14.むこ殿、王弟とセルケトに遭遇する




 ふあぁ眠い。俺はあくびを噛み殺しながら陛下の部屋を辞去した。


 徹夜で話しこんだせいで、ものすごく目が乾いている。けれど、とてもよい一夜だった。じっくりと陛下とお話しすることができたから。


 拒絶された時には全て投げ出しそうになったけれど……オリーブの花に励まされた。


 その控えめな白い花に秘められた言葉は「安らぎ」。だから大切な人を見舞う花として用いられることが多いのだと教えられた。


 オリーブの花弁に、花言葉を教えてくれた人の顔が浮かんで。それで背すじをもう一度伸ばすことができたのだ。


 俺はファラオの安らぎになりたい。それを再確認した。


 いやしかし、じっくりと話してみて改めて実感した。陛下は齢十八とは思えないほど聡明だ。


 かつての俺の商売の話から始まって、バビロニアと黒土国ケメトの経済体制の相違に話がとび、そこから両大国の奴隷制度比較論にまで展開した。


 久々に張り合いのある会話をした。俺もどんどん各地の情報を更新していかないと陛下に遅れをとってしまうな。よし、頑張ろう。


 なんて宮殿の廊下で決意を固めていたとき。


「よう、むこ殿」


 と軽やかな声で呼びかけられた。通路の奥、ちょうど三叉路さんさろになっているところに、見知った顔がある。


「おはようございます、イアフメス様」


 王弟陛下だった。


 おう、おはよ、と大らかにお返事される彼のお顔は、姉のアルシノエ様と非常によく似てらっしゃる。

 黒髪を短く刈って、ひたいが広い。ターコイズの大きな丸い瞳も、惚れ惚れするほど長い睫毛もそっくりだ。


「アリィの部屋からの朝帰り? もしかして初めてじゃないの?」


 楽しそうに笑いながら明け透けな質問をなされたので、俺は少々驚いた。


 うぅむ、イアフメス様にまで俺と陛下の不仲(?)が知れ渡っていたのか、情けない。

 しかも、今日もいわゆるではないんだけど……。


 正直、返答に迷ってしまった。

 ここで「陛下とは何もありませんでした」と真実を言えば、またどこかで「役立たずの婿」とか「くたばれくそ野郎」などと言われかねない。適当にはぐらかしてしまった方がいいいだろうか。


 けれど一方で、この方には嘘をつきたくないという気持ちがある。


 俺はイアフメス様のことをただの他人だとは思えないんだ。


 自分の意思と関係なく婿としてこの国にやってきた俺。そして彼も来年には南部の黒人メジャイの王国に婿入りするのだと聞いている。


 それを思うと、俺とアルシノエ様との関係について嘘やごまかしを伝えるよりは、この若いお方に婿としての現実をお伝えした方がいいと思ってしまう。


「いや、それが夜通しお話していただけなのですよ」


 正直に申し上げると、彼は目を丸くして驚いた。そりゃまぁ当然だ。


「は? いちゃついてたんじゃないのかよ?」


「残念ながら、そこまで関係が深まっているわけではございませんで……」


 ふーん、とつまらなそうにする彼に、俺は胸を張った。


「でもこれから仲良くなってみせます。ゆっくりお近づきになるつもりです」


「わかった。頑張れよ、婿殿。それでさ」


 少年のようなイタズラな瞳で微笑みながら、彼は俺を励ましてくれた。


「アリィと仲良くなれたらちゃんと教えてくれよ。そうなったら、だろ」


「分かりました、その時はもちろん……あっ!!」


 俺は話の途中で声をあげた。


「危ないっ! 肩にサソリが……!」


 イアフメス様の赤銅色しゃくどういろの背の向こうから、巨大なサソリが一匹這い上っていた。砂漠の赤土の色をしたそのサソリは、大きく体を反って毒針をかざしている。


 腰に手をやる。しまった、帯刀していない! かくなる上は素手で払いのけるしか……!


「あぁ、焦んなって。これは俺の守護神だよ」


「え?」


 ひらひらと手を振って笑う王弟の肩から、ひょいとサソリが飛び降りた。床に着地する前にその体がもやに包まれ、気づいた時には人の形を成している。


「ほら、蠍女神セルケト、これがアリィの旦那だ」


 すると、靄の中から現れた小柄な少年が、元気いっぱいに俺の手を握った。


「やっほー! 君がティズカールかぁ! ボク、セルケト! よろしくネっ!!」


 あっけにとられた。されるがままにぶんぶんと手を振り回されてしまう。


 ん? 王弟陛下の守護神であるセルケト様って、女神様じゃなかったっけ……。


「ぷぷぷ、ティズカールったらびっくりしてるね! ボクはサソリの女神様だよっ!! でもねぇ、ふつーの女みたいなチュニック着るの、嫌いでさ。だって動きにくいんだもん! それでいつもこーんな格好をしているってわけ!」


 陽気にそう言いながらクルリと一回りする。

 砂漠の赤土の色をした髪は、幼い男の子のように短く切り揃えられ、服装も腰衣シェンティに薄手のローブだ。お尻のあたりからはサソリの尾が伸びていた。その先端にはもちろん鋭い針。


 化粧っ気がなく、細い目と眉も若々しい。

 セルケト様は、そういうお姿だった。


「へぇぇぇぇ、間近で見ると、ティズカールって本当に美男子だねぇ。その高い鼻、どうやって育てたの?」


「え?」


「といっても、イアフのかっこよさには敵わないけどねぇ〜!」


 彼女はそう言うと踊るように跳ねて、自分の守護者の腕に絡みついた。はしゃぐ犬のようにサソリの尾がフリフリと揺れている。


「ボクね、イアフがだーーい好きなの!」


「暑苦しいヤツなんだよ、こいつ」


 そう言って腕にくっついたセルケト様を指差す王弟陛下は、嫌がるわけでも喜ぶわけでもない。なるほどこれがお二人の自然なご関係なんだな、と思う。


 ……こういうのをって言うんだよな……うん。そうか守護神と王族との関係がこういう形になることもあるのか。


「それでさ、ティズカール! ボクからもお願いね! もしアリィと夫婦としてちゃーんと仲良くなれた時は、ぜひ教えてよねっ!!」


「は、はい」


 うっ、この少年のような女神にまで夫婦仲を心配されていたなんて。


 二人は互いに目を合わせてにっこりと微笑んだ。


「だって、そうなった方がボクたちも今よりうーーーーんと楽しめるもんね!」


「だよな、セルケト!」


 俺は疎外感そがいかんに打ちひしがれながらもうなずきた。楽しいかどうかは知らないが、俺が陛下と仲良くなれたら、きっとイアフメス様の婿入りの参考にもなるだろう。


「えぇ、もちろんです。ちゃんとご報告さしあげます」


 その回答に満足して、二人は仲良く去って行かれた。それを見送って、俺は自室へ戻ることにする。


「あ……!」


 背中に冷や汗がつたう。


「やばい、ルツたちに昨晩のことなんて説明しよう……」


 ◇


「というわけで、一晩お話だけして帰ってきました!」


 自室に戻って逃げも隠れもせずそう告げると、従者三人はドロドロと溶けるように床に崩れ落ちた。


「ご、ごめん。だってやっぱり陛下はをお望みでなかったようだから……」


 なんとか取りつくろうとしたが、彼らの絶望は晴れないようだった。あんたそれでも二十三歳の立派な男子ですか、とメソメソ泣かれてしまう。


 あーやっぱりこっちには正直に言わない方が良かったか……でも嘘をつくの苦手なんだよなぁ。


「ティズ君?」


 ずずずいっとメジェド君が近づいてきた。その瞳はうすーく細められている。


「それで、ほんっとーに何もなかったのかの?」


「あー……」


 俺が返事をためらうと、三人が突然復活した。


「あ、まさかちょっと手前まではとかそういう感じですか!?」


までいったんですか!?」


「大事なことですよ、ティズ様!!」


 迫られて、昨晩自分がしでかしたことを思い出す。


「お、押し倒して接吻を……」


「それで?」


「いや、その……陛下に怖がられちゃったから、ソコマデデス」


「ぐわぁぁぁぁぁあ!」


 三人はまた崩れ落ち、メジェド君だけが飛び跳ねた。


「よし、さすがティズ君! 奥手じゃが誠意のある感じが最高じゃ!! さすが我の見込んだ“推しメン”じゃ!!」


「はぁ……よく分からないけど、ありがとうございます」


「ううう、ティズ様、誠実すぎますよ〜」


「押し倒したら最後までやりましょうよ〜」


「既成事実を作ってしまえば良かったんです〜」


 俺は少し呆れる。


「そんなことして女王のお怒りをいただいて、故郷マルトゥが滅ぼされたらどうするんだ」


 そう注意する俺に、メジェド君が首を傾げた――いや、首はないので、体全体が傾いたのだけど。


「ティズ君はまだアルシノエ嬢のことをそういう風に見ているのか?」


「え?」


「ちょっと機嫌を損ねただけで、ティズ君の故郷を滅ぼすような女子おなごだと?」


 そう問われ陛下のご様子を思い出す。


 寝台に押し倒されて震えていた女の子。

 ただ、話をし出すと闊達かったつで、俺との会話を心底楽しんでくださって。


 頼りない灯りの中でも、恥じらうように微笑むお顔は――まるで陽の光のようだった。


「……いや、そんなことないですね。確かに陛下はそんなお方ではなさそうだ」


「ふむ。まぁ、今宵はそれが分かっただけでも大進歩じゃな」


 メジェド君がにっこり笑った。その顔を見ていると、俺もつい頬が緩む。


 うん、そうだな。このケアトはだいぶ陛下とお近づきになれた気がする。


 良い夫婦まで、あと少し――かな?





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