第八幕   たった一発の拳



(どうして……まだこの都市にとどまってたんだ、シャル)

 悠真が複雑な心境をかかえていると、遠くのほうでまばゆい光が発生した。

 少し前に、シャルが飯屋で放った光とどこか似ている気がする。

 目的の場所へと近づくにつれ、人だかりができているのがわかった。その奥には、同じような武装をしている者達が二重の円をえがき、隙間すきまなく立ちはだかっている。

 悠真は、野次馬のれの中を進んでいく。

「君! これ以上は進ませられない」

 騎士団か衛兵か――どちらだとしても、男が鋭い剣先を向けてきた。似た武装には軽装か重装の二種類があるのだが、どちらがそうなのか判断がつけらそうにない。


 内側を向いている部隊と、外側の野次馬をとどめる部隊が、交互こうごに配置されている。どうやらずれて並ぶことで、鉄壁のまもりにてっしているようだ。

 囲いを作っている者達の先には、大きな広場と思われる空間が広がっていた。その広場には、白く輝く物々ものものしいよろいを着た者達のみがまばらに立っている。

 明らかに、密度の高い訓練を積んできた連中だとはかれた。

 つま先立ちをして、そのまま悠真は広場の中に視線を巡らせる。

 地面をのたうちまわる人影をとらえ、悠真は血の気が一気に引いていく。

 街燈がいとうに照らされ、銀髪を輝かせた少女――シャルティーナがいた。

 体が小刻みに痙攣けいれんしている様子に、悠真は全身の血が熱くなるのがわかった。


「てめぇら、邪魔じゃまだ! どけ!」

「ここから先へ進むつもりならば、悪いが斬り伏せるぞ」

 男が低い声で言い、すっと目をすがめた。

 悠真は舌打ちを鳴らし、周辺に素早く視線を巡らせる。

(……あれは、あのときの!)

「おい、こいつって……例の情報にあったやつじゃないのか?」

 妙なつぶやきを聞きつつ、悠真は目的の場所へと向かう。

「あ、おい、君!」

「おい、持ち場を離れたらどやされるぜ」


 悠真は二人を無視むしして、店員の消えた露店ろてんから白い円盤えんばんを手に取った。

(どれだ……どれだ!)

 底に何か引っかかっており、それがせんの役割を果たしているらしい。

 円盤を五つ勝手に持ち出し、悠真は四つの栓を一気に引き抜いた。

(確か、五秒だったな)

 頃合ころあいを見計らい、円盤を投げ込む――同時に四つ破裂はれつした直後、まばゆい閃光せんこうが闇をかき消した。そこら中からあがる悲鳴が重なり合う。

 恐慌きょうこうに見舞われる野次馬達の隙間すきまを、悠真は腕で閃光をさえぎりながらすり抜けた。

 通せん坊をしていた者達をも越えた矢先、悠真は鬼気ききせまる光景に目をいた。


 やさしそうな顔立ちをした金髪の男が、切っ先を下に向けて剣をかかげている。とがった剣の先には、シャルが仰向あおむけの状態で倒れているのだ。

(やばい!)

 手元に残しておいた最後の円盤を、栓も抜かず全力で男に向かってほうり投げる。

 完全に死角のはずだったのだが、あっさりと男によって円盤は斬り裂かれた。

 そのままのいきおいでシャルが刺される可能性が浮かび、悠真は声を張り上げる。

「ちょっと待ったぁあ――っ!」

 金髪を指でかき上げ、警戒けいかいした面持ちで男が悠真を振り返った。

 まだ男と結構な距離がある先で、悠真は足を止める。


 これ以上は進むと、武装した者達に捕らえられてしまう。距離を縮めてくる者達の位置を、瞬時に把握はあくしていく――どう転んでも、切り抜けるのは難しそうだった。

(やるしか、ないか)

 多勢たぜい無勢ぶぜいといった状況ではあるが、悠真は腹をくくって拳を構えた。

 悠真を捕えようと行動している者達を、金髪の男が無言のまま片手で制する。

 合図を無視むしする者はだれ一人いない。全員がぴたりと一斉いっせいに停止した。

「突然、物を投げてくるとは、どういう料簡りょうけんですか」

 口調はいかにもおだやかだったが、にじんだ冷ややかな空気を隠し切れてはいない。

 悠真はこたえず、仰向あおむけに倒れたシャルを見た。


 口許に血が張りついており、嘔吐おうとした形跡もある。

 一瞬、死んでいるのではないのかと疑ったが、彼女の胸がかろうじて動いていた。生きていることには安堵あんどしたが、胸の内から沸々ふつふつと怒りがき上がる。

「君ですよね。この錬成具を投げつけてきたのは」

 悠真は強く息を吐き出し、込み上がる怒りを必死におさえ込んだ――どう足掻あがいても勝ち目などない。シャルを連れ、逃げる方法を考えねばならない。

「ああ、すまん。か弱い女を痛めつける悪い大人がいると思って、ついな」

 相手と会話のやり取りをしつつ、悠真は脳を全力で働かせる。

 白いよろいを着た金髪の男は、あきれ顔で溜め息をらした。


「〝これ〟が禁忌きんきの悪魔だと知って言っているのなら、正気しょうきとは思えませんね」

 悠真は腕を組み、鼻を鳴らす。

「マジで、正気とは思えないな。大の大人達が、一人の女を囲んでいたぶるとかさ。そんな非道ひどうな行ないができるやつって、中身がつまらない子供のままなんだろうな」

貴様きさま! 聖印せいいん騎士団の団長、アルド様を愚弄ぐろうするならば、即刻そっこく斬り伏せ――」

 紫色の髪をした女を、シャルのそばに立つアルドと呼ばれた男が手で止めた。

 ようやくどちらが騎士で衛兵なのか、ぼんやりと浮き彫りとなる。


「私に喧嘩けんかを売っていると……そう、解釈かいしゃくしてもよろしいですか」

 アルドがあからさまな殺意を示す。悠真は片手を振った。

「まさか……喧嘩なんか、売ってない。どこの騎士かは知らないが、女一人にこんな醜態しゅうたいさらしているんだ。むしろ関わり合いたくないぐらいだな」

「〝これ〟は人ではありません。討伐とうばつされて当然の存在です」

 さきほどから、シャルを真面目まじめに人扱いしていない。

 悠真は、討伐といった単語がきらいになりそうだった。

そばにいるだけでやくおとずれ、とどまった場所に災厄さいやくを振りく存在なんだろ? じゃあくが、あんたさっきからすげぇ傍にいるけど、どんな厄が訪れてんだ」


 アルドの目が見開かれた。そしてあごでながら、黙考する姿勢を見せる。

「アルド団長、詭弁きべんです! こいつ、報告にあった禁忌の悪魔の信徒です」

 いやに気になる発言だったが、今の間に光明こうみょう見出みいだす努力をした。

「厄、ですか。それはきっと、これから起きるのかもしれませんね」

(たいした理由も何もねぇくせに、シャルを吐くほどまで痛めつけたのか――?)

 握った拳で手のひらを打ち、かわいた音を鳴らす。

 悠真は首を回しながら、アルドに向かって告げる。

「予定変更だ。そのつらに一発たたき込まねぇと気が済まない。俺が、お前の厄だ」

 アルドは高らかに笑った。


 はずみで言ったが、勝算は特になかった。全員でおそわれたら勝ち目すらもない。

 アルドが常人以上なのは、雰囲気からも明白だった。

「さて、どうする。俺一人相手に、ほかも巻き込んで全員で来るか?」

「一対一でなら勝てるとでも?」

「ああ、無理か。お前みたいな小物野郎やろう、一対一とか怖くて震えちゃうよな」

 あざけるような口調で伝えると、アルドから色をなした気配を感じた。

「もう我慢がまんならない! このリアンが直々じきじきに――」

みなぐ! これより私は、一騎打ちを行なう。誰一人として手出しを許さない。禁忌の悪魔に加担かたんする信徒の末路まつろ、その眼に焼きつけよ! リアン、彼に剣を」


 不満げな女騎士リアンが、さやに入った剣を投げてきた。つかめはしたものの、悠真は姿勢を軽くずらし、飛んで来た剣をさっとける。

 悠真の脇を通りすぎ、むなしく地面に金属音を立てて剣が落ちる。

 重圧に満ちた静寂せいじゃくに、場がつつまれた。

「き、きさ、まぁ! 馬鹿ばかにするのも大概たいがいにしろ! なぜ剣を受け取らない!」

 激昂げっこうする女騎士を揶揄やゆする。

「だって、呪いとかかけられていたら怖いだろ。持ったら命を吸われるとか?」

「そんな馬鹿げた真似まね、するわけがないだろう!」

 あるわけがないとは言われなかった。つまり、そういうのも可能な世界らしい。


「心配する必要はない。副団長が私の戦いをけがしたりはしない。安心してくれ」

 アルドが手で拾うよう勧めてくる。

 悠真は半身はんみになりながら右拳をあごそばえ、左拳を腹の付近に置いて構えた。

「あいにく、俺は剣なんか扱わない。こっちのほうがしょうに合ってるからな」

「す、素手すでだと……アルド団長、即刻そっこくこいつの首をねてください!」

 リアンの声に反応を示さず、アルドは優美ゆうびに一礼した。

「私は聖印せいいん騎士団団長、アルド・フルフォードだ」

 自己紹介を終え、アルドが剣を構えた。


 悠真のほおが自然と引きつる。すきのない、とても良い構えであった。

 それだけで、どれほど精進しょうじんを重ねてきたのかうかがえる。

 悠真はじっとりとした汗を全身に感じつつ、もう一つの懸念けねん排除はいじょしておく。

「この戦いに置いて俺は、秘術も精霊も使わねぇから安心してくれていいぞ」

 はったり以外の何物でもないが、相手がこちらの事情を知るよしもない。

 願わくは、不思議な力を使わないでくれるとありがたい――そんな程度の牽制けんせいに、相手がきちんと乗ってくれるかどうかは未知数であった。

「アルド団長が礼をくしているのに名乗りもしないだと! 無礼ぶれいにもほどがある」

「いや、さっきからお前うるせぇな! 黙っていられない病気かなんかかよ!」


「ぐぅ……っ!」

 リアンは苦い顔をしてうめいた。アルドの静かに笑った声が聞こえる。

「わかりました。私も剣術のみで、あなたのお相手をします」

 どこまでが本当か――悠真の格闘術は、あくまでも護身用ごしんよう程度のものでしかない。対して相手は、おそらく殺すためにみがかれた剣術なのだろう。

 そこに奇妙な力を加えられたら、もはやどうしようもない。

(だからなんだ! 前を向け、久遠悠真。恐怖に飲まれるな。シャルをまもれ!)

 恐怖にじわじわと侵食しんしょくされるのをふせぐため、悠真は胸の内側でかつを入れた。

 護りたい者を護るために格闘術を学んだのだと、自分に何度も言い聞かせる。


(絶対に一発ぶち込んでやる。そのあとは――知らん!)

 お互い、静止の状態が続いた。

 剣士――それも熟練度じゅくれんどの高い相手に、素手すではずいぶんとが悪い。

 何も考えず間合いに入れば、即座そくざに両断されてしまうと予想する。

「来ないのか? それでは、こちらから攻めさせてもらおう」

 悠真は目を大きく見開いた。

 重そうなよろいを着ているわりに、男はかろやかで素早い。瞬時に間合いが縮まる。

 剣の軌道きどうを読み、悠真は縦に振り下ろされた初撃しょげきけた。

 次いで、ぎ払うように二撃目が飛んでくる。


 間一髪かんいっぱつのところで、悠真は後方へとねてかわした――口の周囲がやや生温かい。おそらく、アルドの剣先が鼻先をかすったのだろう。

 かすかに痛みを放っている鼻先から、血が流れていると思われた。舌先で口の端をなめめて確認すると、びた鉄のような味がする。

 今は気にしている場合ではない。矢継やつばやに、連続で攻撃が繰り出される。

 反撃を打ち込むすきがどこにもない。くうを切り裂く音が、遅れて悠真の耳に届く。

「さきほどの威勢いせいは、どうしました?」

 軽口をたたけるだけの実力差があるのを認める。元より、勝つつもりなどない。

「かすりしかしない剣が? なんだって?」


 悠真の軽口は、これが精一杯であった。

 アルドの眉毛が跳ねる。何かしら変化した感情のせいで、少しすきが生まれた。

 悠真は渾身こんしんの力を込めた拳を放つ。それが失敗だったと、瞬時に後悔こうかいする。

残念ざんねん

さそわれ……)

 アルドの剣が、悠真の右腕を斬りつけた。

 強烈なしびれにも似た熱が、悠真の脳に直撃した。

「ぐあぁ……」

 悠真は後ろのほうへ大きく飛び退いていく。


 痛みで思考は途切とぎれ、さらには混乱状態へとおちいった。

 地にひざを着き、悠真は激痛に歯を食いしばって耐える。

(いってぇ、いってぇ、き、斬られた……)

 血の抜けていく感覚が、悪寒おかんに似ていて気持ち悪い。無意識に、指先を動かそうとこころみた。ちぎれる寸前すんぜんである腕の先が動くわけもない。

 その試みのせいか、右腕が重い音を立ててどさっと地面に落ちた。

「まだやりますか? 早く止血しないと、死にますよ」

 嘲笑ちょうしょう交じりの発言にこたえる余裕よゆうはない。

 悠真はうめき、落ちた腕に視線を落とす。


(やべぇ、血、が……え?)

 異様いような光景に、悠真は別の意味で思考が停止した。

 確かに――悠真の腕の先からは、血が流れ落ちている。しかしこれが、本当に血と呼べるものなのかどうか疑わざるをない。

 まるでカタツムリやナメクジのごとく伸びては縮み、ゆったりと動いている。

 落ちた腕に視線を移した。まったく同じ現象が起きている。どちらの血もお互いを探し求める動きを見せ、やがてそれらは一つにつながった。

 体中の血が逆流するような、激しく異様いような感覚に悠真はおそわれる。

 目の前の光景は、まるで映像の逆再生でも観ているのに近いものがあった。


 二つに分かれたはずの右腕が、ものの数秒で元の状態に戻る。さきほどまであった激痛など、もう完全に消えていた。信じられない現象に、悠真は目を疑うほかない。

 右腕をじっと見つめた。服は裂かれたままだが、指は普通に動かせる。

 途端とたんに自分の体がおぞましく感じた。そのとき、激しい息切れが発生する。

 その息切れは、全力疾走したあとのものに酷似こくじしていた。

(な、んだ、これ……)

 ふと、悠真は鼻先の傷を思いだした。指先でれると、まだ痛い。次いで、指先に目を向けてみた。まだ血がついており、別に治っているわけではない。

 傷を負わせたアルドを見上げると、理解不能といった面持ちで絶句ぜっくしている。


「それは、秘術、いや、巫術ふじゅつか……? そんなはずは、ないか。秘力の揺らぎなど、まったくなかった。いったい、どういう絡繰からくりですか」

 アルドが訥々とつとつと言葉をつむいだ。不可解さで心が揺さぶられているらしい。

 それは、悠真もまた同様であった。自分の身に何が起きているのか、何一つとしてわからないし、また予想すらもつかない。

 返す言葉を選んでいると、地響きが耳に届く。地面がわずかに揺れ始めた。

 瞬間――大きな火柱がまばらに、地中からいくつも立ち昇っていく。

「なっあ――?」

 驚愕きょうがくを声にした悠真は、アルドの仕業しわざだとにらんだ。


 どうやら違うらしい。そのアルド自身が、驚きを隠せていないからだ。

 すきを見せなかった彼が、今は茫然ぼうぜんとした顔で完全なる隙を生んでいた。

 腕の再生も、状況も、その後の未来も――悠真は、何もかもを無視むしする。

 全力で駆け出し、悠真はアルドとの距離を詰めていく。

「アルド団長ぉお――!」

 悲鳴みた女の声と同時に、悠真は固く握った右拳をふるう。

「男のくせに、か弱い女をいたぶってんじゃねぇぞ、くそ野郎やろうが!」

 渾身こんしんの力を振り絞った悠真の拳が、ついにアルドのほおを大きく貫いた。



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