呪われた屋敷

第十一幕  あたりまえの異常



 人通りが多い街の中を、シャルティーナはのんびりとした足取りで進んでいく。

 普段の質素しっそよそおいとは違い、お洒落しゃれをたっぷり楽しんでいた。

 顔にほんのりと化粧けしょうをして、自分に似合った服に身をつつむ。腰を越える長い銀髪を綺麗に整え、可愛かわいい装飾品で飾りつけもしている。

 新しい自分になったような気がしながら、人目もはばからず堂々どうどうと街を歩くのだ。

 そんな自分のそばには、だれかがいる。しかしぼんやりとかすんでいてよく見えない。

 性別すらもわからず、その正体しょうたいつかめそうにない。それなのに不思議と、隣にいる相手の表情はとてもおだやかで、微笑んで会話してくれているのだけはわかった。

 話している内容は、取るに足りない世間せけんばなしにしかすぎない。


 ただそれだけのはずなのに、胸の内側から幸福感がいてくる。

 陽だまりのようなあたたかさが、心をじんわりと満たしていった。

 一緒に街の中をあてもなく散歩して、少し足が疲れたらどこかのお店で一息ひといきつく。最後には決まって、夕焼けのおだやかな茜色あかねいろの空を二人で静かに眺めていた。

 心地のよい静寂せいじゃくつつまれ、ゆったりと流れる時間を二人で共有している。

 しばらくして――決心を宿した眼差しで、隣の誰かがやさしい声をつむぐ。

「ありがとう。だから――」

 そこから先は聞き取れなくなる。ただ、無性に涙があふれて止まらない。

 かなしい涙ではなく、心からうれしいと感じたからこその涙であった。


 そばにいる何者かが、流れる涙を指でやさしくぬぐってくれる。

 相手の行動の一つ一つにたまらなく幸せを覚え、心がうるおっていく。

 シャルティーナは小さいころから、これに似た夢をずっと見てきた。

 どれほど願い、のぞみ、努力したとしても――現実では決して手に入らない。

 それが夢ならば、いとも簡単に手に入るのだ。

 だからシャルティーナは、夢を見るのが好きだった。

 夢ならば、誰かを気にする必要はない。

 夢ならば、すべてが自由で許される。

 夢ならば、望んではいけない日常も望めた。


 ただ、そんな夢でもたった一つ、絶対にかなわない願いがある。

 それは――



        ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 夜の闇が落ちた噴水広場で、悠真は禁忌きんきの悪魔に関して思考を巡らせていた。

そばにいるだけでやくおとずれ、とどまった場所に災厄さいやくを振りく……か)

 本日の件で当てはめてみる。シャルと出会い、悠真は騎士と命懸いのちがけの戦いをした。都市の商業区では謎の火柱が発生し、死傷者が出た可能性はいなめない。

 そして不幸にも、今は呪われた屋敷のせいで監禁かんきんに近い状態にある。

 確かに厄が訪れ、災厄が振り撒かれたように思えなくもない――そもそも、騎士や衛兵達がシャルを狙おうとしなければ、悠真が割って入る必要はなかった。

 また、こんな事態におちいってもいなかっただろう。

 何より自分の意志で飛び込んだのだから、厄が訪れたという点は明らかに違う。


 ここまで考えてから、悠真は背筋が凍った。

 これは、自分に都合つごうのいい解釈でしかない。もし〝シャルの存在があったから〟と言われてしまえば、それまでの反論にしかすぎないのだ。

 禁忌の悪魔とは、非常に厄介やっかいな問題だと思う。

 だれもが認めざるをない、間違いだと断定するだけの解答が何一つ見つからない。禁忌の悪魔――言葉と存在そのものが、厄や災厄を呼び寄せている気がした。

(つか、厄だとか災厄って言葉自体が抽象的ちゅうしょうてきで、し関係なく、当てはめようと思えば、いくらでも当てはめようがあるんだよなぁ……)

 食事した店の女主人からすれば、きっとあの出来事は厄となるに違いない。


「ん、んぅ」

 不意に、シャルがか細い声をらした。徐々じょじょまぶたが開き、覚醒かくせいに向かっている。

 焦点しょうてんが合わないのか、銀色の瞳がかすかに揺れ動いた。

「私、は……はっ!」

 シャルが上半身を飛び起こした。肩で息を切らし、青ざめた表情をしている。まだこちらの存在には気づいていない様子で、悠真は声をかけるタイミングを見失う。

 どうするか戸惑とまどっていると、シャルが見惚みほれるほどに整った顔を向けてくる。

 お互いに視線をえ合う状態となり、妙な沈黙が場に落ちた。

「……よ、よう」


「ゆ、悠真、さん?」

 シャルがいぶかしげな顔をする。悠真はとりあえず苦笑でこたえておく。

 悠真がシャルを発見したとき、すでに気絶状態にあった。だから彼女からすれば、気絶してからの状況など知るよしもない。当然、困惑こんわく最中さなかにあるのだろう。

「もう少し安静あんせいにしてたほうがいいぞ。話は、別にそれからでもいいだろ」

 思考が追いつかないのか、シャルは依然いぜんとしてじっと見据みすえ続けてくる。

 どこか気後れした悠真は視線を泳がせた。ふとなめらかそうな肌をしたシャルのあしに目がまる。起きた拍子ひょうしまくれたのか、スカートの中が見えかけていた。

「おわぁっ!」


 悠真があわてて立ち上がると、シャルが不可解そうに首をかしげる。

 事情を呑み込まれても困るため、悠真は咄嗟とっさに言葉を取りつくろう。

「なんにしても……元気になってよかったな」

「あれ、そういえば、私……怪我けが

 シャルが自分の体を見下ろした。

 はっと息を呑んだシャルの神々こうごうしい顔に、深い影が差し込んだ。

「……悠真さんが、私を助けてくれたんですか」

「ん、ああ。あの騎士のやつらや怪我の話か。まあ、なんとかな」

 シャルがするどい眼差しでにらんでくる。その剣幕けんまくには、鬼気せまるものがあった。


「どうして、助けたんですか。自分が何をしたのか本当にわかっているんですか!」

「えぇ……なんか俺、滅茶めちゃ苦茶くちゃ怒られてる?」

 シャルの恫喝どうかつに驚き、悠真はほんの少し体をらせる。

「当然です。どうして、私なんかを助けたんですか。信じられないほどの馬鹿ばかです。記憶を失っているからですか。本当にありえないです!」

 シャルが語気を強めて言った。彼女の気迫きはくに、悠真は困惑こんわくするしかない。

 感謝を目的として助けたわけではないが、怒られるのもまた違う気がする。

 シャルが肩を小刻こきざみに震わせ、太ももに乗せた手を握り締めた。

「だめなんです。本当に……私なんか助けたら、だめなんです」


「あ、あのさ、ちょっと落ち着こう。な? シャル、落ち着こう」

 またシャルがにらんできた。月の明りを受け、目に浮く涙が輝いている。

 まぶたを閉じた拍子ひょうしに、溜まっていた涙がこぼれ落ちていく。

「私が死ねば、よかったんです。私が死ねば、迷惑めいわくを、かけることはないんです」

 はかない声音で放たれた言葉に、悠真は心を痛める。母親をうしなった経験から――たとえ本気であったとしても『死ねばよかった』などと、聞きたくはなかった。

 自暴じぼう自棄じきおちいっている様子のシャルを見て、悠真は押し黙る。

「ごめん……なさい。本当に、ごめんなさい。私が、禁忌きんきの悪魔だから、悠真さんのそばにいたから、きっと悠真さんに、厄が……」


 嗚咽おえつらしつつ、シャルが訥々とつとつと告げた。

 悠真は静かに溜め息を吐く。シャルの前でひざを着き、目線の高さを合わせた。

「禁忌の悪魔とは傍にいるだけでやくおとずれ、とどまった場所に災厄さいやくを振りく。そして人であって人ではない存在……そう聞かされた」

 両手で顔面をおおい隠した彼女に、悠真は続ける。

「それをふまえた上で、一つ言わせてくれ。シャルが禁忌の悪魔だとか、俺が記憶を失ってるだとか、関係ない。自分がそうしたいと思った。ただ、それだけだ」

「でも、私が悠真さんと知り合わなければこんな――」

 悠真は、ゆっくりと首を横に振る。


「そんなかなしいこと言うなよ」

「悠真さんは、禁忌の悪魔が何かを何も知らないから!」

「たとえ知っていても知らなくても、きっと……うん。俺は同じようにやった」

「どうして……?」

 真摯しんしに問われ、悠真は返答にきゅうする。

 可愛かわいさに見惚みほれたから、けがれのない涙を見たから、境遇がつらそうだったから――理由を模索すればいくつか浮かんだ。ただ、どれもこれもしっくりとこない。

「うぅん……腹が減っている俺に、飯をおごってくれた。これじゃあ、だめか?」

 銀色の眉が少し跳ねたのち、シャルは力のこもった眼差しで見つめてくる。


「だめです。そんなの絶対にだめです。ご飯を奢ったからだなんて、軽すぎます」

 悠真はわずかに失笑する。とうの本人からすれば、かなり死活問題であった。

「理由なんか、どうだっていいんだ。助けたいから助けた。それでいいじゃないか。それにシャルだって、俺を助けてくれただろ。そのとき、あれこれ考えてたか?」

 肩をすくめて問い返すと、シャルは顔をせる。

「悠真さんは、私がどうやって産まれたか聞きましたか?」

「いや、そういえば聞いてないな」

 神妙しんみょうな面持ちで、シャルがつぶやきに近い声で言った。

「私は、母のむくろから産まれました」


(母の躯、から?)

 悠真には、想像するのが少しばかり難しい話だった。くなった母親からシャルが誕生したのは理解したが、どういった状況でそうなったのかはまるでわからない。

「やっぱり、不吉に感じますよね」

 視線を落とすシャルの瞳に、妙な違和感があった。

 何かをさとった――いや、覚悟を決めた雰囲気がただよっている。

 シャルがまとう空気感が気になりつつも、悠真はやや黙考してから言葉を返す。

「いや、すまんが……正直、ちょっと想像が難しい。簡単に言えば、母親がシャルを身籠みごもったまま亡くなって、そのあとにシャルが産まれたって話だよな」


 シャルは硬いうなずきを見せた。

 立ち会った経験などはないが、日本にいたころ、何かしらでた情報を思いだす。

「でも、そういうのって、まれだがあるものなんじゃないのか?」

「ありえません。身籠った母親が亡くなれば、身籠った子も一緒に亡くなります……深い森の奥で、母は私を産み落とす前に、息を引き取ったと聞かされました」

(そうか、俺の知っている情報って、病院とか設備の整ったところの話だったか)

 この世界に、どれほどの医療いりょう技術があるのかはわからない。

 悠真が想像している深い森の中であれば、適切な処置しょちがとれる施設があるとは少し考えづらい。だが、この異なる世界には不思議に満ちあふれた力がある。


 地球人には理解できない〝技術〟があったとしても、なんらおかしくはない。

 シャルは少し間を置き、言いづらそうに声を出した。

「私の母は、私を身籠ったせいで殺されてしまったそうです」

 シャルへの不当な扱いは産まれる前からだと知り、悠真は眉間みけんに力を込める。

 シャルは不安を抑え込むかのように、半開きの拳を胸に当てた。

「追手からの攻撃を受け、それでも母は、必死に逃げ続けていたのだと聞きました。そして深い森の奥である存在と契約を行ない、自分の命と引き換えに、妊娠八か月の胎児たいじだった私を、無理に産もうとしたらしいです」

 語るシャルの目から、すっと涙が流れ落ちた。


「しかし力がおよばず、私を産み落とす前に……追手から受けた傷が原因で力きたと言っていました。なのに、私は産まれたんです。本来なら、ありえないはずなのに。きっと、私が、禁忌きんきの悪魔として……世界に災厄さいやくをもたらすために産まれたんです。母だってもし私が禁忌の悪魔だと知っていたら、産まなかったに決まっています」

 シャルは静かにむせび泣いた。必死に抑えようとしているのが見て取れる。

 視界が涙でにじみつつある悠真は、小さく首を横に振る。

「違うよ、シャル。それは絶対に間違ってる」

「どうしてですか。だって――」

「俺がいた世界――場所じゃ、それは禁忌の悪魔とは呼ばない。奇跡きせきってんだ」


 悠真は自分の目許を、腕で雑にぬぐう。

「つか、産まなかったに決まってる? んなわけねぇだろ……シャルの母さんはさ、だれよりもシャルの誕生を願って、たとえ命をけてでも、まもりたい存在だって、そう思ってたに決まってるだろ。そんな母親が禁忌の悪魔だとか、気にするわけがない。それが、母親ってもんだろ」

「だって、みんな不吉だって、気味が悪いって……みんなが私をけて、怖がるか、殺そうとするのに、どうして悠真さんは、こんな私のために泣いてくれるの」

 気持ち声を裏返らせて言ったあと、シャルはれた声で続けた。

「そんなやさしさ、いらない。きらってくれたほうが、いい。だから言ったのに!」


 さきほど妙にさとっていた雰囲気の正体しょうたいを、悠真はようやくつかめた。

 おそらくシャルは慣れていないのだ。日頃ひごろから〝人〟として扱われない〝異常〟があたりまえになってしまい、その〝異常〟が彼女にとっての日々ひびなのだろう。

 今のシャルは人との接しかたがわからなくなり、混乱しているに違いない。

 自分なんかとは比べものにならない凄惨せいさんな人生を、彼女はずっと――そんな人間もいると、悠真は今まで考えすらもしなかった。胸に圧迫感あっぱくかんのある苦しさを覚える。

馬鹿ばか、お前。やめろ。余計よけいに泣くだろ、こんなの」

 悠真は必死にこらえ、鼻を強くすすった。

 短い深呼吸をしたのち、シャルを真正面から見つめた。


「なあ……シャル。二度と死ぬなんて言っちゃだめだ。だれよりも誕生を願ってくれた母親も、娘にそんなこと言われたらかなしすぎんだろ。確かに、母親がくなったのは残念ざんねんだ。でも、だからこそ強く生きなきゃだめなんだ。それが恩返しになるから」

 まるで自分自身に言い聞かせている――不意に、そんなふうに思う。悠真もまた、これまで生きる意味をしっかりと見いだせていなかった。

 自分で言っておきながら、自分がその言葉に一番効いているのだ。シャルを通じてようやく、悠真は初めて自分自身を見つめ直せた気がする。

 シャルは心が決壊けっかいしたように、人目もはばからず泣き出した。

 うれしければ笑い、かなしければ泣く。


 普通の人と――異世界の住人である自分と何も変わらないし、どこも違わない。

 そんなシャルが禁忌きんきの悪魔だとののしられ、きらわれている。

(絶対に、おかしい。こんなの、変だろ。シャルが禁忌の悪魔のわけがない)

 泣いている彼女の気が収まるまでの間、悠真は黙ったままずっとそばにいた。






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