第十八幕  護りたい願いと力



 治癒ちゆ系統の秘術に、シャルティーナはひたすら全力をくす。

 それほどまでに、エレアノールの容態は深刻しんこくなものであった。ほんの少しでも手をゆるめようものなら、あっさりと絶命していたに違いない。

 必死につとめた甲斐かいもあり、完治かんちがもう目前のところまで辿たどり着く。

 本日の月は深みのある青色をしていた。それがこうでもあり、また不幸ふこうでもある。

 シャルティーナの治癒系統の秘術は水属性だった。海月かいづきの日は水属性の力が大幅に跳ね上がる――治癒速度が、普段よりも増しているのだ。

 ただ魔導生命体の属性もまた、水属性で間違いない。

(急がないと……)


 そう思った矢先、再び後方から精霊の咆哮ほうこうが飛んでくる。

 精霊のき声は、空気を伝い、揺らし、やがて衝撃しょうげきを生んだ。

 シャルティーナは背にその衝撃をびながら、奥歯をみ締めてこらえた。一秒でも早くと耳の痛みも必死に耐え、えがいた紋章陣に練り上げた秘力をそそぎ続ける。

 咆哮が徐々じょじょ途切とぎれ始めたころ、ようやくエレアノールの傷が完全にえた。顔色もよくなっており、心配する要素はもうどこにも見当たらない。

 秘力を注ぐのをやめるやいなや、紋章陣は音もなくかすんで消えていく。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 秘力を多大ただい消耗しょうもうしてしまい、息切れがひどくなる。


 治癒術を発動している間は、怪我けがの具合次第で絶大な集中力と根気が必要だった。

 秘術はおもに、単発型と持続型の二つがある。視界を奪う閃光せんこうや身体強化の秘術は、一定の時間がてば効力を失う単発型で、周囲を照らす光球や治癒は持続型となる。

 単発型と違い、持続型は秘力を紋章陣へと継続的に注がなければ霧散むさんしてしまう。特に気をゆるめられない怪我の治癒ともなれば、つねに最大力をたもたねばならない。

 流れ落ちる汗を腕でぬぐい捨てながら、シャルティーナは悠真の姿を探す。

 今回のような強力な秘術を発動している間は、周りが何も見えなくなっていた。

 魔導生命体は躯体くたいが大きいためすぐに見つかったが、悠真の姿が見当たらない。

 シャルティーナは視線を巡らせ、目を大きく見開き、そして息が詰まった。


(悠、真さん……)

 数ある一本の石柱の下で、悠真は魔導生命体側を向いて倒れている。

 シャルティーナは無意識に、悠真を目指して走り出していた。近づくにつれ、彼が何一つ動きを見せていないのを目でとらえる。

 心臓が、激しい鼓動こどうを繰り返した。胸の内側が拍動はくどうするたびに、際限さいげんのない不安とあせりが押し寄せてくる。そのせいか、足に上手うまく力が入らない。

 息が切れ、息苦しいはずなのに、そんなのがどうでもいいとすら思えた。

(いや、いやぁ! 悠真さん!)

 シャルティーナの視界が、次第に涙でゆがんでいく。


 どうしてこれほど感情が乱れるのか、シャルティーナにはよくわからない。それを考えられるだけの余裕よゆうも、今はどこにもなかった。

 そんな曖昧あいまいな意識をいだきつつ、ただただ悠真の身を案じる。

 彼のそば辿たどり着き、シャルティーナは悠真の上半身をき起こした。

「悠真さん、悠真さん!」

 何度も呼びかけたが、悠真から反応は返ってこない。涙で彼の顔をけがしてしまい、シャルティーナはき取る意味も込めてほおに手を当てた。

 温かい熱と脈が、手のひらを通じて伝わってくる。

 どうやら意識を失っているだけで、死んでいるわけではなさそうだった。


 ほっと胸をで下ろすと同時に、不吉な音が耳に届く。

「あふん、えふん、おふん、えふん」

 安堵あんどしたのもつかの間、魔導生命体が数歩進んで足を止めた。

「えふん、えふん、えふん、えふぅん」

 魔導生命体の周囲が、まるで陽炎かげろうのごとく揺らいだ。

 体内に保持ほじしている、精霊から奪った秘力を練り上げている。おそらく攻撃系統の秘術を行使こうししてくると考え、シャルティーナは魔導生命体にさっと背を向けた。

 かばうように悠真を胸に強くき寄せ、そして肩越しににらみをかす。

 すでに、底がつくほどに秘力を消耗しょうもうしている。


 魔導生命体に対抗できる唯一ゆいいつの手段が、もうそれしかなかった。

 悠真を運んで逃げるだけの腕力も、シャルティーナにはない。

(悠真さん、ごめんなさい)

 腕にかかえている彼に、いったいどれほど救われたのかわからない。

 言葉で、行動で――彼が、シャルティーナの中にある世界を変えた。

 彼が小さな幸せを、たくさん与えてくれた。

 世界中から禁忌きんきの悪魔だと呼ばれてきらわれ、存在すら必要とされていない――そんな自分が生まれて初めて〝人をまもりたい〟と、心から強く願っている。

 しかしシャルティーナに戦う力はない。護れるだけの力もまたなかった。


 それが、心の底からくやしく思わせる。

(あなたを護れなくて、ごめんなさい。こんな私だけど、許してくれますか?)

 懇願こんがんにも似た気持ちを心で述べ、シャルティーナは眠った悠真の顔を見た。

 多彩たさいな表情を見せてくれた彼の顔は、とても安らかな顔つきをしている。

最期さいごを共にする相手が、私なんかでもあなたは許してくれますか?)

 彼にいやがられないか、それだけがシャルティーナの胸に不安をつのらせていく。

 周囲が一際ひときわ明るさを増した。

 魔導生命体が、攻撃系統の秘術を発動する寸前すんぜんだと呑み込む。

 ふとシャルティーナは、激しく震えている自分の手が視界に入った。


 そこから、恐怖にひどおびえているのだと気がつく。

 いつかこんな日がくると――これまでの人生、ずっと覚悟してきたつもりだった。騎士に殺されかけたときでさえも、素直に受け入れようとしていたのだ。

 それなのに、今は〝死〟が怖い。おそろしくて仕方がないと感じている。

 もっと生きていたいと願う気持ちが、流れる涙のようにあふれて止まらない。

「シャル――っ!」

 悲鳴に近い女の声が飛んだ瞬間――

 悠真のまぶたが瞬時に開き、真紅しんくの瞳がごくわずかに揺れ動いた。



        ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 暗い闇の中を、悠真はひとたたずんでいた。

 この闇しかない光景には、どこか見覚えがある気がする。

 曖昧あいまいな記憶を一つ一つ辿たどる。最初はただ、住み慣れた自室で寝ていただけだった。それがなぜか、目を覚ませば見知らぬ異世界にいるのだと知る。

 記憶をひもいていくと、初めて出会ったのはアリシアであった。

 次にエレアと出会い、ニアとヨヒムに出会い、そして――

(シャル!)

 銀色の髪と瞳を持って産まれた。たったそれだけの理由で、世界中の人々からきらわれ、騎士団や衛兵に命まで狙われた、こころやさしき少女の名を思いだす。


(そうだ。俺、気を失って……何を呑気のんきに寝てんだ! 早く起きろ!)

 悠真は自分のほおたたき、目覚める努力をする。

(ふざけんな! 次は自分の部屋の中で目覚めましたとか、ありえねぇからな!)

 目覚める気配は一向にない。そんなときであった。

なんじ、久遠悠真に告ぐ》

 頭の中に直接、気味の悪い重低音の声が響く。

われは闇の精霊王ガガルダ。汝を異なる世界に招いた存在なり》

 悠真は目をいた。周囲は真っ暗闇だったが、反射的に視線を巡らしていく。

「な、お、あんたが俺を、あの世界にほうりだしたのか!」


《このような形で告げる結果となり、どうか許してほしい》

 深く謝罪の意が込められた声音に、悠真は戸惑とまどうしかない。

「何を――」

が力を、ほぼ使い果たしても足りなかった。不完全でいびつ召喚しょうかんとなった》

「力を……? どうして、そこまでして俺を召喚した!」

《不完全で歪な召喚を、強制的に遂行すいこうした代償だいしょう……汝が困り果てぬよう、言語ぐらい明瞭めいりょう付与ふよしてやりたかったが、おそらく思いもよらぬ問題が生じている》

 その発言から、悠真は目では文字が読めない理由を理解した。

「そんなのは、もうどうだっていい。ちゃんと説明してくれ!」


《我が盟友めいゆうを、どうか許してやってほしい》

「盟、友……?」

《盟友は、ずっと奥方おくがたと息子を気にかけていた》

 一つの予想が脳裏のうりに浮かび、悠真は息を呑んだ。

《二度と戻れぬと知った盟友は、幾度いくどとなく絶望に打ちひしがれた……でも、盟友の生きざまわれは伝えたかった。たとえ世界のことわりそむく結果になろうとしてもだ。どのような人生を歩み、息絶えたのか、汝と奥方に知ってもらいたかった》

(親父……?)

 行方ゆくえ不明の父親が同じ異世界をおとずれていたと知り、悠真は奥歯をみ締める。


《それには、こちらの世界へ呼び寄せるしかなかった。世界と世界をつなきんじられし古代の秘法――我が数百年をついやしても、不完全を辿たどった。可能なら盟友と同じときへ送りたかったが、時はすさまじく強大きょうだいであり不可能であった》

 ガガルダの声からは、沈痛ちんつうさが感じられた。

残念ざんねんながら盟友と同様、奥方はすでに世を去っておった。だから、我はせめてもと汝のみを召喚した。本来、選択を与える腹積はらづもりだったが、思慮しりょが浅はかであった。召喚のは想像を絶したのだ。結果、汝を盟友と同じ帰れぬ者としてしまった》

「こっちに来られるなら、帰ることだってできるだろ。なんで親父はしなかった!」


《汝には、本当にすまないことをした。世界と世界を繋ぐ道は進めぬのだ。となれば魂がこわれ、肉体がちりす。従って盟友も帰れぬ者となっていた》

 悠真は眉間みけんに力を込める。それは元の世界へ戻れないという明確な宣告せんこくだった。

 先の規模きぼが違うだけで、完全な拉致らち監禁かんきんに近いものだと思う。

《不完全な召喚の結果、転移てんいに不具合が生じた。都市の付近に開かずの小屋がある。汝の意志で訪れてほしい。汝の名が、扉をひらかぎとなる。どうか、勝手きわまる私情で召喚を行なった我をうらんでくれても構わぬ。だが、盟友だけは許してやってくれ》

(ふざ、けるな……)

 母親と過ごした日々が脳裏のうりを駆け、悠真は拳を強く握り締める。


《姿を消した自分を、おそらく家族は怨んでいる。と、そう言っていた。さびしそうな顔で、力のない笑みを向けてきたのを、数百年った今も我は明瞭めいりょうに覚えておる》

「ふざけんなよ。俺や母さんが、どれだけ苦しんだと思っていやがんだ! どれだけ不幸だったと思ってやがんだ! ふざけるな。ふざけんなよ!」

 自然と涙があふれ、悠真は感情を言葉に乗せた。

「そんな簡単に……そんなあっさりと、許せるわけがねぇだろうが!」

無論むろん、すぐに許せとは言わぬ。汝の心に宿り、我は知った。なればこそ、我は捨ておけぬ。世界を歩き、知り、そしていつか――許してくれる日が来るのをせつに願う。法術戦争でった盟友がどれほどの偉業いぎょうしたか、知ってくれると信じている》


 本当に勝手極まるガガルダの発言に、悠真は言葉を失う。

 心のどこかでは、きちんとわかっている。気持ちをどれだけ爆発させたところで、いまさら意味がない。そうだとしても、頭の中をぐるぐると考えが巡ってしまう。

 胸の中になんとも言えないもやが立ち込める。だが、たった一つだけ――まだ一日もっていない。それでも悠真にとっては、本当の意味で新しい世界を垣間かいまた。

 父親は、王とまで名乗る精霊が、そこまでれ込んだ男なのだ。

 簡単には許せない。それだけ辛酸しんさんめる生活を余儀よぎなくされてきた。

《最後に一つ、汝に伝えよう。消えかけた我の魂を、汝の魂にそそぎ込んでおく》

「なっ……そ、魂を注ぎ込む?」


 信じられない発言に、悠真は戸惑とまどう。父親の話と同じぐらい理解に苦しい。

《歴史的にもるいを見ない話ではあるのだが……こうして初めて我は偶発ぐうはつてきに知った。しかし願わくは、扱う場面に遭遇そうぐうしないのが理想だ。ただいつしか、必要にせまられる日が訪れるやもしれぬ。そんなあかつきにはおのれの胸に手を当て、我が名をとなえよ》

「いや、それより注ぎ込むってどういう意味か答えろよ!」

《この世界に存在するだれもが、濃淡のうたんはあれども秘力を持っている。だが、汝は秘力をまったく持たぬ身――だからこそ、汝に精霊の魂を注ぎ込めるのだ。ただ扱うには、魂そのものとも言える生命力をかてとしなければならない……常に危険が付きまとい、いとも容易たやすく命を落とす結果になる可能性は高い。扱う場面は、重々じゅうじゅう厳選げんせんせよ》


 勝手に話が進み、怖気おぞけを覚える発言をガガルダはさらりと言ってのけた。

《我との同化をて、汝は二つの力を手にした。一つは精霊を身に宿して扱う力だ。もう一つは傷を負えば、汝ののぞみで生命力をかてに再生できる精霊と同じ力だ》

 アルドに両断された腕が再生したのは、精霊が体内にいるからだと理解する。

《忘れないでほしい。盟友、そして我も、汝の幸せをせつに願っている》

 今すぐに答えは出ない。悠真は何も見えない虚空こくうを見上げた。

「勝手ばっかり言いやがって、こっちに選択するすきなんかまったくねぇだろうが……いつか絶対、親父もお前も俺が殴ってやるから覚悟しとけ!」

 少し沈黙につつまれたのち、ガガルダの声が脳に響く。


かなうならば……盟友と同様に会話をしたかった。魂を注ぎ込む寸前すんぜんに残した、我の言葉を胸にきざんでくれると幸いだ。二度と会話が叶わぬ、我のささやかな願いだ》

 悠真は茫然ぼうぜんとなる。今までしていたのは、会話ではなかったらしい。

 ただただ録音に近いものを、ひたすら聞かされていただけだとわかった。

「言うのが遅ぇよ! 俺、ずっとひとりで言い返してて馬鹿ばかみてぇじゃねぇか!」

 聞こえないとわかっていて叫んだはずだが、なぜか含み笑いが聞こえてくる。

《くく……ただの冗談じょうだんだ。やはり親子だな。汝の父親もからかいがいがあった》

「て、てめぇ……おい、今すぐここに姿を現しやがれ。この場で殴ってやっから」

 別の意味で怒りが込み上がり、悠真は固い拳を作った。


「言いたい言葉が多すぎておいつかねぇな。だけど、今だけは……全部許してやる。この訳のわからない世界で、俺はやらなきゃならないことがまだたくさんあるんだ」

《ああ……やはり汝らは、魂までもが繋がりのある親子だ。そうやっていつも大切たいせつだれかのために力をふるうのだな。これで本当に最後の別れだ。誰も〝想像すらもせず、げられなかった〟銀髪の少女を、汝の手で救い出してやるがよい》

「おう、あたりまえだ」

《目覚め、我が名を呼べ。汝に、調和ちょうわつかさどる闇の精霊王から寵愛ちょうあいを与えよう》

 悠真は決心を固め、闇の精霊王ガガルダに向かって言葉を送る。

「行くぞ、闇の精霊王ガガルダ!」


 悠真の声と共に、闇の世界は一瞬で晴れ渡った。



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