第二十二幕 一日目が終わる頃



 アルド・フルフォードは、激しい混乱こんらん最中さなかにあった。

 禁忌きんきの悪魔と信徒は、報告では閉鎖へいさ空間の内部へ逃げ込んだとされていた。しかしその結界が消えた現在、さまざまな憶測おくそくがアルドの脳裏のうりに飛び交う。

 すでに屋敷の敷地内から、逃亡とうぼうを果たした――そんな懸念けねんが第一に浮かぶ。ただ、結界自体は昔からあるようだ。逃亡でないのならさそい込まれている可能性が高い。

 明確な解答など出せるはずもないが、アルドは必死に思案しあんしていた。

 判断を間違えれば、部下を危険にさらすはめとなる。それはけなければならない。だからといって、禁忌の悪魔達をまた逃がして見失うのも決して許されないのだ。


「アルド団長!」

 リアンが声を張り、軽快な足取りで寄ってくる。その表情は嬉々ききとしていた。

 そばで足を止めた彼女が、やや興奮こうふん気味に指示をあおいでくる。

「アルド団長、結界が消滅しました。いかがいたしましょう」

 リアンの瞳の奥には、燃える闘志が垣間かいまえた。突入の合図あいずを待っているのだ。

 アルドも〝きり摩天楼まてんろう〟の件がなければ、ここまで深く思案はしなかった。

 何が正解で不正解なのか、やはりはっきりとはわからない。

「アルド団長……?」

 リアンの怪訝けげんな眼差しは、不安の色を色濃く宿している。


 アルドは目を閉じ、気持ちを入れ替えた。息を整えてから、大音声だいおんじょうで告げる。

「全部隊に通達だ。団長アルドと副団長リアンの部隊のみ、屋敷内部へと突入する。ほかの部隊は引き続き周囲に目を光らせ、ねずみ一匹たりとも通すな!」

「はっ!」

 了承りょうしょうした騎士団員達の合図が、周囲からかさなって聞こえた。

 通信錬成具で離れた部隊に通達している団員達のわきを、アルド達は闊歩かっぽしていく。

 屋敷の敷地内へ、アルドはリアンと足を踏み入れる。自分達の部隊に編制していた団員達が、すでに玄関の扉を開いてアルド達の到着を待っていた。

 開かれた扉の一歩先に立ち、アルドは照明錬成具で屋敷の内部を照らす。


 とてつもなくれ果てている屋敷は、どうやら百年以上は放置されているようだ。見える範囲にある家具が、どれもこれも異様いように古臭い。

 積もったほこりには多くの足跡あしあとがついているのだが、比較的新しい足跡がある。

 足跡の大きさから、男と女――アルドは眉間みけんに自然と力を込めた。女性のものだと思われる、形の異なった足跡が〝三つ〟ついていたのだ。

 一つは禁忌の悪魔、もう一つは火柱を操る者に間違いないだろう。そうであれば、禁忌の悪魔に加担かたんしている者が、さらにもう一人いる計算となる。

 ふと違和感を覚えさせるものが視界に入った。足跡が一か所に集中している。

 目をらして見れば、妙な切れ目が床にあると気づいた。


(収納空間か……それとも、地下か?)

 どちらにせよ、禁忌の悪魔達が身をひそめている可能性は高い。

 アルドが視線で合図あいずを送ると、団員それぞれが無言のうなずきでこたえた。

 全員が武器を手にし、周囲を取り囲む。張りつめた緊張が場を支配する。

 片手を前に大きく振って指示しじするや、床にあった扉が一気に持ち上げられていく。そこに禁忌の悪魔達の姿はなかったが、代わりに下に向かえる階段が現れた。

 アルドは階段の手前まで歩み寄ってから、床に片膝かたひざをつく。玄関付近に比べれば、ほこり極端きょくたんに少ない。それでも足跡は、目に見える水準で薄くついていた。

(禁忌の悪魔の信徒は、三人で間違いなさそうか?)


 どうやら、すでに先へ進んでいる様子であった。

 逃亡とうぼうわなの二択が、アルドを苦しめる。部下をだれ一人として失いたくはない。

 それならば、対応力が高い自分が先に進むべきなのだろう。ただし、不測の事態が起こった場合、それを伝える者がいなければならない。

 適任は、リアンしかいない。仮にアルドの身に何かあったとしても、副団長である彼女であれば、あらゆるめんで対応しる実力とさいがある。

「ほかの者達は屋敷内の一階以上を探索せよ。リアン、ついてこい」

 アルドの指示に、ほかの団員達が了承の声を飛ばした。

 深い地下へ続く階段を、アルドはリアンと罠を警戒けいかいしながら慎重しんちょうに下る。


 高さはあるものの、横幅があまり広くない。こんな場所で開戦ともなれば、自由に剣を振るのは難しいため、秘術での攻防が妥当だとうだと想定しておく。

 周辺は暗闇に満ちており、先はまだ見えない。

 これほどの構造をしたものが、都市付近に存在していたことに驚かされる。都市にアルドが住んでいたころにもあったのだろうが、話にすら聞いた覚えがない。

 長い階段を下り切ると、さらに果ての見えない長い道が続いていた。

「リアン、ここからは一層、周囲を警戒しつつ進め」

「了解しました」

 全神経を集中させながら、アルドはリアンと先を目指して歩いた。


 しばらくして、ほのかに赤いもやが見える。

「待て、リアン!」

 叫ぶと同時に、前方から炎のうずが流れ込んだ。

 アルドは手のひらを盾にしてとなえる。

煌々こうこう輝門けいもん――」

 光の紋章陣を手のひらの前にえがきつつ、アルドは秘力を練り上げる。

燐光りんこううろこよ、すべて隔絶かくぜつせよ!」

 光沢のある六角形の光が積み重なり、炎を遮断しゃだんした。

 熱風まではふせげず、露出ろしゅつした肌を少し痛める。うめききながらも先に目をらした。


 アルドは目を大きく見開き、はっと息を呑んだ。

「だっ……撤退てったいしろ! リアン!」

「アルド団長――!」

 少し先のほうで、紅玉こうぎょくが浮遊している。

 流れる炎をも吸い込み、貴金属を切るのにも等しい音を鳴らした瞬間――縮小したかのように見えた紅玉は、轟音ごうおんを立ててとてつもない爆発へと変化した。

煌々こうこう輝門けいもん燐光りんこううろこよ、すべて隔絶かくぜつせよ!」

 光の盾を重ねて発動して、アルドは秘力を最大でそそぎ込んだ。秘術で作り出された光の盾は、爆風どころか熱ですらも完全に防ぎきった。


 周囲の外壁が徐々じょじょくずれ落ち、見る間にもれていく。

 頃合ころあいを見計らい、アルドはリアンの背を押しながら全力で引き返す。

 階段まで戻ってから、アルドは後ろを振り返った。完全に瓦礫がれきふさがれた状態に、強く舌を打つ。これでは、撤去てっきょしている間に逃げられてしまう。

 不意に、アルドの名を叫ぶ男の声がかすかに聞こえる。

 獣人族じゅうじんぞく――これは侮蔑ぶべつの言葉にあたるため、口がけたとしても本人を前にしては言えないが、〝猫に近い容姿〟をしたミーア族の若い男の声だった。

 団員である彼は、階段をすべり落ちるように下りて来る。

 頭部にある毛並みのよい両耳をとがらせ、警戒けいかいした様子の彼が心配げに言った。


「ご無事ぶじですか、アルド団長」

 爆発音のせいで、耳が遠くなっていた。アルドは怒鳴どなりにひとしい声をあげる。

「ほかの団員達は無事か!」

「揺れで崩壊ほうかいの危険性はありましたが、建物自体に損傷は見られません。が……」

 絶句ぜっくした男はするどい眼光をゆがめ、アルドの後方をのぞき込んだ。

 アルドは拳を固くし、歯噛はがみする。

(最初から、これが狙いだったのか……?)

 攻撃を受けたアルドだからこそ、相手の真意しんいが読み取れた。ふせがれると計算された炎のうずを生み出したのち、その中途で爆発系統の秘術を重ねて発動したのだ。


 行く手をさえぎるのが第一目的に間違いない。ただそれに加え、だれ一人として死傷者を出さないのも視野に入れられていると考えられる。

 商業都市でもそうだった。あれほどの規模の法術で怪我けがにんはまったく出ていない。

 この瓦礫の先には、尋常じんじょうではないほどの切れ者が存在しているようだ。

「く、くそぉおおおお――!」

 部下達の目もはばからず、アルドは内に秘めたる怒りを声に乗せた。



        ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 悠真は腕で涙をぬぐい捨て、目許に若干じゃっかんの痛みを覚えつつ顔を上げた。

 勢いよく立ち上がり、シャルとエレアを向く。そして少し、肩が飛び跳ねる。

「おめでとうなのねぇ」

 シャルとエレアが同時に短い悲鳴をらし、ピピンのいる場所を振り返った。

 驚いて見下ろしている二人の横顔に、悠真はどこか可愛かわいらしさを感じる。

「本当、お前って神出鬼没しんしゅつきぼつだよな」

「商霊はお客さんのためなら、いつでもどこにでもいるのね。ところで、お客さん。無事ぶじに依頼を達成したね。結界も綺麗に消え去ったのねぇ」


「おお、マジか。やったな」

 悠真は素直に喜んだ。シャルとエレアは、どちらもほっとした表情をしている。

「依頼報酬金の二百万スフィア、どうするね?」

 ピピンの淡々たんたんとした発言を聞き、悠真は腕を組んで宙を見上げた。

「あぁ、まあ……とどめを刺したのはエレアだし、エレアが受け取っておけよ」

「二百万程度のスフィアなんかいらないわ。私が欲しいのは、浄化した名誉めいよなの」

 悠真は拳を作った。無一文の自分とは違い、御貴族様ごきぞくさまは金持ちなのだろう。

「私は、そもそも受けていないので、悠真さんが受け取ってください」

 整った顔に微笑みをたたえ、シャルがゆずってきた。


 何やらもどかしく、悠真はピピンに問う。

「なあ、これって後で分けられるんだよな」

「もちろん、商霊を通せば移し替えは可能ね。現金化すれば、もっと簡単ね」

「じゃあ、今は俺が受け取っておく。あとでちゃんと二人にも分けるから」

 ポケットからメリュームを取り出し、悠真はピピンに手渡した。

 その際中に、エレアの溜め息が耳に入る。

「だからいらない……それよりも、今回の話をちゃんと商霊誌しょうれいしに載せなさいよ」

「商霊誌? なんだ、それ」

 ピピンから返されたメリュームを受け取りつつ、悠真はエレアの顔を見た。


「商霊が発行している、情報紙なのね。世界の情勢から小さな村の事件まで、ありとあらゆる情報を掲載けいさいしているのねぇ」

「商霊誌に載れば、大勢の人の目にまるの。それこそ、世界中にね。公平性のある商霊が事実を軸として、いつわりなく記事にしているから愛読者がとても多いのよ」

 ピピンとエレアから説明を受け、悠真は新聞みたいな物だと呑み込んだ。

 はっと気づき、悠真の背筋が凍る。

「あ、いや……待て待て待て。お前は馬鹿ばかか、エレア」

「な、なんですって!」

 怒った形相のエレアに、悠真はつとめてやさしい言葉を選ぶ。


「お前も実際に接して、おかしいと思ってるだろ。しかし理由はどうあれ、シャルの二つ名は知られるわけにはいかない。お前も俺と同じで、信徒だと言われるぞ」

 エレアの顔面が蒼白そうはくとなった。そこまで考えていなかったらしい。

 えない顔になったシャルを見つつ、悠真はピピンに向けて願いを述べる。

「シャルや俺の情報は、せておいてくれ。なんなら……今回の件はエレアが一人でやったことにしてくれても構わない。俺もシャルも下手へたに目立ちたくないんだ」

 ピピンは苦い表情でうなった。

「それはできないね。商霊の記事は、真実を書かなければならないのね」

「いや、だから、そこを何とか……頼むよ、ピピン」


うそは一切書けないのね。それに、あまり意味ないとも思うのねぇ」

 ピピンはがんとして受け入れてくれなさそうだった。

 それとは別に、何が〝意味ない〟のかがわからない。

 悠真は首をかしげて黙考していると、ピピンが声の質を落として提案してくる。

「ただ、せては書けるね。例えば、エレアノールと御付おつきの二人が、とかねぇ」

「なるほど! それなら嘘じゃないし、俺らの情報は出ない」

 シャルと顔を見合わせ、悠真はうなずいた。

「じゃあ、ピピン。俺達の情報は、そんな感じでかくして書いてくれ」

「うぅん……まあ、わかったのねぇ」


 これでひとまず悠真は安堵あんどする。しかしピピンの顔は苦いままだった。

 ピピンが三本指の手で、かぶっている帽子ぼうしを整えている。

「ただ、本当に意味ないと思うね。お客さん達には最悪さいあくな情報が二つあるのね」

「ん、なんだ?」

「一つは、聖印せいいん騎士団の人達が、ずっと敷地外から屋敷を見張っているのね」

 悠真は一気いっきに血の気が引いた。アルド達が追ってきたに違いない。

 なぜ居場所が知られたのか――不思議な力にあふれたこの世界では、おそらく追跡ついせきを行なう秘術でもあるのかもしれない。あるいは、もう一つ浮かんだものがある。

(馬車か? あの馬車を捨てた付近を探られたって可能性もあるよな)


 悠真が黙考していると、ピピンは二つ目の情報を述べる。

「もう一つは、別の商霊が商業都市での事件を、もう記事にしているのね」

 大きな屋台の中から、ピピンは一枚の紙を取り出した。

 薄い栗色くりいろをした紙には何か書かれているのだが、悠真にはまるで読めない。

 シャルとエレアもその紙をのぞき込んだ。

「ちょ、これって……」

 エレアが驚きの声をあげた。整った綺麗な顔が、緊張か何かで強張こわばっている。

 悠真はおそおそる、エレアに尋ねる。

「な、なんて書いてあったんだ?」


 エレアは口を閉ざしたまま紙を見つめていた。

 答えないエレアの代わりに、シャルが声音を低くして読み上げる。

「商業都市エアハルトの商業区で大事件が発生――レヴァース王国の聖印せいいん騎士団と、商業都市の衛兵が手を組み、禁忌きんきの悪魔の包囲に成功。しかし討伐とうばつ寸前のところで、謎の青年が聖印騎士団の団長アルドを出し抜き、禁忌の悪魔を連れ現在も逃走中」

 悠真はほおが引きつった。シャルが静かな声で読み続ける。

「謎の火柱も発生して大混乱に見舞みまわれたが、奇跡きせきてきに死傷者は一人も出なかった。商業都市の衛兵は、唯一ゆいいつ被害が出た街の修復に当たっている。そして、聖印騎士団は逃走した者達の足取りを追い、全力をくしているようだ……です」


 あの場には大勢の人がいた。その中に、ピピンと同じ商霊がいたに違いない。

 悠真は黒髪に指を通し、頭をいた。

 商霊誌しょうれいしとして記事になったのであれば、この情報はもう全世界へ散らばっていると考えて間違いない。ピピンの〝意味ない〟といった言葉を、ようやく理解する。

 死傷者が出た可能性をいだいていたが、そこに関しては胸をで下ろせた。同時に、シャルが禁忌の悪魔ではないと言える証明にできるとも思う。

 あれだけの火柱さわぎで、死傷者がだれ一人として出ていないからだ。

 怪我けが功名こうみょうとでも言えばいいのか、少なくとも、これはチャンスだととらえる。

 さらにピピンは、屋台から二枚の紙を取り出した。


「のちに商霊誌に移行するけど、これは号外ごうがいね。それから、これを見るのねぇ」

 悠真は目をき、全身に電撃をびたような感覚を覚える。

 シャルとエレアを見ると、二人して顔を青ざめさせて絶句ぜっくしていた。

 何が書かれているのかはわからない。しかし何が描かれているのかはわかった。

逃亡とうぼうした禁忌の悪魔と信徒の容姿はこれである。情報の提供者、あるいは捕縛ほばくした者には、聖印せいいん騎士団から莫大ばくだいな報奨金を与える。って……」

 エレアのつぶやきを聞き、悠真は確信へといたる。

 異世界に召喚しょうかんされてから、一日目が終わるころだろうか――


 討伐とうばつ対象となった久遠悠真は、異なる世界に存在するほぼ全人類の敵となった。



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