11.ファラオは気持ちをかくさないっ!!




「くそっ、この、シノエ……ぜぇぜぇ」


「なによ……はぁはぁ……三歳児……イアフ


 イアフは蠍女神セルケトを抱えたまま座りこみ、私は膝に手をついて肩で息をしていた。


 あらん限りの悪態をついてやったから、もう二人とも疲れきっちゃったのよ。


「さて、そろそろ姉弟きょうだい喧嘩も終わりにしようぞい」


 メジェド神が間に入って白布をふりふりと揺らした。


 そのおじさんくさい足につい目がいってしまった、その時。


 どおぉぉぉぉぉん


「な、なんだ!?」


 足もとが激しく揺れた。下から突き上げるような衝撃だった。


隼神ホルスたちの戦いに決着がついたかの?」


 メジェド神が地下牢へと続く階段をのぞきこむ。揺れが収まっても地響きは続いていた。


「うーむ、とりあえずここを離れよう。黒犬神あいつらは心配じゃが……ん?」


 眉をひそめて、メジェド神が耳をすませるような仕草をした。何かと思ってみな押し黙ると。


「……っはっはっはっはっはっ!」


 地下の暗闇の中から、聞き慣れた高笑いが聞こえてくる。


 のぞきこんだ地下道の先が徐々に明るくなった。松明たいまつなんかじゃない、この力強い明かりは……!


「ホルス!! アヌ!! 時神トートまで!!」


「はっはっはっ、今戻ったぞ!!」


「ふっ、地上の光がまばゆいな」


「はー疲れた〜」


 みんな全身傷だらけで、泥だか煤だかよくわからないもので汚れていた。


 でも。


 高笑いがよく似合う鍛え抜かれたホルスの背では、大きな翼が煌々と炎を揺らしている。


 トートは白い歯を見せて、ターバンを風になびかせながら笑っている。


 飄々ひょうひょうとしたアヌの表情も、可愛い黒耳も尻尾も。


 全部ちゃんと戻ってきてくれたんだわ!


「よかった!!」


「うぉ!」


 嬉しくって勢いよく抱きつくと、アヌが腕の中でもがいた。


「やめろ、やめてくれ、アルシノエ! 今度こそ殺される!」


「大げさねぇ、私が抱きついたくらいで死ぬわけないでしょ?」


「そうじゃない、婿殿だよ! うわぁぁ、そんな呪うような目で俺をにらむな!!」


 何をバカなことを言ってるのかしらと振り返ると、ティズ様がいつものようにそよ風のような微笑みを浮かべていらっしゃる。


「ティズ様が人を呪ったりにらんだりするわけないでしょ! 大丈夫? セトに頭をやられたの?」


「アルシノエ……だまされるな、あの婿殿はそんなにお人好しじゃないぞ……敵に回すと怖いやつだ。頼む、お願いだから離れてくれっ!」


 しようがなくアヌを解放すると、メジェド神が話に入ってきた。


「で、邪神セトは倒せたのか?」


「無論」


 ホルスが胸を張る。


「ふっ、俺の時を操る力で、の者の力を抑え込んだからな」


「最後はなんだかんだで太陽神ラーまで力を貸してくれたよ」


 トートとアヌも誇らしげだ。


「ラーも降臨したのかの?」


「いや、少し力を貸してくれただけ。さすがにアルシノエの危機に黙っていられなくなったんだろ。ラーはアルシノエが大好きだから」


「はっはっはっ、そうだな、会いたくてうずうずしてるだろう。アルシノエ、今度久々に呼び出してやってくれぬか。お前の無事をご自身の目で確認したいだろうから」


 ホルスの言葉に、私は肩をすくめる。


「ラーを呼び出すなんておそれ多いのに。いつでも自分から来てくれて構わないのになぁ」


「ふっ、素直じゃないお方だからな」


 トートも片眉をあげて笑っている。


「さーて、じゃあ帰るか!」


 ぐーんと伸びをして、アヌビスが言った。そういえば、と私は思う。


「ねぇ、ここってどこなの? あと、この立派な建物は何?」


 改めてぐるりとあたりを見渡す。椰子やしが植えられて緑豊かな中庭も、堅固な建物も、お金と労力がかかった代物だわ。


「はっはっはっ、ここは黒土国ケメト南境の街、エレファンティンだ」


「そう、それでこれはセルケトをまつる神殿。立派すぎだよな〜」


「すげーな、セルケト。さすが俺の女神」


 イアフが手のひらの中のさそりに呼びかけてニヤついている。私は二重にも三重にも呆れてしまった。


「これだけの神殿を造らせるなんて、セルケトったらずいぶん張り切ったのね」


「そりゃ、アリィを捕まえるためだもんなー気合いも入るぜ!」


「イアフ……この愚弟め……」


 どうしましょう。また弟への怒りが湧き上がってきたわ。


「アルシノエ様、とりあえず宮殿に帰りましょう。お召し物も汚れていますし、何よりお疲れでしょう?」


 ティズ様が私とアヌの間に入る。アヌがなぜかひっと声をあげて一歩後ずさった。


「あの……ティズ様、みんな」


 でも彼の言葉にうなずくわけにはいかないわ。宮殿に戻る前に私には伝えなきゃいけないことがあるから。


「ティズ様とお話したいことがあるの。少し二人きりにしてくれないかしら?」


 ◇


 神殿の上階へと登り、適当な露台バルコニーに出ると、街の遥かまでを見渡せる景色が迎えてくれた。


 みんなには帰る準備をしてもらって、今はティズ様と二人きり。


黒土国ケメトの空は本当によく澄んでいますね。雨の恵みがないのには驚きましたが。いつでも青空に迎えてもらえるのもいいものです」


 ティズ様が露台バルコニーの縁から身を乗り出して気持ちよさそうに笑ってる。空と、街と、その向こうに広がる砂漠を眺めて。


 ふと、こちらを見て、ティズ様が眉をひそめた。


「どうしました? 顔色が……」


「待って。そこで聞いてください」


 私は胸の前で両手を固く結んだ。鼓動が激しく脈打って痛いくらい。喉の奥がカラカラに乾いて貼りついてる。


 言いたくない。話したくない。話してしまったら、全て終わってしまう。


 でもダメよ、アルシノエ。もう逃げないって決めたんだから。


 今にも震え出しそうな全身を励まして、数歩離れた先にいる彼をしっかりと見つめた。


「わたくし、ティズ様にちゃんとお話ししなきゃいけないことがあるんです」


「はい」


「長い話になると思うので、ぜひ座って聞いてください」


 折り目正しく返事をする彼に、長椅子を示す。ためらいながらも腰をおろした彼は、私に隣に来るよう促してくれたけど、私はこのまま話をしたかった。


「最初から全部お話しします……」


 どこから何を話せばいいのか、そんなこと分からない。


 だから何もかもさらけ出してしまおう。


 どんなに長くなっても、嘘偽りなく、自分の心のうちの全てを――。


 ◇


 まだ幼い頃、ティズ様のお名前すら知らなかったあの日から。


 遠くからずっと、あなただけを見つめていたの。


 花のようなその笑顔にただ想いを寄せていただけだったのに――。


 私の心は、いつしか小さなつぼみをつけていたわ。


 会いたくて、お話ししてみたくて、あなたに私を知ってほしくて。


 好きで、好きで、好きで。大好きで。


 この想いはどんどん膨らんで、やがてふっくらとほころんだ。


 そうして咲いたのは――


 嫉妬によどんだ、醜い花だったのよ。


 ◇


「イシュ、と名を呼ばれたあの子。彼女がいなくなればいいと、何度思ったことでしょうか……。次にあなたにお会いする時には、その隣から彼女が消えていればいいのにと、呪うように思ったのです」


 長い長い話の間、ティズ様のお顔を見ることなんてできなかった。

 うつむいた視線の向こうで、自分の組んだ指先が情けなく震えている。


「愚かで、醜悪なほど、あなたのことが好きだったんです……」


 ティズ様も何もおっしゃらない。ただ、息を詰めた気配だけが伝わってくる。


「だからファラオに即位すると同時に、あなたを強引に婿にお迎えしました。大好きで、大好きで、仕方がなかったから。あなたが他の女の子のものになってしまうなんて耐えられなかったから……」


 声が詰まる。

 でも、最後まで言ってしまわなきゃ。


「だから、ティズ様とイシュ殿を引き裂いたのは私なんです。何度謝っても何を引き換えにしても許されないことをしてしまいました……だから、今さらですけれど……」


 あなたには、自由になってほしい。

 私の、ファラオの権力になんて縛られずに。そう――


 ――もう、故国にお戻りになってもいいのです。


 そう言いたかった。言わなきゃいけなかった。


 なのに言葉よりも涙があふれてくる。


 ――ちゃんと向き合うって決めたのに。


 頬を伝ってこぼれた涙が、ぽつりぽつりと指先を濡らし、床にこぼれて暗い染みを作る。


 ――泣いちゃだめよ。しっかり笑って、彼の顔を見て言わなくちゃ。


 ティズ様のお顔を見つめるのはこれで最後よ。


 たとえさげすまれてもののしられても。


 ちゃんと、さよならを言わなくちゃ。


 そう覚悟をして、私は顔を上げた。


 それなのに。


「……ティズ様?」


 私が見たのは、想像もしなかったティズ様の表情だった。


 お耳も頬も真っ赤に染めた、端正なお顔。


 あれ……? 

 ティズ様ったらおかしいわ、怒っている雰囲気じゃなくて……どちらかと言うと、そう……照れているような?


 これは、どういうことかしら?


「あの……アルシノエ様……」


 少し間を置いて、彼は自分の顔を両手でおおった。


「は、はい」


 おずおずと返事をする。


 彼は大きく息を吐いた。


「そ……そんなに昔から、俺のことを見ていてくださったんですか……?」


 あ。


 ティズ様のそのご様子と言葉に、私はとんでもないことに気づいてしまった。


 ――そうか。


 カーッと頬が熱くなる。


 私の顔、火を噴いているんじゃないかしら。

 きっと目の前のティズ様よりもっとずっと真っ赤だわ。


『遠くから、ずっとあなただけを見つめていました』


『大好きで大好きで仕方がなかったから』


『あなたが他の人のものになるなんて耐えられなかったから』


 さっき伝えたばかりの自分の言葉が、頭の中で反響する。


 は……恥ずかしい。


 できることなら消えてしまいたい。


 ――私ったら、ティズ様に盛大な愛の告白をしてしまったんだわ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る