにえ、アリシアはゆったりとした口調で続けた。

「しかも世界中を敵に回している二人に、私は最良で最適な案までさずけたわ。もしもこれが世に知られたら、私はおろか、マルティス帝国もただでは済まないわね」

 悠真の頭の中で、いやな想像が巡っていく。

 アリシアの柔和な姿勢に、くずれは見受けられない。

「そうまでした理由は、悠真君。私は、あなたの存在が不可解で仕方がないの」

 冷や汗がほおを伝い、悠真は自然とアリシアから視線をらした。

「闇の精霊王ガガルダ。精霊界や歴史から姿を消した存在とつながった者が、今現在、私の目の前にいるわ。巫術士ふじゅつしとして興味を持たないのは、不可能と思わないかしら」


「ああ、まあ、そう、か? そうかなぁ?」

「さらには、水の精霊主フェリアエスの言葉――〝魂〟を持っていけ? 長い巫術士界隈かいわいの歴史から見ても、初めて耳にした言葉だったわ」

 悠真の右隣に座っているエレアのほうへ、アリシアの真紅しんくの瞳が向いた。

「闇の精霊王の名を呼んだときの、見たままを伝えてもらってもいいかしら」

「後ろから眺めていただけですから、曖昧な部分も多いと思いますが……胸の周辺に手を置き、闇の精霊王の名を口にした瞬間です。彼の全身が、黒い煙みたいなものにつつまれ、それが消えると、闇の精霊王が彼と入れ替わる形で立っていました」

 ふんふんとうなずき、アリシアはたわわに実った胸の辺りに握った拳を持ち上げた。


「巫術士にはね、おもに三つの手段があるのよ。一つは召喚型しょうかんがた、二つは装具型そうぐがた、三つは憑依型ひょういがた。悠真君はどれに当てはまると、あなた自身は考えられるのかしら」

 アリシアが喋りながら人差し指、中指、薬指と伸ばした。

 少し黙っていたエレアが、首を小さく横に振る。

「最初は、憑依型が思い浮かびましたが、私は術者の姿や形まで大きく変化しないと学びました。次に、召喚型を考えましたが、術者と精霊が瞬時に入れ替わるのも……装具型は明らかに違いますので、いずれも当てはまらないと思われます」

 エレアが表情を曇らせ、顔をうつむかせた。


「私には、精霊の適正がありません。だから勉強不足かもしれませんが、これ以上は想像が難しいです。巫術士ふじゅつし自身が精霊そのものとなるのは、ある話なのですか?」

「いいえ、巫術士である私でも耳を疑う話ね。憑依型は容姿が多少変化する程度で、当然そのものではないわ。召喚型で巫術士がかくされることはあれども、精霊と瞬時に入れ替わるなんて話は聞いた記憶がない」

 アリシアが真摯しんしな眼差しで、また視線を交わらせてくる。

「だから説明してくれるかしら? もちろん、ここだけの話にしておくから」

 拒否権はない――彼女の雰囲気から、ひしひしと伝わってきた。事前に危ない橋を渡っているのを説明したのも、すべては情報をたいがためなのだろう。


 商業都市で再会したときにも思ったが、彼女は本当に頭がいいのだと再認識する。おそらく、算段さんだんとかを立てるのが得意なタイプに違いない。

 深く肩を落とし、悠真は嘆息たんそくした。どこまで話していいのか、何もわからない。

 闇の精霊王は、他言たごん無用むようだとは言っていなかった気がする。しかし話していいとも言ってはいなかった。今度ばかりは、話をにごらせるのも非常に難しく思う。

 悠真は考えを巡らせ、なやみ、迷い、そしてゆっくりと述べる。

「正直なところ、俺も全部を把握はあくしてるわけじゃない。ただ、夢の中でガガルダが、お前は大切たいせつな人の忘れ形見がたみで、自分の魂はもう消えかけている。だから、自分の魂をお前の魂に注ぎ込むってさ。それを聞いたのも、あの屋敷で気絶したときなんだ」


「大切……それは〝魂を渡す〟ほどに、なのかしら」

 小首をかしげるアリシアに、悠真は首を縦に振ってこたえた。

「らしいな。それでもし、自分の力が必要になったときは、胸に手を当てて名を呼べ――で、実際に実行してみたら、翼の扱いも秘術の扱いも俺にはよくわからないが、感覚的っていうのかな。まあ、なんとなくいろいろと扱えるようになってたんだ」

 アリシアの表情がけわしくなる。怒った顔ではなく、おそろしさで強張こわばる顔だった。

 自制でもしたのか、一度目を閉じたアリシアの顔がまたおだやかな表情に戻る。

「悠真君は……精霊がどう誕生するか、知っているかしら?」

 悠真が無言のまま首を横に振ると、アリシアがゆっくりとうなずいた。


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