9.むこ殿、メジェド神にお見舞いの作法を学ぶ
「アルシノエ嬢が発熱……」
「ただの風邪ではないか、とのことでしたが……心配です」
俺が眉をひそめると、メジェド君の眉間の布にも
「ふむ、働きすぎじゃの。これは見舞いに行かねばならんな」
椅子にもたれた俺の周囲で、従者たちがきびきびと働いてくれる。
一番若くて長身のネイハムが、
「まさかまたティズ様を女王陛下の寝室に忍び込ませようとか思ってないですよね?」
「失礼だなネイハム氏、今回は正々堂々真正面から突入する好機であるぞ」
と、突入……?
「婿が
「なるほど……確かにおっしゃる通りかもしれませんね」
俺のサンダルを脱がしながら、一番小柄な従者のルツがうなった。
「では見舞いの手配を。まずは神官方への申請でしょうか」
中肉中背でサラサラ髪の従者イサヤが俺の肩をほぐしながら考えている。
「あのさ、みんな……」
隣にネイハム、足元にルツ、背後にイサヤに囲まれながら、俺は一応言ってみる。
「そうやって何もかも世話してくれなくていいよ? サンダルくらい自分で脱げるし。だいたい、
「ダメです!!」
三人同時にいきり立って、ものすごい剣幕でにらまれた。
「ティズ様は大国の婿様らしく偉そうにしててください!」
「ていうか俺たちティズ様のお世話くらいしかすることないんですから!」
「仕事を奪わないでくださいよ!」
「は、はい……」
三人の勢いに負けてしまった。
でも、彼らの気持も分かる。やるべき仕事がないのはつらい。
そもそも彼らは俺の従者であると同時に、隊商で働く部下でもあった。帳簿の管理、仕入れや宿の手配、各都市の情報収集。有能で使い出のある若者たち。
なのに、今はこのありさま……サンダル脱がすとか……ほんと申し訳ない。
うん、やっぱりまず俺が「使える男」にならないとな。こいつらのためにも。
「では我は
「えーびーしー?」
俺も三人も聞きなれない言葉に反応した。
「小さい方が従者A、中くらいが従者B、大きいのが従者Cじゃ。“モブ”の区別としては一般的じゃろ」
「いや、意味がわかりません!」
「俺たちちゃんと名前がありますからね!!」
「ていうか“もぶ”ってなんですか!? よく分からないのにバカにされてる気がするのはなぜ!?」
わはは、と笑ってメジェド君は
◇
陽が落ちて就寝の準備が整ったころ、メジェド君はまたペタペタと足音をたてながら現れた。いつもものかげから突然ヌッと顔を出すので、最初の頃はよく驚いたものだ。
「ティズ君、話は通しておいた。だが、思ったよりも嬢の風邪はしつこいようじゃ。もう少し熱が下がったら来てくれとのことでな」
寝台に腰掛けた俺の隣にメジェド君も座り込んだ。
あ、横顔あんまり見ないなぁ。気になってチラリと目線だけ送ると、布の表面はのっぺりとして、鼻の部分に高さがない。
やっぱり、謎だ。
「陛下は大丈夫なんでしょうか?」
「まぁ、命に関わるような病状ではなさそうじゃったよ。
というわけで、とメジェド君は背すじを伸ばした。
「ティズ君には我が国の見舞いの作法を教えねばならんな」
「見舞いの作法……それはぜひ教えていただかなければ」
居住まいをただすと、メジェド君の目が、カッと大きくなった。
「まず、相手を気遣うことが先決じゃ。そう、体温を計らねばならない」
たしかにそうだな……熱を確認する、と。
「その時に、
……額と……額。
「そ、そんなことをするのですか?」
うむ、と重々しくメジェド君がうなずく。
「手で額をさわるのではダメなのでしょうか?」
「非常識である! 検温は額!! これが
そ、そうなのか?
一瞬疑ってしまったが、確かにこの国の風習が自分になじまないことはよくある。
たとえば服装。どんなに暑くても、俺はこの国のほかの男たちのように一日中上半身裸でいることには抵抗がある。なんか落ち着かないのだ。
だから今でも
「わかりました、額で検温、ですね」
「そうじゃ。では」
突然メジェド君がこちらを向いた。炭で塗りつぶしたみたいな目がキリリと俺を見つめる。
「我で練習するか?」
「は?」
メジェド君の黒目が上を向く。
「ほれ、我の額にティズ君の額をあてるのじゃ」
心なしか彼の頬のあたりの白布が桃色に染まった。
「我はティズ君なら“オッケー”じゃぞ」
ぞぞぞと背すじをなにかが走って、すすすと俺は彼から離れた。
けれどメジェド君はずずずいっと迫ってくる。
「いや……練習は不要です」
「なぜじゃ?」
「ぶ、ぶっつけ本番でちゃんとできますから……!」
そうかぁ、とメジェド君が寂しそうに目を伏せたので、俺はこっそり寒気だった腕をさすった。
◇
そうやって礼儀を叩き込まれ、俺は見舞いにやってきた。陽が落ちかけて過ごしやすい夕方、正式な手続きにのっとって、
もちろん従者は入室できない。彼らを廊下に待たせて部屋の扉を軽く叩いた。
「ようこそ、お待ちしておりました」
そう言いながら扉を押し開けたのは、豊かな黒髪が美しい女性だった。
その頭から兎のような黒い耳がのびていて、俺は少し驚く。
そうか、これが陛下の身の回りのお世話をしているという黒兎の女神様か。
「お初にお目にかかります、ティズカールと申します。本日はご無礼ながらも……」
「あら、それはなに?」
挨拶をさえぎって、彼女は俺が持参した見舞いの品に興味を示した。
「オリーブの枝を束ねてお持ちしました。ちょうど白い花が美しく咲いておりましたので」
「まぁ素敵!!」
彼女は大げさに喜びながら花束を受け取り、部屋に飾るわと耳をぴょこぴょこ揺らした。
そして、奥の部屋、陛下の寝台のわきまで案内して、椅子まで用意してくれた。
「さぁ、ごゆっくりなさって。私は隣室におりますから、何かあったら言ってください」
綿毛みたいな可愛い尻尾をフリフリさせながら女神が去っていくと、俺は陛下と二入きりになってしまった。静かに腰をおろす。
「陛下、ティズカールです。お見舞いに参じました」
寝台のそばでささやくようにお声をかけたが、聞こえてくるのは小さな寝息だけ。彼女は俺に背を向けて、よくお眠りになっているようだった。
うーん、正式な訪問とはいえ、眠っている女性の部屋に踏み込むのはかなり罪悪感があるな……。
「うぅん」
陛下は少しうなされたように声をもらすと、不意に寝返りをうった。
熱でやや上気したお顔がこちらに向けられて、俺はついまじまじと見つめてしまう。
前髪が汗でひたいに貼りついている。口が少しだけあいて、静かに呼吸をしていた。
化粧気のないお顔はまだおさなく、そしてあまりに無防備すぎた。
あぁ、陛下もお若い方なのだ。せめて汗だけでも拭ってさしあげたいと、手を伸ばす。
ところが、その手が捕まってしまった。誰かと勘違いしているのだろうか、陛下が俺の手をぎゅっと握って、そして、全然離してくれない。
どうしよう……。
さすがに振り払えなかった。起こしてしまうかもしれないし……それに、握る力があまりに必死だったから。
このままにしていた方がいいのかもしれないな。俺は腹をくくることにした。
確かに、勝手にお手を握るだなんてあまりにも無礼だ。お怒りを受けることも十分考えられる。
でも、お眠りになっている陛下のお心が安らぐなら――それこそが夫のつとめだろ。
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