第十二幕  七人目の正体



 長椅子に座っているシャルの前に立ち、悠真は両手を腰に置いた。

「落ち着いたか?」

 シャルが言葉なくうなずく。照れもあるのか、視線は下を向いたままだった。

「さて、シャル。これまでの話は少し置いといて、これからの話をしたい」

 銀色の瞳に戸惑とまどいが宿り、シャルが見上げてくる。

「あの騎士の連中も相当やばかったが、それと同じぐらいやばい状況に今はある」

 ピピンからた情報を、悠真はシャルに伝えた。

 次第にシャルの顔が強張こわばりを見せ、左に右にと首を振る。


「ここが、あの有名な呪われた屋敷なんですか。血塗ちぬられた場所だと聞いています。ニアとヨヒムからも、ここへは絶対に近づくなって……」

 子供の感性によるものなのか、するどいなと悠真は感心した。

「そういえば、あれから二人の姿を見ていないが、無事ぶじなのか?」

「……はい。どちらもとても安全な場所にいますから、問題ありません」

 妙な間に悠真は首をかしげるが、それ以上シャルは言葉を続けなかった。

 とりあえず、悠真は安堵あんどする。

「まあ、それで、ここには結界けっかいがあって、閉鎖へいさ空間となっているらしいんだ」

「悠真さんは、もう確認したんですか?」


 悠真は短くうめく。確認していないのに加え、その考えすらも出ていなかった。

「そういえば……うん、してないな」

 素直すなおに告げると、シャルは顔をゆるやかにして微笑んだ。

「一緒に見に行きませんか? 私でも解除可能なたぐいの結界かもしれませんから」

「ああ、わかった。行こう」

 立ち上がったシャルと、悠真は近くにある正門を目指した。

 相変わらず半開きで、何もないようにしか見えない。

「これ、本当に結界けっかいとかあるのか?」

 いぶかしげな面持ちで、シャルが門のほうを見据みすえていた。


閉鎖へいさ空間と言っていましたね。確かめてみましょう」

 シャルが近くにあった小石を拾い、下手したてほうり投げた。

 瞬間、ノイズに近い音が響き、小石がはじけ飛んだ。

 き通る空色をしたまくのようなものが、門やへいさかいに上空に広がっていく。まるでシャボン玉の中に、敷地ごと閉じ込められたとしか思えない光景であった。

「うわぁ……なんだこりゃあ」

「こ、これは――」

 シャルの声は驚きに満ちていた。

「悠真さん、ごめんなさい。これは、私の手に負える代物ではありません」


 眉間みけんしわを作ったシャルが、少しあごを下げた。

「非常に強力な結界。それこそ、精霊が渾身こんしんを込めた水準だと思われます」

「じゃあ、やっぱり結界を張った本人をどうにかしないとだめか」

「はい。これほどの結界が、どうして張られているのかは謎ですが……」

 軽く溜め息をつき、悠真は軽めに何度かうなずく。

「調べてみるしかないか……危険だから、シャルはここら辺で待っててくれ」

「な、何を――」

「きゃあぁああ――っ!」 

 シャルの言葉をさえぎり、甲高かんだかい女の悲鳴があがった。


 屋敷の内部から聞こえた気がしたのだが、正確にはわからない。

 悠真は屋敷を警戒けいかいして、凝視ぎょうしする。

 依然いぜんとして沈黙が――突如とつじょ荒々あらあらしい物音や足音が鳴った。

「シャル、何か来る。そこにある木の裏にかくれてろ!」

 シャルを木陰こかげに隠し、まもる意を込めて腕を伸ばした。

 玄関口の扉がはじかれるようにひらき、中から人影がひらめく速さで飛んで来る。

「え、人? ちょ、ちょっと……!」

 黒い人影に突進とっしんされ、回避が遅れた悠真は体で受け止めた。

「ぐっ――」


「ゆ、悠真さん!」

 後方に押し倒され、地面に背を強打した。腹部にずっしりとした重量を感じる。

 痛みをこらえつつ、悠真は素早く視線を移す。

 紅色べにいろの髪をツインテールにしている――商業都市で出会った御貴族ごきぞくさまがいた。

 りんとしていた眼つきは恐怖に染まり、整った顔には絶望の色がにじんでいる。

「お、お前……あのときの御貴族様じゃないか」

 御貴族様は震えながら顔を上げた。金色こんじきの瞳がおびえを宿して揺れている。

 記憶を呼び起こしていたのか、少しの間が置かれた。

「お前、下民の……ポチか?」


「下民じゃねぇしポチでもねぇから。つか、重いからどいてくれないか?」

 彼女はずかしそうに目をらした。

「今は、ちょっと無理な相談ね」

「はぁ? 何を言ってんだ」

 悠真の腹部に御貴族様が顔をうずめてくる。ふわりと髪からいい香りがただよう。

 綺麗な異性にき着かれるのは、照れはあるが別にわるい気分ではない。

 ただ、商業都市での一件で、悠真の中にある御貴族様の印象は最悪さいあくだった。性格のりが合わないと認識しており、むしろ敵と認識してもいいとさえ思っている。

 どう扱うかなやんでいると、御貴族様がぼそっとつぶやいた。


「腰が、抜けた……」

 ほおを引きつらせながら、悠真はシャルを見る――なぜか不満げな面持ちをしている銀髪の彼女は、そっぽを向いていた。助けは期待できそうにないとさとる。

 微妙に力が入れにくい姿勢ではあったが、悠真は力を振り絞った。

 強引ごういんに御貴族様を腹から落としたのち、颯爽さっそうと立ち上がる。

「っしゃ。無事ぶじ、脱出成功」

「な、何をするの。信じられないわ」

 地面にした姿勢から、御貴族様が素早く立ち上がった。

 腕を組んだ御貴族様を、悠真は半眼でにらむ。


「普通に動けるじゃねぇか。何が、腰が抜けただ」

「お前の非人道的な行為こういのせいよ。はじを知りなさい」

「知らねぇよ。つか、貴族ってのは、人に衝突しょうとつして謝りもできないだめ人間か?」

 悠真の問いに、御貴族様は苦い顔を横にそむけた。

「わ、私を受け止めた事実、光栄こうえいに思いなさい。どう、これで文句もんくないでしょう」

「ないわけあるか。今の発言のいったいどこに、謝罪の言葉が含まれてたんだ」

「貴族にくせた。それを光栄に思えないとか、どんな人間なの。お前」

 理解不能ではあるが、本気で貴族の彼女は正しいと思う雰囲気をかもしていた。

「それで喜ぶ畜生ちくしょうを見たことも聞いたこともねぇよ」


「はぁ? 本当、下民は教養がなっていないわね」

「そんな教養なんざいらねぇな? そこらへんの犬にでもくれてやるわ」

 頭の螺子ねじがぶっ飛んだ様子の御貴族様が、うなって威嚇いかくしてくる。

 小さくれた笑い声が聞こえた。

 悠真は項垂うなだれながら、シャルに視線を移した。

「いや、あのな。笑いごとじゃねぇから……」

「ひっ、き、禁忌きんきの悪魔? うそでしょう……ど、ど、どうして、こんなところで」

 どさっと尻餅しりもちをついた御貴族様が、そのままの姿勢で後退こうたいしていく。

 まるで、慌てて逃げる蜘蛛くも彷彿ほうふつとさせた。


 悠真はひたいに手のひらを当て、目をらしておく。

 御貴族様のスカートの中身が、完全に見えているのだ。見えそうであわてさせられたシャルとは違い、不思議と落ち着いて対処ができた。

 ふとシャルの表情に、深い影が差しているのに気づく。

「ったく、失礼な奴だな。禁忌の悪魔って名前じゃない。この子はシャルだ」

「お、おぉ、おぅ、おぉ、おぅ」

 激しく動揺どうようする御貴族様に対して、悠真は蜘蛛の次にオットセイを連想する。

「お前、頭がおかしいの? そいつは、あの有名な禁忌の悪魔よ」

「おかしいのは、お前の頭だ。シャルだつってんだろ」


 貴族の彼女は素早く立ち上がり、握った拳を胸の辺りに置いた。

「はぁ? だれがおかしいですって」

「だから、お前の頭だよ。あ、た、ま。わかるか?」

 悠真は自分の頭を何度もつつき、言葉を強調して示した。

 御貴族様の目が大きく見開かれる。その金色の瞳に、確かな殺意さつい憤怒ふんぬが宿った。

「もう、お前……この私を侮辱ぶじょくしたつみ、死を持ってつぐないなさい」

 御貴族様は、胸元からネックレスを取り出した。

 何かの紋章をかたどったようなアクセサリーを、彼女は右手で握り締めた――まばゆい光が放たれ、斜め下へと右腕を勢いよく振り払った。


 少し細い両刃の剣が、彼女の右手に握り締められている。

(あれは……ピピンがくれた錬成れんせい武具ぶぐってやつと同じ代物か?)

「ちょうどいいわ。禁忌の悪魔もお前も、この場で討ち取ってあげる」

 ただならない殺気に、悠真はあわてて黒い指輪に意識を送った。

 両腕まで呑み込んだ雪白の光がはじけるや、漆黒しっこく籠手こてが装着した形で現れる。

「シャルを狙うなら、たとえ女だったとしても俺は容赦ようしゃしない」

 悠真は握り込んだ右手をあごそばえ、構えを取った。

 実際のところ、悠真はたとえどんな理由があろうとも女性だけは絶対に殴れない。格闘術を学んでいたころから、相手が女性だと組手でも殴れなかった。


 そのせいで、格闘術を指南しなんしてくれた師範しはんからは、尋常ではないぐらいしかられた。それだけ過去に受けたトラウマが悠真の心に強く根づき、むしばんでいる。

 トラウマが治るきざしは、いまだにない。だからこそ――

 きつくしごかれた甲斐かいもあってか、いなす技術だけはしっかりと身についている。

「甘く見ないで……剣を持っている相手に、拳で勝てるとでも思っているの?」

 御貴族様の構えを見て、悠真はまずいと感じた。都市で戦った騎士クラスとまではいかないものの、それでも鍛錬たんれんを積んだ者の空気感だった。

 一直線に、御貴族様が向かってくる。

 中途で剣を構え直すやいなや、途端とたんに彼女の速度が増した。


 まばたきすらも許されない斬撃ざんげきを、悠真は半歩ずれてける。

 悠真は冷や汗をかいた。命をけてやり合った騎士以上に彼女は素早い。

「どうしたの! 私は手加減などしないわ!」

「悠真さん!」

 悲鳴みたシャルの声を聞きつつ、悠真は御貴族様の放つ斬撃をかわし続ける。

 とがった剣の先が、かすかに籠手こてをかすめた。

 想像以上に強固きょうこだと知り、これならばふせげると確信する。

(籠手で受けて、剣を奪うしかないか)

 不意に、御貴族様の後ろで何かが揺らめく。錯覚さっかくを疑ったが、いやな気配がただよう。


 御貴族様がやや離れた位置に移動し、剣尖けんせんを向けてきた。

馬鹿ばかにしないでよ! どこを見ているの!」

「いや、今……何か、お前の後ろのほうで影が……」

「きゃぁあぁああ――!」

 異常なまでの悲鳴に、驚いた悠真の体が極わずかに痙攣けいれんしたように震えた。

 半泣はんなきの形相で剣を投げ捨て、御貴族様が四つんいの姿勢で向かってくる。

 完全に無防備な状態に呆気あっけに取られていると、素早く腰にしがみつかれた。

「ちょ、おま、なんだ! 邪魔じゃまなんだが!」

「無理無理無理無理無理。絶対に無理」


「邪魔だ――つって、んだろうがぁ!」

 しがみつく御貴族様を、悠真は強引ごういんに引きがす。

 彼女の握力は、想像した五倍ほど力強かった。

「あわ、わわ、わわわ、わあ、わ、わあ」

 御貴族様は両膝りょうひざかかえ込み、ひどおびえている。

 今は無視むしし、悠真は周囲に視線を巡らせた。何もおらず、物音もない。

(気のせいだった、のか?)

 悠真は周辺の気配を探りつつ、あわあわと声をらす御貴族様を軽くにらんだ。


「つか、ピピンが言ってた挑戦中の一人って……お前だったのか。おい、御貴族様。屋敷の怪物退治たいじのほうは順調なのかよ?」

 悠真は装着していた漆黒しっこく籠手こてを、黒い指輪に戻しながらいた。

 御貴族様からかわいた笑い声がこぼれる。

「今の私の姿を見て、それを本気で言っているのなら、お前の正気しょうきを疑うわ」

「お前、マジで何しに来たんだ」

「うるさいわね。私には私の事情があるのよ」

 御貴族様の容姿は、すれ違う人を振り返らせるぐらい端麗たんれいではあるが――これほどまでに可愛かわいくないと思える女が存在するのかと、悠真は心から素直すなおに思う。


 おまけに、最後の七人目が御貴族様だとは知らなかったが、心のどこかで七人目が浄化してくれるのをひそかに期待していた。しかしまったく関係のない庭ですら恐怖きょうふに駆られている彼女に、呪われた屋敷の浄化などできるわけもない。

 悠真は、深々ふかぶかと息を吐き出す。

「そうかい。じゃあ、シャル行こうか。御貴族様は、ご自身の理由で多忙たぼうのようだ。それにまたいつおそってくるかもわからんし、危ない奴には近づかないでおこうな」

「ちょ、ちょっと待ちなさい。お願い、無理。待ってよ」

 プライドが邪魔じゃましているのか、ひどく微妙な言葉づかいと顔つきになっていた。

 悠真はさわやかな微笑みを作り、言葉を送っておく。


「怪物退治たいじ、頑張ってください。御貴族様のご健闘けんとうお祈りしてます。じゃあな」

「いやぁあ、置いて行かないで! 本当に無理だから。無理、無理」

 シャルのほうへ足を進めた途端とたん、がっしりと御貴族様が足首をつかんできた。

 可哀想かわいそうなぐらい無様ぶざまな姿を見て、悠真の脳裏のうりひらめきが起こる。

「シャルにも人として接してやれ。攻撃しようとするな。それが条件だ」

「それとこれとは話が別だから。何を言っているの?」

 御貴族様が真顔でこたえた。お返しに、悠真はしらけた目つきでこたえる。

 御貴族様を引きりながら、悠真は無理矢理にでも歩き始めた。

「あっそ。それじゃあ、ひとりぼっちで勝手に頑張ってくれ」


「お、お願い待って、ってばぁ。わ、わかった。わかったからぁ」

 悠真は立ち止まり、目を細めてから彼女を見下ろした。

「し、仕方がないわね。下種げすな男だろうが禁忌きんきの悪魔だろうが――」

「じゃあ、そういうことで」

 解答が気に入らず、再び悠真は歩く。

「もう、わかった! シャルね、シャル。攻撃もしないから! 約束するから!」

 足首をつかみ続ける御貴族様に、悠真は腰に手を置いて勝ちほこった表情を見せる。

「く、くっ、くっそぉお――!」

 夜空に浮かぶ青い月に向かい、彼女は女があげてはならない咆哮ほうこうを放った。


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