14.ファラオ、むこ殿の色気に負けず反撃をする



「久しぶりだね、アルシノエ」


 王都の中心を成す神殿を訪れると、最奥の至聖所で、すでにが私を待っていてくれた。


「お久しぶりです、神々の王、太陽神ラー」


 花崗岩で作られた小箱のような部屋で、長い両手を広げる姿。

 その姿は、久し振りに見るとどうしても違和感がある。


「そんなにかしこまらないでほしいな。君は僕の大事な女の子なんだから」


 声は落ち着いた響きでしっとりと低く、口調もお顔も、人間でいうなら働き盛りの年頃の男性というところかしら。


 あごは少し細いけれど、首はのどぼとけが目立って男らしい。

 ついでに言うなら真っ直ぐ伸びた眉も力強く太くて男らしいし、切れ長の瞳も角張った鼻だって十分男らしい。


 でも、ラーはいつも女性の格好をしている神様なの。


 光を編んだような明るい髪を豊かに伸ばして背に垂らし、耳元には銀の髪飾りを輝かせている。


 チュニックは床につくほど長く、光沢のある肩掛けが首回りを包んでいる。

 化粧にもずいぶん力が入っているのよ。目元の縁取りアイメイクははっきりと濃く、金箔でもまぶしたかのような睫毛がまぶしい。


 ラーのこの格好、見慣れないとびっくりするのよね。


「あぁ、アルシノエ。君が邪神セトさらわれた時には、この世界ごとあの忌々しい神をぶっ潰してやろうかと思ったよ」


「か、過激ねぇ……」


「当然さ、危うく自分で君を救いにいくところだった。でも」


 ラーは紅をひいた唇を優雅に持ち上げて笑う。


「婿殿に助けられる方が良かっただろう?」


「まぁ、そうですけど……」


 いやだわ、ラーったら、私のことからかっているのね。


「こらこらアルシノエ、私は意地悪を言ってるわけじゃない。君はあの時、ひどい思い込みで苦しんでいただろう? その呪縛を解き放つことができるのは、ティズカールだけだったんだから」


 この私でさえ無力だったのさ、悔しいことにね、と彼は大げさに肩をすくめた。


 あぁ、もう。さすがはラーだわ。なんでもお見通しなのね。悔しいのは私の方よ。

 でも、それなら、遠慮なく相談もできちゃうわね。


「あのさ、これで本当に良かったのかしら……?」


「なんのことだい、アルシノエ?」


「ティズ様のこと。セトから助けてもらった時、彼は私を受け入れてくれたけど、内心ではひどく無理をしていたんじゃないかしら」


 あれがそのまま彼の本心だったと思っていいのかしら。


 小首をかしげたラーは、くすりと笑う。


「それでまだ婿殿と一夜をともにする決心がつかないのかい?」


「えっ?」


 カーッと顔が上気する。

 もう、なんでラーまでそのことを知ってるのよぉ!!


「ほら、黒犬神アヌビスが冥界で嘆いているから。俺は毎晩アルシノエの部屋を追い出されるのに、全然意味がないんだ、って」


「アヌぅぅ!」


「考えすぎだよ、アルシノエ。どうしようもないことに囚われていても、君の夫が困ってしまうだけだ」


「……でも」


「面倒な子だねぇ。そこがまた可愛らしいけど。さて、じゃあ少し昔話をしてあげようか。私の恋の話」


 えぇ!?


「ラーも恋をしたの!?」


「当然さ、つらい恋をこじらせて、いまだにこんな格好をしているんだから」


 彼は自分の姿を見回して自嘲するけど、その様子は一見楽しそうに見える。


「大した話じゃないさ。愛した相手が男だった、ってだけのことだよ」


 あぁ、と思わず唸ってしまった。つらい恋、というのだから、その恋は実らなかったのだろう――。


「相手はね、君のご先祖様。最初のファラオさ。ひどいよね、人を束ねる力を与えて、私は女の格好までしたっていうのに、どうしても好きになってもらえなかったんだ」


 彼は一段高い祭壇に腰掛けて、長い足を組んだ。足の指が見える。爪の先まで美しく色彩が施されていた。


「ラーは、その人のことが本当に好きだったのね……?」


 いまだに自分を美しく飾ってしまうほどに。


「そうだよ、頑張って好きになってもらおうと思った。彼のためならなんでもした。でもさ、彼には私より大事な女性がいたんだ。どうやってもダメだった」


 それに、彼はすぐに死んでしまったから、と笑う声がぽつんと浮かぶ。


「だからさ、アルシノエ。君は夫の心を自分で変えられるなんて思わない方がいい。権力も何もかも、人の心の前では無力だ。彼が君を愛しているとくちづけるのなら、それが全てなんだよ。それ以上でも、それ以下でもない」


「ラー……」


 思わず彼に近寄ろうとすると、厳しい瞳で首を振られた。


「ダメだ、アルシノエ、これ以上私に近づくな」


「ご、ごめんなさい」


 そうよ、この方は神々の王。ほかの神と同列に扱ってはいけないのよ。


「違うよ、無礼だからというわけではない。私が困るんだ」


 彼は眉をひそめてこちらをじっと見る。


「君は、に似すぎている。顔や、姿でなく、その香り立つ気配が。しかも君は女だ……だから私にこれ以上近づいてはいけない」


 言わんとすることを悟ってしまって、私はその場に立ち尽くした。


「ふふ、もう子どもじゃないんだね、アルシノエ。君を怖がらせたいわけではない。いつだって私は君の守り神だ。君と大事な婿殿の仲を引き裂くようなことはしないよ」


 でも、とあごを撫でながら笑う姿は、いたずら好きの子どもみたいだった。


「そうだね、あのティズカールという異邦の男が、クソみたいな情けないヤツで、君のことを泣かせるのだとしたら……その時は私も本気で地上に――君のそばに降りてしまうかな」


 ◇

 ◇

 ◇


 ファラオに即位してもうすぐ二年、私はまたしても夫に迫られていた。


「だから、もう少しあなたのお時間を私にくださいませんでしょうか?」


 息がかかるほどの距離に夫がいて、ちっとも身動きがとれないの。宮殿の自室、石壁に追い詰められていて。


「アルシノエ様……どうして俺はまたあなたに避けられているのでしょうか? 二人の間には、もう何も壁はないのだと思っていたのに」


 こつんとひたいをぶつけて、至近の距離で彼が私を見つめている。


 ええと、この状況、この一年で三回目よね。


 だからもちろんティズ様に迫られるのにはもう慣れている……そう、慣れているはずなのよ?


「ティズ様……? 私も質問していいですか?」


「もちろん」


「あの、今日はお召し物はどうされたんですか?」


 でも! 普段と違うのよ、ティズ様ったら!


 これまでは故国の風習のまま、上半身も短衣シャツを着てらっしゃったのに。


 今日はまるで黒土国ケメトの男のように、腰衣シャンティ一枚で。


 お、おかしいわ……男の人の上半身なんて、もちろん何もめずらしくないわけで、隼神ホルスだって、時神トートだって、いつも惜しげなく体をあらわにしているのに。


 なんでティズ様の褐色の肌だけが、こんなに色っぽく見えるのよ!?


短衣シャツは脱ぐことにしました」


「ど、どうしてですか……」


「そのままだと黒土国ケメトの男に見えない、ってご指摘をいただいたんですよね、イアフメス様に」


 ……イアフめぇぇぇ!


 なんて良いこと言ってくれたのよ! もう、ちょっとあんたのこと好きになりかけちゃったわ!


「というわけで、私の決意を知っていただけましたか?」


 そんなことより、あなた様の色気を知りましたけど!?


 そうよ、ティズ様にこうして迫られるのは三回目。


 一年前、ティズ様が忍んできてくださった時は、私たち、まだお互いのことを何も知らない夫婦だったんだわ。


 そして乾季シェムウの始まり。

 心の闇にとらわれておびえる私に、彼が口づけたのもこの部屋でのことだった。


 あの時は、ティズ様を失うのが怖かった。

 イアフが彼を害するんじゃないか、ティズ様の心は決して私の方を向いてないんだ、と二重にも三重にもがんじがらめになっていた。


 でも、もう大丈夫。ラーの言う通りよ。

 私は、ティズ様の瞳の熱だけ信じていればいいんだ。


「もし俺が何か気に障ることをしたのなら……」


 言いかけた彼の唇を、ふさいでしまう。私の唇で、強引に。


 えぇ、私だって迫られてばかりじゃないわ!

 私の方がずーっと長くティズ様のことをお慕いしていたんだから!


 目を見開いたティズ様の胸をぐいと押す。

 そのまま、逆の壁に彼を押しつけた。


「覚悟してください、ってティズ様が言ったでしょう……気持ちが整うのに時間が必要だっただけです!」


 言い切ってしまうと、私は全身の力を抜いた。

 そのまま彼の胸に体を預けてしまう。


「アルシノエ様……」


 そして、見つめあった。長身の彼と、小柄な私と。


「ティズ様こそ、覚悟はいいですか?」


 もちろんです、と熱い瞳で彼が私を抱き寄せた。

 背中をたどる、彼の大きな手のひらの力を感じる。

 二人の唇がもう一度寄り添って、吐息と吐息が混ざり合う。


 その時。


 ドシーーーーーーン


 と背後でとんでもない音がした。


「え?」


 振り返ると、木戸が内側に押し倒されている。

 その上に重なっているのは……。


「アヌ、マアト、ウヌウヌ、そしてメジェド神……あなたたち一体何をしているのかしら……?」


「いや、ほら、二人の仲が進展しないから、あまりに心配で……!!」


 必死に言い訳を始めたのはアヌで、ティズ様の怒気がそれをさえぎった。


「アヌビス様、やはり俺はあなたと本気の命の取り合いをした方がよろしいようですね……!」


「ひぃぃぃぃぃぃなんで俺だけぇぇぇぇ!?」


「待てっ、逃げるなこの邪魔犬!!!!」


 そして、倒れた木戸の上でピクピクと痙攣けいれんしているのは。


「“逆壁ドン”……“逆壁ドン”……我はもう尊みで死ねる……」


「メジェド神……」


 私は引きつった笑いでシーツの塊を見下ろす。


「あなた、いったいどうして私たちの邪魔をするのよぅ!!」


 もう頭にきた! その白布をひっくり返して、あんたのことも辱めてやるわ!!


「ふぅ、だからやめた方がいいっていったのに、でちゅ」


「でも、マアト様も聞き耳をたててたじゃないですか?」


「そうよね、ウヌヌ」


「あ、あたちはお父様に報告する義務があるから仕方なく、でちゅ〜」


 もぉ!! こんな夜くらい、みんなまとめてどっかに消えててよぉぉぉぉ!!




 Fin

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