第十五幕  術のあれこれ



 銀色の髪をしたシャルの隣で、悠真もやや遅れながら手を合わせた。

 死霊しりょうとなった者達にも家族がおり、友人や恋人がいたかもしれない。死してなお、なんらかの理由で動いていた死者達を、悠真は静かにとむらう。

「大丈夫。こんなにもやさしいシャルが浄化したんだ。ちゃんと成仏できたさ」

 面映おもはゆげに視線を斜め下に落としたのち、シャルはほがらかな笑みでうなずいた。

「はい」

 シャルと一緒に立ち上がり、気絶しているエレアを前にする。

 悠真は腕を組み、眠るように倒れている彼女をあきれ半分に見下ろす。


「しかし、こいつ。なんかもう、笑っちまうな……ったく、しゃあねぇな」

 悠真はエレアの腕をつかんだ。かけ声をらしつつ、紅髪べにがみをした彼女を背に乗せた。

 エレアの体は、想像以上に女性らしい柔らかさがある。

 背中に当たる乳房に、指が食い込む太もも――ほどよく絶妙な肉付きをしており、女なのだと強く意識させられる。ただ、しっかりきたえられている感触もあった。

(しがみつかれたとき、引きがすのに苦労したもんな……すげぇ力だったし)

「どうかしましたか、悠真さん」

 硬直していた時間が長かったのか、シャルが不安げな顔をして近づいてくる。

 われを取り戻し、悠真はあわてて小さく首を横に振った。


「あ、いや……思ったより重い。ってな」

「失礼ですよ、悠真さん」

 口をとがらせるシャルの銀色の瞳に、わずかなけんがこもる。

 そのとき、エレアの体重がいきなり重さを増した。

 周辺を照らす光球と似た原理げんり、あるいは時間制限に近いものなのかはわからない。いずれにしても、身体を強化していた秘術の効果が切れたのだろう。

 日本人の女性と比べ、エレアは身長がやや高い。因果いんが応報おうほうとでも言えばいいのか、シャルにした苦しまぎれの言い訳が現実となって返ってきた。

「はは、違いないな」


 苦笑いで誤魔化ごまかしたが、やはりもっと楽に背負せおっておきたい。少し前屈まえかがみになり、悠真は自分が楽だと感じる場所へエレアの位置をただした。

 ふと、だらんとした彼女の手のひらが視界に入る。

(こいつ……)

 傷一つないように見え、手のひらは――過酷かこくな訓練の様子がうかがえた。

 屋敷の正門での発言は、失言しつげん以外の何ものでもない。感情が爆発してしまうほど、エレアが真剣しんけんに努力しているのがよくわかった。 

「……よし。行こうか、シャル」

 シャルと歩幅を合わせつつ、悠真は歩き始める。


「あっ……」

「ん? どうしたんだ、シャル」

「私も、この屋敷までそうやって背負せおってくれたんですか?」

 気恥きはずかしそうに、シャルが顔をせた。

 当時の様子が脳裏のうりによみがえり、悠真は気まずさを覚える。

「まぁ……そう、だな」

 シャルのほおがみるみるこうちょうし、どこか居心地の悪い沈黙が広がる。

「いや、でも、シャルは想像以上にすげぇ軽かったぞ」

「……そ、そうですか」


 会話が続かず、二人して無言のまま屋敷内の探索を再開した。

 悠真は何か話題がないか、必死に言葉を模索もさくする。

「あ、そうそう。シャルとめしを食った場所でさ、あらくれ者の奴が言ってただろ。魔導まどう信仰しんこうだったか……俺には魔術まじゅつ魔法まほう秘術ひじゅつの違いがわからないが、何が違うんだ」

 悠真の質問で、シャルは小さくうなった。

「秘術と秘法ひほうは、魔術、魔法、神術しんじゅつ神法しんほうの別称ですね。はるか昔――言葉の違いから戦争にまで発展した歴史があり、それをさかいに、世界共通の言葉へと統一されました。魔導信仰家は今も秘術などは、悪魔や悪神あくじんの力だと信じた人達の総称なんです」

 シャルの話を聞きながら、悠真は半開はんびらきの戸の先を確認する。


 居間いまには足の踏み場すらない。戸を閉じてから、別の場所へ適当に向かう。

「なるほど……じゃあ、言葉が違うってだけで同じ内容のものだってことか」

「そもそも、秘力ひりょく人体じんたいのほかに、自然界にも普通に存在しているものですからね。今もこの場には、そうした自然界の秘力がただよっているんですよ」

「俺には、そういう感覚がわからないな……まあ、秘力がないからかもしれんが」

 シャルは困ったように微笑んだ。

「そういう体内や自然界の秘力ってさ、目に見えるものなのか?」

「あ、いいえ。肌……感覚的に感じるといったほうが、適切てきせつかもしれませんね。人が秘力をった場合は、目でも秘力の揺らぎがわかります」


 真偽しんぎのほどはさだかではないが、地球では五感以外にも第六感――いわゆる超感覚があるといわれていた。しかし地球では、根拠こんきょのないあやふやなものでしかない。

 こちらの異なる世界では、そういった第六感が当然として働いているようだ。

 悠真はシャルと、古びた階段を慎重しんちょうに上がっていく。

 二階に到達してから、悠真はシャルに質問をぶつける。

「言葉の違いって理解はしたけど、秘術と秘法も同じ言葉の違いなのか?」

「秘術と秘法は、なるものですね。秘術が自分の秘力をじくとするのに対して、秘法は自然界の秘力を軸とします。とても限定的で、儀式ぎしきに近いものですね」

「なるほど……」


 寝室と思しき場所を眺めながら、悠真は相槌あいづちを打っておいた。

 特に何かがあるわけでもなく、そっと戸を閉じて別の場所へ向かう。

「儀式……か」

「人の体内を巡る秘力とは違って、自然界の秘力は扱いが難しいですから……でも、もともと秘術は秘法から派生はせいした代物なので、儀式といえば儀式ですけどね」

「ああ。ようするに目に見える儀式が秘法で、自分の中で行なう儀式が秘術か」

 わずかにまゆを浮かせ、シャルはうなずいた。

「あの魔法陣はどういった絡繰からくり……あ、いや、意味があるんだ?」

「魔法陣……?」


 シャルは不思議そうに、小首をかしげた。悠真は、何か別の言葉を考える。

「ああ、えっと……秘術を発動する直前に出てくる、丸い形をしたやつだ」

「あっ、紋章もんしょうじんの話ですね」

 シャルがあわてた様子を見せたあと、ゆったりとした口調で説明してきた。

「法術を発動はつどうするために必要不可欠となる、基盤きばんですね。秘術であれば、人の体内で練った秘力で紋章陣をえがき――そこへ、同じく秘力で構成こうせいした術字から術式に変えて打ち込んでいきます。そうして完成した紋章陣を媒体ばいたいにして、術を行使こうしするんです」

 何やら、ずいぶんと難しそうな理論があるらしい。シャルの解説をしっかりと呑み込めているのか、悠真は徐々じょじょあやしくなる。


 少なくとも、すぐ理解できるような単純な代物ではないとだけわかった。

 まだすべてを消化しきれてはいないものの、悠真は不意の疑問をそのまま問う。

「んぅ……? 紋章陣を描いてから術式を打ち込むより、全部終わらせてからやれば手間てまが減るんじゃないのか? つか、あの詠唱えいしょうみたいなのって必要なのか?」

暴走ぼうそうの危険がありますから、補助道具か特殊とくしゅな方法に頼らなければ難しいですね」

「なるほど。そりゃまずいな」

「詠唱の必要性ですが、一から術式を構築こうちくするのは時間がかかり、限度もあります。だから事前に、紋章譜もんしょうふ――訓練くんれんによって自分の中で記憶きおくさせた術式を紋章譜と言い、この紋章譜を詠唱で呼び出せば、複雑ふくざつな術式をはぶいて発動が可能になります」


 落ちている古い書物に、ふと悠真の目がまった。こういった書物でたとえれば、紋章譜とは記述きじゅつしたページであり、そのページを開くために詠唱が必要なのだろう。

「あと身近な術といえば、巫術ふじゅつでしょうか。これは精霊を主軸しゅじくとした術となります。私も巫術を扱える適性がありますが、残念ざんねんながら今は何とも契約していません」

 燃え盛る火の毛並みを持った犬を、悠真はぼんやりと思いだす。

(主軸とした……か。だから、アリシアは自分を巫術ふじゅつだと名乗ったのか)

「人は補助道具か特殊な方法に頼らない限り、無詠唱むえいしょうでは即座そくざに法術を扱えません。ですが、自然界の秘力そのものともいえる精霊であれば、人とは違って本当に詠唱の必要がありません。ですから、精霊が扱う術はという別の呼び名があります」


「へぇ……精霊術、ね」

 勉強にはなるが、自分には扱えそうにない残念な情報として心にとどめておく。

「精霊と契約を結んだ者は強大な力をられます。が、契約自体とても困難こんなんな場合がほとんどです。すべては精霊の身心のままに……ですね。そしてもし、精霊の中でも高位の精霊から寵愛ちょうあいを授かった場合、瞳の色が真紅しんくの瞳へと変色します」

「ああ、そうそう! あとでわかったんだが、だからあのとき、シャルは俺が精霊の適性がないわけがないって言ったんだよな」

 気まずそうに、シャルはぎこちないうなずきを見せた。

「はい。悠真さんは、高位の精霊から寵愛を授かったかただと思っていました」


「なぜだか、あかいだけなんだよなぁ……まあ、いろいろ教えてくれてありがとうな。ただ、これ以上聞くと頭がパンクしてしまう。だから、また少しずつ教えてくれ」

「そうですか? 悠真さんは、とてもかしこい方だって感じましたけど」

 シャルは口許をゆるめた。悠真は苦笑いが自然とれる。

「だといいがな……って、しっかし、あの妖魔と遭遇そうぐうして以来なんもねぇな」

 屋敷は二階までしかなく、屋根裏も特になさそうだった。

 玄関から始まり、行ける場所はくまなく探索したはずなのだが、異変いへんに思えるような箇所かしょはどこにも見当たらない。妖魔ようまの気配もまったく感じられなかった。

 もはや、ただのれ果てた廃墟はいきょでしかなくなっている。


「もしかして、あの妖魔ようまの中に結界けっかいを張ってた元凶げんきょうがいたんじゃねぇか?」

 答えの出なさそうな問題に、シャルは困り顔をした。

「一度、ピピンに確認するか。シャル、どっかに商霊がいるはずだから探そう」

 悠真の提案に、シャルが微笑みでこたえた。

 屋敷の玄関付近に戻ったところで、気絶していたエレアに反応が表れる。

「お、やっと起きたか。何を気絶しとんだ、お前」

「ん、あれ……?」

 状況が呑み込めない様子のエレアは――途端とたんあばれ出した。

「お、おお、おぅ、おお、お前、私に何をしているのっ?」


「な、何って、背負せおってやってんだろ、って暴れるな!」

「降ろせぇ、離せぇ!」

 悠真は言われた通りに手を放すと、エレアがどさっと重い音を立てて落ちる。

「い、つ、つつぅ……何をするのよ!」

「いや、お前が離せって言ったんじゃないか」

「離し方があるでしょう!」

 面倒臭めんどうくさい女だと思いながら、悠真は屈んでエレアと目線を合わす。

 もの凄い剣幕けんまくにらんでくる彼女のひたいを、指先で何度もつつく。

「あのまま気絶したお前をほうって、シャルと二人で進んでもよかったんだが?」


 脅迫きょうはくめいた言葉に、エレアの顔が青ざめていく。

 突然、彼女の金色の瞳は斜め下へと移った。ほおほのかに赤みを帯び始めている。

「だからといって、その……私にれるなんて、百年早いわ」

 妙な想像をするエレアにあきれ、悠真は無視むしして立ち上がる。

 シャルを見ると、気まずそうに悠真とエレアを交互こうごに見ていた。

「さてと、それじゃあここから出て、ピピンを探そうか」

「無視をするな!」

 憤怒ふんぬの形相で、エレアも立ち上がった。

 怒る彼女から視線をらし、悠真は苦笑する。


 シャルの様子に、悠真はふと目を奪われた。

 エレアの足元のほうを、何やらじっと凝視ぎょうししているようだ。

「どうしたんだ、シャル」

「あ、あの……エレアノールさんの足元に、何かがあるみたいです」

 シャルの指先を辿たどると、赤いもやがかかっている部分がある。

 目をらせば、赤い靄の正体しょうたいは宙に浮かぶ文字だとわかった。

「なんだ、これは? なんで文字が浮かんでんだ……?」

「これは、秘術文字ね。この下にかくし通路ありって書かれてあるわ」


「秘術文字ってなんだ?」

 初めて聞く単語を聞き返すと、エレアが憮然ぶぜんとした顔をする。

「お前は、本当に無知むちね……秘術文字は秘力を使って、その場にとどめておく文字よ。本来、声を出せない人が道具なしでも秘術を扱うために、試行しこう錯誤さくごして編み出された技法なの。まあ、こういった使い方もできるってわけね。わかった?」

「おお……確かに聞いた限りじゃそうだよな。よくわかった。ありがとう」

 悠真がお礼を告げると、エレアの表情がわずかに引きつった。

「なんか、素直にお礼を言われると気持ちが悪いわね」

「教えてくれる人に礼をくすのは当然だろ。お前が今までくそだったってだけで」


 目玉がこぼれ落ちそうなほど、エレアが目を丸くする。

「く、くそ? 殺すわ、お前!」

「無反応秘術でか? 怖いな。何も起こらないのを延々えんえん見させられるとかやべぇわ」

 鬼のような剣幕けんまくをするエレアが、軽く首を絞めてきた。ゆらゆらと揺らされる。

 少し息苦しさをこらえつつ、悠真は隠し通路につうずるらしい場所を探す。

 よく観察してみれば、ほこり途切とぎれている箇所かしょが目に入った。

 エレアの両手からするりと抜け、悠真は近寄っていく。

「ここか」

 取っ手と思われる部分に指を入れ、持ち上げてみる。信じられないほど重い。


 おそらく、通常はなんらかの道具を使用して開く扉なのだろう。素手すででも頑張れば不可能ではなさそうで、悠真は気合いを入れ持ち上げていく。

 床にある隠し扉を開けば、人二人分程度の幅しかない階段があった。

 とても深く下へと続いており、秘術で生み出された明かりすらも届かない。

「えぇ……こんなところ、進みたくないわね」

「一緒に進むのと、一人で待ってるの。どっちがいいんだ?」

 おびえた声をあげたエレアに、悠真は二択を提示した。

 少しばかりほおふくらませ、エレアは少女のような仕種しぐさを見せる。

「行くわよ。行けばいいんでしょう」


「来なきゃ、お前の目的が果たせないだろ。シャル、その光球を、俺の前にくるよう操作してもらってもいいか? 俺が先に進むから」

 シャルの表情はえない。心配げな眼差しで見据みすえてくる。

「悠真さん、気をつけてくださいね」

 身を案じてくれているシャルに、悠真は微笑みで返した。

 悠真は緊張を胸に、警戒けいかいしながら階段を下る。饐えたかびの臭いが鼻を突く。

 階段を下り切った先には、長い一本の通路が続いていた。

 周囲は加工された石壁でおおわれており、どこか空気が冷えている。んでりんとした冷たい空気とは違う、不思議な印象のある通路であった。



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