4.アヌビス、過保護になる



 俺は、円卓に足をつっこんで、真っ白い顔と向き合っていた。


「なんだよメジェド神、話したいことって」


「こうして落ち着いて話すのは久しぶりじゃな黒犬神アヌビス。我が贈ったを気に入ってくれたようで嬉しいぞ」


 そう、俺たちは例のこたつに入り込んでいた。俺と、メジェド神と、それからのんきに柑橘かんきつをもぐもぐしている隼神ホルスと。


「確かに、こんな風に腰を落ち着かせて話すのは久しぶりだよなぁ。メジェド神、あんまり黒土国ケメトにいないじゃん」


「やむを得ぬ。東の島国に“し”がたくさんおってな、なかなかこちらに戻れないのじゃ」


 はぁ?


「とはいえ、最近は黒土国ケメトに千年に一人の逸材が現れたおかげで、こちらに居ついて萌え散らかしておる。それこそが天然・純粋・イケメンと三拍子そろった至高のヒーロー……ティズ君である」


「すまん、本当に何を言ってるかわかんない」


「要するに我はティズ君が大好きなのじゃ。それで、その我の“推しメン”が悩んでおってな。どうもアルシノエ嬢に嫌われたと思い込んでいるようなんだが、実際はどうなんじゃ?」


 壁画に刻んだみたいな目にじぃっと見つめられて、俺はため息をこぼした。


「嫌いなわけないだろ。アルシノエがどれだけ長い間片思いしてきたと思ってるんだよ。……ただ、愚弟イアフメスの攻撃の手が強まっているからな……あいつがいなくなるまでやり過ごしたいんだ」


「それだけか? そもそも王弟とはいえ人間の目論もくろむことなど、我やお主がおればなんてことはないだろう」


 我の力は知っておるじゃろ、とメジェド神の瞳の炭色が鈍く光る。


「そんなの分かってるよ。だからお前一人でも婿殿は大丈夫だと思ったんだ。でも、今は王弟のことだけじゃない……」


 そこにホルスが割って入った。


「そう……もぐもぐ……かなり恐ろしい事態が……もぐもぐ……アルシノエに迫っているかも……もぐもぐ……しれん 」


「食いながらしゃべるなよ」


「お主も相変わらずじゃのぅ」


「はっはっはっ!! メジェド神よ、ちょっと失礼……ぐぇっ」


 果汁でだいだいに染まった手をメジェド神の体で拭こうとして、ホルスは白布の頭突きを食らった。真紅の頭がこたつに沈む。

 はぁ、なんて緊張感のないやつなんだ。


 とりあえず俺が話を続ける。


「なぁ、アルシノエが事故にあった話は聞いたか?」


「“デートイベント”のことじゃな。聞いておる」


 よく分かんない言葉は無視することにした。


「その時、時神トートが空を飛んでたんだ。いい天気でさ、ぽかぽか小さな雲が浮かんで、んだってよ」


「ん? 風にあおられた荷が駱駝らくだの背から落ちたのではなかったか?」


 それなんだ。

 あの日、アルシノエは事故の直前に突風が吹いたと言っていた。俺はそれが怖い。


「暴風を司る神といえば……」


 メジェド神もシーツみたいな顔をぐちゃりと歪めた。


邪神セトだ」


 そう言ってしまうと、目の前の白いかたまりは黙り込んでしまった。さすがのメジェド神も、セトの登場とあれば警戒せずにいられないだろう。


「私もな、古傷が痛むのだよ」


 ホルスが頭をさすりながら話に戻ってきた。今痛いのは頭突きのせいだろうと思ったが、うん、もうどうでもいいや。


 パンパンに鍛え上げられたホルスの体に、ひっそりと深い傷跡がある。それは腰のあたりを切り裂かれたもので、その位置のせいで普段はあまり目立たない。


「その傷、セトと戦った時にできたものじゃな?」


「そうだ。二人も覚えているだろう? 俺はかつて、主神の位の簒奪さんだつをもくろむセトと戦った。太陽神ラーの長子であり炎を司る俺と、砂漠の嵐を自在に操るセト。その戦いは天を裂き地を割り……」


「いや、思い出話はいらないぞ」


「そうか? まぁ、要するに……」


 ホルスが天上の闇を見つめる。


「あの時苦心の末に倒し、砂漠の深くにしずめたはずのセト。今、その気配を強く感じるのだ」


 コタツを囲む空気が張りつめる。

 というわけで、と俺は視線を落とした。


「今は婿殿には大人しくしていてほしいんだ。あいつはアルシノエのになりかねない。それに、俺はアルシノエを守ることを優先するから」


 ぎりり、と歯噛みする音が聞こえて、ハッと顔をあげた。


 こたつの向こうで、メジェド神が震えていた。その白布から発せられる怒気は、俺ですら鳥肌がたつほど禍々まがまがしい。


 こんなメジェド神、初めて見た……。


 彼はこたつに片足をのせて咆哮ほうこうした。


「許せぬ、許せぬぞセト……! 貴様のせいで我の大好きな“ラブコメ展開”が制限されているということか……!!」


 はぁっ……?


「この愚行、断じて許すまじっ!!」


 え? なんかよくわかんないけど怒りの方向がおかしくないか? ていうかお前……その足……すね毛が……。


 ドン引きした俺は、ふと違和感を覚えた。(すね毛を見たせいではない)


「誰かが、俺の闇に干渉してる……」


 あたりを見回した。闇を集めて作り上げたこの空間に、外からの圧力を感じる。闇がおそれのあまりに震えている。


「まさかセトか!? 良い機会だ、我が成敗して」


「メジェド神、違う。これはだ」


 ホルスが二個目の柑橘に伸ばした手を止めたその瞬間、こたつが強烈な光につらぬかれた。


 天から降るそれは、まばゆくも厳しい、燦々さんさんたる陽のいかずち


 俺の闇を凌駕りょうがする、この光の洪水は――。


『アヌビス、ホルス……こんなところで何をしている』


 声も天から降るように。その主は光の中にあり、姿は見えないけれど。

 その声音と静寂なる威圧感で、背すじがピンと伸びる。メジェド神もこたつの上の足をおろした。


「我らが主、太陽神ラー! なぜここに!?」


 俺が叫べば、光がいっそう強く、いや、痛くなった。


『王家の危機を伝えにきた』


「え……!?」


 俺は焦って立ち上がる。その拍子にこたつの天板がガタリとズレた。ホルスの翼も大きく広がる。


『アルシノエを、護れ』


 それだけ言って、光は消えた。ラーの気配も。


「アルシノエ嬢の危機、じゃと!?」


 メジェド神が叫ぶよりもはやく、俺は犬の姿で駆け出した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る