3.ファラオ、愚弟と対決する



「では、念のためもう一度確認しますが。例の件は根も葉もない噂、ということでよろしいですね?」


 ティズ様が忍んでいらっしゃってから数日後。


 神官たちとの会議を終えた後、黒犬神アヌビス神殿の大神官――“紅白じじい”ってあだ名をつけてるおじさん――に呼び止められた。


 今日はめずらしくアヌが私の側にいないの。どうも冥界での仕事がたてこんでるらしくて。


 というわけで、私は一人、確認と言う名の尋問をうけている。


「当然です。私が夜な夜な街に出て男の人と遊んでるだなんて、事実だと思います? 門番に確認したのでしょう?」


「もちろん陛下の夜の外出がないことは確認済みです」


 玉座に踏んり返っているのは私で、紅白じじいは一段下がったむしろの上にあぐらをかいているわけだけど――この白髪の大神官ににらまれると、さすがの私もちょっと言葉につまっちゃう。

 でも、ちゃんと言いたいことは言ってやる。


「ではなぜ私を疑うのです? どう考えても悪意をもって噂を流している人間がいると思いません? そっちを取り締まってちょうだい」


 私はけっこうイライラしていた。


 舟旅から帰ってきて数ヶ月。

 あの手この手で私に嫌がらせをしてきた愚弟イアフメスは、ここ数日は変な噂を流して楽しんでいるようで。


 噂、いわく。


ファラオが気に入らない神官をいじめて追い出した」

ファラオはウソつき女」

「十八歳にもなってファラオをしたらしい」


 なによ、おねしょって……いい加減にしてよ。

 さすがにこんな噂は盛り上がらずすぐに消えていったんだけど、最新の話題は宮殿全体にはびこってしまったらしい。


 ――ファラオは夜遊びに興じて、公務をおろそかにしている。


「こちらから聞かせてもらいますけど、大神官は私がファラオとしての責務を十分に果たしていないと考えているのですか?」


「そんなことはございません」


 素直に平伏し、紅白じじいは面目なさそうにした。


「陛下は常に完璧でございます。噂の出どころもだいたい想像はつきますが……なにぶん手を出しにくいお方ですから」


 そりゃあ大神官の苦悩もよく分かるわよ。昔からイアフメスは本当に扱いに困る男だから。


 王族だから正攻法でらしめられない、というだけではないの。


 たとえばね、神官たちの中には超優秀でやる気に満ちあふれている私より、イアフメスみたいなアホが王位についていた方がいいと思う連中もいるのよ。

 だって、愚鈍なファラオなら操り人形にできると思うでしょ。


 でも、イアフを利用できる人間はいなかった。あいつ、内緒事ができないのよ。自分に近づいてくる人間がいると、それをいちいち私に告げ口するわけ。


『おい、アリィ。隼神ホルスのところの神官が、お前のことを王位から追い落とそうとしてるぜ。ぷぷぷ、お前って本当に嫌われてるよな』


 こんな感じで。


 だからね、王弟暗殺を目論もくろんだ神官もいたの。

 でも、そういう動きは全て蠍女神セルケトが封じてきた。彼女は自分の毒でもってイアフメスを守護し続けている。


 だから私たちは彼を黒土国ケメトから出してしまうことにしたの。


「ところで陛下……」


 こほんと紅白じじいが咳払いをした。うわ、これってまた説教が始まる合図じゃない。まだ何かあるわけ!?


「最近また婿殿と不仲のようですが? だから噂の信憑性しんぴょうせいが増すのです」


「そ、そんなことないわよ……それに、あの、新年が明けたら大丈夫だから」


「新年が大丈夫、ということは、やはり今は不仲だと?」


 ぐぅっと言葉につまる。くそー痛いとこつかれた。

 でもさ、そもそもなんであんたにそんなこと説明しなきゃいけないのよっ!


「もうっ、とにかく大丈夫だから! 話はこれでおしまいね、ごきげんよう!!」


 まだ何か言いたげな紅白じじいを置いて、私は玉座を駆け下りた。床を叩きつける勢いで会議場を飛び出す。


 すると、一枚のパピルスが廊下で私を待ち構えていた。


 そこには下手くそな文字で


『むこどのはファラオが大キライ』


 と書かれていた。


「どうしました、陛下?」


 背後で大神官の声が聞こえて、とっさに私はそのパピルスを踏みつぶした。


「な、なんでもないわ……」


「ひどく動揺されているようですけど?」


 全力で否定して笑い飛ばしたかった。けれど言葉が出なくて、私は必死に首を振る。


 そこに、イヤラシイ笑い声が聞こえてきた。


「どうした、アリィ?」


 顔をあげると、廊下の角からイアフメスが現れたところだった。大神官が頭を下げる。その真っ白な頭に向かって、弟はまた笑った。


「よ、“紅白じじい”! 元気そうだな〜!」


 その呼び名に私はギクリとして、とうの本人は首を傾げた。


「なんだお前、かげでアリィに“紅白じじい”ってあだ名つけられてるの知らないの?」


 存じ上げませんでした、と私を見る大神官の目線が怖い。イアフめ、また余計なことをぉぉぉぉ!!


「俺、ちょっとアリィと二人で話したいんだ。“紅白じじい”はどっか行ってくれる?」


 ◇


「……なによ、話って?」


 ついて行きたくはなかったが、あのまま大神官と残るのも気まずい。それで結局イアフと一緒に中庭に出た。


 ちょうど昼時で、太陽が真上にのぼっている。こんな暑い時間だものね、中庭には衛兵以外に誰もいないわ。


 安心して、私も警戒はしてるわよ。

 ここなら衛兵だけじゃなくそこら中に猫がいるから大丈夫。バステトの眷属けんぞくのにゃんこたちは私の味方だから。


「いや、お前さっきだいぶ焦ってたじゃん? だから心配になっただけだよ〜!」


 ニタニタと品のない笑いを浮かべる顔は、とてもじゃないけど姉の心配をしている風ではない。


「焦ってなどいません」


「えー『むこ殿はファラオが大キライ』って書いてあっただろ。お前、それを読んだ時、顔面真っ青だったぜ〜」


 ほら今も、と弟はこちらを指差す。私はニヤついた顔をにらみ返した。平静ではない自覚はあるわ。でもそれをこいつに指摘されたくない。


「別に、普通です。そもそもあんな男のに嫌われたからといって、それがなんだというのです?」


 へぇ、とイアフはあごをあげた。


「あっそう。じゃあ、もうティズカールには死んでもらおうかな」


「……なっ!?」


「どうせ役に立たない婿ならいらないだろ。だったら俺はもっと面白いオモチャが欲しいからさ。そうだ、毒で眠らせて……どかんとカマドに放り込んでやるか――」


「ふ、ふざけないでっ!!」


 腹の底から叫んだ。

 怒りで全身が燃えている。言葉を選ぶ余裕もなかった。


「ティズ様を害そうなんて……そんなことしたら、私のあらゆる力を使ってあんたの魂までぶっ殺してやるからっ!!」


 一瞬の沈黙。けれど、イアフは次の瞬間には腹をかかえて笑い始めた。


「ふははっ、へぇ、“ティズ様”ね。やっぱアリィはあの婿殿のことがずいぶん大好きなんだな」


「あ……」


 しまった、と全身から冷たい汗がふき出た。けれどもう取り返しがつかない。


「ほら、また顔してるじゃん! その真っ青なアリィの顔、俺大好きなんだよ〜。昔から大事なもん奪ってやると、そういう顔するもんな!」


「い……いい加減にして! どうして……どうしていつも私のものを奪おうとするの!!」


 小さい頃からそうだった。

 お人形も、大好きなお洋服も、お友だちも。みんなみんなイアフのせいで失ったのだ。


「はっ、なに言ってんだ」


 弟は吐き捨てた。その表情にもう笑いはない。


「じゃあお前は、っていうのかよ?」


 気圧けおされて後退あとじさる。そのくらいイアフの声にはすごみがあった。


「俺は生まれた時からお前に全部奪われてたぜ?」


「どういう……?」


「物心ついた頃から、お前ばっかりチヤホヤされてたじゃねーか。賢い賢い、って。父ちゃんも神官たちも、下働きの奴らまで。神々だってセルケト以外はみーんなお前の周りに集まってさ」


「そんなこと……私のせいじゃないわ」


「何より!! お前は俺からセルケトを奪おうとしてるじゃねーか!?」


 彼は全身で叫んだ。


「お前にはさ、人の気持ちなんて、ちっともわかんねーんだよ」


 口の端をゆがませて、イアフは醜く笑う。


「だからさ、、それでもティズカールを婿にとったんだろ」


「そ、それは……」


 そう言われて、体の芯に冷たいものが走った。


 自分の中心に、目を向けてはいけないものがある。見ないように、触れないように、できればやりすごしてしまいたかったもの。


 それをイアフは知っている。


「そもそもティズカールをとられるのが怖かったら、俺がいなくなってからあいつを婿に迎えればよかっただろ? なんでそうしなかったんだよ?」


 ひたひたとイアフが私につめよる。

 その顔が――あまりに自分にそっくりで。それが怖くて目を背けることさえできない。


「俺には分かる」


 いやよ、言わないで――。


「ティズカールには、故郷に大事な女がいた。おまえは、その女からあいつを奪いたかったんだ」


 醜悪な弟の顔が、自分の目の前にある。


 あぁ、鏡だ。まるで鏡を見ているよう……。


「ほうっておいたらティズカールとその女が結婚しちゃうかもしれなかった。だから焦って、強引に、無理やりやつを婿に迎えたんだろ。大国のファラオの権力を利用して」


 がくんと膝から力が抜けた。


「ティズカールがお前のことを好きになるわけないだろ。お前のことなんて大嫌いなんだよ」


 崩れ落ちた私をイアフは鼻で笑う。そして、こう言い残して去って行った。


「俺だって……セルケトとはなれたくねーよ……」

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