第五幕   聖印騎士団の始動



 楽な布服に身をつつみ、アルド・フルフォードは書物の紙を一枚めくる。

 借宿かりやどの自室にある椅子に腰を下ろし、アルドはひとり静かに書物を熟読じゅくどくしていた。記述された内容は、お伽噺とぎばなしに近い。実際、童話としてつづられた話も多くある。

 百年に一度、世界のどこかに現れる〝きり摩天楼まてんろう〟の物語――数歩先すら見えない濃度のうどの高い霧が立ち込め、最初から存在していたかのごとく塔がそびえ立つ。

 塔に選ばれた者のみが来訪者らいほうしゃだと認められ、なんらかの試練しれんが与えられる。

 内容はいくつかあるのだが、どれもこれも危険きわまりない難題な試練ばかりだった。そんな試練を突破した者は覇者はしゃと呼ばれ、願いに応じた品が一つ与えられる。


 一代目の覇者は、覇王はおうの指輪をさずかった。彼は、巨大な帝国を築き上げた。

 二代目の覇者は、真紅しんくの大剣を授かった。彼は、世界を救う英雄となった。

 三代目の覇者は、破邪はじゃの小瓶を授かった。彼は、蔓延はびこる不治のやまいを治した。

 これらはただのお伽噺とぎばなしではない。すべてが実話であった。

 今より約千年前の書物に、初代とされる者の記録が残されている。

 それから三百年後に二代目が誕生し、さらに三百年後には最後の覇者となった者の情報が、わずかながらも文献ぶんけんきざまれていた。 

 三代目から約四百年の間、塔が三回出現したが覇者は一人も誕生していない。

 全員が帰らぬ人となっていた。命を失えば、塔から排出はいしゅつされるのだ。


 最後に塔が現れてから、もうすぐ百年の月日がつ。

 これまで〝きり摩天楼まてんろう〟の出現場所は、皆目かいもく見当もつかなかった。

 文献通りであれば、塔は選んだ者の付近にそびえ立つのだから当然ではある。しかし宮廷きゅうてい法術士団が、そんな塔の前触まえぶれを解明したと国王に進言しんげんした。

 商業都市エアハルトの付近に、塔が出現するきざしがあると断言だんげんしたそうだ。これが起因きいんして、アルドは騎士きしだんひきいてエアハルトの宿屋に滞在している。二十一歳とまだ若輩じゃくはいではあるが、実力からアルドは今回任務にんむを言い渡された。

 最初は、国をまもる騎士に夢をいだくだけの少年だった。貴族だとおごらず研鑽けんさんを積み、国民とれ合い、努力をおこたらず、そして聖印せいいん騎士団団長のを与えられたのだ。


 そこまで上り詰め、アルドに欲がいた。

 もっとはるか先の――塔を制覇した二代目と同様、英雄と呼ばれるまでに達したい。歴史に名をのこせるほどの偉人いじんになりたいと、アルドは心から真剣に願っている。

 今回の件は、国王直々じきじきの命令であった。王国の騎士として挑戦をめいじられたのは、思いがけず幸運であり、あまりの喜びに手が打ち震えたのを覚えている。

 どこまでの願いがかない、のぞみが果たされるのか。

 それは実際に〝きり摩天楼まてんろう〟を制覇した者にしか、わかりないものだ。ただ――これまで制覇した者達の残された記録を見れば、ある程度の推察はできた。

 自然と笑みが口許に張りついていたのを、アルドは自覚する。


 首を振って自重じちょうしていると、木造の戸をたたく音が響いた。

「はい、どうぞ」

「アルド団長、失礼いたします」

 くぐもった女の声を聞き、戸の奥にいる者がだれかすぐにわかった。

 部屋に入ってきたのは、副団長のリアンだ。重い足音から、甲冑かっちゅうを着用していると判断する。男性騎士団よりも軽装とはいえ、充分じゅうぶん休息きゅうそくは取れないだろう。

 目を向けずに、アルドは告げる。

「リアン……宿の中ぐらい、もう少し軽装でいたらどうだ?」

「いえ、万事ばんじに備えております。お気づかい、感謝いたします」


 規律正しい真面目まじめなリアンの対応に、アルドは肩をすくめた。

 手に乗せた書物をそっと閉じて、アルドは体ごとリアンを振り返る。紫の髪が汗で少しばかりれているが、あつがっている様子は特にない。

 直立ちょくりつ不動ふどうの姿勢で立っていた彼女に、アルドは視線をえて微笑む。

「しかし結局、その万事には私が準備を終えるまで待つはめになるのだがね」

「団長を待つのと、私を待たせるのとでは訳が違います。そして今、その万事です」

 容赦ようしゃない部下の言葉返しに、アルドは苦笑でこたえた。

「わかった。要件を聞こうか」


「都市衛兵から通達がありました。商業都市の飲食街で、禁忌きんきの悪魔を目撃もくげきしたと、数名の男達から情報提供があった模様もよう――現在、衛兵が商業都市を可能な限り封鎖ふうさ、禁忌の悪魔を捜索中ですが、王国騎士団の手も貸してほしいとの要請ようせいです」

 アルドがまだ少年と呼ばれていたころの記憶が、ふとよみがえる。

 十数年前、暗き森の奥深くで、禁忌の悪魔はその名にふさわしい誕生をむかえた。

 それからも話だけは何度か耳にしたが、最後に聞いたのは六年ぐらい前――禁忌の悪魔の潜伏せんぷく先が判明し、国をげての大規模な討伐とうばつたいが結成されたそうだ。

 禁忌の悪魔に深手ふかでを負わせ、やっと追い込んだすえに――妖魔ようまの胸を剣で大きく貫いたようだが、あやまって深い峡谷きょうこくの底へ落としてしまったらしい。


 確実に生死を確認できない状況となり、しばらく捜索そうさくが行なわれたが、峡谷の底は川の激流にまみれ、生きているはずがないとえきらない判断がくだされた。 

 ここ数年は、禁忌の悪魔に関する話は何一つとして耳に届いていない。

(生きていたのか? それとも、また別の……まったく、この大事だいじな時期に)

 禁忌の悪魔を討伐したともなれば、名をあげる要素にはなる――しかしそれ以上に〝きり摩天楼まてんろう〟は、アルドの〝夢〟に近づくための最重要事項だった。

 禁忌の悪魔など〝霧の摩天楼〟に比べれば、アルドにとっては些事さじにすぎない。

「少しあやふやですが……黒髪の青年が連れっていたとの情報があります。ただ、禁忌の悪魔を確認した店のあるじから話を聞いたところ、信徒らしいよそおいではなかったと述べた模様。ですが、信徒がいる可能性も含め、協力してほしいとの申し出です」


 アルドは静かに嘆息たんそくする。

 商業都市がまだ市場町いちばまちだったころから、アルドが仕えている王国はその発展に一役ひとやくを買っていた。現在も有事ゆうじさいには、王国から兵が派遣はけんされるのもめずらしくはない。

 しかもだったとはいえ、生死の確認ができなかった禁忌の悪魔がらみともなれば、王国の騎士としては動かざるをないだろう。

「アルド団長、少し顔色がすぐれないご様子ですね」

 リアンは胸に手を置き、深く頭を下げた。

「お許しいただけるのであれば、不肖ふしょうではありますが……この私が代わりに騎士団を指揮しきし、禁忌の悪魔討伐に打って出ますが、いかがいたしましょう」


 アルドは手のひらを見せ、リアンを制する。

「いいや……それにはおよばない。風の噂で耳にしただけだが、禁忌の悪魔には常人を超えた力が備わっているらしい。この大事だいじ時期じき大切たいせつな部下達を失いたくはない。指揮は私がるが、みなの力も貸してもらえないだろうか」

「アルド団長……それでは、団員達に戦闘の準備を始めさせます」

「ああ。頼んだ、リアン」

「はっ!」

 いさましく部屋を出ていくリアンの後ろを、アルドは見送った。

(しかし、なぜこの場所に禁忌の悪魔が潜伏せんぷくしていた……?)


 おと沙汰さたのなかった数年間、別の存在でなければ、身をひそめていたのは間違いない。それがこの〝きり摩天楼まてんろう〟が出現する可能性のある付近で、再び存在を示した。

 アルドは言い知れぬ不安をかかえ、禁忌の悪魔討伐とうばつに向け準備を始める。



        ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 商業都市は少しずつ、あかねいろに染まりつつあった。

 あふれ返っていた人の数も、今では半数以下にまで減少している。そんな商業都市の大通りで、悠真は目的を持ってひたすら走り続けていた。

 シャルが店を飛び出してから、悠真はずっと彼女の姿を探している。だがしかし、どこにも彼女の姿は見当たらない。そもそも都市があまりにも広すぎるのだ。

 探してはいるものの、会ってどうするのかまでは考えていない。

 出会ったばかりの自分が、彼女に何かをしてやれるわけでもなかった。それでも、もう一度会わなければ、胸に妙なしこりを残したままになる。

 息を切らし、立ち止まった悠真のひたいから汗が大量に流れ落ちていく。


 汗を腕でぬぐい捨てつつ、悠真は息を整える。

(シャル、いったいどこにいるんだ)

 心のどこかで、このままもう二度と会えない気がした。彼女の言葉通りであれば、買い出しで商業都市をおとずれていただけのはずであった。

 時間も時間のため、普通に考えればすでに都市を離れていても不思議ではない。

 それとは別に、もう一つ離れている可能性が高まる理由がある。あれほどのひどののしりを受けた者が、まだ滞在たいざいしているとは到底とうてい考えられなかった。

 そこまで考えていながら、悠真は諦め切れない。あわい期待にすがるほかないのだ。

 体力がやや回復したあと、また悠真は駆ける。


 不意に、十字路の死角しかくから人が出てきた。

「わぁっ!」

「えっ!」

 急停止をこころみるも、悠真はそのまま人と衝突しょうとつする。

 弾力のある柔らかな人肌の感触がした。同時に、かすかな痛みもともなう。

「つつっ……あの、すみません! 大丈――」

 言いながら現状を理解し、悠真は絶句ぜっくした。衝突した相手を、なかば無理矢理に押し倒した格好となっている。それだけならまだいいほうであった。

 相手の豊満ほうまんな胸の柔らかい感触が、手のひらから脳に伝わってくる。


「あぁん、いやぁ……」

「だぁあぁあ!」

 瞬時に飛び退き、日本ならではの土下座で誠意せいいを見せる。

 閃光せんこうを放つ道具を誤作動ごさどうさせていた客も、何度も頭を下げていた。だからこちらの世界――少なくともこの付近では、頭を下げれば謝罪しゃざいだと伝わるはずだった。

「すみません、本当にすみません。痴漢ちかんじゃないです。事故です。ごめんなさい」

「つっつぅ……あれ、あなたは?」

 聞き覚えのある女の声であった。突発とっぱつ的な衝突と事故のせいで、しっかりと相手の顔まで確認していなかったが、確かにあの豊満な胸には見覚えがある。


 地面に落としたひたいを上げて、相手の顔を見た。やや露出度ろしゅつどの高い――きらびやかな黒い服に身をつつんだ、桃色の短い髪をした女がそこにはいた。

「あ、あれ、あんた、あんときの……」

 少しおっとりとした顔を苦痛にゆがめ、女は桃色の髪をでた。

「い、つつ……あなた、朝方あさがたにお会いした方ね」

 奇妙なえん――奇跡に近い偶然ぐうぜんに、悠真は静かに驚く。

 そっと立った女が、黒い衣服についたほこりを手で払う。

「いきなり飛び出して来るものですから、びっくりしました」

 悠真も立ち上がり、頭を下げながら改めて謝罪しゃざいする。


「本当に、申し訳ありませんでした」

「まあ、今朝とは違って、顔色もずいぶんよろしくなったみたいですね」

 顔をほころばせ、彼女は赤々あかあかとした瞳で見据みすえてくる。

 今朝は知らない間に来ていた異世界で目覚め、まだ間もなかった。それに比べれば普段ふだんの落ち着きを取り戻せている。ただ、今は別の意味で落ち着いていない。

 一刻いっこくも早く〝銀色の髪と瞳を持つ彼女探し〟を再開したかった。

 悠真が切り出すよりも前に、桃色の髪をした女が柔らかな声をつむいだ。

「それはそうと、何か急いでいらしたみたいですけれど、大丈夫なのですか?」

「ああ、いやあ、急いでいるというか、なんというか……」


 悠真は言葉に詰まる。理由はよくわからないが、禁忌きんきの悪魔だと罵倒ばとうされていた。ここで考えもなしに、彼女の話題を出すわけにもいかないだろう。

 怪訝けげんそうに、女が小首をかしげた。悠真は別の言葉で対処する。

「ただ、気分転換に少し走ってたぐらい、かな、はは」

「ふぅん……」

 少し間を置きすぎたせいか、その生返事には疑念ぎねんの響きがあった。

「まあ、そういうことにしておきましょうか」

 あまり釈然しゃくぜんとしない返答をされたが、この話題が長引くのはよろしくない。下手へたに突っ込まれでもしたら面倒めんどうなのに加え、対応に困るほかないからだ。


 女がひらめいたような顔をしてから、両手をぽんと重ね合わせた。

「そうですわ……これから少し、お時間を拝借はいしゃくしてもよろしいでしょうか?」

「えっ?」

「どこか近場のお店でも探して、飲みながらお話し相手になってください」

 女からの唐突とうとつさそいに、自然と警戒けいかいの念が強まる。気さくな誘いかただが、明らかに何かをたくらんでいる雰囲気がただよっている。

 今朝を思いだしてみても、自分に関する不審ふしんな点は非常に多いと感じられた。

「いや、俺、ずかしい話、無一文だから……」

「安心してくださいませ。誘ったのは私ですからまかせてください」


 やんわり断ろうとしたのが裏目うらめに出る。わけを重ねれば逆にあやしいという印象を与えかねない。自分の軽率けいそつな発言に、悠真はあきれ果てる。

(でも、まあ……博識はくしきそうな人だから、この世界に関する情報は多くられそうか。シャルも見つからねぇしな……きっともう、この都市から離れたんだよな……?)

 胸中で結論を出した悠真は、そっと肩を落とした。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 女がゆったりとうなずき、満足まんぞくそうな笑みを見せる。

「自己紹介が遅れました。アリシア・マルティス。アリシアとお呼びください」

 アリシアの自己紹介を聞き、悠真はふと思う。地球でも、他国がそうであった。


 日本とは異なり、おそらく名前が先で、苗字が後に違いない。シャル達は名前しか名乗らなかったから、今の今まで気にすらしていなかった。

 まだ真偽しんぎは知れないが、とりあえず悠真もちゃんと自己紹介しておく。

「俺は久遠悠真。たぶん苗字と名前が逆だろうけど、悠真って呼んでくれ」

「……ふんふん、悠真君ですね。それでは、悠真君。行きましょうか」

 悠真はアリシアの横に並び、彼女の歩幅に合わせて歩いた。



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