第二十四幕 気持ちの変化



 アリシアの後姿を少し見送ったのち、悠真はシャル達のほうを振り返る。

「それじゃあ、俺達は平面図通りに進もうか」

 二人が不安そうに頷いたのを見てから、かくされていた壁の先に視線を移した。

 また下りの階段が続いている。

「純白の魂、明々めいめいと輝き夜の影を照らせ」

 シャルの秘術で、周囲は見違えるほどに明るくなった。

「ありがとう、シャル。でも、大丈夫なのか?」

「はい、ほんの少し回復しましたので、これぐらいならなんとかなります」

 無理をしている気配は感じられない。それでも、悠真は配慮はいりょする。


「できるだけ、早く切り抜けよう」

 聖母みたいなやさしい顔をして、シャルは小さくうなずいた。

 シャルとエレアを連れ、悠真は階段を駆け下りていく。

 無言の空気に包まれる中、ただひたすら階段を下り続けていた。異常なほど長い。地上どころか、もっと深い地下へともぐっている気がする。

 本当に出口があるのか疑わしく思う。改めて平面図を確認してみると、階段を降り切った先を右へと行けば、敷地外の外に出られるはずであった。

 不安が押し寄せているとき――地面が少しばかり揺れ動く。

 遠くのほうで、何やら爆発みた音がかすかに聞こえてくる。


 悠真の脳裏のうりに、アリシアの姿が浮かんだ。

(アリシア……)

 彼女の身を案じ、悠真は自然と立ち止まった。

 肩越しに階段の上を振り返る。ふとシャルが足を踏み外した瞬間をとらえた。

「あっ……」

「シャル!」

 悠真は素早く両手を広げてシャルを胸で受け止め、そしてかかえ込んだ。

 花を思わせる香りがふわりと流れ、鼻腔びこうをくすぐった。同時に、シャルの柔らかな体の感触も伝わってくる。はじより何より、悠真は心配が先立った。


「だ、大丈夫か、シャル!」

「あ、あの、あ、はい」

 ほお紅潮こうちょうさせ、シャルは小刻こきざみに首を縦に振る。

 ずかしげなシャルを見たからなのか、悠真も頬に熱が宿ったのを感じた。きっと自分も、シャルと同じで赤くなっているに違いない。

「いつまで抱きついているのよ、この変態!」

 エレアが腕を組んで、白い目で見下してくる。悠真よりも数段上にいるから、その結果として見下されているように見える――というわけではなさそうだった。

 悠真があわてて離すと、シャルがへたり込みかけた。咄嗟とっさに腕をつかんで支える。


 秘力を消耗しょうもうし、疲労が蓄積していると考えられた。

「シャル、恥ずかしいかもしれないが、ちょっとの間だけ我慢がまんしてくれ」

 悠真は前置きしてから、シャルの力のない両足に腕を通して背負せおった。

「ちょ、ちょっと、悠真さん!」

 恥ずかしがるシャルを無視むしし、悠真はエレアと視線を交わらせる。

「エレア、急ぐぞ!」

 階段を再び駆け下り、平面図にある出口を目指した。

 階段を下り切った辺りで、エレアがいぶかしそうに質問してくる。


「それにしても……お前、本当に何者なの?」

 漠然ばくぜんとした問いの解答を模索していると、エレアは続けて喋った。

「ちょっと、異常だと思うわ。世界中の誰もが恐怖する禁忌きんきの悪魔に、歴史から姿を消した闇の精霊王。それに、マルティス帝国の皇女こうじょ様とも知り合いだなんて」

 言われてみれば、奇妙なえんではある。悠真にとってはたった一日にも満たない。

「さあ、な。でも、エレアと知り合ったのだってそうだが、ただの偶然ぐうぜんだ」

「お前、記憶を失っているのよね? それって黒いもやが関係しているの?」

「ああ、まあ、うん。そうだな。たぶん」

 そこより前を話せないのだから、悠真は間違いではないと思った。


「精霊を召喚しょうかんするならいざ知らず、人の瞬間移動とか初めて聞いたわね。まあ、闇の精霊王と同格の精霊と契約を結んでいる人なんて、そうそういないと思うけど」

 ある意味では瞬間移動だが、厳密げんみつには異世界からの召喚が正しいのだろう。

 地球でも人の瞬間移動はできない。不思議な力であふれたこの世界でも同じなのだと知り、悠真は少し驚いた。どこまでが可能で不可能なのか、いまいちわからない。

(そんなものがあったら、逆に不安要素が大きくなるからありがたいが……)

 そうこうしている間に、前方に青白い光がかすかに差し込んでいるのが見えた。

 悠真は青い月の明りだと判断する。少しせまい出口を駆け抜けるや、み渡る冷たい風と、草木の濃い香りを強く感じる。


 周辺を観察すると、背の高い木々が生いしげっており、土星を思わせる青い月を映す大きなみずうみがあった。どうやら、深い森を突き抜けてきたようだ。

 出口となった場所は巨大な樹木の根でおおわれ、上手うまかくされている。

 外側からではどこが隠し通路への入口なのか、知らなければほぼわからない。

(さて、ここからどうするか)

 悠真が黙考していると、肩をつかんでいるシャルの手の力がわずかに強さを増した。いきなり気温が下がったため、肌寒いのか心配になった矢先――

「まあ、こんなところに出るのね」

 アリシアの声が聞こえ、悠真はびっくりしながら視線を移す。


「ア、アリシア! 驚かせるなよ。まあ、無事ぶじでよかったが……」

「ふふっ。ええ、お陰様かげさまでね」

 柔和に微笑むアリシアに、悠真は質問する。

「この場所、知っている場所なのか?」

 アリシアは周囲を眺めるように見回したあと、両腕を大きく広げた。

「だってここは、私が友人から借りた屋敷のすぐそばだもの……とはいっても、ここと反対側になるから、結構歩くはめになるのだけれどね」

「お、そうなのか」

「何よ、少し反応が悪くないかしら?」


 小さく笑い、悠真は首を横に振った。

「あ、いや……知っている場所に出たんなら、本当にありがたい話だな。ここら辺の地理が全然わからないから、どこか身をかくせそうな場所を教えてもらえないか」

「私の屋敷にくればいいでしょう? かくまってあげるわよ」

 あきれたと言わんばかりの短い溜め息をつき、アリシアが半眼でにらんできた。

 アリシアの提案に、悠真は苦笑交じりにこたえる。

「それは……だめだな。かなしい話だけど、シャルの存在が単純なものじゃないって、ちゃんと今はわかってる。アリシアに、そこまで迷惑めいわくはかけられない」

 肩をつかんでいるシャルの手が、再び強さを増した。


「別に、俺はいいんだ。どうせ天涯てんがい孤独こどくの身だからな。世界を敵に回したところで、たいした問題じゃない。でもさ……エレアは騎士団の親父さんがいて、家族もいる。アリシアにいたっては皇女こうじょなんだろ。だから、これ以上迷惑はかけられない」

 悠真は嘘偽うそいつわりなく、真摯しんしに告げた。

 吹き抜ける風の音のみが響く。沈黙の中、悠真は闇の精霊王の言葉を思いだす。

 世界を歩き、世界を知る――そして、銀髪の少女を救ってやれと言っていた。

「シャルさえよければ、って話なんだが……俺はこれから、シャルが普通の人として暮らせる場所を探してあげたいと思ってる」

 悠真は意識して微笑みを作って見せた。


「だから二人とは、ここでお別れだ。短い間だったが、会えてよかった」

「そんな場所――」

 エレアが顔をうつむかせたあと、気迫きはくのある眼差しでにらんでくる。

「そんな場所、あるわけないじゃない! だれもが知って、誰もが恐怖しているのよ。禁忌きんきの悪魔が世に存在している――たったそれだけで、世界中が不安になるの!」

 金色の瞳をうるませ、エレアは一歩前へと進んだ。

「わかっているわよ。誰よりも温かい治癒だった。こんな温かな秘術を扱える人を、私は知らない。でも、だから何? それを言ったところで、何一つ変わらないの」

 エレアは浮く涙をぬぐい捨て、なおも述べる。


「それにシャルは、ちょっとおかしい。これまでずっと、多くの人から迫害はくがいされて、殺されかけてきたはずなのに……どうして、そんな普通にしていられるの! 私には理解できないわ。どうして普通の人と、変わらずにいられるの! わからない!」

 すべて出し切った様子のエレアが、必死に声を押し殺して泣き始めた。

 言われてもみれば、確かに〝普通〟ではない。

 これまでの人生――人々からきらわれ、罵倒ばとうされ、場合によっては殺されかけ、いったいどれほど孤独こどくな時間を過ごしてきたのか、悠真には想像もつかなかった。

 ヨヒムとニアが、そばにいたおかげもあるのかもしれない。

 しかし話を聞く限りでは、ずっと一緒にいるというわけではないはずだった。


 少しして、シャルが静かな声をつむいだ。

「たぶん、私はエレアノールさんみたいに、人の温かさを知りません。精霊のニアとヨヒムが私のすべてでした。物心ついたころから……それがあたりまえで、それが私にとっての普通でした。だからなのかもしれませんね」

 シャルの声は、消え入りそうなほどはかなく聞こえた。

「それに、私だって……人や、世界や、自分自身までも、うらんだことがないわけではありません。どうして私だけなのとか、どうしてみんな、私をけるのとか。でも、私は私の普通で、私らしくありたいと、そう思ったんです」

「シャル……」


 悠真はそれ以上、シャルに対して言葉を出せなくなった。

 何か言葉をかけてあげられるほど、彼女のことをきちんとわかってあげられない。彼女の人生は想像だけでまかなえてしまうような、そんな単純なものではないと思う。

 つかの間をて、シャルは再び口を開いた。

「エレアノールさんが言った通りですね。私はやっぱり変でした。でも、私は知ってしまいました。悠真さんやエレアノールさんとれ合って、知ってしまったんです。だからもう、今までと同じようにひとりでいるのは、耐えられないかもしれません」

 シャルが身じろぎをした。悠真は腰をかがめ、ゆっくりと背から降ろす。

 地に降り立ったシャルは、涙でうるんだ銀色の瞳でじっと見据みすえてくる。


「だから悠真さん。お言葉に甘えて……ないかもしれないそんな安息の場所を、私と一緒に探してくれますか? きっとたくさん迷惑めいわくかけてしまいますけど」

 これは『シャルさえよければ』の返答なのだと、悠真は静かに呑み込んだ。

 悠真は腰に手を置き、笑顔を作ってうなずく。

「おう。俺もシャルと同じで、世界にきらわれた身だしな。一緒に探そう」

 一言多かったのか、シャルの顔が曇った。

「あ、いや……別にシャルのせいじゃないから! 言葉のあやだ。同じって、いや、違う、ほらあれだ。その、一緒に行こうって言いたかっただけだからな」

 支離しり滅裂めつれつだと、悠真は自分でもずかしくなる。シャルがくすりと笑う。


 わざと顔を曇らせたのだと理解して、悠真は軽く嘆息たんそくする。

「まあ、それはそれとして、私が借りた屋敷に行きましょうか」

 これまでのすべてを無視むしする発言に、悠真は半眼でアリシアをにらむ。

「お前、話ちゃんと聞いてたのか?」

「ええ。けれど、体を休めないともたないわよ。悠真君はいいかもしれないけれど、彼女は違うわ。背負せおわれなければならないぐらいの疲労を、見過ごすのかしら」

 悠真はうめいた。フェリアエスの不思議な力により、今の悠真は元気に満ちている。そんな自分とは違い、シャルは心身共に疲労が蓄積ちくせきしているはずであった。

 アリシアの発言は、正論せいろん以外の何物でもない。


「ここで無理をして、その場所とやらは見つけられるのかしらね」

「だけど、アリシアに迷惑めいわくが――」

れなければ問題ないわ。こうして関わっている時点で、結局は同じなの」

 アリシアは自分のペースに持っていくのが上手うまい。おそらく何を言ったところで、彼女の意志を変えられはしないのだろう。

 こっそり溜め息をつき、悠真は肩をすくめてこたえる。

「わかった。じゃあ少しだけ、休ませてもらえるか?」

 アリシアは満足そうに、ゆったりとうなずいた。

「それでは、私の借りた屋敷にご招待するわ。ちゃんとついて来てくださいね」


 うれしそうに足取り軽く進んだアリシアの後を追い、悠真達も歩き出していく。

 みずうみの真上にぽっかりと浮かんだ、土星に似た青い月を眺めた。

 相変わらずここが、本当に地球とは異なる世界なのだと強く実感させられる。

 地球では、夜は少しばかり冷え込む秋であった。シャルがフェリアエスに告げた、十の月という言葉が脳裏のうりによみがえる。

 ひょっとしたら、こちらの世界でも季節があるとすれば秋なのかもしれない。

 わずかなきりただよっているせいか、悠真は途端とたんに肌寒く感じた。



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