10.むこ殿、“壁ドン”に胸をざわつかせる



 しばらくして、陛下がお目覚めになった。そして寝起きのぼんやりとした表情で俺を見る。


「ティズカール様……?」


 ん? “ティズカール”? 陛下、寝ぼけていらっしゃるのか?


 そう思ううちにボーッとした瞳が見開かれて、彼女は慌てて俺の手を振り払った。そりゃあ、まぁそうなるよな。


 とりあえず手を握っていたことの言い訳を述べた後、メジェド君の言う通りにした。


 この国の作法にしたがって、陛下のお熱を確認しなければ。ひたいひたいを合わせて検温、だよな。


 スッと手を伸ばして陛下のやわらかい前髪をかきあげた。そして、自分の額を近づける。


 そこで、ふと不安がよぎった。


 やっぱりなんかおかしくない?


 なんで熱をはかるだけでわざわざ顔をつきつけるんだ?


 どう考えてもおかしくない?


 メジェド君の不思議がいっぱいの顔が思い出される。炭で書いたような、あのうさんくさい顔。


 そうだよ、そういえば“かべどん”とか“ぎゃっぷもえ”とか意味不明なことばっかり言ってるじゃんあの神様。ということはやっぱりこれもおかしいよね?


 うん、どう考えたっておかしい。


 ふぅ、と俺は小さくため息をついた。


 いかんいかん、またメジェド君に遊ばれるところだった。危うく不敬罪で斬首だ。よく思いとどまった、俺。


「あの……ティズカール殿……」


 呼びかけられて、ハッと我にかえった。


 まさに目の前、そう目の、前に、陛下の困惑しきったお顔が――。


 おおおおおおい、何やってんだ俺!? 途中で止まってたら余計にヤバイだろうが!!!!


 高速で陛下から離れて床にひざまずいた。そして好きなように処分してくれと首を差し出す。


 人質ひとじち風情ふぜいがこんなことして、陛下のお怒りを買ったら――実家が滅ぼされる!!


 ところが。


「あの……その……わたくし怒っていないです」


 ん?


 陛下の声がか細い。俺は驚いて顔をあげた。


 寝台で横になる彼女は、俺と目が合うと急いで亜麻布をかぶってしまった。


 それは、恥ずかしがりな普通の女の子の仕草だった。


 あれ、と思った。ひやりとした威厳のあるファラオの面影が今はどこにも見当たらない。


 これまで中庭でお会いしても、公務で顔を合わせても、あんなにそっけなかったのに。


 その時、メジェド君の言葉が蘇った。


 ――ファラオは“神の牧人まきびと”。


 十八歳の女の子がいただくには、あまりに重い王冠。


 彼女は部屋の外では精一杯虚勢をはっていらっしゃるのかもしれない。


 きっとこのお部屋のなかでは――本当にただのひとりの女の子なんだ。


 そう思うと、これまで彼女におびえていた自分が滑稽こっけいに思えて、俺は小さく笑いをもらした。すると、ターコイズの澄んだ瞳がひょっこりとこちらをのぞく。


 怒ってないと言う通り、その瞳には控えめながらも暖かい光がともっていた。


「アルシノエ様は……可愛らしいお方なんですね」


 ◇


 お見舞いを差し上げてよかった。やっぱり無理やり忍び込むより、こうやってちゃんと正面から顔を合わせると、いくらか心が通じ合う気がするな。


 俺は大いに満足しながら、陛下のお部屋を辞去した。まだ少し熱があるようだが、病状はそこまで悪くないようで安心した。


 ところが、扉の向こうの空気は重かった。


「み、みんなどうした?」


 俺の戻りを待っていた従者三人組が、一様に肩をズドンと落としている。そして俺の顔を見るなりわっと飛びついてきた。


 その目が、血走っている。


「ティズ様!!」


「は、はい!」


「お見舞いはどうでしたか!?」


「ど、どうって? いや、陛下に嫌がられなくて本当に安心したというか……」


「なにを悠長なことをおっしゃっているんです!!」


「えぇぇぇ!?」


「そうですよ、アホなガキみたいなこと言わないでください!!」


 三人ににじり寄られる理由がまったくわからない。ていうか今、アホとかガキとか言われなかった!?


 彼らの勢いで俺は廊下の壁際に追いつめられてしまった。


 あっ、まさかこれは――“かべどん”!?

 どうしよう、なんか変な気持ちになる!


 彼らの勢いは止まらなかった。長身のネイハムが、凄むような声でぼそりと言う。


「ティズ様……? もちろん接吻ちゅーくらいしましたよね?」


 はぁっ!?


「それよりもしちゃいましたよね?」


 はぁぁぁぁぁぁぁ!?


「ど……どうしたんだよ? 今日はお見舞いだぞ。病床びょうしょうの陛下にそんな……」


「ああああああああああ」


 俺がまっとうにそう告げると、三人はそろって床に崩れ落ちた。


 ◇


「要するに、従者ABCは神官どもにイヤミを言われたわけじゃな。『子も成せぬ役立たずの婿』とかなんとか」


 陽が落ちてやっと一人になった後、俺はメジェド君に本日の出来事を報告した。正直、お見舞いよりもそのあとが一大事だった。


「そうなんです。どうも陛下の病をきっかけに、世継ぎを望む声が高まったようで……『見舞いでしか招かれない情けない婿』だとか『夜の役に立たぬなら放り出してしまうか』とか聞こえよがしに言われたみたいですね」


 自分の悪口を自分で言うのは少々苦しい。しかも全部事実……。


 陛下ってけっこう普通の女の子なんだな可愛い、とかそんなことで喜んでる場合じゃなかった。

 確かに俺って、アホでガキでクズでクソだ。


 大国の婿なんだから、世継ぎを残すためにのは……まぁ、当たり前だよな……。


 はぁぁぁぁと大きなため息をついた。


「ティズ君、気が重そうだな」


「まぁ、そりゃあ……」


 だって、どう考えても同衾あんなことやこんなことをするような間柄じゃないじゃん俺たち。


 メジェド君も深くうなずいてくれる。


「我もその“イベント”はまだ早すぎると思う」


「“いべんと”というのはよく分からないですけど、早すぎるのは間違いないです」


 でも、こういう納得いかない気持ちと無理やり折り合いをつけなきゃいけないんだろうか……婿なんだし。


「今日やっと“お見舞いイベント”を通過、だが“おでこコツン”はあと一歩でこなせず、“頭ぽんぽん”も“お姫様抱っこ”も……いや、もっと他にもいろいろ通過すべき“イベント”は残っているというのに……!!」


「メジェド君、なにか呪文を唱えてます?」


 隣で苦悩する神様は、相変わらず何を言っているのかわからない。


「まぁ、でも……」


 俺はもう一度ため息をついた。


「こればっかりは俺には決められませんよね。俺とのあいだに世継ぎを望むなら、きっと陛下の方からお声がかかるはずです」


 ◇


 そうやってメジェド君と話し合った数日後。


 部屋でパンをかじる俺のもとに、陛下の使いが現れた。


「本日、夜のとばりが下りた刻限に、ファラオのお部屋を訪れますよう。これは陛下直々のご命令です」


 俺のかたわらで、従者三人が飛び上がらんばかりに喜んだ。そして使いが消えた後、忙しそうにあれやこれやと準備を始める。


 そんななか俺だけがポカンと立ち尽くしていた。


 え、ウソでしょ? まさか本当に陛下と同衾あんなことやこんなことをするってこと?



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