第十七幕  禁断の魔導生命体



 青い光に照らされている空間に、ぴりぴりと張り詰めた空気が広がっていく。

 上空から降ってきた怪物を、悠真はまっすぐ見据みすえていた。

「あふん、えふん、おふん、あふん」

 達磨だるまに近い体形をした怪物の顔面が、三角形の位置をたもちながら回転している。

 喜んだ顔、怒った顔、かなしむ顔――三つの感情を浮かべる顔のそれぞれが、眼玉を縦横じゅうおう無尽むじんに巡らせた。まるでえさを確認する猛獣もうじゅうに思え、悠真は短く身震いする。

 黒い指輪に、悠真はそっと意識を送った。まばゆい雪白の輝きを放ち、やがて光は両肘りょうひじにまで達し、力強くはじけ飛んだ。両手には漆黒しっこく籠手こてをはめた形で現れた。


「ちょ、ちょっと。これって禁断きんだん魔導まどう生命体じゃないのっ?」

 あわてた様子のエレアも、ネックレスから抜き身の剣に変化させた。

「禁断の魔導生命体って?」

はるか昔に存在した、邪悪じゃあくな錬金術師が生みの親とされる……精霊の力を無理矢理にすすって活動する、他律たりつがた錬成生命体の別称です」

 シャルが会話に割り込んで解説してきた。その表情はひどけわしい。

 どうやら目の前にいる怪物は、いわばロボットみたいなものだと思われる。

 そう呑み込み、悠真は心の内側で静かに戸惑とまどう。技術力の点に関しては、明らかに地球よりも、こちらの世界のほうが上だと感じられる。


 そっと目を閉じたシャルが、ゆっくりと手を前に差し出した。

「純白の魂――」

 シャルの可憐かれんな指先に、雪のように白い紋章陣がえがかれていく。

「――せまき門をひら潜在せんざいを浮かべよ」

 シャルが詠唱えいしょうを終えると同時に、紋章陣は粉々こなごなくだけ散った。

 あたたかなやさしい光が、悠真の全身をつつみ込む。エレアにも同じ現象が起きていた。

「強化系統の秘術です。悠真さんもエレアノールさんも、気をつけてください」

「気をつけろと言っても……あれは、やばそうだなぁ」

 悠真は右拳をあごそばへ、左足を半歩前にして構える。


(こんなやばい展開、いったい何回目なんだろうな)

 悠真は呼吸と気持ちを整え、徐々じょじょに腹をくくった。

 恐怖も緊張も心の中でみ殺し、ただひたすら現状を打破だはする方法を模索もさくする。

 悠真は思考を巡らしながら、魔導生命体との距離を詰めていく。

 目の前にいる怪物がどういう攻撃手段を持ち、どれほどの強度や素早さがあるのか何もわからない。だから現状は、相手の情報収集にてっするべきだと結論を下す。

 様子見のつもりで、右の拳をたたき込んだ――突然、ひだりほおに重い衝撃を受けた。

「ん、なっ――?」

 物理的に殴られたような感覚は、悠真に深い困惑こんわくをもたらす。


 魔導生命体は、微動だにしていないはずだった。

 悠真は瞬時に別の何かを疑ったが、まったく見当もつかない。

「えふん」

 三つの顔面が規律きりつただしく三角形の移動を行ない、頂上が怒った顔に移る。

「えふん、えふん、えふん、えふぅん」

 虚空こくうに浮かんだ青い紋章陣から、シャボン玉に似た球体が弾丸のごとく放たれた。ほおに残った謎の攻撃のせいで、回避に若干じゃっかんの遅れがしょうじる。

 体にいくつか被弾ひだんしたそれは、鉄球を投げつけられたのにひとしい衝撃であった。

「ぐぁっ――」


 後ろのほうへ倒されたが、かろうじて受け身を取って立ち上がる。

 被弾した箇所かしょに自然と手が向かう。貫通かんつうしたのではないかと混乱したものの、打撲だぼく程度で済んだようだ。にぶい痛みは残っているが、我慢がまんできないほどではない。

 シャルの強化系統の秘術がなければ、おそらくこの程度では済んでいなかった。

「まったく、だらしないわね」

 死霊系統の妖魔ようまではないからなのか、エレアは強気だった。

 細身の剣を斜め下に構えたまま、一直線に魔導生命体との間合いを縮めていく。

「あふん」

 これまでと違い、今度は顔面が逆回転する。


 頂上が怒った顔から、かなしむ顔へと転じた。

 なぜ顔面をころころと移らせるのか――悠真は、はっと気づく。

「攻撃するな!」

 声を張った制止もむなしく、エレアが剣を勢いよく振り抜いてしまう。

 斜めに斬られた魔導生命体から、藍色をした血と思われるものが飛んだ。同様に、後方へ吹き飛ばされるエレアの体からも、赤黒い血がいているのがわかった。

 悠真は大きく目を見開き、腹の底から叫ぶ。

「エレアぁあああ――っ!」

 駆け寄ったエレアの体を、悠真はかかえる。


 シャルがほどこしてくれた秘術のおかげで、彼女の体重がにはならない。軽々かるがると持ち上げたあと、魔導生命体との距離を大きく離していく。

「おふん」

 目を向けると、喜んだ顔が頂上へと移動していた。悠真は咄嗟とっさ警戒けいかいする。

「おふん、おふん、おふん、おふぅん」

 三つの顔面付近に一つの青い紋章陣が浮かび上がる。きらきらとした小さなつぶが、自身に向かって放たれていた。エレアが与えた傷を、またたく間に再生している。

 反対にエレアの状態は、予断を許さないほどの危険な状態におちいっていた。

 斜めに腹部を切り裂かれており、れ出る血が止まらない。


「あふん、えふん、おふん」

 女に近い気味の悪い声があがった。また上部がかなしむ顔になる。

(こいつ、間違いない!)

 喜んだ顔は治癒ちゆ系統、怒った顔は攻撃系統、哀しむ顔は反射――そう解釈かいしゃくする。

「だからか……だから、名の売れた剣士が瞬殺されたのか!」

 初見しょけんごろしもいいところであった。悠真の攻撃は、様子見程度の攻撃でしかない。

 だからこそ、少ないダメージで済んだのだ。名の売れた剣士は破壊はかいする気で剣技を放ったのだろう。エレアの攻撃もまた、それに近かった気がする。

 破壊とまではいかなくとも、相手に深手を負わせる覚悟の斬撃ざんげきにうかがえた。


「悠真さん!」

 シャルが足早に近寄ってくる。

「シャル、治癒ちゆできるんだよな! エレアを頼む。血が止まらないんだ!」

 エレアのそばで腰を下ろすやいなや、シャルの表情が絶望に染まった。

「こ、これは――」

 悲鳴みた声をあげ、シャルは素早く手を祈りの形に組んだ。

清冽せいれつな魂――」

 目を奪うほどみ切った水色の紋章陣が、エレアの少し上空にえがかれる。

「――慈愛しあいなるしずくで再生をほどこせ」


 水色の紋章陣から、ゆらゆらと青みのある光の粒が舞い落ちていく。その光景は、ピピンからもらった秘薬の現象とよく似ている。

 やさしげな青白い光が、エレアの全身をくまなくつつみ込んだ。

「こんな深手……悠真さん、時間がかかってしまいます」

「わかった」

 シャルの言わんとすることを瞬時に把握はあくし、悠真は立ち上がる。

「俺が絶対に時間を稼ぐ。だから、エレアを頼んだ!」

 シャルに告げ終え、悠真は魔導生命体へと走り向かう。

 何があったとしても、シャル達のいる場所へ行かせるわけにはいかない。


 魔導生命体との距離を縮めながら、悠真はこれまでにた相手の情報を処理しょりする。

 さいわい素早さはなく、のろまな亀にひとしい。頂上にかなしむ顔がなければ、対処方法は多いはずだった。試しに殴る振りをすると、魔導生命体がうなり声をあげる。

「あふん」

 頂上が哀しむ顔のままなのを確認してから、悠真は拳を止めた。

 代わりに指先でやさしく突くと、にらんだ通り自分のほおに突かれた感覚を覚える。

「もう間違いねぇ! やっぱり、思った通りかよ!」

 悠真は魔導生命体の右側へと回り込んでいく。


 かににも似た動きを見せ、魔導生命体は悠真がいるほうを振り返る。きちんと意識をこちらに向けてくれており、これでシャル達に背を見せる状態となった。

「えふん」

 怒った顔が頂上に移動した。秘術での攻撃が、悠真の脳裏のうりぎる。

「えふん、えふん――」

「やるなら、今か!」

 詠唱えいしょうと思われる行為こうい最中さいちゅうに、悠真は早々そうそうと拳を放つ。

(これなら、いけるだろ!)

「あふん!」


 拳が当たる寸前すんぜん――突然、魔導生命体が詠唱を中断した。

 瞬時に哀しむ顔が頂上に来たと頭ではわかったが、咄嗟とっさすぎて拳を止められない。悠真の左頬に強烈な痛みが走る。痛みをこらえ、また魔導生命体と距離を取った。

 悠真は奥歯をみ締め、目に力を込める。

 じわじわとした恐怖に、胸の内側が染められていく。

 攻撃すれば跳ね返され、傷を負えば治癒ちゆされ、秘術で攻撃もしてくる。そしてすきを突こうにも、瞬間的な判断力を備えており、途端とたんに素早さが増す。

 そのさまはもはや、無敵に近いとさえ感じられた。

(こんな……こんな怪物、どう戦えばいい!)


 視界をもゆがめる錯乱さくらんが、悠真の意識を侵食しんしょくし始めた。

 シャル達の制止を素直に受けておくべきだったと痛感する。これは人の手に負える――別世界からやってきた、普通の人の手に負える相手ではない。

「えふん、おふん、あふん、えふん、おふん、あふん」

 三角形をたもちつつ、三つの顔を何度も回転させていく。

 亀のように手足を引っ込め、ぐらぐらと揺れ――すさまじい勢いで転がってきた。

「ん、なぁっ、にぃいいい!」

 きわどいながらも回避したのち、悠真は視線をすべらせる。

 直撃したであろう石柱が、粉々こなごなに打ちくだかれていた。


 かすかに地面が揺れ動き、いやな想像が悠真の頭をかすめる。

 石柱は、この広々とした空間を支える重要な役割をになっているはずだった。あまり下手へたこわされると、生き埋めや、瓦礫がれきに押しつぶされる可能性は捨て切れない。

 手足を伸ばした魔導生命体が、子供みたいに飛び跳ね、再び表情を回転させる。

 今度は転がってくる素振そぶりりを見せない。どの顔もどこか茫然ぼうぜんとしていた。

「アァアアアアア――!」

 耳を傷める精霊のき声が飛ぶ。

 声量が衝撃しょうげきを生み、空気に振動しんどうを与えた。悠真は耳を強くふさいだ。

 魔導生命体が青白いほのかな光をまとう。ふと、シャルの言葉を思いだした。


(力をすする……まさか、これって燃料の補給じゃねぇのか?)

 これを悠真は好機こうきとみた。ここ以外に、攻め入るすきなどどこにもない。

 鼓膜こまくが破れかねない咆哮ほうこうの中、魔導生命体へと駆けた。もし成功すれば、希望へのきざしとなる。勝ち筋を見いだせるのだ。

 悠真は渾身こんしんの力を込めた拳を振るう。

 三つの顔にあるすべての口が大きく開き、魔導生命体も精霊と同じく咆哮する。

 強風に近いそれは、悠真の体を軽々かるがると後ろのほうへ吹き飛ばしていく。

 背に打撃――石柱か何かに激突したのだろうと、悠真は瞬間的に判断した。苦悶くもんうめきが自然とれ、そのまま地面へとす。


 体が言うことを聞かなくなっている。視界もかすんでいて見えづらい。

 それでも悠真は、必死に顔を上げようとこころみる。

 魔導生命体が顔を回転させている光景を最後に、悠真の意識は闇に閉ざされた。



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