9.セルケト、疲れる
「やっほーみんな、ひっさしぶりー!
ボクが村役場の前に現れると、可愛い信者ちゃんたちが大歓声で迎えてくれた。
今日は王都郊外の村を訪問。どんな小さな村でも見落とさない、それがボクの信条さ!
「セルケト様ーー! その笑顔がしんどいですぅぅ」
「尊い〜!!」
うふふ、みんなちゃーんとボクにメロメロだね!
日干し
だいじょーぶ、だいじょーぶ、みんな焦らないで! 今日も一人残らずボクの針を刺してあげるからね。またどんどんボクのことを好きになるよ!
ふぅ、それにしても……こんな小さな村でみんなと握手してるだけなのに、なんかすっごく疲れるなぁ。
ううんダメダメ、疲れた顔なんて見せられないぞ。
にっこり笑って信者を集めて、ボクは偉大な神になるんだ! そうしたら
ふと陽がかげったような気がして、ボクは頭上を見上げた。
――あれ、
陽射しを拒むように頭から黒いローブをまとって、セトが宙に浮かんでいた。
異様な長身と、ローブのすきまから見えるツチブタの顔。ぬめりを感じさせるワニの尾がゆるゆると宙をさまよっている。
人間たちはどうして気づかないのかなぁ。ボクに夢中だから?
それにしても、あれはなんだろう? 彼の周りに、何か黒い煙のようなものがまとわりついている。あんなもの、以前会った時はなかったよなぁ。
そんなことを考えているうちに、セトはこちらを見下ろしながら突き出た口でニヤリと笑い、ふっと消えてしまった。
えーと、いったいなんだったんだろう?
◇
あぁ、疲れた〜! ボクはぐーんと背伸びしながらイアフの部屋に戻った。
「おう、おかえりー」
部屋の主が机で何か書き物をしている。彼のターコイズの瞳が夕日に照らされてとってもキレイ。真剣な眼差しはソーメイそのもの。
うん、やっぱりイアフが世界で一番かっこいい!
「なに書いてるのー?」
「ほれ。見ろよ、よく書けてるだろ」
彼は
「アルシノエは世界一の悪女」
「
「バーカバーカ」
といった上品な言葉がびっしり。
「うふふ、また楽しいことやってるね」
「だろ。あいつ今のんきに舟旅に出てるからさ、ちゃんと出迎えの準備しておかなきゃと思って」
そういえば、とイアフは体をほぐすように首を回した。
「むこ殿も一緒に行ったんだってな。まだアリィとは仲良くないとか言ってたけど、なーんかあやしいよなぁ」
「前に話した時は、嘘はついてなさそうだったけどね」
「とっとと仲良くなればいいのに。そしたら思いっきり邪魔してやるのにな〜」
だよね、とうなずきながら、ボクはばったり寝台に倒れこんだ。
「イアフ〜、ボクなんか眠い……もう寝るね」
「おい、今日もかよ。最近疲れすぎじゃねぇ?」
イアフが隣に腰かけて、ボクの頭をガシガシなでてくれる。
その感触を心地よく思いながら、ボクは眠りに
本当に最近のこの疲れは普通じゃないよ……国中まわって信者を増やすって大変なんだなぁ。
――あれれ、でも、おかしくない?
だって、たくさん信者が増えたら、ボクの力は強くなるはずなのに。
◇
翌日、ボクはぐったりと疲れの取れない頭で、昨晩考えていたことを思い出そうとした。でも、うまく頭が働かない。なんかおかしなことに気づいたはずだったんだけどなぁ。
よーし、今日はお休みにしよう。もう太陽が天の真上に昇ってるし、イアフも出かけちゃったみたいだし、一日中サソリの姿のままでのんびり過ごしていよう。
そう決めこんで、寝台にひっくり返った。人間の姿の方が可愛いから好きだけど、サソリの時の方が楽チンなんだ。これはどの神も一緒みたいだね。
ボクはしばらく小さな窓から外を眺めていた。見えるのは雲がすいすいと流れる高い空。
それにしても、季節が流れるのってはやいなぁ。
この間まで
このままだとすぐに
ボクたちは小さな頃からずっと一緒だった。
イアフはやんちゃだったから、飛んだり跳ねたり転んだり、たくさん怪我をしたけれど、そんな時に傷の手当てをして、慰めてあげたのもこのボクだ。
イアフはボクの大切な守護者なんだ。
ボクはくるりと起き上がった。
やっぱりこんなところで寝転がってる場合じゃない。もっともっと頑張らないと。
サソリの姿のまま部屋の外に出る。窓から這い出て、壁をつたって地面に着地。中庭の木々の間をぬって、石畳を渡り、最後に城壁をよじ上れば、そこから向こうは宮殿の外。
城壁の上からは、巨大な王都が見渡せる。目の前を通る、真っ直ぐ敷かれた大通りがこの都市の中心だ。
道の片方の端は城壁に囲まれた神域で、神殿や葬祭殿が集まっている。そしてもう片方の端は王都の正面門に接しているので、この大通りはいわゆる参道でもあるんだよ。
神域は昼間でも静かだ。普段は一般人の出入りがなくて、ただ神官たちがお勤めを果たしているから。
邪悪なものが王都をおびやかさぬよう、神官は神に祈りを捧げる。その祈りが神々の力になって、王都の平穏を守るのだ。
さーてと、ボクも自分の信者を増やしに行かなきゃ。
そう奮起して城壁を降りようとしたその時、突然がくっと全身の力が抜けた。
やばい、と思った時にはすでに地面に落ちていた。
いてて、とサソリの体をくねらせる。もちろんボクは弱小とはいえ神様だから、この程度の高さから落ちても全然ダイジョーブ。
の、はずだったんだけど。
ダメだ、やっぱり力が出ないよ。ひっくり返って空を仰いだまま、足の一本も動かせない。
しかも、
どうしよう、このままじゃ
怖いよ、誰か、誰か助けて――イアフメス、助けて――!
でもサソリの姿のままでは声も出せなくて、どうすることもできない。
そして突風にあおられた。なすすべもなく道を転がって、石に背を打ち付けられる。
そのボクの視界に入り込んできたのは、どろりとした影だった。
――あ……セト、助けに来てくれたんだね。
見なれた姿にボクはホッとする。彼もまたニタリと笑った。相変わらず黒いローブをまとって、目もとがよく見えない。
「ちょっと力を奪いすぎちゃったみたいだね……」
――え、セト、今なんて言ったの?
彼がボクに手をかざす。すると彼の周囲の黒い渦がするりとボクの体をすべって、節々から殻の中に入り込んでくる。
「これで大丈夫」
くぐもった声で言われると、確かにちゃんと足が動いた。さっきまでの脱力感がウソのよう! ボクはパッと人間の姿に戻った。
「ありがとう、セト。ボクどうしようかと思っちゃった」
「くっくっくっ。元気になってよかったよ。そうそう、今日は君に報告があってきたんだ」
そうしてセトは突き出た口をボクの耳元に寄せて、大事なことを教えてくれた。
◇
「イアフ、聞いて! 大事件だよっ!!」
その晩、部屋に戻ってきたイアフにボクはピョーンと抱きついた。
「お、今日は元気じゃねーか」
彼はにっこり笑ってボクの背中をバシバシ叩く。うーん愛情が痛くて気持ちがいい!
「で、なんだよ大事件って」
「そうそう、クソシノエとティズカールのことなんだけど。どうやらこの舟旅でだーいぶイチャイチャしてるみたいだよっ!」
マジか、とイアフが目を輝かせる。それを見ているとボクもワクワクしてきちゃうね!
「そうそう、なんか手を繋いだり抱き合ったりしちゃってるんだって」
「うわーいいじゃん、めちゃくちゃオモシレーじゃん」
ボクとイアフは両手を合わせる。彼は
「よし、これで二人を引き裂く楽しみが増すな。うへへ、どんな嫌がらせしてやろう!!」
一通り夢想して、イアフがはたとボクの顔を見た。
「それにしても、そんな情報をどこから手に入れたんだ?」
ボクはちょっと返答に困る。だって、セトにこう言われてたから。我々が親しくしていることは誰にも言っちゃいけないよ、って。
「そ、それは……もちろんボクの眷属のサソリ君たちの情報だよ!」
なるほどな、さすがセルケト、とイアフが褒めてくれたので、ボクはちょっぴし後ろめたい。
「よーし、じゃあ戦闘開始だな。アリィと婿殿の仲、がっつり邪魔してやろうぜ!!」
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