13.むこ殿、いいお兄ちゃんになる
事件が宮殿に与えた衝撃はもちろん大きく、警護のあり方や神々と官僚との連携など多くの制度や人事が見直されることとなった。
そのせいで、アルシノエ様はかつてよりもさらに多忙になり、日々は慌ただしく過ぎていく。
そんな中。
俺、ティズカールは、現在ある一つの使命に燃えている。
「ほら、イアフメス様、違いますよ!
「えぇ、いいじゃん、別に読めるだろ……っていてぇ!!」
王弟の丸まった背中に容赦ない頭突きをかましたのはメジェド君だ。
「甘えるでないぞイアフメス!! お前など、婿としてはまだまだなのだからな! しっかりと学び、ティズ君のように最高の“ラブコメ”を生み出せる“ヒーロー”になるのだぞ!」
「うぅぅぅ、意味わかんねーよぉ〜」
「意味不明はあなたですよ! そもそもなんで自国の文字すらままならないのです? つい昨年この国に来た俺よりひどいですよ!」
「だって別に俺は
バカモーン、とまたメジェド君がイアフメス様をどつきまわしている。
そう、俺は今、王弟の教育係という役割を与えられている。
彼の自室を毎日訪れ、可能な限りのことを彼に教えているんだ。
それにしても、彼はなんとも教えがいのある生徒だ。やむをえず基本的な礼儀作法から叩き込むことにした。
とはいえ、俺だって彼が婿入りする南の国のことをよく知るわけではないから、自分でも夜まで月明かりで勉強しながらの手探りの毎日だ。
「ほれ、
メジェド君が視線をやった先には、小さな小さな寝台がある。
窓辺に
セトの闇に呑まれて以来、彼女はまだ人間の姿に戻れていない。
けれど太陽神の恵みを毎日一身に受けて、なんとか体が動くほどには回復していた。
「ほれ、セルケトが人間の姿に戻る前に、お前はもっと立派な男になるのじゃぞ!」
「うぇぇ」
泣き言を漏らしながらも、イアフメス様は毎日しっかりとペンを握っている。
これならきっと大丈夫。婿入りする予定の二月後には、ずいぶんと成長なさっているはずだ。
「ティズ様〜」
開け放たれた扉の向こうから、俺の従者であるイサヤの顔がのぞいている。
そして、その背中にピタリとくっつく女性のかげ。
「おぉ従者B! どうしたのだ?」
「はぁ、また変な名前でよばないでくださいよ。そろそろ休憩のお時間です。果汁を絞りましたので、お持ちしてもよろしいですか?」
やったーと両手をあげるイアフメス様。
けれど俺は、イサヤの背に頬ずりする
「イサヤ、あの、お前まさかバステト様と……?」
「うーん、なんかこの女神様離れてくれないんですよ……迷惑だって言ってるのに」
「迷惑だなんてひどいにゃーん!」
「くぅぅ、従者B、お前
だが、それもちょっと萌えるぞい、とメジェド君の口の端によだれがきらめく。
「にゃーん、こういう男も誘惑のしがいがあるにゃーん」
「はいはい。じゃあ果汁をお持ちしますからねー」
二人が去ると、イアフメス様が大きく伸びをした。そのどことなく晴れやかな表情から彼の充実した日々を感じて、俺も満足する。
「さぁ、たっぷり飲んで、しっかり休みましょう。日が傾いてからは剣技の訓練ですからね」
「げっ、そうだった!」
「十分成長なされているし、今日からはもっと課題を増やして……」
「や、やめてくれぇぇぇぇ!」
「むしろ手足に重りをつけるべきか……」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
「わはは、ティズ君はけっこう“スパルタ”じゃのぉ!!」
こんな風に毎日がにぎやかにすぎていく。
◇
夜の
今日の午後は少し遠出をした。
宮殿も街も抜けだして、
ひととおり穂が刈りとられ乾ききった大地が、
普段なら「疲れた、もう歩けない」などと大騒ぎをする王弟陛下が、今日に限ってはやけに静かだ。
宵闇の空にも王都郊外の集落にも目を向けない。やや首を垂れて、先導するルツの後ろをついていく。
「……あのさー、婿殿」
「なんですか?」
いつもの軽い調子を装って、イアフメス様がぽつりと言葉をこぼした。
そして、続く言葉が、俺の喉を詰まらせた。
「婿殿は、逃げたいと思ったことあるか?」
俺の沈黙を、問われたことが分からないせいだと理解したのか、彼は慌てて説明を始めた。
「ほら、婿殿にも故郷に女がいたんだろ? 別れたくないな、そいつと一緒に逃げたいな、とか思ったことある?」
いや別に俺の婿入りとは関係ないぜ! と手を振り回すイアフメス様に、俺は軽く笑いかけた。
「好きな女性がいたら、逃げたっていいと思いますよ」
「えっ!? あ、いや、だから、俺のことじゃ……」
「ただし、その方が幸せになれるならです」
立ち止まって背を伸ばし、ターコイズの瞳をのぞきこむと、彼も俺にならっていずまいを正した。
「あなたは、自分のことではなく、相手のことを考えなさい。簡単に結論を出してはいけない、真剣に愛する女性のことを想いなさい。それが一番大事なことです」
「あいてのことを、かんがえる……」
そう呟いて、イアフメス様は俺の瞳をのぞきこんだ。
「じゃあ婿殿はどうだったんだよ?」
俺は力強く笑う。
「俺は、ここに来たことを
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