異なる世界から仰ぎ見る空

タイトル:K

銀色の髪と瞳を持つ少女

序幕    闇の果てに 



 何もない暗闇が続く道を、久遠くどう悠真ゆうまは必死な顔をして走っていた。

 秋冬あきふゆ用の部屋着であるスウェットを着たまま、何かから必死に逃げているようだ。しかし後ろのほうには何もない。ただ果てしない暗闇が広がっているだけであった。

 ほどよい長さの黒髪は汗でれており、目許が苦痛にゆがんでいる。激しく疲労した様子が、だらしなく開かれた口からもうかがえた。

 明らかに、実年齢の二倍ほどは老けて見える。

 ややするどい目つきをのぞけば、顔面偏差値は平均値だと自分では思う。

 身長も一七五と低くもなく、きたえた体つきも悪くはない。だが、走っている自分を改めて評価しなおすと、間違いなく底辺だと言わざるをないだろう。


(これは仕方ねぇな……だけど夢なのに、もちっと格好よくならんものかな……)

 こうしてなさけない自分の姿を客観的に眺め――現状を的確に表した夢だと思える。生きる目的も理由も、おまけに未来への希望もない。

 身寄りのない悠真にとってせいとは、ただ漠然ばくぜんと生きるものとなっていた。

 本来であれば高校三年生の歳だが、学校には通っていない。無意味に、惰性だせいてきに、生きるしかない日常のために男臭い職にき、ひとりで細々ほそぼそと暮らしていた。

 過去を、そして今を振り返った悠真の胸に、一筋ひとすじの痛みが駆け抜ける。

(俺だって、本当は……)

 日々に不満があるわけではない。ただ、何かが違う。何かが足りない。


 その何かの正体しょうたいが、今もずっとつかめずにいた。

 夢想むそう際限さいげんはない。だからといって、思いえがいた通りの行動を起こそうと思えば、途端とたん面倒めんどうでやる気がなくなる。だからこそ、この夢が正しいと思えるのだ。

 ふるい起せずにいるから、こうした意味のない闇の中を進んでいくしかない。目的も見えず、目指す場所もなく、ひたすら闇の中を走っていくしかなかった。

 自分がなんのために生きているのか――何もわからなくなる。

 心がひんやりと冷たいものに満たされながら、悠真はふと気づいた。次第に吐息といきや足音が薄れている。代わりに、鳥のさえずりが聞こえてくる。

 少しずつではあるが、暗闇がしらみをび始めていた。


(もう朝か。そろそろ起きないと、仕事に遅刻するかもしれない)

 これまでのすべてをみ殺し、悠真は意識を覚醒かくせいへと向かわせた。

 鳥のさえずりが大きくなり、人通りの激しい商店街のような喧騒けんそうも聞こえてくる。陽光ようこうが肌を焼いているのか、じりじりとした熱を感じた。

 重いまぶたをゆっくりと持ち上げるや、まぶしい陽光が目に飛び込んだ。

 悠真は咄嗟とっさに手のこうで目許をおおい隠し、視線を別の場所へとらしていく。するとまだぼんやりとしている視界に、数え切れないほど行き交う人々の姿が映った。

 微笑みながら手をつないだ母と娘、売り物をさばくために声を張る屈強くっきょうそうな男、腰や背に剣や杖をたずえた男女、服を着こなした二足歩行の爬虫はちゅう類やけもの達――


 まだ完全な覚醒かくせいには達していない。

 思考停止の時間をたっぷりとて、悠真は上半身を飛び起こした。

「ふぁえっ……?」

 自然とれた間の抜けた声が、この喧騒で見事にかき消される。

 曖昧あいまいなままの意識をかかえた悠真は、ゆっくりと立ち上がった。

 かゆくなった腹を雑にきながら、行き交う人々の姿を茫然ぼうぜんと見渡していく。

 何人か――まるで、珍獣ちんじゅうでも見るような眼差しをしている。そんな者達の中には、ひそひそと陰口かげぐちでもたたいていると思われる仕種しぐさもあった。

 悠真は視線を落とし、自分の格好を確認する。


 古着屋で適当に購入した部屋着で、がらの入った白いシャツの上に、手触りが微妙な黒のスウェットを着ている。お世辞せじにも、お洒落しゃれとは言えない服装だった。

 悠真はもう一度、ゆっくりと周囲に視線を巡らせる。

(……だけど、お前らだって相当だぞ)

 視界に入る者達の格好も――いや、自分よりもはるかに異常だとしか感じられない。それこそファンタジーの世界だと疑いかねない、奇抜きばつな衣装ばかりだった。

 悠真の脳裏のうりに、ある一つの予測が浮かぶ。

 いぶかしげな視線の理由は、おそらく服装ではない。今まで眠っていた場所に、問題があったのではないか――煉瓦れんが構造の建物の前には、しなびたわらの山が置かれてある。


 目覚めたときを思いだせば、藁の上に倒れ込むように寝ていた気がした。

 確認してみれば、スウェットに藁のくずがたくさん刺さっている。ちくちくと肌を刺す藁の切れはしを、悠真は手で丁寧ていねいに払っていく。

 路地の裏で眠る酔ったサラリーマンのような状況に、じんわりとはじを覚える。酒を飲んだ記憶などまったくないが、現状がまさにそれを彷彿ほうふつとさせた。

(そうか、わかった。これも、まだ夢の中なんだな)

 天下の大通りと思える場所で、悠真は晴れ渡った空をあおいだ。

「そろそろ夢から覚めないと、仕事に遅刻するぞ、俺ぇ」

 口の端に右手をえ、高らかに声を張った。


 つかの間の沈黙を味わい、悠真は握った拳を反対側の手のひらにぽんと乗せる。

「なるほど、これは頑固がんこな夢だな」

 右のほおをつまんで強く引っ張った。強烈な痛みが脳を直撃した。

「いっ――てぇっ! はぁっ? どうなっている。痛い、普通に痛いぞ」

 行き交っていた人々が声に驚いたのか、今度はちらほらと足を止め始めている。

 その目は不審ふしんしゃを見る眼差しそのものであった。つねったほうとは反対側の左頬を指先でき、悠真は苦笑いで誤魔化ごまかしておく。

 さほど興味はないらしく、流れに沿って人々は再び歩き出した。

 間持たせの意味を含み、悠真は改めて周辺を観察してみる。


 実際に行った経験もなければ、熟知じゅくちしているわけでもないが――感覚的には西洋の雰囲気が色濃い。日本ではない独特どくとくな香りも強くただよっていた。

 建物の構造や舗装ほそうされた道などは、加工された石や木の物が多い。

 外観のみであればそれで済んだのだが、すぐに違うと悠真は断言できた。

 自分と〝同じ形〟をした者のほうが多そうではあるものの、その中には異形いぎょうとしか言い表せない爬虫類や獣達が、男女問わずうようよと交じっている。

(特殊メイクか。いや、意味がわからねぇ……俺って、こんな厨二ちゅうにだったのか)

 頭を両手でかかえ込み、悠真はその場にしゃがみ込んだ。


 これまで過ごしてきた日常の中で、ゲームやアニメといった数々のものは、本当にひまがあった場合にのみたしなむ程度であった。苦手というわけではない。

 単純に、そういった物事にける時間が、あまりなかっただけであった。

(どうなってんだ。これは夢じゃない。感覚が、もろ現実じゃねぇか。おかしいぞ。ただ部屋で寝てただけなのに、なのになんで起きたらこんな訳のわからない……)

 悠真はふと気づいた。裸足はだしのままで靴をいていない。

 足が特に汚れていない様子から、だれかに連れさらわれたか――あるいは、瞬間移動の可能性が浮かび上がる。そして異形の者達を思いだし、即座そくざに違うと結論が出た。

 混乱しながら悠真は顔を上げる。さらに奇妙な事実が見つかる。


 商売人達の言葉がきちんと聞き取れ、しかも理解までできた。

 ひどく気持ちの悪い感覚であった。耳のみで聞き取れば、明らかに日本語ではない。それがなぜか、頭の中で日本語へと変換されていく。

 不可解な情報は、とどまることをしらない。

 店の看板に、文字と思しきものが書かれている。この類に関しては、何一つとして読めないし、またちりほども理解ができない。

 理解不能な状況に、悠真は吐き気をもよおした。口やのどたまらなくかわく。

 悠真の視線はまた地に落ちた。

 これまでプレイしてきたゲームや、観てきたアニメが脳内を無駄むだに巡る。


 序章もなければ、道標みちしるべも何もない。

(ありえねぇ……こんなの、ありえないだろ)

 ほかにも不思議な点を探せば、まだたくさんあるに違いない。しかし今の悠真に、それを紐解ひもといていくだけの余裕よゆうはどこにもなかった。

 黒い髪に指を通し、悠真は頭を荒々あらあらしくく。

(頭がおかしくなったのか。それとも、やっぱり夢――そうか。馬鹿ばかか俺は!)

 悠真は素早く息を呑む。すっとその場で立ち上がり、腕を組んでうなずいた。

「あ、あの、どうかされましたか」

 ゆったりとした女の声が背後から聞こえ、悠真は驚き混じりに振り返る。


 見惚みとれるほど綺麗な顔立ちをした若い女が、いつの間にかそばに立っていた。桃色の短い髪と、赤々あかあかとした瞳の色がとても印象的であった。

 柔和にゅうわな顔をしているからなのか、少しおさなそうに見える反面、お姉さん的な存在感もひしひしと伝わってくる。そのため、成人を迎えている気配もただよっていた。

 どこか魔女を彷彿ほうふつとさせる衣装はきらびやかで、肌の露出ろしゅつがやや高い。黒地の布に色鮮いろあざやかな花柄が刺繍ししゅうされていた。腰には、革製かわせいの鞄がついたベルトを巻いている。

 身長は一六〇程度か――たわわに実った豊満ほうまんな胸に、ふと視線が釘づけになった。

 とてもなめらかで柔らかそうな肌から、あふれんばかりの色気を放っている。それこそシルクを連想させるぐらい、彼女の肌はけがれをしらなさそうであった。


「あの、えっと、その……」

 体を少しくねらせ、女の両頬りょうほおがほんのりと桜色に染まった。

 顔の両側にある髪だけは長く伸ばしており、布と紐でまとめるように結んでいる。日本の巫女みこ風なお洒落しゃれたしなんでおり、その部分を彼女は戸惑とまどった表情ででた。

「あ、その……ありがとうございます!」

 なぜか自然とお礼を言ってしまい、悠真はあわてながら訂正ていせいする。

「あ、いや。違う違う。そうじゃない」

 悠真が錯乱さくらんしていると、女が小さく咳払いした。

「それで、本当に大丈夫ですか。ずいぶんと混乱されている様子でしたが……」


「え、あ、ああ。ちょっと訳のわからない事態に――」

 そこで言葉を止め、悠真は大きく広げた手のひらを彼女に見せる。

「でも、もう大丈夫。ようやく状況が呑み込めたから」

「そうでしたか」

 女がほがらかに微笑んだ。ただでさえ柔和な顔が、さらにおっとりして見えた。

 悠真も微笑みを作ってからしゃべる。

「ところで、みんな凄い仮装だなぁ。これが噂に聞く〝コミケ〟って場所なんだろ。初めて来たから少し驚いた……話には聞いてて、一度は行きたいと思ってたんだ」

 悠真が混乱のすえに導いた結論は、それであった。


 コミックマーケットの略称であるコミケでは、大勢の人がさまざまな衣装を着て、物を売り買いする場所だとどこかで聞いた覚えがある。

 現状を当てはめてみると、それ以外には考えられなかった。噂で聞いていた通り、奇抜きばつな点というのも符号ふごうしている。言語に関しての不信がまだ残っており、夢遊病むゆうびょうの気配もはらんでいるが――もはやそれは無視むししておく。

(それしかないだろ。それしかないんだ)

 自身に言い聞かせるように心の内側で言い、悠真は一人でうなずいた。

 女が小首をかしげる。あざやかな赤い瞳に宿るのは、困惑こんわくよりも疑問の色が強い。

「こみ、け……ここは商業都市エアハルトで、コミケという場所ではありません」


 一瞬、悠真は意識が遠くのほうへ引っ張られる感覚がする。

 悠真は激しく首を振り、自力でわれを取り戻した。

「いや、待て待て待て。そういう設定か。やっぱ西洋とかがモチーフなのか」

「西洋。設定? え、いいえ。ここは本当に、商業都市エアハルトですよ」

 さとすような口調で、彼女は断言した。しかし悠真には、到底とうてい信じられない。

「その格好って魔法使いだよな。そのキャラは、どんな魔法を使うんだ?」

「もしかしてなのですが、私を馬鹿ばかにしていますか?」

 彼女の赤い瞳に、確かな怒りが宿った。悠真はあわてて、両手を大きく振る。

「え、馬鹿になんかしてない。ただ、ほら……とにかく、俺が知りたいんだ」


 不満をあらわにして、女は小さくうなった。

「しかし魔法使いとは古い呼称こしょうですね。私は巫術士ふじゅつしで、法術関連の扱いは……」

 彼女が指でかわいた音を打ち鳴らした。

 瞬間――何もなかった空間に、小さな赤いうずが生まれる。

 仰天ぎょうてんものの光景に、悠真は大きく目を見開く。

 深みを増しながら拡大する赤い渦から、燃え盛る炎をまとった子犬が飛び出した。毛が燃えているのか、燃えているのが毛なのか、悠真にはよくわからない。

 彼女の体周辺を駆け回る様子は、飼い主にじゃれつく子犬そのものであった。

(なん、だ、これは? なんなんだ、これは……)


 見せられた行動のすべてが、ある事実を物語っている。

 ここは本当に、地球とは異なった世界――疑う余地よちすらない明確な事実となった。悠真は思考停止をまぬがれず、頭の中で何かが崩壊ほうかいした気がする。

 いったい何がどうなっているのか、まるで把握はあくできない。

 大きく肩を落とした悠真の脳裏のうりに、さまざまな疑問が飛び交っていく。

「質問ばっかりで悪いけど……俺達がいるこの星って、名前とかあったっけ?」

「ふぇっ……?」

 間の抜けたような声をあげてから、女は戸惑とまどいがちに続けた。

「ネ、ネクリスタ、でしょう? それ以外にあったかしら……」


 もはや苦笑いすらも出ない。質問の流れで、ある一つの疑問を思いついた。

「ちなみにさ、別の星とかに知的生命体とか存在すると思うか?」

「どうされたのですか、突然――」

 悠真は姿勢を正し、女を見据みすえる。不審ふしんそうな視線がそそがれていた。

 自分でも、何を言っているのかわからない。馬鹿ばかな質問だと理解している。しかし後づけではあるものの、言葉にしてみればまとた質問だとも思えた。

 宇宙人にさらわれたすえに、別の世界へ置き去りにされた可能性も捨て切れない。

「いや、なんとなく。本当、ただなんとなく」

「んぅ……天文てんもん学者達のあいだでも、幾度いくどとなく議論が繰り返されていますね。可能性は極めて高そうですが、決定づけるような証拠しょうこはありませんので……なんとも」


「あは、はは。そ、そうか。そうだよな。それじゃあ、どうも、失礼しました」

 妙に気疲れして、悠真は少しひとりになりたくなった。

 とぼとぼと当てもなく、重くなった足を進めていく。

「あ、あの――本当に、大丈夫ですか!」

 声を張って心配してくれた女に、向き直りはしない。

 無言のまま、悠真は背後に手だけ振ってこたえておいた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る