商業都市エアハルト

第一幕   空腹の響き



 石で造られた小規模な橋の上で、悠真はぼんやりと流れる川を見つめていた。

 川によどみはない。んだ水の中を泳ぐ小魚の姿が、ちらほら目に入る。

(地球じゃない。コミケでもない。西洋でもない。宇宙人なんかもいない。ここは、商業都市エアハルトで、巫術士ふじゅつしが普通に存在している世界……ネクリスタか)

 非日常的な現実を呑み込もうとすると、また錯乱さくらんしそうになる。

 激しく首を振って、悠真は思考を打ち消した。どれほど考えても、はっきりとした答えが出るはずもない。静かな溜め息をついてから、ゆっくり真後ろを向く。

 腰ほどの高さがある石のさくに、そっと背を預ける。


(もう、いいか……少なくとも、ここは俺の知らない世界で、俺の知らない場所で、俺の存在を知る者はだれもいない)

 途端とたんに背筋がぞっとした。悠真は目に力を込め、奥歯をみ締める。

(や、やばくね? 金や携帯どころか、靴すらも持ってないぞ)

 じわじわとせまる不安を胸につのらせていると、腹が大きな音を響かせた。

 自分の腹を見下ろしてでる。こんな状況下でも腹は減るらしい。

(そういえば、朝飯とか食ってないからな。もう昼前ぐらいの時間か?)

 知り合いが誰一人としていない世界で無一文なのは、非常に深刻しんこくな問題だった――よくよく考えてみれば、何から何まで深刻でしかない。


 思わず笑いがこぼれたあと、悠真は深く肩を落とした。

 途方とほうに暮れた悠真は、とりあえず周辺に視線を巡らしていく。

 道を走っているのは、馬らしき生物が引く馬車ぐらいしか見当たらない。自転車や自動車などのたぐいはないのだが、代わりにぎょっとする生物も多く目に入った。

 それを受け入れられるだけの余裕よゆうがないため、今は無視むしすることにつとめる。

 悠真は少し遠くにある一つの商店を見据みすえ、店主と客のやり取りを観察した。

 通貨が存在しており、硬貨以外にお札もある。またカードと思われる物で、店主と交渉こうしょうしている客の姿も見られた。

 喧騒けんそうのせいで声までは聞き取れないが、何やらめている様子がうかがえる。


(見たこともない通貨だな。って、あたりまえか……通貨が存在してるってことは、根の部分は地球と似てて、お金がものを言うって感じっぽいな)

 瞬間――眺めていた店側から、まばゆい光がはなたれた。

「うわっ! なんだ!」

 悠真は咄嗟とっさに両腕でかくしたものの、かなり目がくらんだ。視界の回復を急ぎ、そしてゆっくりと両腕を降ろしていく。おそおそる見ていた商店を視界に入れる。

 周辺の人達も目が眩んだのか、一様につらそうな顔をして目許をおおっていた。

「だめよ、お客さん。それせんはずすと、五秒後に発動するようなってんだから!」

 喧騒が途切とぎれたため、今ははっきりと声が聞こえた。


 閃光せんこう手榴弾しゅりゅうだんに近い品物だったのか、客の不手際ふてぎわで誤作動したのだと理解する。

(つか、あれが閃光手榴弾なんだな)

 地球にある物とは違い、こちらの閃光手榴弾は白く平べったい円盤えんばんであった。

 ぺこぺこと頭を下げながら謝っている客の姿をよそ目に、悠真は軽く嘆息たんそくしてから背伸びをする。それから両手を腰に置き、左右を交互に見た。

(あんな品物まであるのには驚いたが……日本ほど発達してるようには見えないな。もしかしたら、別の場所では機械が発達してるところもありそうだけど)

 悠真はまた橋のさくにもたれかかり、空をあおいだ。

 吹き抜ける生暖なまあたたかい風を感じながら、不思議な気分になる。


まぶしい太陽がのぼって、白い雲が浮かんで、青空が広がる。本当に、ここが地球とは別の世界なのか疑いたくなるな……あっちと、それほど代わり映えしない)

 肌をでるすずやかで柔らかな風を受けながら、悠真はなかば諦めの境地でつぶやく。

「これからどうするか……って、決まっているか。まずは靴だな。それから――」

 異世界にりながら、妙な話――希望も、期待も、色気も、何もなかった。安全が保障ほしょうされているわけでもなく、進むべき道標みちしるべも見当たらない。

 おまけに会話ができるのは実証済みだが、文字は何一つ読めそうにない。それなら会話で交渉こうしょうをしつつ、住み込みで働ける職を探すのが最適だろう。

 最悪さいあく、仕事が見つかるまでの間は、飲み食いすらもできない可能性がある。


 空腹に関しては覚悟かくごするしかない。悠真は、そう腹をくくった。

 こんな劣悪れつあくきわめた状況ではあるが、まるきり初めてというわけでもない。物心がつく前に父親は謎の失踪しっそうげ、母親は中学校を卒業する間近にやまいで他界した。

 身寄りも財産ざいさんも残らなかった悠真は、これまでずっとひとりだけで生活資金を稼いで生きてきた。こうした堅実的けんじつてきな思考は、今まで過ごしてきた人生の賜物たまものに違いない。

 悠真は自然と苦笑してから、また空をあおぎ見る。

「それにしても、どうして俺なんだ。こんな展開、別にのぞんでなんか……」

 悠真は心の内側で否定する。本当は心のどこかで望んでいたのかもしれない。

 母親が病死した瞬間から、悠真の胸の中にある何かがはじけ飛んだ。


 母親と同じく、いつ死んでもいいと思ったわけではない。だからと言って、無駄むだに長々と生きているのもどこか違う気がした。そんな幾重いくえもの矛盾むじゅんが巡り巡った結果、ただ無意味に、惰性的だせいてきに、生きるしかないせいをまっとうするしか道がなかったのだ。

 そんな自分が、きらいだった。心で変化を望んでも実行にまで至らない。何か新しい物事に挑戦しようとしても、途端とたん面倒めんどうになって手を引っ込めてしまう。

 悠真は――両頬りょうほおを強く平手で打ち、周囲にかわいた音を響かせる。

(いい機会きかいじゃないか。異世界まで来たんだぞ。それなら新しい自分を見つけてやり直すのも悪くない。ただ、まずは衣食住いしょくじゅうの衣をなんとかしないとな)

 今は自分の生活基準で物事を考え、悠真は行動を開始する。


 路地裏を発見するたびに、目で探っていく。時間はかかると踏んだものの、予想はすぐに的中した。ごみ捨て場に、まだ使えそうなくつが投げ捨てられている。

 何かの皮で作られた丈夫そうな黒いブーツだった。

 足を入れて確かめてみると、意外にもき心地がいい。

(もったいねぇな。まあ、助かったけど……さて、次は食と住の両方だな)

 今度はやとってくれそうな場所を求め、とりあえず悠真は適当に歩いた。

 落ち着いて見回してみれば、情報がすんなりと頭の中に入ってくる。

 商業都市には、多種たしゅ多様たようの品々がそろっている。値札らしき物があるのだが、金額はまったく見当もつかない。そして、同じ品でも店が変われば字の形も違う。


 同じ商品でも、店主次第でが異なるのだと考えられた。

 武器、防具、怪しげな薬、何に使うのかまるでわからない道具の数々と――殊更ことさら、ここが別の世界なのだと強く実感させられる。

 ふと、一つの想像が脳裏のうりに浮かぶ。

(こんな多くの武器や防具があるって、ファンタジー的な怪物とかいるのか?)

 対人用と考えられる物もあれば、としか考えられない代物もある。

 さすがに商業都市の中まで入って来ないと信じたいが、実際はわからない。また、危険きけんなのは何も怪物だけとは限らない。人だって脅威きょういになりるのだ。

(ファンタジーとかが好きな人なら、冒険者とかいろいろ求めたりするんだろうな)


 悠真は静かに苦笑する。

(そんな道を選ぶのも、悪くないか。空想くうそうの中でしか体験できない経験が、ここでは実現可能なのかもしれない。選択肢は多く持っててもいいよな)

 何をするにしても、先立さきだつ物がなければどうしようもない。

 たとえそれがすずめの涙程度であったとしても、心のやさしい王様が旅立つ資金や装備を与えてくれるならまだいい。そんな不明瞭ふめいりょうな未来に、期待をいだく勇気はなかった。

 あくまでも一つの選択肢として、悠真は心に収めておく。

(そうか。金も稼げて情報もるなら、やっぱり酒場とか人の集まる場所だろ!)

 過去にプレイしたゲームからヒントを得た矢先、唐突とうとつに大歓声がいた。


 あまりの声量にどきっとして、悠真の肩が跳ねる。あわてて歓声が飛んで来たほうを見ると、何やら大勢の人でにぎわっている場所があった。

 少しばかり好奇心をそそられ、ふらふら人だかりへと寄っていく。

「さあさあ、皆様みなさまがた。本日の還元祭かんげんさいはこちらでございます」

 異様に背が低い小太りの男が、小さな手を高らかにかかげた。

小人こびとてきな種族か? つか、なんだ、あれ。パンチングマシンに見えるが……)

 形状からそう判断したものの、なぐる部分が石か何かで造られていた。素手で殴れば確実に拳がこわれるに違いない。悠真のほおに冷汗が流れ落ちていく。

「皆様方もごぞんじ、この錬成具れんせいぐ――」


 まったく存じていない悠真は、司会者の説明に耳をました。

 どうやら横一列に五つ並べられた大きな物体は、人の体内を巡る秘めたる力の――秘力ひりょくとやらを数値化する一品らしい。

(秘力? って、なんだそれ……)

「さてさて。ここで、余興よきょうでございます。常人であれば、三十程度の数値――今回、ご用意した豪華ごうか賞品や賞金を受け取れるのは、百を超えた方々かたがたのみでございます」

 周りから罵声ばせいに近い野次やじが飛ぶ。どうやら百は無理難題のようだ。

 司会者の男は、野次を気にする様子もない。

「早い者勝ちでございます。どなたか挑戦してみてください」


 ちらほらと数人が手をげ、われこそはといわんばかりに人込みの中を進んだ。

 そんな挑戦者達の様子を、悠真はじっと観察する。

 たいらな石の部分に手のひらを重ね、単純に気合いを込めて押しているだけだった。合格者は現れないのか、苦渋くじゅうに満ちた顔で去っていく者が後をたない。

(参加は無料か。こりゃあ美味おいしいんじゃないか。せっかくだしやってみるかな)

 悠真は高らかに手をげ、少し減った人込みの中を進んで前に出た。

「じゃんじゃんまいりましょう。はい、そこの不思議な格好をした少年も!」

 悠真は司会者の誘導ゆうどうしたがい、錬成具と呼ばれた物体の前に立つ。

「ここに手のひらを合わせて……押す!」


 けたたましく、合格を示したような音楽が響き渡る。

 悠真はあごを上げ、視線を斜め上に流した。何やら文字が三つ並んでいる。

「す、素晴すばらしいでございます。数値はなんと、驚きの百四十七でございます」

 手持ちの小型ベルを打ち鳴らし、司会の男が満面まんめんの笑みで小躍こおどりを始めた。

 悠真は半眼でを見る。まず文字すら表示されていない。

(俺のやりかたが間違ってるのか?)

 しばし黙考したあと、悠真は高数値を出した様子の女に目を向けた。

 黒と赤を基調きちょうとした衣服は、どこか学生服を思わせる。やや短めのスカートの下にニーハイソックスを着用し、絶対ぜったい領域りょういきである太ももをちらちらとのぞかせていた。


 あわてて視線を上げると、まるで時が止まったような錯覚さっかくおちいる。

 彼女の横顔から、年齢は少し上――あるいは、同じぐらいに感じられた。凛とした眼差しをしており、左目の下にある小さな黒子ほくろが彼女の魅力みりょく際立きわだたせている。

 大人びた少女といった顔立ちには、意志の強さがにじみ出ていた。

 視線を感じたのか、金色こんじきの瞳が悠真のほうへと流れてくる。ツインテールにった紅色べにいろの長髪がふわりと揺れ、もつれを知らなさそうなほどつややかに見えた。

 目線の高さから、身長は一七〇ぐらいある。女性にしては、高身長だと思えた。

 身長は高いが、武骨ぶこつというわけではない。むしろ、女優やモデルだと言われれば、素直に納得なっとくするほど彼女の体形は男の目をきつける美しさがある。


 そんな体格にもかかわらず、百をゆうに超える高数値をたたき出したのだ。つまり、これは単純に押すだけの力ではなく、ほかになんらかの力が必要となるのだろう。

「おい、お前」

 すずやかにき通った声音に、悠真の心臓は一度だけ強く鼓動こどうする。

「何よ、その格好……下民げみん? 秘力数値化錬成具がまるで反応していないじゃない。もしかして、秘力の扱い方も知らないの? 相当な間抜まぬけね」

 金色の瞳で見下し、女は鼻でわらった。一瞬、悠真は幻聴げんちょうと目の錯覚さっかくを疑う。

 彼女の発言と態度は、悠真には信じられないほど予想外なものであった。しばらく呆気あっけに取られたものの、徐々じょじょに怒りが込み上がってくる。


「うっ、うるせぇなあ! 初めてなんだから仕方がねぇだろ。じゃあ、何か。お前は産まれた瞬間から、秘力でも巫術ふじゅつでもなんでも、自在じざいに扱えたって言うのか」

「私は代々だいだい、高名な秘術士ひじゅつし家系の出自しゅつじなのよ。その程度……扱えて当然だわ。それと一つ、無知むちきわめたお前に教えておいてあげる」

 女は片足をやや前に踏み出し、腕を組んだ。

「秘力とはすべてのみなもとであって、巫術は型の一種なの。私が扱うのは、秘術であって巫術ではないわ。記憶する脳があるのなら、しっかりと覚えておきなさい」

 秘力と巫術と秘術は違う――悠真には、よくわからないものだった。

(それはともかくとして……)


 司会者は常人なら三十程度だと言っており、彼女はその約五倍もの数値を示した。何も反応すらしなかった者が、反論はんろんできる余地よちなどどこにもない。

 くやしいのは悔しいが、女の言葉に間違いは何もなかった。

「わかった、俺が馬鹿ばかだった。身のほどをわきまえず挑戦してすみませんでした」

 黒い髪に指を通し、悠真は頭をく。

 女は偉そうに腕を組んだまま、満足まんぞくそうに首を縦に振った。

「そう、お前が悪い。お前が馬鹿。お前が間抜け」

「何をさらっと全力で全否定しとんだ、てめぇ!」

 少しり気味に、女がまた見下してくる。表情は心なしか冷たい。


「ふんっ! お前のような下民が、有能な貴族である私に口答えしないでほしいわ。下民は下民らしく、下を向いて尻尾しっぽを振っていればいいの。わかるかしら、ポチ」

(こ、い、つ……ちょっと可愛かわいくて秘力があるからって、調子に乗りやがって!)

 固く握った拳を震わせ、悠真は唇をみ締めた。

「ま、まあ、本来なら私がもらうべき賞品……しかし記念として、お前が代わりに受け取ってもいいわよ。貴族として心の広さを知らしめるのも、大事だいじな活動よね」

「い、ら、ねぇよ。だれがお前なんかから物を貰うか。ふざけんな」

 そう啖呵たんかを切り、悠真は意地の悪そうな女がいない方角へ歩いていく。

 地面を踏む力も、自然と強くなる。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。この私からの慈悲じひ無視むしする気なの?」

 後ろから女の力強い声が飛んできた。

「何が、慈悲だ」

 悠真は足を止め、肩越しに敵意を込めた眼差しを送る。

「人をさげすむ奴から受ける施しなんかねぇんだよ。この傲慢ごうまん御貴族様ごきぞくさまがよ!」

 一瞬、女が少しさびしげな顔を見せたが、悠真は無視して進んだ。

 くやしさと苛立いらだちを胸にかかえ、その場から一刻も早く逃げ去りたかった。



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