8.ファラオ、ベッドで死にかける
「てぃ……ティズカール様?」
熱にうなされて目が覚めたら、なぜか隣に彼がいた。寝台に寄りそうように椅子に腰掛けて、こちらを見つめていらっしゃる。
……私、熱で頭がおかしくなってしまったのかしら。
だって、ウヌトに手を握っていてってお願いしたのに……。
ん、手?
もう一度自分の手を見る。
その手は、褐色の大きな手をしっかりと握りしめていた。
ああああああ! 私、ティズカール様のお手を、お手を――!!
これまで手を握るどころか、お召し物の
私はあわてて彼の手を振り払ってしまった。
いけない、これじゃ失礼よ!
「陛下、申し訳ございません」
けれど、大混乱中の私が謝るよりも彼の方がはやかった。
「勝手にお体にふれるつもりはなかったのです。ただ、うなされた陛下に手を握られて……その、離れることができなかったものですから……」
それって要するに私があなた様のお手を握って離さなかったってことですよね!?
「ご不快に思われても仕方がないとは思うのですが……隣室に
彼はきっぱりと言い切って一礼した。
「とりあえず、陛下が無事お目覚めになられて安心いたしました」
そう言って、ふいに彼はその大きな手を私のおでこに伸ばした。
驚いて固まっているうちに、私の前髪が優しくかき上げられて、その仕草に今度は息が止まってしまう。
え、え、え……?
ついでに思考が停止した。
ところが、さらにティズカール様はお顔を私のおでこに近づけてきて――。
えぇぇぇぇ!?
彼の端整なお顔が、文字通り私の目と鼻の先に差し出された。
なななななな……!?
しかも、なぜか彼の顔がそこで静止した。
なななななななんでーーーーーーーーーー!?
おでことおでこがもう少しでぶつかるというところ。その距離にティズカール様のお顔が――遠くから眺めるだけでも
どうしよう! こんな近くで! ていうか、ああ――ティズカール様カッコいいぃぃぃぃ!!!!
でも今は完ッ全に真正面から向き合って――。
しっかりとした黒い眉……あ、それにまつ毛も長いのね……あうー鼻が高いぃ……
いつも穏やかなお方だけど、こうしてみるとすごく頼りがいのありそうな……
いや、それにしても――
こ、こ、こ、こ、これ、いつ終わるの!?
ティズカール様ったらこの至近距離で
なんだろう、何か迷っているような、そんなお顔?
ん? 迷ってるって……ナニを迷っているの!?
ふっと彼の息が私の唇に届く。
ダメダメダメダメそれはダメよーーーーーー!
マズイわ、このままでは興奮のあまり死んでしまう!
死因――「デレ死」。
いや、ダメよ、
「あの……ティズカール殿……」
私はなんとか声を絞り出した。
呼びかけられて、彼はハッとしたように私の瞳を見る。
そして、みるみるうちにその男らしいお顔が朱に染まっていった。
「も、申し訳ございませんっ!! あの、これは、その、陛下のお熱を確かめようと思っただけなのです!!」
弾け飛ぶように彼がのけぞって、やっと私は解放された。
あ、熱ね、熱をはかろうと……ってなんで熱をはかるだけでそんなに近づくのよぉぉぉぉ!
嬉しいけど、嬉しいけどっ!!
なんなのもうティズカール様ってどうしていきなり大胆になっちゃうの!!
「お、おそろしい不敬をはたらき、申し訳ございません。いかようにも処分をお受けいたしますので……」
ん? 処分?
床にひざまずいてうなじを差し出す彼を驚いて見る。
あ、うなじが色っぽい……。
いやいや、そうじゃないわ!
ティズカール様ったら、
そこでやっと気づいたの。
私ったら、目が覚めてからろくに喋ってないわよね? これじゃ怒っていると誤解されてもしかたがないわ!!
そうよアルシノエ、
「あの……」
「はい」
「その……」
「なんなりとお申し付けください」
ええ、言いたいわ……言いたいんだけど……どうしてか言葉が出てこないのよぉ。
おかしいわ、アヌたちの前とか会議の時はあんなにスラスラ言葉が出るのに、どうして今は何も言えないの。
胸がドキドキして、手が震える。
知らなかった、お側にいるだけで緊張するけど、お話しようとするともっとダメになってしまうのね。
でも、とりあえず怒ってないことだけでも伝えなきゃ! 頑張るのよ、アルシノエ!
「わ、わたくし……あの……お、怒って、いない、です」
カタコトかっ!?
どこにいったの、いつもの賢い私は!?
あぁ、ティズカール様ったらなんでそんなキョトンとしたお顔をしてらっしゃるの? 私ったら、そんなに変だったかしら?
もうダメ、耐えられない! 私は亜麻布を頭までかぶって隠れてしまうことにした。
うう、情けなくて恥ずかしいよぅ……。
ベソベソと嘆いていると、くすり、と小さく笑う声が聞こえてきた。そのおだやかな
そこには、やわらかく微笑むティズカール様がいた。
「アルシノエ様は……可愛らしいお方なんですね」
あっ……。
あたたかい眼差しで見つめられて、体の奥がぎゅっとなった。
花が咲くように笑う人。
そうよ、私、この笑顔に惹かれて彼を好きになったのよ。
「度重なるご無礼をお許しいただきありがとうございます。訪問の時間はとうに過ぎておりますので、そろそろおいとまいたします」
ひざまずいたまま彼は言う。そうか、これは公式のお見舞いだったのね。だから私の部屋にいらっしゃったのね。
「どうぞすぐに熱が下がりますように。お元気になられましたら、またいつものように朝のご挨拶をさせてください」
◇
熱が下がって
うぐぐ、ゆっくり休むヒマなんてないわね……。でももう大丈夫、またいつもの元気なアルシノエに戻ったんだから!
それにね、今朝もちゃんとティズカール様にお会いしたのよ。
もちろん中庭でご挨拶しただけですけど!
でもね、これまでの固い表情と違って彼はにっこり微笑んでくださった。
それが本当にとってもステキだったんだから!
「こほんっ!」
ティズカール様の笑顔にひたっていた私を現実に引き戻すように、神官の一人が咳払いをした。
まずいわ、今は朝儀の最中だった!
「陛下が無事お戻りになられて、神官一同胸を撫で下ろしております」
神官たちがそろって頭を下げる。もちろん、一段高い玉座の私に向かってね。
石床に
あぁ、
五十過ぎの彼は、赤黒い顔に刈り上げた白髪の対比が印象的なのよね。だからアヌと『紅白おじさん』ってあだ名をつけて呼んでるんだけど。(もちろん本人には内緒よ)
「陛下、今回は無事ご回復なされましたが――ままならぬことが世の常。
あーぁ、お説教かぁ。長くなるのかしら、いやねぇ。
「名君薄命という言葉もございます。ですので、陛下」
彼は白い眉をつり上げ、半分重いまぶたをかぶった瞳で私を直視した。
な、なによ、怖いわね……。
「はやくお世継ぎをおつくりになってくださいませ」
なんだ、そんなことね、はいはい。
ん……? お世継ぎ……?
「まこと無礼なことを申し上げますが、婿様の夜のお渡りがないことを我々存じております」
えぇっ!?
「もしあの小国の婿が気に入らぬのであれば、別の者を用意いたします」
はぁっ!?
「一日でもはやく、お世継ぎをおつくりになり、我々を安心させてくださいませ」
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