2.むこ殿、メジェド神に本気で教えをこう


「あのさ、お前たち……」


 俺は寝台にうつ伏せになり、もごもごと従者三人に呼びかけた。

 起き上がる気力がわかない。顔をあげる元気もない。このままシーツに沈んでしまいそうだ。


「ティズ様、なにかおっしゃいましたか?」


 一番年長のルツが近づいてきた。顔を見なくても、声音だけで彼が俺を心配しているのがわかる。こいつは一番付き合いが長いし、なんといっても心配性だから。


 それで俺はむくりと顔だけ動かした。


「確かめておきたいんだけどさ……あの舟旅のとき、俺とアルシノエ様、けっこう仲良しじゃなかった?」


 問いかけると、三人がお互いの顔をさぐり合う。そして、長身で一番若いネイハムが意を決したように口を開けた。


「はい、仲が良いどころか、いちゃついているように見えました」


 ほかの二人もうんうんと首を縦に振っている。


「え、いちゃついてると思ってたの……?」


「はい」


 今度は三人同時に即答する。くそぉ、こいつら面白がってやがったな。


 でもアルシノエ様との関係はやっぱり良好だったんだ、俺の思い込みじゃなかった。


 ごろりと転がって天井を見上げる。婿入りして一年、さすがにこの天井にも見慣れてきた。

 そして俺たち夫婦の関係も、この初冬の舟旅でずいぶん近しいものになった気がしていたんだけど。


「ティズ様、あの時は陛下と腕を組みながらお食事されていましたよね?」


「うん」


「それに、市場にお出かけされた時はお手もつないでらっしゃった」


「うん」


「あと陛下から贈り物をいただいて、抱きあってましたよね」


「うん……ってあれは俺が一方的に抱きしめちゃっただけだけど」


「でも陛下もイヤそうではなかったですよねぇ?」


 そうなんだ。あの時はおそばに寄ることを許し、むしろ喜んでくださっているようにも見えたアルシノエ様だったのに。


 それなのに、である。


「あれ、ティズ君、もう帰ってきたのか!」


 部屋の角からにょきっと現れたメジェド君は、目を真ん丸く見開いている。すごい、真円だ。コンパスで描いたみたいだ。


「なんだ、今日こそ本当の朝帰りかと思っておったのに」


「……そのつもりで……だいぶ強引にせまってみたんですけど……」


 メジェド君が寝台の端に腰掛けたので、俺も力を振り絞って起き上がった。シーツを被ったみたいな神様は、小首(?)を傾げてこちらを観察している。


「だいぶまいっているようじゃな」


「まいりもしますよ。結局今日も徹底的に拒絶されてしまいましたから……」


「ほぅ」


 そうなのだ、舟旅から帰ってきたら、これまで築いてきたはずの二人の関係が“ふりだし”に戻されてしまった。


 いや、むしろ以前よりも悪い。


 宮殿ですれ違っても挨拶すらしていただけない。それどころかほとんど目も合わず、まるで陛下には俺の姿など見えてもいないかのようだ。


 相変わらず彼女は粛々とお勤めを果たし、その足もとにはいつも黒犬神アヌビス様が寄り添っている。近寄る隙もない。


 そんな日々が一ヶ月も続けば、気が狂いそうにもなるだろ。


 もうケアトまでの俺とは違う。

 だって知ってしまったんだ。彼女が聡明で有能な君主であるだけでなく、可愛さも格好よさも持ち合わせた女の子だと――。そんな女性が俺の妻なのだと。


 だから今晩はメジェド君の力をかりて、陛下の部屋に忍び込んだのだ。


 俺は胸もとの紅玉ルビーを握りしめる。アルシノエ様が自分で紐を通してくださったという首飾りネックレス。そのあざやかな紅だけが、あの舟旅の時と変わらぬ輝きを放っていた。


「おかしいのぅ、別に自室でまで警戒しなくても良さそうなもんだが……」


「俺、本当に嫌われてしまったのでしょうか?」


「そんなはずはないじゃろ」


 ならば、と俺は彼に向き直った。


「どうしたらいいと思います!?」


 ずずずいっと彼に迫ると、俺の勢いにさすがのメジェド君ものけぞった。けれどそんなことには構っていられない。

 俺は彼の肩――らしきところをガッとつかんだ。


「メジェド君、また新しい技を伝授してください――!!」


「おぉ! いいぞティズ君! こういう強引なのは、かなり良い!!」


 彼の頬のあたりがポポポッと薄紅に染まったが、「強引系はさっき試しました」と全力で一蹴した。


「なにぃそれでもダメだったか……むぅ、相手も手強いのぅ。ではもういっそ寝台に押し倒したらどうじゃ?」


「やろうとしたら番犬に邪魔されたんです!!」


「ぬおっ!」


 勢いあまって、陛下の代わりにメジェド君を押し倒してしまった。ルツたちがなんともいえない悲鳴をあげる。


 これではほぼ馬乗り状態だがやむを得ない。解決策を聞き出してやる、俺は本気だ。


「で、どうしたらいいと思います?」


 頬を染めたまま、メジェド君の視線が逃げる。

 それにしても、このメジェド君の白布、意外と肌触りがツルツルだな……。なんだこの素材?


「やっぱり“イケメン”に迫られる“シチュ”はいいのぅ」


「また新たな呪文ですか?」


「違うぞい。ところでティズ君、あの薄紅色の花はなんじゃ?」


 メジェド君の炭色の視線の先には、寝台の脇に置かれた花器があった。そこに飾ってあるのは、乾燥させた薔薇ばらの花束。


 色はめずらしい薄紅――いや、乙女ピンク色だ。


「あれは故郷の……家族、が誕生日に合わせて俺に送ってくれたものです。生花のままだと長持ちしないので、職人に依頼して乾燥させました。乙女薔薇ピンクローズというめずらしい品種なんですよ」


「薔薇の贈り物かぁ……」


 ふぅ、とメジェド君はため息をついた。


「それが良くなかったんじゃないかのぅ」


 ◇


 結局この日、メジェド君は新たな技を授けてはくれなかった。これまでは無理やり俺に謎の呪文を身につけさせようとしてたのに。


 ただ、「少しアヌビスと話してくるぞい」と言って、またペタペタとドアの向こうに消えていった。


 あの憎たらしい番犬となにを話すんだろう――すごく気になる。



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