第十六幕  繋がれた少女の琥珀



 後を追って来たシャルとエレアの姿を確認したのち、悠真達は一本道を進んだ。

 相変わらず、エレアがスウェットのすそつかんできて離さない。

「はっきり言わせてもらうが……お前、完全に選択ミスだったんじゃないか」

「選択失敗って何よ」

 エレアの返しを、悠真は怪訝けげんに思う。

「あれ? 俺、選択失敗とか言ったか?」

「はぁ? そう言ったでしょう」

 はっと気づき、悠真は少し胸のつかえが下りた感覚がした。

 今までの違和感の正体しょうたいが、ようやく判明したかもしれない。


「ミス。失敗。ミス。失敗。みす。今の言葉、ちゃんと同じに聞こえるか?」

「特に違いは感じられませんでしたが……最後の、みすってなんですか?」

 シャルの言葉で、悠真は確信にいたった。最後の〝みす〟は、英語のミスではない。なんの意味も内包ないほうしていない〝みす〟として発音したのだ。

 商売をする精霊が〝商霊〟と略されたのも、思えば奇妙な話ではあった。

 また不可解な現象を発見し、悠真は軽い混乱になやまされる。

 自分の境遇をいぶかしんでいると、エレアが苛々いらいらとした声でいてきた。

「それで、選択の失敗って何よ」

「あ、ああ……怖いものがいやならさ、屋敷以外の選択もあったんじゃないか?」


 今度はあきれ声で、エレアが言い返してくる。

「都市の付近では、屋敷ぐらいしかいいのがなかったのよ。めぼしい依頼は冒険者や賞金稼ぎにらされているし、だから手の出しづらいここが妥当だとうだったの」

「お前って、このあたりの人なのか?」

 片方の眉を上げ、エレアが首を横に振った。

出自しゅつじは王都に決まっているじゃない。ただ学園が商業都市にあるってだけよ」

 初めて出会ったとき、学生服のような格好だとは思っていた。

 授業内容がどういったものかはわからないが、やはり彼女は学生だったらしい。

「お前、学生だったんだな。つか、何歳なんだ?」


「この格好を見れば、学生だってことはわかるでしょう。私は十六よ」

うそだろ、お前! 俺の二つも下かよ。じゃあ、シャルはいくつなんだ?」

「私も、エレアノールさんと同じ十六歳ですね」

「マジかぁ……」

 初めて出会ったアリシアもそうだった。この世界では大人びて見える女性が多い。そう思ってから、地球でも海外の人は大人びて見えると思いだした。

「お前どこの国の出自なの? この格好でわからないとか信じられないわ」

 エレアが落胆らくたんめいた吐息をらす。

 異世界に来てから生まれた決まり文句もんくを、悠真は手短に告げておく。


「そういえば、言ってなかったな。俺さ、ちょっとした記憶喪失そうしつなんだ。だからこの世界に関して、俺にはよくわからない。つか……ほぼ全部わからないって言っとく」

 エレアは金色の瞳に驚きを宿し、声を大きくした。

「えっ? お前、記憶喪失だったの? どうりでおかしいと思ったわ。そうでもない限り、禁忌の悪魔と関わるとか考えられないし」

 エレアの失礼な発言に、悠真はシャルの顔を見た。浮かない表情をしている。

「記憶を失ってるかどうかは、あまり関係ないな。それに俺、禁忌の悪魔に関しての話は、たぶん何かの間違いで、誤解ごかいうそだって考えてる」

「何を根拠こんきょに言っているのよ」


「これに関しては、説明がかなり難しいんだよな。ただ、まあ……現時点で言えば、俺がいまだにこうして、のうのうと生きてるってぐらいなのかもな」

 エレアが半眼でにらんんできているのに気づいた。

 そして、あきれ顔になったエレアは、不満げな声でつぶやく。

「何よ、それ。まったくよくわからないわ」

「どっかの馬鹿ばか騎士のほおを一発ぶん殴ったけど、全然おと沙汰さたないしな」

「えっ――?」

 シャルが、心持ち裏返った声をあげた。

「ゆ、悠真さん、もしかして、あの人を殴ったんですか?」


「ああ、これも言ってなかったな。あの金髪野郎やろうにむかついたからさ、一騎打ちすることになってな。そのときに一発だけ殴ってから、シャルをかついで逃げたんだ」

 顔面が蒼白そうはくになり、シャルの視線が泳いでいる。

 エレアが苛々いらいらした声で質問してきた。

「それで、いったいだれを殴ったのよ」

 悠真は過去を思い返す。必死だったのもあり、記憶が曖昧あいまいになっている。

「確かアムベ団長? アンジ団長? なんか、そんな感じの名前で呼ばれてたな」

「誰よ。聞いたことない人ね。まあ、そんなたいした人じゃなかったんでしょう」

聖印せいいん騎士団の団長、アルド・フルフォードというおかたです」


 シャルの補足に、悠真はすっきりとした。

「ああ、そうそう。アルドだ、アルド」

 エレアを見ると、今度は彼女の顔面が蒼白へと変化している。

冗談じょうだんでしょう?」

「いや、本当」

「何かの間違いでしょう?」

「だから本当だって」

 唇をわななかせ、エレアは発狂はっきょうみた声を出した。

「何をしているの、お前! 本当に馬鹿じゃないの? 死ぬの? 死にたいの?」


 ぐいぐいと、スウェットの裾を引っ張っては押し戻される。

「何に喧嘩けんかを売っているのよ。聖印騎士団は私の父も認める、期待の新生騎士団よ。特に団長と副団長は、父が自分の騎士団に招きたかったとつぶやいたほどの凄腕すごうでなの」

 エレアが口早に述べた。悠真は揺さぶられながらに言葉を返す。

「仕方がないだろ。あいつむかつくし、一発でも殴らなきゃ気が収まんないだろ」

「何よ、そのごろつき的思想しそう。絶対殺されるわ。地の果てまで追ってくるわよ!」

 声をあらげるエレアの隣で、シャルが絞り出すようにか細い声をつむいだ。

「ごめんなさい。やっぱり、私のせいで……」

 悠真はエレアの手を払い、あわててシャルを前にする。


「待て待て待て……勘違かんちがいするなよ。あれは、シャルのせいじゃない。俺が本当に、あいつにむかついたから殴っただけだ」

「でも……」

「俺は俺が思うことをやった。だから、シャルは気にしなくていい」

 つとめてやさしくさとすと、シャルは無言でうなずいた。

 また三人で先を目指して歩くや、ほどなくして道の果てが見え始める。

 ようやく目的の地に辿たどり着く――物々ものものしい鉄製の扉が、静かにたたずんでいた。

「ちょ、ちょっと、待って。この先、やっぱりやめておいたほうがいいかも」

 エレアはわずかに震えた声を出した。


 シャルが苦々にがにがしい顔で、声を低く告げてくる。

「悠真さん。この先は……相当、危険な妖魔ようまか何かが、いるかもしれません。周囲の秘力が震えあがっているみたいです」

「本当にまずいわ。だって……宮廷きゅうていの法術士団とかが対処する水準じゃないの?」

 二人のうろたえ振りに、悠真は絶句ぜっくするしかない。

 悠真は扉の先にある気配を探ったが、さすがにそこまで感知する力はなかった。

(どうするのが、最良の選択なんだろうな……)

 どの選択肢であれ、浄化しない限りは屋敷から出られそうにはない。

 二人のあわてようから、浄化対象がいる可能性は濃厚のうこうだった。


 どんな容姿で、どんな怪物なのか想像すらもできない。

 何にしても、相手を知らなければ対処のしようがないと考える。

「わかった。俺が中を確認してくるから、二人はここで待っててくれ」

「ゆ、悠真さん、だめです!」

「ちょ、お前、本当に無理よ。これ、本当に無理だから」

 二人から投げられた制止の言葉に、悠真は心が揺らぐ。

「そうは言っても、呪われた屋敷を浄化しない限り出られないんだ。引くにしても、相手を知っておくのは重要だろ。姿形もわからないで妄想もうそうするよりははるかにいい」

「それは、そうだけど……」


 エレアが、不安を色濃く宿した顔をうつむかせた。

「大丈夫、俺も死ぬつもりはない。少し中を確認してからここに戻ってくる。それに俺がいないと、エレアがシャルにおそいかからないとも限らないからな」

 半分冗談じょうだん混じりに告げると、エレアがわずかに憤慨ふんがいした表情をする。

「疑われても仕方がないけど、今の私にそれが本当にできると思っているわけ?」

「まあ、ほぼ無理だな。けど、俺の目をぬすんで変なことはするなよ」

 懸念けねんもあるにはあったが、ここはもう信用するしかない――ただ、これまでのやり取りをて、ここでシャルを狙うほど頭が悪いとも思えなかった。

 少なくとも、身の安全が保障ほしょうされるまでの間は、下手へた真似まねはしないだろう。


「絶対にだめです!」

 シャルが短く、声を高くして否定してきた。

「悠真さんが行くなら、私も行きます。一人でなんて、許しませんから」

 つかみかかられるのでは――そう感じるほど、シャルが近寄ってくる。

 悠真は一歩引き気味に、自分の胸の辺りで両手を振った。

「ま、待て待て待て。落ち着け、シャル。ちょっと中を見て回るだけだから」

「もし進んだ先に、外にあるような結界けっかいを張られたらどうするつもりですか!」

 シャルの叱責しっせきに近い声を聞き、はっと悠真は閉口する。

 そこまでは考えていなかった。シャルの予想に否定するだけの余地よちはない。


「悠真さんが行くなら、私も行きます」

 あまり自分を出す性格には思えなかったが、シャルは意外な一面を見せた。

「お前達が行くなら、私も行くわよ。ここにひとりで待つとか不可能だから……」

 エレアが渋い顔で告げ、服を破りかねないぐらいの力で握り締めてくる。

 悠真は嘆息たんそくしてから、扉側を向いた。

「わかった。みんなでいこう」

 取っ手を両手でつかむと、ひんやりと冷たい。観音開かんのんびらきの扉を引きけていく。

 貴金属ききんぞくを切るような音が響き、隙間すきまから青白い光がれる。扉の先にはだだっ広い石構造の空間が広がっており、太い石柱がところどころに立ち並んでいた。


 その石柱に、照明器具が備えつけられている。悠真は壁掛かべかけランプを想像したが、中身は蝋燭ろうそくではない。宙に浮く青い火の玉が入れられているようだ。

 先に舞台ぶたいと思われる場所があり、巨大な水晶の破片はへんにも似た物が浮遊ふゆうしている。

 悠真は、神秘しんぴてき祭壇さいだんじょうを連想した。まるで古代の遺跡といった感想も持つ。

 エレアが服のすそを、少し強めに引っ張ってくる。

 紅髪べにがみの彼女は姿勢を低くして、きょろきょろとあたりを見回していた。

「どうして、この空間だけ明るいのよ」

「ここには、もう光球は必要なさそうですね」

 ふっと消え去った光球を見てから、悠真は前を向いた。


 警戒けいかいおこたらず、ゆっくりと祭壇らしき場所へ寄っていく。

「なっ……!」

 悠真は足早に、浮遊した物体との距離を詰める。

 近くで見れば――透明度の高い氷に見えた。そんな物体の中に、耳のとがった少女がくさりつながれ、氷漬こおりづけとなっている。肌の色が青い彼女は、まるで息をしていない。

 指先でれると、氷というよりは水晶か鉱石に近い物体の手触りがする。

 生き物が内包ないほうされている点から、悠真は琥珀こはくを想像せずにはいられなかった。

「耳が尖ってる……エルフとか妖精とかなのか?」

「もしかして、秘力が震えていた原因って……」


 シャルの言葉をさえぎるように、少女の目が瞬間的な速さで見開かれた。

 本来、人の目にある白い部分がどこにも見当たらない。目のすべてが、深みのある青色をしていた。風体は少女だが、人ではなさそうな雰囲気をかもしている。

馬鹿ばか樹人じゅじんぞくでも妖精でもないわよ! これは、精霊――しかも、本体よ!」

「アァアアアアア――!」

 エレアの言葉が終わるやいなや、精霊が耳をつんざくほどの悲鳴をあげた。

 悠真は咄嗟とっさに両耳をふさいだ。しかしそれでも、音が鼓膜こまくを傷める。

 途切とぎれを知らない叫びのせいなのか、かすかに地面が揺れ始めた。

「お、おい!」


 悠真は声を張ったが、き消された。シャルもエレアも同様に耳を塞いでいる。

 狂気きょうきに満ちた精霊のき声が、空気に振動を与えていると肌で感じ取った瞬間――見えない何かにはじかれるように、悠真は後ろのほうへ吹き飛ばされる。

 次第に、精霊の悲鳴が小さくなっていった。

「つっ、つつ……」

 痛みに耐えながら上半身を起こすと、シャル達が倒れ込んだ姿が視界に入る。

「お、おい、大丈夫か」

 自分の声がひどくこもって聞こえた。悠真は二人の間にかがみ、軽く揺らす。

 どちらも苦痛に表情をゆがめ、ゆっくりと体を起こしていく。


 その先にある出入口の異変いへんに、悠真は不意に気づいた。

 いつの間にか扉が閉じており、青白く輝いた紋章陣がゆるやかに回転している。

 シャルの予想はまとていた。どう見ても、閉じ込められた状況にしか思えない。周囲に視線をすべらせるも、ほかに出入口はどこにも見当たらなかった。

 出入口と祭壇の中間ぐらいの地面に、悠真は不可解な黒い影があると気づく。

「なっ……! シャル、エレア、上だ!」

 怒声どせいに近い大音だいおんじょうで告げた。

 上空から大きな物体が落ちてきている。一瞬、巨大な岩にも見えた物体は、達磨だるまを思わせる体形をしており、人と同じく手足もあった。


 胴体は頭もねているのか、腹のところに能面のうめんのような顔が三つ――一つは上に、残り二つは下にと、三角形の各頂点に一つずつといった位置で張りついている。

 地震と錯覚さっかくするほどの振動を発生させ、巨躯きょくの怪物が轟音ごうおんを立てて舞い降りた。

「な、なんだ、こりゃあ……」

「あふん」

 女性にも似た気味の悪い声に、悠真の背を戦慄せんりつが駆け抜ける。



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