7.従者C、主のことを語る



 我々が黒土国ケメトに来て初めてのペレトが訪れました。


 俺は、ルツやイサヤとともにティズカール様の従者としてこの国にやってきたネイハムと申します。


 ネイハム、という名は故郷のマルトゥではありふれた名前なんですけど、どうもこの国の人にとっては馴染みがないみたいですね。


 そのせいか、ティズ様の守護神であるメジェド様からは「従者シー」という謎の名前で呼ばれております。

 まぁこの神様は存在自体が不可解そのものなので、その言動一つ一つにこだわっていたらキリがないんですけど……。


 生成きなりのシーツを被ったようなメジェド様は、舟旅の前にもなにやら怪しいことをおっしゃっていました。


「よいかティズ君、アルシノエ嬢は舟の揺れが極端に苦手なのじゃ。ちゃんと優しく支えてやるのじゃよ」


「この国の夫婦の食事というものは、夫が妻に手ずから食べさせてやるものなのじゃ! それが甲斐性かいしょうというものじゃぞ!! そしてこれを“はい、あ〜ん”と言う!」


 我が主は致命的なお人好ひとよしなので、メジェド様の炭で塗ったような目を見てうんうんとうなずいておりました。


 それを眺める我ら従者三人組の心中は……微妙です。


「ティズ様、俺たちそろそろおいとまいたしますね」


 ルツが声をかけると、寝台に転がった主が身を起こしてこちらを向きました。ありがとう、明日もよろしくといつも丁寧に言ってくださるのです。


 大国の婿というには、あまりにも腰の低いお方です。


 ◇


 広大な王宮を抜け、俺たちは王都の大通りを歩きます。

 すでに月が高く登り、手もとの蜜蝋みつろうの灯火が頼りの帰路。王宮の隣には宮仕えの者

たちが生活する団地があり、俺たちはそこに部屋を与えられているのです。


 季節はペレトということですが、はっきり言って夜もアホみたいに暑いです。

 故郷の冬は皮の外套がいとうに身をつつんでなんとか乗り越えたというのに。


「おい、メジェド様のどう思う? “はい、あ〜ん”ってやつ」


 最年長のルツにたずねられ、さらさら髪のイサヤが頭をかきます。


「いや、どう考えてもウソでしょ? どうしてティズ様は簡単にだまされちゃうんだ」


「まぁでもああいうところがティズ様の魅力でもありますからね」


 俺がそう言うと、二人も深くうなずきます。


 そう、なんといってもティズ様の魅力は誠実なお人柄。我々が故郷マルトゥを出てこの若き主についてきたのも、ただ彼の下で働き続けたかったからです。


「俺たちみたいな下の者にも親切だからなぁ」


 そう言って苦笑したルツは、かつて債務奴隷さいむどれいだったそうです。


 親が負債ふさいをふくらませて返済できず、子どもの頃に人買いに売られたと聞きました。そうして過酷な労働で身を細していたところをティズ様に買い取られ、自由身分を与えられたのだとか。

 そんな彼の言葉には説得力があります。


 さて、メジェド様ですが。どうもあの神様は舟旅をきっかけにティズ様と女王陛下の仲を一気に深めようという算段のようです。


 それは我が主も望んでいることですから、もちろん我々にも反対する理由はありません。

 そうです、俺たちはこのままティズ様が「役立たずの婿」の烙印らくいんを押され続けるのに我慢がならないんです!


 ……ふぅ、ダメだ、熱くなってしまった。ただでさえ熱気で苦しいのに、気炎をあげてはいけません。


 それに、冷静な時の俺はこうも思うのです。


 ティズ様のお心はもっと複雑な状態なのではないか、と。


「なぁ、この間ティズ様が陛下の寝所に招かれただろ? あの時ナニもしなかったっておっしゃってたけど……」


 誰もいない夜道にもかかわらずイサヤが声をひそめて話します。俺と同じことを考えているのかもしれません。


「あれさ、本当はティズ様ご自身の心の問題なんじゃないのかな?」


「やっぱりイサヤもそう思いますか?」


 俺たちの会話を聞きながらルツは少し遠くを見て、懐かしい名を口にしました。


「イシュ殿のことかぁ……」


 その名を聞いてしまうと、私ですら彼女の姿を鮮明に思い出してしまいます。


 ティズ様のお側近くに仕えていた少女。艶やかな長い黒髪を風に揺らしながら、いつも主の少し後ろを歩いておりました。


「吹っ切れてないんだろうなぁ……」


 俺の重たいつぶやきに、イサヤが続きます。


「そうだな……ほら、前にメジェド様に訊かれてただろ、「なんで陛下と仲良くなりたいのか」って。あの時ティズ様がなんて答えたか覚えてるか?」


 あぁ、それはもちろん私も覚えています。その時のティズ様の悲愴なほど決然としたお顔とともに。


 ――幸せになるって約束したんですよね、故国に残してきた……家族に。


「あれって、イシュ殿のことだよなぁ……」


「そうだなぁ……“恋人”というわけではなかったんだろうけど……。すごく大切にしてらっしゃったからなぁ」


 ルツの言葉を最後に、我々は暗い沈黙に沈みました。


 この国にティズ様が婿入りしてもうすぐ一年。

 その間、彼は懸命にファラオと良好な関係を築こうと努力しておりました。それなのにファラオはあまりに素っ気ない。


 我が主はどんな冷淡な扱いに対しても、気にせぬようふるまっていらっしゃいました。むしろファラオに近づこうとしていたのです。


 ティズ様は、ご自身が愛しているはずもない女王に愛されようと……せめて良い夫婦になろうと、必死になってらっしゃる。

 それもこれも、全ては故国のイシュ殿との約束のため。


 そう思うと……あまりにやるせないではありませんか。


 我々は、そろって夜空を見上げました。故郷とは異なる星々が、天上でさえざえと輝いております。その瞬きに、我らは祈らずにはいられません。


 ――どうか、ティズ様が本当にお幸せになれる日がおとずれますように。


 ◇


 と、祈ったのが、わずか数日前のことですよ!!


 ファラオとともに舟に乗り込んだ我々の感想は……「なんか話が違くないですか!?」ということでございます!


 隼神ホルス様自ら腕をふるったという豪勢な食事を給仕する我々が目にしたのものは――頬を朱に染めてティズ様を見つめるファラオ


 それから、猫女神バステト様が我が主の腕をとると、明らかに動揺して夫を奪い返そうとするファラオ


 さらにさらに! ティズ様の腕にべったりとくっついて完全に目がとろ〜んとなっているファラオ!!


「おい、ネイハム。あれ、どう見ても恋する乙女だよな?」


 私の見解もイサヤと完全に一致です! 話に聞いていたのといくらなんでも違うであります!!


 ティズ様は当初「陛下は忍んで迫っても冷たい」と嘆いていたし、最近も「嫌われなくてよかった」とか「夜も経済や政治の話をしてるだけなんだよ」と陛下とのご関係が深まらないことに苦しんでいた気がするんですが!?


 はぁ、俺、分かってしまいました……。


 我が主は――強烈に、信じられないほど、アホかお前はとののしりたくなってしまうほどに……


 にぶい。ただそれだけのことなのです。


 まぁ、それもティズ様が本当は陛下に興味がないせいかもしれません。


 彼は「立派な婿になる」ことを目指しているだけで、あのファラオの人柄にかれたわけではないのですから。


 ◇


 さて、舟旅の五日目です。昨日の市場見学での事故のせいで一日遅れて宿泊地を出発することとなりました。


 それにしても昨日は危なかった。手を繋ぐお二人の頭上で荷がこぼれた時には俺の心臓も止まってしまいそうでした。


 けれどさすがはティズ様。陛下のお手を引いてしっかりと御身を守って差し上げました。


 そしてその後のファラオもたいそうご立派でしたよ。

 騒然とする兵士たちに公正な取り調べを要求するお姿は、まさしく「稀代きたいの名君」の呼び声にふさわしい。


 命を失いかけた直後にもかかわらず、あの凛としたお姿。ティズ様の手を引いてはしゃいでいた少女と同一人物とは思えません。


 さて、そのファラオですが。

 今日は腕の中に兎を二羽抱いて現れました。黒兎と白兎。なるほど、兎の夫婦神様ですね。獣型で現れるのはめずらしい気がしますが――さすがに可愛いですね。モフモフしていてたまりません。


 ところが、わが主はここで予想外の行動に出たのです。


 ツカツカとファラオのもとに歩いて行くと、無遠慮に白兎の首根っこをつかみました。黒兎は無視です。


 そして、その白兎のですね、いわゆるのあたりを睨むようにご確認すると、たいそう不機嫌に――


おす……」


 と吐き捨て、その兎をひょいっと俺の方に放り投げたのです。


 ど、どうしたんでしょう!? そもそも機嫌を崩されること自体がほとんどないような方で、神様をぞんざいに扱うことなどありえないのに!


 ……ん、いや、まさかこれは……ひょっとして?


 お、俺、わかってしまいました……! その後のティズ様のご様子を観察すれば、その答えは明らかだったのです。


 あれは嫉妬しっとです。

 男の神が陛下の腕に抱かれているのが許せなかったのです!


 そう、ティズ様は――恋におちたのです!




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