第七幕   青い月の下



 悠真はアリシアと横に並び、数多くあるテーブルの席に着いていた。

 とても物静かな店内は少し薄暗く、高級なカフェの雰囲気がある。

 木造の壁や床の加工には、ずいぶんと熱の入った技術がうかがえた。店内の客席や調度品にいたるすべてのものから、高級感がかもされている。

 そんなカフェをおとずれる人――当然、ただの〝人〟だけではない。

 人型のおおかみや猫といったけものから、へび蜥蜴とかげなどの爬虫類はちゅうるいも利用していた。その容姿もさまざまで、人間に近い姿をした者もいれば、ただ人型になっただけの者もいる。

 最初は激しく目を疑ったものの、こうしてぼんやりと眺めてみれば、それほど人と変わらなく思えてきた。また、ここには店の空気感にふさわしい者達が多いようだ。


 気取きどった連中もいるにはいるが、大半は品格がただよう者達ばかりであった。

 あまりじろじろ見るのも失礼に思い、代わりに半眼でアリシアをにらみつける。

「で、目的はなんだ?」

 アリシアは答えない。紅茶こうちゃと思われるものが入ったカップを口へ運んでいく。

 紅茶をたしなんでいる彼女の唇に、悠真の視線がついきつけられた。

 何歳なのかはわからないが、アリシアには妙な大人の色気がある。どこか高貴こうきさがにじんでおり、女としての魅力みりょくが高いと感じられた。

 ゆっくりとカップを受け皿に置き、アリシアがやや横目に見据みすえてくる。

「悠真君は、せっかちなのですね」


「いや、気になるだろ。ほとんど初対面の人にいきなりさそわれたんだから」

 アリシアの魅惑みわく的な唇に、微笑みが浮かんだ。

「では、本題にはいる前に一つ……敬語って、少しばかり堅苦かたぐるしいと思いませんか。ですから、くだけたしゃべり方をしてもよろしいでしょうか?」

「もちろん、構わない。俺も敬語で話されるよりも、そっちのほうがしょうに合ってるし……というか、俺も敬語なんか使ってないんだ。気にする必要なんかない」

「そう。よかったわ。それでは本題に入りましょうか」

 悠真とアリシアの間には、一人分ほどの隙間すきまがあった。それが急激に縮まる。

「悠真君って、ちょっとばかり不思議よね?」


 美女に詰め寄られ、悠真の心音は自然と速まっていく。高鳴る胸を抑えながら――やはり思った通り、今朝の馬鹿ばかな質問が尾を引いているのだとわかった。

 異常事態だったとはいえ、かなり思慮しりょが欠けた質問だったに違いない。

「その変わった衣服は、どこの国の織物おりものなのかしら。見た記憶がないわね」

 じろじろと見てくるアリシアを、悠真は両手で制する。

「申し訳ないが、軽い記憶喪失そうしつでさ……俺にもよくわからないんだ」

 この決まり文句もんくは、定番になりそうだと思った。案外、使い勝手がいい。

「まあ、そうだったのね」

「だから質問されても、答えられるものとそうじゃないものがあるからな」


「ふふっ。そんな警戒けいかいしなくてもいいのに」

 アリシアはいたずらな笑みを浮かべた。

 大人の顔に少女らしさが宿り、つい吸い込まれそうになる。

 悠真は視線をらしてから問う。

「別にそういうわけじゃない……で、マジで目的はなんだ」

「本当に、ただ話し相手が欲しかっただけ。何事も上手うまくいかなくてね」

 何やら事情をかかえている様子だが、なやみの正体しょうたいつかめそうにない。

 そもそも相談の内容がどうであれ、別世界の人の悩みなど乗れるはずもなかった。また、その余裕よゆうも今の悠真にはない。


「それなら見ず知らずの俺なんかじゃなく、友達でもさそって相談すればいいだろ」

「私は、この大陸の人ではないからね……ずっと遠い東の国から来たのよ。それに、相談に乗ってほしいのではなく、話し相手になってほしいの」

「ああ、ようは暇潰ひまつぶしの話し相手が欲しいってことか……しっかしまあ、そうなれる相手が見ず知らずの人って、アリシアは俺と同じでひとりぼっちなんだな」

「独りぼっちの部分では、そうかもね。悠真君もそうだとは知らなかったけれど」

 やや上目づかいに笑うアリシアを見て、想像していた年齢よりも下に感じられた。

「あまりこういうのはいちゃいけないのかもしれないが、アリシアっていくつだ」

「んぅ? 今年で十八よ」


「お、同い年かよ! もっと……あ、いや」

 時間の計算方法が、地球とは異なる可能性が脳裏のうりぎった。

 咄嗟とっさに言葉を止めたあとで、悠真はアリシアにたずねる。

「記憶を失っている部分なんだが、一日が何時間で、何日で一年になるんだ?」

「一日二十四時間で、三百六十五日で一年よ」

 悠真はうなり声混じりに相槌あいづちを打つ。地球と完全に一緒だった。

「今度は、こちらね。どう見ても、この大陸での衣服ではないわ。だから別の国から来たと思うのだけれど……なぜここにいるのかも、悠真君の記憶にはないの?」

 アリシアはゆったりとした口調で質問したのち、小首をかしげた。


 この問いに関しては、素直すなおに答えておく。

「ああ、ないな。おまけに秘力や属性もなければ、精霊様の適性もない状態らしい」

 アリシアの眉間みけんにしわが寄った。

 怪訝けげんな眼差しを向けられ、悠真は少し戸惑とまどう。

「それは、変ね……秘力と属性がない? そんな人、歴史を振り返ってもいないわ」

「ああ、そういえば、そんなこと言ってたな。俺にもどうしてなのかわからない」

 本当に珍しい部類ぶるいのようだが、あくまでもそれは無能の分野ぶんやで珍しいのであって、ひいでた分野ではない。心底、うれしくない特別であった。

 アリシアは難しい顔をしながら、ぷっくりとした唇を指でなぞっている。


「それに、精霊の適性もない……? どういった経緯けいいでそう判断されたのか、私にはわからないけれど、そんなはずないわ。悠真君は、私とはずだもの」

 シャルも似た発言をしていた。悠真は腕を組み、首をひねる。

 アリシアは自身の赤々あかあかとした瞳を指差した。

「だって悠真君も真紅しんくの瞳を持っているでしょう」

「ふぇっ……?」

 唐突とうとつ指摘してきに、つい間の抜けた声がれた。悠真はじっとアリシアを見つめる。

「本当に何もわからないの? 真紅の瞳は高位こういの精霊から寵愛ちょうあいさずかったあかしよ」

 腰にびた小さなかばんから、アリシアは小さな鏡を取り出した。


「ほら」

 鏡に映った自分の瞳を見て、悠真は絶句ぜっくする。

 もともと黒かったはずの瞳が、今はなぜかアリシアと同じ瞳の色に変化していた。それはまるで、カラーコンタクトでもはめたようにあざやかな色をしている。

「な、なんだこりゃあぁあ――!」

「ちょ、ちょっと、悠真君。すみません、すみません」

 周りの客に、アリシアは何度も頭を下げて謝罪した。

 失礼きわまりない声量だったと自覚するが、今の悠真には余裕よゆうがない。

「いったい、何がどうなってんだ?」


 テーブルに頬杖ほおづえをつき、アリシアがあきれ半分の不満げな顔を支えた。

「だから、悠真君に精霊の適性がないわけがないの」

「いや、でも、錬成具れんせいぐってので調べたら、何も反応しなかったぞ」

こわれていたのでは?」

「ちゃんと反応するのを確認した」

 アリシアは腕を組んだ。思案を巡らせているのか、じっと黙っている。

 錬成具の話題をて、悠真はかかえていた別の疑問を思いだした。

「あ、そうだ。アリシア、もう一つ教えてほしい話があるんだ」

 アリシアが小首をかしげた。


 悠真はためらいがちに質問する。

禁忌きんきの悪魔ってさ、なんだ?」

 一瞬――場の空気がこおりつく。アリシアの表情はひどけわしい。

「どうして、それを聞きたいの」

「いや、まあ、小耳にはさんだから気になった、としか言いようがないんだが」

 途端とたんに低くなった彼女の声音に若干じゃっかんの恐怖を覚え、言葉をにごした。

 悠真の唇に、アリシアがそっと人差し指を当ててくる。

「相手が私だからよかったけれど……二度とそれを質問してはだめよ。世界の滅亡めつぼうたくらむ信徒だと見做みなされてしまう場合もあるわ。よくて牢獄ろうごく、最悪その場で死刑よ」


 真剣みの宿った真紅しんくの瞳を見て、悠真は生唾なまつばを飲み込んだ。

 アリシアは周囲を見渡したのち、声をひそめて説明してくる。

「禁忌の悪魔とは、この世界に滅亡をまねくとされた存在なの。そばにいるだけでやくおとずれ、とどまった場所に災厄さいやくを振りく。そもそも人であって、人ではないのよ」

 シャルと会話して、流した涙やうれしそうな笑顔を見た。

 そんな悠真にとって、今の話はとても信じられるものではない。

「しかし『された』ってのは、ずいぶんと曖昧あいまいだな」

「その時代を、生きてきたわけではないから。ただ、歴史上――世界が滅亡にひんした事例が幾度いくどかあり、そのすべてに必ず禁忌の悪魔が関わっているわ」


「禁忌の悪魔って、これまでにも多くいたのか?」

 苦い微笑みを浮かべ、アリシアはわずかに肩をすくめた。

「歴史の文献ぶんけんに残されている限りでは、両手の指で足りるぐらいかしらね。ごくまれに産み落とされているわ。禁忌の悪魔が産まれる――反対に考えれば、世界が滅亡する間近まぢかという話なのだから。そんな頻繁ひんぱんに滅亡の危機ききに瀕していたら困るわよ」

「産み落とされる……その禁忌の悪魔って、どうなったら禁忌の悪魔なんだ?」

「産まれた瞬間から銀色の髪と瞳を持っているの。だから見ればすぐにわかるわ」

 悠真は短いうめきをらす。シャルの髪と瞳に関しての発言を失念しつねんしていた。


「それに常人を超える能力と才能をめ、産まれかたがみんな異常ね」

「待て待て待て。銀色の髪と瞳を持つのは、そんなにもめずらしいものなのか?」

「ええ……禁忌の悪魔にしか持ちない容姿なの。仮に、私や悠真君みたいに高位の精霊から寵愛ちょうあいさずかったとしても、銀色の瞳は変わらないって文献で読んだわ」

 シャルの言葉の意味を、本当の意味で理解した。

 だから彼女は自分の姿を見せたさい、恐怖を与えると思ったのだ。

「十数年前、禁忌の悪魔が産まれたって情報があったの」

 悠真は、ぼんやりとシャルの話だと予想する。

 彼女の年頃としごろも、きっとそれぐらいのはずであった。


「そして数年前、最後に目撃された場所へ大規模な討伐とうばつ隊が送り込まれたわ」

(討伐隊、だと?)

 まるで化け物に近い扱いに、悠真は不快ふかい感を覚える。

「当時の情報では、剣で胸を貫かれたあと、峡谷きょうこくに落ちて死んだようね」

(それはあり得ない。だってシャルは生きてる)

 他人の空似そらにか、あるいは別の禁忌の悪魔の可能性が浮かんだ。

「それで……産まれ方が異常ってどう異常なんだ?」

「その討伐された、最後の禁忌の悪魔は――」

 仰々ぎょうぎょうしい物音が出入口のほうから鳴る。


 一人の青年が鬼気ききせまる表情で、紳士的な店主のほうへ駆け寄っていく。

「すげぇ情報を入手してきた。王国騎士団の連中と、商業都市の衛兵達が、商業区の大通りで、死んだはずの禁忌の悪魔を、追い詰めようとしているらしいぜ」

 息を切らしながら語られた内容を聞き、悠真は目を大きく見開いた。

(シャル――?)

 いびつに心音が速度を上げ、息苦しくなる。いやな汗が手にくのを感じた。

「え、うそ……」

 アリシアから驚愕きょうがくに満ちた声がれた。

 店に飛び込んできた青年は、店主が差し出した飲み物を一気に飲みしていく。


「今日……飲食街のほうで小さな乱闘らんとうさわぎがあったんだと。それで、そこにいた者が都市の衛兵所に、禁忌の悪魔が潜伏せんぷくしていると通報して発覚したそうだぜ」

 悠真はシャルと断定するやいなや、アリシアを向いた。

「アリシア、商業区の大通りってのはどこにある?」

 悠真からの問いを受け、アリシアの目許が軽くゆがむ。

「まさか、悠真君……観に行くつもりなの」

「いいから早く言え! どこにあるんだ!」

 焦燥しょうそうかんに駆られ、悠真は怒鳴どなりに近い声でいた。

 柔和にゅうわな表情に驚きをたたえ、アリシアが少しばかり身をらせる。


「商業区の大通りなら、ここを出て最初の十字路を右に行けば着くわよ」

 悠真は席を立ち、素早く店の出入口へと向かう。

「ちょ、ゆ、悠真君!」

 アリシアの呼ぶ声に振り返りもせず、悠真は店の外に出た。

 店内に入る前は夕方ぐらいだったが、今はもう夜の闇が落ちている。

 文明力に関しては、あまりよくわからない。ただ、謎の技術で発光している街燈がいとうに照らされており、夜でも視界にはまったく困らなさそうであった。

 さらにまた別の異物が視界に入り、悠真の目が完全にうばわれる。

「なんだ、ありゃあ……」


 きらめ星々ほしぼしがあるのは地球と変わらないが――地球の月とはまったく異なった、月と思われる物体ぶったいが空に浮かんでいた。地球を回る月の、十倍ぐらいは大きい。

 ネクリスタの月は深みのある青い色をしており、その周囲にはまた色違いの小さな月がいくつも浮かんでいる。まるでそれがかんのようで、土星に近い星にも見える。

 悠真は首を横に激しく振った。いったん思考を打ち消し、商業区を目指して走る。

 シャルはもう、商業都市から離れたものだと勝手に諦めていた。ただの買い出しでおとずれただけの場所に、罵倒ばとうされてまで滞在たいざいを続ける理由などないだろう。

 それなのに今は、王国騎士団と商業都市の衛兵とやらに包囲ほういされているらしい。

 ひどあせる気持ちを抑えつつ、悠真は全力でひたすら走り続けた。



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