第三幕   神々しい少女



 注文書に書かれた文字が読めない悠真に代わり、料理はシャルが選んでくれた。

 まだ昼前のはずだが、やや古びた木造の店内は閑散かんさんとしている。

 自分達以外に客の姿はなく、店員の姿すらもない。入店したときや注文したときに顔を見せたのは、三十代なかばであろう女店主のみであった。

 よごれたエプロンを着けたまま接客していたことから、おおよそ一人でこの店を切り盛りしているのだろう。ただ、こちらの世界の生活せいかつ様式ようしきは実際よくわからない。

 一日が二十四時間だとは限らないし、朝昼晩と食事をしない可能性もある。

 これから知らなければならない事柄ことがらは多いが、何にしても腰を落ち着けられた。


 一息つきながら、悠真は道中でシャルからた情報を咀嚼そしゃくする。

 この商業都市は方々ほうぼうから大勢の人がおとずれる、大陸一の港街みなとまちという顔も持っていた。交通結節点けっせつてんであることから、どこへ行くのも大抵たいていはここへやって来るそうだ。

 そんなシャル達も、商業都市にきょを構えているわけではないらしい。馬車で一時間以上かかるところから、買い出しのために訪れたのだと言っていた。

 さまざまな需要じゅようを満たせるからこそ、あれほど大勢の人々でにぎわっていたのだ。

「その……」

 店内でもフードを目深まぶかかぶったまま、シャルは静かな声で続けた。

「悠真さんは、どちらから来られたんですか?」


 シャルの問いに、悠真は困り果てる。黒髪に指を通して頭をく。

 まさか〝別の世界からやって来ました〟と、素直に答えられるはずもない。

 自分の置かれた状況を多少なりと把握はあくはしたが、ありのまま伝えるとどんな効果をもたらすのか予想もつかなかった。正直に告げるのは、あまりよくない香りがする。

 返答にきゅうしていると、先にシャルが口を開いた。

「何か、失礼な質問だったでしょうか……すみません」

 うつむきがちに謝罪したシャルを見て、悠真はあわてて否定する。

「いや、そうじゃない。ごめんな。あぁ――実はさ、ここがどこで、自分がどうしてここにいるのか、俺にもよくわかってないんだ」


 シャルが、どこかきょとんとした雰囲気をかもした。

「それは、どういう意味でしょうか」

「たぶん一種の軽い記憶喪失そうしつだと思う。記憶がある部分と無い部分があるんだ」

「まあ、そうだったんですか。だから、悠真さんは文字が読めないんですね」

 悠真は咄嗟とっさに、そんなうそを並べた。シャルの声から疑念ぎねんは感じられない。

 一度吐いた嘘は呑み込めず、悠真は事実を交えて虚偽きょぎ信憑しんぴょうせいを高めておく。

「自分が育った場所や風景とか……覚えてるところは覚えてるんだけどな。でもさ、それがどこにあって、どう帰ればいいのか……おまけに無一文だしな」

「それは、お困りでしょうね」


「正直、飯をおごってもらえて本当に助かったよ。働ける場所が見つかるまでの間は、飲まず食わずの状態で頑張るしかないって、覚悟したぐらいだから」

 情報を頭の中で吟味ぎんみでもしているのか、シャルは黙った。

 彼女から醸されるのは疑惑的ぎわくてきな雰囲気ではなく、うれいのほうが色濃い。事実をぜて告げた悠真からすれば、この空気には少しばかり心を痛めた。

 居心地の悪さを覚え、悠真は重い沈黙を破る。

「今度は、こっちが質問してもいいか? どうして、店内でもそれをはずさないんだ」

 シャルは少し肩をすぼめ、顔をせた。あまりこころよくない質問だったようだ。

「ああ、悪い。なんか聞いちゃだめだったみたいだな。忘れてくれ」


「あ、いいえ。ただ、人に見せられる容姿ではないので……」

 ほんのわずかにのぞけた顔が、悠真の脳裏のうりによみがえる。

 見えたのが瞬間的だったとはいえ、相当な美人の部類に感じられた。

「まあ……別に無理強むりじいするつもりはない。だから、安心してくれ」

 本音では、もう一度見直してみたかったが、悠真はおだやかな声でそう伝えた。

 また静寂せいじゃくが広がっていく。しかし長くは続かなかった。

「シャルお姉ちゃん、ちょっとはずしてみなよ」

「うんうん。きっと、平気よ」

 ヨヒムの発言に、ニアが同意を示した。


 シャルはあわてふためいている。

「え、でも、だって……」

 深く肩を落として小さくなったシャルが、しばらくしてから前を向いた。

「わかり、ました……」

 決心したのか、シャルがフードをつかんで脱いだ。

 さらさらとした銀色の長い髪が流れ落ち、窓から差し込む陽光ようこうが輝きを与える。

 お洒落しゃれにあまり興味がないのか、飾りは特に見当たらない。ただ、彼女に飾りなど必要ないのかもしれない。まだ幼さが残った顔立ちに、にじみ出る妖艶ようえんさ――それこそ神話しんわに登場してもおかしくないぐらい、どこか人間を超越ちょうえつした気配がただよっている。


 最初に出会った桃色の髪をした女や、気にくわない紅髪べにがみの女――この商業都市には綺麗な人が多い。そのだれよりも、シャルは美を体現していると思う。

 年齢の推測すいそくは少し難しい。同じぐらいにも見えるし、上にも下にも見える。

 吸い込まれそうな銀色の瞳を見据みすえると、彼女の整った顔に影が差し込んだ。

「やっぱり、あの、怖い……ですよね」

「……え? 怖いって、なんでだ?」

 悠真は素直に問い返してから、首をかしげた。

 シャルの両隣にいるヨヒムとニアが、ぼんやりとした顔で見つめてきている。

「ん……?」


「だって……この髪と瞳の色を見て、わかりませんか」

 シャルの声はひどくさええない。

 銀色の髪と瞳にどんな問題がはらんでいるのか、悠真にはわからなかった。

 地球であればアルビノと呼ばれる分類になる可能性はある。しかし商業都市では、すれ違う人それぞれが多種たしゅ多様たようの髪や瞳の色をしていたはずだった。

 それ以前に――どう見ても、人とは思えない者も普通に歩いていたのだ。

「商業都市では、銀色の髪と瞳って恐怖の対象かなんかなのか?」

「商業都市だけではありません。この世界すべてでそうです」

「えっ、そうなんだ? でも、別に怖くない。そんな話、初めて聞いたぐらいだ」


 シャルが目をいた。困惑こんわく驚愕きょうがくが同居した形で、綺麗な銀色の瞳が揺れ動く。

「よくわからないが、別に怖がる要素ようそがないな。こうしてお礼をしてくれる気持ちがあって、きっと怖いって思われるのが怖いって気持ちもあるんだよな」

 悠真は、意識的に作った微笑みを見せる。

「そうやって、揺れ動く心がシャルにはある。そして、俺やヨヒムやニアにもある。何も変わらないだろ。俺には、シャルは普通の女の子にしか見えない」

 シャルの片方の目から、すっと一筋ひとすじの涙がこぼれ落ちた。

 突然の出来事できごとに、悠真は絶句ぜっくする。

「ああ、悠真お兄ちゃん泣かした!」


「男は女を泣かしちゃだめだって、悠真お兄ちゃんが言っていたのに!」

「あわわ、ご、ごめん。何も知らないのに、何もわからないのに、勝手言って」

 おさない二人からの非難ひなんあわてていると、シャルが涙を指でぬぐいながら伝えてくる。

「いいえ。そんなこと言ってくれた人、初めてで……だから、うれしくて」

(――そんな、泣くほどなのか?)

 シャルのかかえた問題の重さを、はからずにはいられない。

 これまでの間ずっと、フードを目深まぶかかぶったまま、人の目をけてきたのだろう。それなのに悠真の不用意な発言から、彼女はフードをはずして姿を見せてくれた。

 そこには、尋常じんじょうではない覚悟かくごがあったに違いない。


「大丈夫。シャルはちゃんとお礼ができるやさしい人だって、俺は知ってるから」

「はい」

 シャルの女神めがみを思わせる笑顔に、悠真の心音しんおんは速まった。心持ちほおが熱くなる。

(なんだ、この可愛かわいさ。ある意味、反則級はんそくきゅうだな)

 悠真が気持ちの抑制よくせいつとめている最中、料理を運ぶ女店主の姿が見えた。

 あわただしく、シャルがフードを目深に被り直す。

 ぼんやりとシャルを見守っていると、料理がテーブルに並べられていく。

 何かの煮付け――いや、どうやらスープに近い料理だった。別の世界ではあるが、食器は普通にあるし、フォークやスプーンなどもきちんとある。


 ふと並べられた料理の数に疑問を覚えた。どう見ても二人分しかない。

「それでは、おし上がりください」

「あれ、ヨヒムとニアは食わないのか?」

「……ああ、えっと、どちらもお腹が減っていませんので」

 悠真は、縫いぐるみで遊ぶヨヒム達を眺める。

(確かに、腹が減っているようには見えないな……どっちも遊ぶのに夢中むちゅうか)

 もしかしたら、事前に何か食べていたのかもしれない。

「そっか。わかった。それじゃあ、ありがたくいただきます」

 悠真も礼儀れいぎだけはくしてから、フォークを手に取った。


 皿に入った物をフォークで刺して、口へと運んだ。味は魚の煮付けに近いのだが、歯応はごたえを考慮こうりょすれば、鶏肉に似た何かだと思う。

 やや濃いめではあるものの、普通に美味おいしいと感じる食べ物であった。

「お、これはうまいな」

 お腹が減っていたのもあり、美味しさは割増している。

 口許に笑みを浮かべるシャルに、悠真は料理を味わいながらたずねる。

「そうだ、シャル。少し知りたいんだが、秘力ってやつはシャルにもあるのか?」

 どこか呆気あっけに取られたような間をて、彼女はぎこちないうなずきを見せた。

「え、ええ。もちろんありますが……」


「実はさっき、とあるもよおしで秘力を測るってやつに出てみたんだが……なんかまるで反応を示さなくってな。秘力の扱いって、どうやってやるんだ?」

「えっ、と……普通に扱うだけですけど」

 悠真は苦笑する。その普通の過程かていがわからない。

「そうそう、こうやってばぁって」

 ヨヒムが手のひらを高くげるや、上空に白い魔法陣のようなものが浮かび上がり――瞬間、魔法陣は粉々こなごなくだけ、代わりに小さな光球が生み出された。

 異様いような光景に、悠真はぎょっと目を見張る。

「も、もしかしてさ、みんな普通にできるのか?」


「ニアだって、水を出せるよ。ここだと迷惑めいわくがかかるから見せられないけどね」

 悠真は言い知れぬ疎外感そがいかんおそわれた。同時に、催しでのいやな記憶がよみがえる。

(そりゃあ、馬鹿ばかにされても仕方がねぇわぁ……)

 テーブルに頬杖ほおづえをつき、ヨヒムとニアのやり取りを横目で見つめた。

(こんな子供までできるんだ。むしろ、できないほうに問題があるんだろうな)

「きっと悠真さんは秘力の扱いかたとか……いろいろ忘れてしまったんですね」

 また胸に一筋の痛みがともなう。はなから知らないとは口がけても言えない。

 シャルが腰の辺りから、円盤えんばんに近い小石を取り出した。十字の形で水晶と思われる物が五つ埋め込まれている。見た目はただのアクセサリーであった。


「この錬成具れんせいぐを試してみたらどうでしょうか」

「これも、錬成具っていうのか。これはどんな道具なんだ?」

「秘力の流れが感じ取れる錬成具ですね。私が小さいころは、こういった品でよく秘力遊びをしていました。私が小さい頃とは違い、これは生まれ持っている属性ぞくせいもわかる仕様しようになっていますけどね。中心にある水晶が光る色で、属性が判別はんべつできます」

 心をはずませつつ、悠真は少しばかり緊張しながら錬成具を受け取った。

「これを、どう扱えばいい?」

「手のひらに乗せて、意識を錬成具のほうへと集中して送ってみてください。それで悠真さんの体内に流れる秘力が、自然と錬成具に流れていきます」


 悠真は、シャルに言われた通りに実行してみる。重圧的な空気感が場を支配しはいした。

 五秒、十秒とっても、錬成具と呼ばれたアクセサリーはなんら反応を示さない。

「もしかして、こわれてる、とか……?」

「あ、あれ、おかしいですね」

 錬成具を返すと、今度はシャルが自分の手のひらに乗せた。

 錬成具全体があわ雪白せっぱくの輝きをまとい、中心にある水晶に色が入る。

 白と青の二色が、交互こうごに切り替わっていた。その周囲にある水晶が、一定の間隔かんかくで時計回りに明滅めいめつしている。どうしてそうなっているのか、悠真にはよくわからない。

「うぅん……ちゃんと全部反応しますね」


「二色に切り替わってるんだが、これはどの属性を持っていると示してるんだ?」

「白は光の属性で、青が水の属性ですね」

「人は本来、一つしか属性を持っていないよ。でも、シャルお姉ちゃんは特別なの」

 ほこらしげにニアが会話に参加してきた。

 ニアの頭をでるシャルを見ながら、悠真はつぶやく。

「じゃあ、単純に……俺には、属性も秘力もまったくないってことか」

「いいえ、属性も秘力も持っていない人は……そんなの聞いたことがありません」

「もう一度、確かめてみていいか?」

 再び受け取った錬成具に、悠真は渾身こんしんの気合いを込めて念を送ってみた。



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