第九幕   商霊との出会い



 地面に倒れていくアルドに目もくれず、悠真は一目いちもくさんに銀髪の少女を目指した。

 仰向あおむけで倒れているシャルの膝裏ひざうらと背に、悠真はさっと腕を通し、彼女の体をかかえ上げる。想像以上に軽い彼女の体重を感じつつ、視線を周辺に巡らせた。

 夜空へと向かってほとばしる謎の火柱のおかげか――騎士や衛兵達の陣形じんけいに、大きな亀裂きれつが生じている。周辺は大混乱で満たされていた。

 混乱にじょうじて包囲がくずれた場所をすり抜け、悠真はなんなく離脱していく。

 あれだけのさわぎを起こしたのだ。追手が放たれないわけがない。

 土地とちかんでもあれば、入り組んだ道を進んでくといった選択も取れただろう。まだ商業都市をおとずれてから間もなく、規模も構造こうぞうも何一つとしてわからない。


(それなら、いっそ……)

 近くにある木製の馬車に駆け寄り、悠真はシャルをかかえたまま――二本の白いつのを生やした、馬のような生き物の真後ろにある御者席ごしゃせきを陣取った。

 これまでの人生、馬車を扱った経験などまったくない。それでも、やるしかない。

 騎士や衛兵の連中に捕まれば、確実に殺されてしまう未来しか見えないからだ。

「馬っぽいやつ、行っけぇえ――!」

 手綱たづなを打ちつけると、馬がけたたましい悲鳴をあげて走り出した。

 初めて扱う馬車の操作に手間取っていると、やや遠くのほうで不吉な影をとらえた。待機たいきしていたと思われる集団が待ち構えている。格好から衛兵だと思われた。


 悠真は強引ごういんに突っ切る覚悟だったが、火柱が絶妙な位置で発生する。そのおかげで、ほぼ素通りの状態となり、衛兵達のれを無理なく突き抜けていく。

 不格好ながらも馬を操作し、悠真はひたすら前へと進んだ。

 都市の区画を仕切しきる石壁なのか、計り知れない規模きぼの巨大な外壁が遠くに見える。

 越えた先に何があるのか見当もつかないが、悠真は外壁にある開いたままの大きな門を通り抜ける――深みのある青い月に照らされる、広大な草原が視界に広がった。

 区画を仕切る外壁ではなく、商業都市の外郭がいかくといったほうが正しいらしい。

 土星に似た月が浮かんでいるせいか、別の世界だと強く感じさせる光景こうけいに、悠真は一瞬だけわれを忘れる。すぐ雑念ざつねんを振り払い、後ろのほうへ視線をすべらせた。


 ずいぶんと奇妙な話ではあるが、火柱が完全に追手をさえぎってくれている。

 しかしそれも、どのぐらい持つのかわからない。人の手が加えられた道沿みちぞいをただ走っているだけでは、いずれ追いつかれてしまうのは目に見えている。

 なるべく発見しづらい場所に、身をかくすのが最良に思えた。

 左手の方角には、広大な草原が広がっているだけで、ひそめそうな場所はない。その逆の方角には、どんよりとした深そうな森がたたずんでいる。

 灯りを持っていない状態で入るのは、どう考えても危険でしかない。

(だからこそ、行くべきか……? 灯りを持った奴らが近づけばわかりやすい!)

 悠真は覚悟を決め、森の中へ無理矢理に馬を突っ込ませていく。


 都市からそう遠くない場所のはずだが、まったく手入れされていない。がたがたと馬車が激しく揺れ、悠真はシャルをしっかりとかかえ直した。

 少しずつ月明かりも届かなくなり、完全な暗闇の中で馬が唐突とうとついなないた。

「おわぁああっ?」

 馬が転倒したのか、真っ暗闇の中――悠真は、見えない力に引っ張られた。両足をぐっと踏み込んで、くずれそうな姿勢を必死にたもち続ける。

 木製の馬車がきしんだ音をあげながら、少しずつ停止に向かう。どうやら馬が転んだわけではなく、つないでいた手綱が切れたせいで逃げてしまったようだ。

(倒れていたら、きっとこれじゃ済まなかったよな。たぶん……)


 ぞっとしつつも、いったんシャルを横に寝かし、悠真は先に馬車から降りる。

 それから、シャルを背負せおう――華奢きゃしゃなわりにふくよかな胸の感触が伝わってくる。若干じゃっかんはじくも、今はそんなことを考えている場合ではないと自制した。

荒々あらあらしくて、ごめんな。馬だと思うが、操作するの初めてだったからさ」

 悠真は返事がないとはわかっているが、シャルにそう言い訳をしておいた。

 しばらく歩き続けていると、夜目よめき始め暗闇にも慣れてくる。

 それでも、もう少し明るい場所のほうがいい。

 どこもかしこも、足の踏み場が異様いように悪いのだ。シャルが落ち着いて休める場所を探し求めるものの、一歩一歩ゆっくりと進むことしかできそうにない。


(道中にがけとかあったら、洒落しゃれにもならんなこれ……)

 悠真は瞬間的に体が震える。足元に気を配り、着実に前へと進む。

 それからほどなくして、少し先のほうにひらけた場所が見えた。月の明りなのか、はたまた人工的な明るさなのか、どちらかはわからないがぼんやりと明るい。

 悠真はく心をしずめ、ほどよく明るそうな場所を目指して歩き続ける。

 やっとの思いで辿たどり着いた場所には、物々ものものしい鉄製の門と石塀いしべいに囲まれた、洋風の屋敷が忘れ去られたかのようにひっそりと建っていた。

 一目ひとめだれも住んでいないとわかる。それこそ、幽霊でも出そうな雰囲気があった。実際のところ、今は幽霊よりも騎士や衛兵達のほうが圧倒的あっとうてきに怖い。


 悠真は苦笑いしてから、半開きになっている門を通り抜けていく。

 すぐ近くに、当時はいこいの場だったのであろう噴水広場がある。門の付近も噴水の付近も、草木が自由に生いしげっている。

 あれれ果ててはいるものの、月の明かりで見通しは申し分ない。それにもし、誰かが近づけば即座そくざに察知できる場所でもある。

 ここであれば、最低限の休息きゅうそくを取るには充分じゅうぶんな環境だった。

 ぼろい長椅子の上に、シャルを優しく横たわらせる。

 途端とたんに気がゆるみ、悠真は深い溜め息をつきながら、地面にどさっと腰を下ろす。

 いつ死んでもおかしくはなかった。いまさらになって恐怖心が遅れてやってくる。


 異なる世界の一日目にしては、色濃い一日となったに違いない。

 そんな危険に満ちた展開の連続ではあったが、かろうじて救い出せたシャルの顔を見れば、そんなことがどうでもいいと思えた。

「生きていてくれて、本当に――」

 シャルの状態の異変にふと気づき、悠真は絶句ぜっくする。

 青い月のせいではない。シャルの顔が、本当の意味で青ざめている。あわてて彼女のほおに手を当てると、まるで氷のように冷えきっていた。

 シャルがか細いうめき声をあげ、自身の手を腹部へとあてがう。

 目覚めた気配はまだないため、無意識での行動なのだろう。


 即座そくざにフードをめくると、味気のないシャツとスカートがのぞいた。そこからさらに、シャツを少しまくり上げ――悠真は目許を大きくゆがめる。

「なっ、こんな……!」

 なめらかそうな肌の一部分が変色しており、内出血がひどい。

 おそらく内臓まで損傷している。悠真はじわじわとした焦燥感しょうそうかんに駆られた。

「げぇほ、ほぉっ……」

 シャルがむせ込んだ。呼吸が速くてあらい。悠真は怖気おぞけ立つ。

 余裕よゆうがなかったとはいえ、結構手荒てあらな運びかたとなっていた。

 それが結果として、最悪さいあくの事態を巻き起こしているのは間違いない。


「やべぇ、どうする。どうする!」

 地球とは違い、この世界に病院があるのかどうかはわからない。まちへ戻って医者を探すにしても、シャルを治療ちりょうしてくれる者がいるとは到底とうてい考えられなかった。

 禁忌きんきの悪魔だとおびえ、ののしり、見捨てるに決まっている。

 悠真は、シャルのか弱そうな手を握った。

「待ってろよ。頑張れ、シャル。絶対に、助けてやるからな」

 意識のないシャルを力強い声ではげました。

 今はできる限りの知識で対処たいしょするほかない。悠真はしばらく黙考してから、そばにある屋敷のほうへ視線を流した。ここは都市から離れており、深い森の中にある。


(こんな場所にある屋敷なら、何か治療する――)

「あやや、これはひどいのねぇ」

「うぉあわぁ――っ!」

 物音は何一つしていなかったはずであった。それなのに声が至近しきん距離から聞こえ、悠真は驚きのあまり振り返りながら尻餅しりもちを着く。

 まるで瞬間移動でもしてきたかのごとく、台車付きの屋台を手にした謎の生物が、いつの間にか近くにいた。三頭身ぐらいのずんぐりむっくりとした体形をしており、そんな体格のわりに、引いている屋台はかなり大きい。

 多種たしゅ多様たようの商品を展示してある屋台――悠真は短く息を呑んだ。


「あ、あんた、この屋敷の人か? 勝手に入ってすまない。でも、緊急事態なんだ。この子、もしかしたら、内臓にまで損傷がおよんでいるかもしれない。ここは秘術ひじゅつとか精霊とか、不思議な力があるんだろ? 怪我けがを治す方法、何かないか?」

 口早に伝えると、目の前の生物がうなった。

 ほどなくして、屋台を物色する手つきでまさぐり始める。

「そうねぇ……高名な錬金術師が錬成れんせいした秘薬ひやくなら、その怪我をいやせるのね」

 藍色をした小瓶こびんが一つ取り出された。

 悠真は、ひたいを地面につけて懇願こんがんする。


「お金なら、あとでどうにかして、必ずお支払いします。何をしてでも、払います。約束します。だから、その秘薬をゆずってください。お願いします」

 悠真は必死に願いを述べた。禁忌きんきの悪魔だという理由で、断られるかもしれない。しかし今の悠真には、こんな願いをうことぐらいしかしてあげられなかった。

「ん、そんなに頭を下げなくても別にいいのね。普通にあげるのねぇ」

 謎の生物の対応に、信じられない気持ちで悠真は見上げる。

「ほ、本当に? だって……」

「早くしないと、その子が危ないのね」

 手渡された藍色の小瓶を受け取ったあと、悠真はシャルを向いた。


ふたを開けると自動的に発動するのね。だから、そばに近づけてから開けるのねぇ」

 指示に従い、シャルの真上で蓋をはずした――青く輝いた魔法陣と思われるものが、シャルのやや上空にえがかれた。ゆっくりと時計回りに回転を始める。

 その魔法陣から、粉雪こなゆき酷似こくじした青白い光のつぶが舞い降り、シャルの体の中へ染み込んでいく。やがて彼女の全身は、ほのかに青白い光につつみ込まれた。

 少しずつではあるのだが、傷がえている。

(こんな……すげぇ道具まで、この世界にはあるのか)

 悠真が驚嘆きょうたんしている間に、赤黒いれが目に見えて引いていった。

 そして腫れが消えたと同時に、シャルを包んでいた淡い光も一緒に消えていく。


「うん、もう大丈夫なのね。ちゃんと癒えたはずなのねぇ」

「ま、マジか……よ、よかった」

 悠真は安堵あんどに満ち、その場にどさっと座り込んだ。

 シャルの顔色もよくなり、すやすやと小さな吐息といきを立てて寝ている。

「あの、本当に、ありがとうございました」

「別にいいのね。それと、敬語なんか使わなくてもいいのね」

「いや、でも……命の恩人おんじんですから」

「いいのね。気さくに接してくれたほうがうれしいのね」

 悠真は無言でうなずいたあと、小瓶をくれた生物の姿を改めて観察する。


 どう見ても人ではない。猫――には見えないが、猫に近い獣人じゅうじんなのだろう。

 性別の判断は少し困難こんなんであった。声も顔も、男でも女でもどちらにも感じられる。おまけに目も閉じているのか開いているのか、よくわからない。

 軍人がかぶりそうな枯葉かれは色の帽子の下から、猫を連想する耳がはみ出ている。屋台を引く部分にかけた手の指は三本しかなかった。

 初めて遭遇そうぐうする生物だったが、なんにしても命の恩人には変わりない。

「あ、そうだ。俺、久遠悠真って言うんだ」

 屋台の主が丸々と太った顔に笑みをたたえた。


「ショウレイの、ピピンって申しますのね。ちなみにだけどね、この屋敷の持ち主はもうだれもいないのね。だから、ピピンは関係ないのね」

(ショウレイ……なんだ、ショウレイって。奨励しょうれい省令しょうれい症例しょうれい

 きっとどれも違う。悠真はうなる。

「ピピンは名前だよな。ショウレイってなんだ」

「な、にゃんと……お客さん、ショウレイを知らないのね? 超有名なのにねぇ」

 仰々ぎょうぎょうしい身振りをして驚くピピンに、悠真は苦笑で応じる。

「ショウレイは商売を生業なりわいとする精霊……略して商霊しょうれいね。お客さんは、ご新規さんの様子ね。今後もご贔屓ひいきにしてもらうため、お近づきのしるしにこれをあげるね」


 自らを精霊だと名乗ったピピンが、屋台の中をごそごそと探り始める。

 そんな屋台の主をぼんやりと眺めていると、悠真は妙な違和感を覚えた。違和感の正体しょうたいがなかなかつかめず、何やらもどかしい気分になる。

「しかし秘薬もゆずってもらって、ほかにも物をもらうのはちょっと申し訳ないな」

「いいのねいいのね。今回は特別なのねぇ」

「そういってくれるなら、ありがたく貰っておくけど……」

 ピピンが屋台から、一枚のカードらしき形状の物を取り出した。

 悠真は漠然ばくぜんと、商業都市で揉め事を起こしていた客と店主の姿を思いだす。

「これねこれね」


 ピピンが見せびらかすように、表側と裏側を見せてきた。

 どちらが表で裏なのか、判別は難しい。片面には奇妙なもんが彫られ、反対側の面は何もない。その代わりに、鏡や硝子がらすと同じぐらいつややかでなめらかそうだった。

「これはメリュームと呼ばれる、錬成具れんせいぐなのね。開発した商霊王と同じ名称なのね。メリュームが一つあれば、貯蓄ちょちくから支払い――または現金化もちゃんと可能ね。あとよく勘違かんちがいされるけどね、メリュームを扱えるのは商霊のお店だけなのねぇ」

 最初に思い浮かべたのは銀行であった。それと同時に、商業都市の店で揉めていた理由をそれとなく察する。あの客は商霊以外の店で使えると勘違いしたのだろう。

「お客さん専用にするために、ちょっとここにれてみてほしいのね」


 指紋か何かで認証するのか――不意に、属性を調べる錬成具が脳裏のうりに浮かんだ。

「いや、待てよ。これ秘力とか必要なのか? 俺、秘力がまったくないんだが……」

「な、にゃ……! 秘力がないのね? そんな人、初めて聞いたのねぇ」

 悠真はかわいた笑いしかれなかった。

 ピピンがにんまりとしながら片手を横に振る。

「まあ、別にいいのね。これ、秘力とか関係ないのね。さ、さわってみるのね」

 指示を受けた悠真は、きざまれた紋に指でれた。

 メリュームがぼんやりと青白く輝き、すっと淡い光を吸い込んでいく。

 つかの間の出来事に、悠真は茫然ぼうぜんと見入っていた。



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