第二十三幕 もう一人の追跡者



 悠真は、魂が口から抜けそうな気分におちいっていた。

 世界中から討伐とうばつ対象となっている者を救ったのだから、当然ではある――単純に、思慮しりょに欠けていたにすぎない。それは認めるべきだと改めた。

 臨機りんき応変おうへんと言えば聞こえはいいが、その場しのぎの行動であったのはいなめない。

 あまりの唐突とうとつな出来事に、思考停止にまで追い込まれたが、気を取り直してみれば思いのほか落ち着いている。これまでの行動が間違ったものだとは、悠真には決して思えなかった。だから世界中を敵に回したとしても、後悔こうかいする必要などはない。

 悠真がそう再認識したとき、シャルの暗い声があがる。

「悠真さん、私のせいで……」


 銀色に輝く瞳は涙でうるんでいた。悠真は両手を広げ、意識して笑みを作る。

「まあ、別に問題ない。俺は俺の正しいと思う道を選んだ。だからさ、全部を知った上で、何度でだって言ってやるよ。シャルは、禁忌きんきの悪魔なんかじゃない。人の命を奪ってしまうようなやく災厄さいやくも何もない。ただの普通のやさしい女の子だ」

「それでも、私は、やっぱり……」

「ちょっと、どうするの! これじゃあ……呪われた屋敷を浄化したっていう、私の記事も載せられなくなったじゃないの」

 一歩せまって言ってきたエレアを、悠真は横目に見ながら苦笑する。

「それは残念ざんねんだったとしか言えないが、何もる物がなかったわけじゃないだろ」


「それは、そう、だけど……」

 エレアが不満げに口ごもった。気持ちは察するものの、今は諦めるほかない。

「このままだとエレアまで世界を敵に回すはめになる。逃げる方法を考えねぇと」

 悠真が思案を始めた直後、貴金属を切るような耳障みみざわりな高音が響き渡る。

 すぐさま音のする方角へと視線をすべらせながら、悠真は黒い指輪に意識を送った。閉じられていた扉が徐々じょじょに開いていく。騎士が来たのだと瞬時に判断する。

 黒い指輪から漆黒しっこく籠手こてに変化させ終えた悠真は、さっと拳を構えた。

「あら、皆様方みなさまがた。少々お困りの様子かしら」

 どこかで聞き覚えのある、柔らかい女の声だった。


 足を踏み入れて来たのは、やや露出度ろしゅつどの高いきらびやかな黒い衣服に身をつつんだ――桃色の短い髪をした、アリシア・マルティスであった。

 悠真は遠目に、アリシアの真紅しんくの瞳を見つめながら声を張る。

「ア、アリシアじゃないか? どうしてこんなところにいるんだ」

「どうしてではないわよ。いったい、どれほど私が苦労したと思っているのかしら」

 アリシアが足早に向かってくる。少し立腹りっぷくしている様子がうかがえた。

 ふと、悠真に別の疑問がく。アリシアが開けるまで扉は閉じられていた。

(ん……ピピンは、どうやってここに入ってきたんだ?)

 疑問を問うため、ピピンのいた場所を向く。だが、どこにも姿が見当たらない。


 悠真は首をかしげた。商霊とは本当に神出鬼没しんしゅつきぼつで、不思議な存在なのだと改める。

 ずっと閉じ込められていたため、早く別の場所へ行きたかったのかもしれないが、仮にそうだったとしても、一言もなく去られるのは少々さびしく思う。

 なんとも言えない気持ちをかかえていると、激しくあわてた様子のエレアが叫んだ。

「あ、あの、私は別に、信徒とか、そんなのではありませんから……!」

「安心してください。諸々もろもろの事情は把握はあくしておりますから、問題ありませんわ」

 にこやかな顔で丁寧ていねいに話しながら、アリシアが悠真の眼前で足を止めた。

 禁忌きんきの悪魔に関しての事情も把握しているのか、アリシアからは敵意を感じない。しかし商業都市では、名称を出しただけで空気を冷たく張り詰めさせていた。


 そういった経緯けいいから、アリシアの振る舞いには底知れない不可解さがある。

 アリシアは両手首を腰にえ、ほんの少し身を乗り出す姿勢となった。その拍子ひょうしで揺れたなめらかで柔らかそうな胸に、つい悠真の視線は奪われる。

 悠真の鼻先に、アリシアが伸ばした人差し指をそっと当ててきた。

「そんなところ、見ている場合?」

 完全に視線の先を気取けどられてしまい、言い知れぬ大恥おおはじき上がった。

 不意に、横腹に重い衝撃しょうげきが走る。悠真は咄嗟とっさに横腹を両手で押さ込んだ。

「あぃっ、だぁっ……お、お前、何、すん、だ」

「何をデレッとしているのよ。馬鹿ばかじゃないの、お前!」


 エレアは拳を震わせ、鬼のような形相をしている。悠真はおそおそるシャルを見た。じっとりとした冷ややかな眼差しからは、軽蔑けいべつの雰囲気が色濃くただよっている。

 苦笑いで誤魔化ごまかすことすらも許されない空気に、悠真はどうしようもなかった。

「こんなことしている場合じゃないわ」

 エレアは早々はやばやと、アリシアの前で片膝かたひざをついた。

「アリシア・マルティス皇女こうじょ様、お初にお目にかかります。私は……レヴァース王国黒鉄くろてつ騎士団の団長、ヴァーミル・エヴァンスの娘エレアノールと申します。ご挨拶あいさつが遅れましたことを、深くおび申し上げます」

 悠真は茫然ぼうぜんとエレアの姿を眺め、話を聞き、そして思考が遅れてやってくる。


「えっ……皇女? アリシアが?」

「何やっているの。お前らも早くひざまずきなさい。このおかただれだと思っているの」

 片手を上下に振って合図するエレアをよそ目に、悠真は困惑こんわくした。

「問題ありませんわ。皇女と言っても、私はめかけの子であり、末端まったんでもあり……帝国に必要とされていない、平民に近い皇女なのですから。お心遣こころづかい感謝します」

「おたわむれを……アリシア皇女様のお噂はかねがねおうかがいしております」

 その辺の事情や称号について、悠真は何も知らない。おそらくどこかの帝王の血を引く者といった、曖昧あいまいな程度の理解しかできなかった。

「つか、お前。お姫様だったのかよ。どうりで雰囲気が高貴こうきなわけだな」


「お、お前、本当に馬鹿ばかを通り越して、おろか者! 少しは口をつつしめ! アリシア様はきり摩天楼まてんろう――東のマルティス帝国を建国なされた、初代覇者の血を引くおかたよ」

 固有名詞がぽんぽんと出て、さらに困惑こんわくする。悠真は首をひねった。

「霧の摩天楼っていうのは……じゃなくて、なんでそんな人がここにいるんだ」

 アリシアが小首をかしげ、いたずらっぽく笑う。

「おもしろそうだったから、来ちゃった」

「なんだ、その、彼氏の家に突然訪問ほうもんしちゃいましたみたいな返しは」

 悠真は半眼でにらみ、苦笑交じりに返した。

 アリシアが、ややおっとりとした目を丸める。


「あら、まあ……私を強引ごういんに押し倒して胸を揉みしだいた挙句あげく、とても静かな場所で二人だけの時間を共有しただけなのに、もう恋人扱いなのかしら?」

 事実は確かにそうなのだが、明らかに誤解ごかいまねく発言だった。

「いや、違う、あれは事故じこだ! つか、なんだ。誤解されるだろ。やめろよ!」

 仰々ぎょうぎょうしい物音が鳴る。音のほうへ目を向けると、エレアが尻餅しりもちを着いていた。

「はわわわっ、あわわわっ……えっ? うそ……え? なん、えっ?」

 引きつったほおと震えた唇からにじむのは、まさにおそれの極みであった。

 依然いぜんとして、シャルから寄せられる視線はひどく冷たい。

 悠真はひたいに手を当て、嘆息たんそくする。


「ほらみろ、アリシアのせいで変に誤解ごかいしてるじゃないか」

「誤解? すべて事実なのに……」

「言いかただ、言い方! つか、マジでお前、何しに来たんだ」

 アリシアはくすりと笑い、柔らかな表情をして見据みすえてくる。

「もう少し感謝してくれてもいいのよ――あの包囲から救ってあげたのだから」

 悠真は眉を寄せ、思考を巡らせる。少しして、はっと理解に達した。

「あの商業都市で起きた火柱って、アリシアの仕業しわざだったのか?」

「正確には、私が契約した精霊ね。めいじたのは、私だけれど」

 悠真からすれば、どちらでもたいした違いはない。


 違いに関して思案していると、アリシアが真面目まじめな顔つきになった。

「そしてもうすぐ、ここに騎士達が踏み込んでくるわよ」

 一気に緊張が高まる。再度、あの騎士と戦わなければならないかもしれない。

 握り締めた拳に、悠真は視線を落とした。アリシアのひそめられた声が耳に届く。

「私が助けてあげるわ。そのために調べ物もしてきたの。まさか禁断きんだん魔導まどう生命体がいたのは誤算ごさんではあったけれど、ちゃんと破壊はかいできたみたいで安心したわ」

 彼女の真意しんいが読み取れない。なぜそこまで協力的なのか、理由が不透明だった。

「今度は、何をたくらんでんだ?」

「まあ、人聞きの悪い言葉ね。助けたいから助けた。それでいいのでしょう?」


 忍び笑いをするアリシアに、悠真は嫌悪感けんおかんいだく。

「あまり、いい趣味とは言えねぇな」

 シャルとエレアの二人は、ぼんやりとした顔で黙っている。

 わるびれた様子もなく、アリシアが片目をつぶってこたえた。

「でも、そのおかげ禁忌きんきの悪魔の事情を知れたから、こうして助けになれるのよ」

「だからと言って、盗み聞きを不問ふもんにはできねぇな」

 アリシアが自分の顔を、悠真の顔面付近に素早く近づけてきた。

 腹部に妙な違和感を覚え、悠真は後退して距離を取る。

 見せびらかすように、アリシアが小型の何かをつまんでいた。


「これが声を届けていた錬成具れんせいぐよ」

「いつの間に……あのときか」

 カフェで急接近されたときの光景が、悠真の脳裏のうりに浮かんだ。

 あのときポケットに、盗聴を目的とした錬成具を入れられたのだと理解する。

「そろそろ、本当の目的を話せ。もしシャルを狙ってんなら――」

 悠真は右拳をあごの近くにえ、構える。

「俺は、お前を敵として見做みなすからな」

 威嚇いかくしたつもりだが、アリシアは鷹揚おうような姿勢を崩していない。

 そして無防備むぼうびにも、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「感謝されこそすれ、敵だなんてひどいわ。私が結界に二重の細工さいくをしていなければ、所在しょざいはおろか、それこそすべてが筒抜つつぬけになっていた可能性もあるというのに」

「お、おい!」

 アリシアは細くしなやかな指で籠手こてれ、悠真の拳を降ろさせた。

聖印せいいん騎士団の団長に、エヴァンス家の彼女――少し遠くから戦いを観察していて、ある仮説が立ったのだけれど……あなたは女性とは戦えない。そうなのでしょう?」

 悠真は内情を見透みすかされてしまい、胸中で舌を打つ。

 アリシアのあまりの無防備さに、悠真は毒気どくけを抜かれていく。少なくとも、本当に敵意がないと判断せざるをないほど、彼女の雰囲気はやさしいものであった。


「エレアと戦ってたときに見た影は、お前だったのか」

「ええ。上手うまかくれていたつもりだったけれど、想像以上にするどくて驚いたわ」

 くすりと笑ってから、アリシアは続けた。

「それから、目的はきちんと伝えたでしょう? 悠真君達を助けてあげるわ。ただ、本当にそれだけ。そもそも、盗聴する錬成具を仕込んだのは、悠真君が禁忌の悪魔とつながっているのを知らないときだったわ。だから、彼女は私にとって二の次ね」

「じゃあ、どうしてそんな俺に構うんだ」

 悠真は籠手こてを指輪に戻しつつ尋ねた。

 アリシアは虚空こくうを見上げてから、静かに微笑んだ。


「悠真君に声をかける前……最初は、本当に驚いたわ。何気なく見た場所に、あなた黒いもやから瞬間移動をしてきたみたいに現れたの。さすがに気にするなというほうが無理ではないかしら? まあ、今はもう闇の精霊王がらみだったと理解したけれど」

 悠真はほおが引きつる。闇の精霊王が告げた不具合がこんなところでも発生した。

 突然、アリシアが目を細め、後ろを振り返る。

「時間がないみたいね。ついて来てちょうだい」

 精霊がとらわれていた奥の壁側に向かい、アリシアが走り出した。

 シャルとエレアに目で合図し、悠真は後を追う。

「ここは、古代のルニム遺跡をもとにして造られた空間のようね」


 壁を見回しつつ、アリシアが静かな声で言った。

 何かあるのかと思い、悠真も視線を巡らせながらつぶやく。

「古代の、ルニム遺跡……」

「紀元前、一万年以上も前に失われた民族――ルニム族が残したとされる遺跡です。魔導まどう生命体も、ルニム文明の失われた錬成れんせい生命体が基だと言われています」

 悠真は呟きのつもりだったが、疑問と受け取った様子のシャルが説明してきた。

 解説を受け、悠真は地球でのマヤ文明に似たものだと考える。

「ここは、ただの模倣もほうね。屋敷の持ち主が熱狂的なルニム信者でもあったみたいで、生前に禁断の魔導生命体製造及び、精霊を捕縛ほばくしたと日記にはつづられていたわ」


 アリシアが腰に帯びている小さなかばんから、一枚の紙を手渡してきた。

 確認してみると、どうやら屋敷内の詳細な平面図らしい。

「あったわ、これね」

 アリシアが置いた指先の辺りに、フェリアエスを閉じ込めていたからにあったような文字が浮かんでいる。目をらして、ようやく見える程度の濃さだった。

「なあ、この文字って秘術文字ってやつじゃないのか?」

なるもの、ね。これは、精霊から寵愛ちょうあいさずかった者か、あるいは精霊にしか見えない精霊文字と呼ばれるものなの」

 ようやく、謎に感じていた疑問を解消できた。


 あの殻に浮かんでいた文字を、シャルとエレアは探し出せなかったわけではない。本当に最初から何も見えていなかったのだ。

 アリシアが壁に指をわせた途端とたん、目の前の壁がくだけ散るように消えていく。

「その平面図を見ながら進めば、きっとここから外に出られるわ」

「えっ……? アリシアが先導してくれたらいいんじゃないのか?」

「私は、聖印せいいん騎士団様達の足止めをしてくるから、先に進んでいてちょうだい」

 眉間みけんに力を込め、悠真は否定する。

「いや、それはだめだろ。アリシア一人でなんて、危険すぎる」

 あでやかさのある唇に、アリシアは微笑みをたたえた。


「あら、さきほどは敵と見做みなすとか言っていたのに、今度は心配してくれるの?」

茶化ちゃかすなよ。あれはシャルを狙うならの話だ。そうじゃないなら味方だろ」

 わずかに肩を震わせたあと、アリシアは柔和な顔をほころばせた。

「そう。でも、大丈夫。策があるの。味方と言うのなら信用してくれないかしら」

 厄介やっかいな人だと、悠真は思う。二の句を告げさせない言葉の機転にすぐれている。

 アリシアは自身の頭を指差した。

「平面図はすべて頭に入っているから、すぐに追いつくわ。だから、安心して」

「わかった。だけど、無茶むちゃはするなよ」

 アリシアはゆったりとうなずき、出入口のある扉のほうへ走っていった。



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