第六幕   小さな幸せ



 だれもいないせまい路地裏でひとり、シャルティーナはひざかかえて隠れていた。

 この世界に自分は必要とされていない。産まれてから、ずっとそうだった。

 銀色の髪と瞳を持ち、ほかの人とは違った特殊とくしゅな産まれかたをしたせいで、世界中の人々は存在自体をきらい、うとみ、そしてこの世から消えてほしいと願っている。

 おさなころは、だれもが自分と同じなのだと思っていた。

 それが間違いだとわかったのは、物心がついた頃ぐらいだったと記憶している。

 自分だけが特別におかしいのだと――思い知らされた。それでもどうにか、ほかの者達と仲良くしようと努力したこともある。けれど、むくわれた試しは一度もない。

 たださびしく、ただむなしく、ただ無性むしょうにやるせない気持ちが心に満ちていく。


 そこでシャルティーナは、すべてを諦めてしまった。

 だからニアとヨヒムだけが、心の支えであった。もしこの二つの存在がなければ、世界中のすべてをうらんだか、あるいはみずから命をっていたとさえ思える。

 たとえ命を捨てる選択をしたとしても、世界に必要とされていないのだから、だれも気にしないだろう。むしろ人類にとっては、そのほうが喜ばれるに違いない。

 ニアとヨヒムのためだけに、シャルティーナは今もまだ命をつないでいた。

 いつか自然な死がおとずれるまで、これからもひっそりと生きていく。

 誰にもしたしくされず、誰にものぞまれず――『黒髪の青年に、シャルお姉ちゃんから声をかけ直して』と、ニアとヨヒムがみちびいた。


 ひどく取り乱していたのを覚えている。諦めた者にとってそれは、恐怖でしかない。けれども、信頼する存在の言葉を無下むげにもできない。

 流れに流され、背を押されるように、シャルティーナは一歩を踏み出した。

 久遠悠真と名乗った彼との出会いを、頭の中で正確に思いえがいていく。

 なんと心地よい空気感がただよった青年なのだろうと感じた。

 これまで出会ってきた者達と、何もかもが異なった雰囲気を彼はもっている。

 かぶり物をはずして姿をさらけ出したときは、恐怖におびえて逃げられるか、殺そうと命を狙ってくるものだと覚悟かくごした。これまで出会った者達が、全員そうだったからだ。

 シャルティーナのそんな残酷ざんこくとも思える予想は、大きくまとはずす。


 彼は恐怖どころか、まるで英雄でも見るような眼差しになっていた。

 その〝あざやかな瞳〟が、とても印象に残っていて離れない。

 幼子おさなごですら、銀色の髪と瞳を持つ者がどういった存在なのかを知っている。しかし記憶の抜け落ちた彼は、本当に何一つとして知らない様子であった。

 存在の意味を知ってしまえば、彼もほかの者達と同じく自分をさげすんで、命を狙ってくるのだろうか――胸の深い部分に、重くするどい矢が刺さったような感覚がした。

 彼の言葉が、脳裏のうりぎる。何も知らない彼は、世界から必要とされていない者に『普通の女の子にしか見えない』と、信じられない言葉を与えてくれたのだ。


 ずっと、諦めていた。

 一生、えんのない言葉だと思っていた。

 おさなころから思いえがき、求めていた言葉を、彼はいともたやすく声にしてくれた。

 これほどの喜びがあっただろうか。

 これほどの幸福があっただろうか。

 知らず知らずのうちに、涙がこぼれ落ちていた。

 胸にき止めていたものが、すべてくずれ去ったからに違いない。

 そしてきたない路地裏で、今もまた涙していると気づく。

 シャルティーナはそっと、服のすそで涙をぬぐい捨てる。


(私に、喜ぶ資格なんかない)

 店にいた男達や女店主が、夢みたいな世界から現実へと連れ戻した。激しい苦痛が胸の内側をじわじわとむしばみ――そして彼を置き去りにし、一人で逃げ出したのだ。

 彼はきっと、ほかの者から禁忌の悪魔に関しての話を聞くに違いない。

 それでも、ほんの少しでも夢を見させてくれた彼に、お礼と謝罪がしたい。

 胸に一つの決心をめ、シャルティーナはゆっくり立ち上がる。

 すでに日も暮れており、辺りはすっかり暗くなっていた。

 今現在、彼がどこにいるのかわからない。だから辿たどり着きそうな場所を想像する。お金がないと言っていた。そんな状態で行ける場所など、そう多くはない。


(行き着く先は、たぶん……)

 瞬間、シャルティーナはいやな気配を察知する。

 虫の知らせにも似たそれは、まと射抜いぬく。

「い、いたぞぉおおお!」

 まだ若い男の声だった。シャルティーナは瞬時に視線をすべらせる。

 軽く武装した姿から、商業都市の治安を統括とうかつする衛兵の者だと判断した。

 シャルティーナは、撤退てったいの一手に打って出る。

 日が暮れたとはいえ、大通りであれば人込みにまぎれられるだろう。人と人との間をすり抜けていけば、逃げびられる可能性は比較的高い。


 迷路に近い路地裏を、シャルティーナは駆け抜けていく。

 衛兵の姿で幾度いくどか進路を変えたが、商業都市の全体図はきちんと頭にきざんである。難なく商業区の大通りへ出て、シャルティーナははっと息を呑んだ。

 ありえない光景が、シャルティーナの目の前に広がっている。

「全員、警戒けいかい態勢! これより、禁忌きんきの悪魔の討伐とうばつ遂行すいこうする!」

 白きよろいに身をつつんだ紫色の髪をした女が、いさましい声を張りあげた。

(あの紋章、王国の、騎士団? どうして、こんな場所に……さそい込まれた?)

 シャルティーナは、血の気がさっと引いていく。

 進路を変えたのではない。進路を変えさせられたのだとわかった。


蜘蛛くもの子一匹も通すな! 与えられた仕事にのみ命をせ!」

 物々ものものしい武装をした、王国騎士団に商業都市の衛兵――逃げる隙間すきますらないほど、完全に包囲ほういされていた。ただの大通りが、まるで一つの大広場へと変化している。

 背後から追手がせまっており、退路たいろを完全に断たれていた。

「これは、これは。こんな場所で禁忌の悪魔と出逢であうとは、運命を感じますね」

 おだやかな男の声が、広場に響く。

 純白の鎧を着た男が腰に剣をたずさえ、重い足音を立てながら少し近寄ってくる。

 顔はまだ若い。二十歳前後だとシャルティーナは推測した。

 見た目はやさしそうな男だが、放たれる雰囲気が肌にしびれを覚えさせる。


 胸にきざまれた紋章が見え、シャルティーナの背筋に冷たいものを感じた。

「王国、聖印せいいん騎士団の……団長?」

 新生しんせいしてまだ間もない騎士団だが、王国の騎士団の中でも急激な速さで実績を積み重ね、駆け上っている騎士団だと記憶している。

 確かなすじから、団長と副団長は危険な人物だと忠告もされていた。

 もう一つ情報を付け加えると、任務のためには血も涙も見せない連中らしい。

「禁忌の悪魔様にまで存在を知られているとは、とても光栄こうえいの極みです」

 毒気の抜けるおだやかな口調だが、その表情からは明らかな殺意がにじんでいる。

 シャルティーナは、再び視線を巡らした。


 この包囲ほういには、用意周到よういしゅうとうさがうかがえる。つまり、自分の情報が、なんらかの形で衛兵や騎士団にれたのだろう。顔をさらけ出した場所など一つしかなかった。

 昼食を取った飲食店でしか、自分の姿をさらしていない。あの店での出来事がまねいた結果なのは明白だった。問題は別のところにある。

(いったいだれが……?)

 あらくれ者達か、飲食店の女店主か、久遠悠真の三組以外はありえない。

 信じたくはない。考えたくもない。それでも、脳が勝手に連想を働かせてしまう。

 当然、前者のどちらか――あるいは、どちらもといった可能性は高い。ただ、彼は禁忌の悪魔の存在を知らなかった。だから、そこかられた可能性もある。


 真相を知るためにたずねて発覚したのか、真相を知ったからこそ情報を流したのか――こんな状況だというのに、シャルティーナの胸は強く締めつけられた。

(うんん、違う。わかっていたこと……だって私は、禁忌の悪魔なんだから)

 この世界に自分は必要とされていない。それが、すべての答えなのだろう。

 聖印騎士団の男が、ゆったりとした声をつむいだ。

「脱出は不可能です。だからどうか諦めてください。あなたが潜伏せんぷくしている可能性を考慮こうりょした陣形じんけいですから。私の計画ではもっと時間がかかると踏んでおりましたが……こうも簡単に包囲ほういされてくれるとはね」

 二枚目な顔に、男は酷薄こくはくな笑みを張りつけた。


「自己紹介が遅れました。聖印騎士団の団長、アルド・フルフォードと申します」

 優美ゆうびに一礼する男を見ながら、シャルティーナは眉間みけんに力を込める。

 本来であれば、ありえない失敗であった。ただ、今回は少し事情が違う。

 彼との出会いをて、気がゆるんだ部分を突かれる形となった。騎士団や衛兵の者がそれを知るよしもないが、偶然ぐうぜんにもそうなったのはいなめない。

 シャルティーナは首を振って思考を打ち消した。

 いまさら後悔こうかいしても仕方がない。

 考えを改めて、最善さいぜんだと思えるさくを実行する。

 体内に流れる秘力ひりょくを練り上げていく。


「純白のたましい――」

 声に練り上げた秘力を乗せ、光の紋章陣を虚空こくうえがいた。

 そして今度は、体内に保持ほじしてある〝紋章譜もんしょうふの一つ〟を詠唱えいしょうで呼び出す。

燦然さんぜんきらめき、暗き闇を払え!」

 シャルティーナが手を前に出した瞬間、真っ白な発光が破裂はれつして広がった。

 まぶしい光に満たされた広場では、シャルティーナも同様に見えづらくなる。しかし自分で発動した秘術なのだから、本人がくらむようなへまはしない。

 包囲ほういされた一部でも切りくずせば、のがれられるすきはまだある。

 シャルティーナはもろそうな部分を探し出し、死力をくして走った。


 ふと光の中で、不穏ふおんな影をとらえる。刹那せつな――するどい痛みが、シャルティーナの横腹を貫いた。その激痛のせいで、呼吸困難こきゅうこんなんへとおちいる。

 シャルティーナは地面に小さく丸まり、必死に痛みをこらえながら息を整えた。

(い、息が……)

 殴打おうだされたと思しき場所から、にぶい痛みが波紋はもんのように広がっていく。

 次第に秘術の効果が切れてしまい、また街燈がいとうに照らされる夜の街へと戻る。

 痛みのせいでゆがんだ視界に、鉄でおおわれた足が入った。見上げると、いつの間にか抜いていた剣を肩に乗せるアルドの姿がある。その剣で、肩を軽くたたいていた。

 端正な顔立ちに浮かんでいる表情は、寒気がするほど冷徹れいてつなものに見える。


「視力を失ったところで、敵の居場所ぐらいは察知できます。それにしても、初めて禁忌の悪魔の姿をこうして拝見はいけんできましたが、噂にたがわぬ容姿で不気味ぶきみですね」

 アルドの口許に嘲笑ちょうしょうが浮かんだ。

 かぶり物がはずれていると、シャルティーナは気がついた。だがしかし、被り物を戻す余裕よゆうはない。それほどまでに、アルドの放った攻撃はすさまじかった。

 回復するきざしが微塵みじんもみられない。

 アルドがあきれ顔で、深い溜め息をらした。

「その程度で逃げられると思ったのなら……ずいぶん甘く見られたものですね」

 周辺を囲んでいるほかの騎士達からも、耳障みみざわりでいやわらい声が飛んでくる。


 シャルティーナの視界がじわりと涙でにじむ。

 それでも息を整えて、素早く逃げる姿勢を取った――ひらめくような速さで、下腹部に蹴りをたたき込まれる。一瞬、何が起こったのか自分でもよくわからなかった。

(な、は、速すぎ……)

 シャルティーナは、体が宙に浮く感覚がした。

 地面に叩きつけられ、何度か転がっていく。

「が、あぁ……あ、あぁ、うおぇあぁ……」

 胃の中の物がのどを逆流し、シャルティーナはそのまま地面に吐き出した。

 血が混じっていたのか、鉄を舐めたような味がする。


 意識が飛びそうなのを、かろうじて耐える。本気で殺すための蹴りだった。

 うつろな意識をかかえたシャルティーナは、ゆっくりと覚悟かくごを決める。

(ここで、終わり、なのかな……ねぇ、私の人生って、いったい、なんだったの)

 いっそ産まれてこなければよかったと、そう思わずにはいられない。

 仰向あおむけの姿勢に変え、シャルティーナはゆがんだ夜空を見る。

 満点の星空が広がっており、色違いの星々ほしぼしがちかちかと明滅めいめつしていた。

 不思議と、少しだけ痛みがやわらいだ気がする。

(もういいかな……ちょっと、疲れた。ごめんね、ニア、ヨヒム)

 この世界に自分は必要とされていない。


 それでも、幸せがなかったのかと問われればそうでもなかった。おそらくそれは、見る人から見ればとても小さく、他愛たあいのないものなのかもしれない。

 産まれたときからそばにいたニアとヨヒムに、心から愛してくれていたと思われる、顔すらも知らぬ女性――そしてに、同じ人として見てもらえた。

 それでもう、充分じゅうぶんなのだと思う。

「世界に災厄さいやくを振りまくく禁忌の悪魔、ここでち取らせていただきます」

 聖印騎士団の団長アルドが、白い光をたたえた剣をかかげる姿が見えた。

(さよなら、世界……こんな私に、小さな幸せをたくさんくれて、ありがとう)

 自分を貫くのであろう剣先が、振り下ろされる寸前すんぜんでの出来事だった。


 いくつか破裂はれつ音が重なり合うと同時に、閃光せんこうが発生する。

 それからほどなくして、今度は何かが両断された音が耳に届く。

 一瞬、自分が斬り裂かれた音と錯覚さっかくした。だが、どこにも痛みは感じられない。

「ちょっと待ったぁあ――っ!」

 どこかで聞き覚えのある男の声だった。

 ねるような心臓の鼓動こどうを強く感じたとき――

 シャルティーナの意識は、そこで途切とぎれた。



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