3.むこ殿、メジェド神に教えをこう



「ティズカール様! よくぞご無事で!」


 陛下の寝所から自室に戻った俺のもとに、従者たちが次々にかけつけてきた。故郷からついてきてくれた彼ら三人の顔は、そろって青ざめている。


「みんな、ありがとう」


 俺は余裕のある表情を見せたつもりだったが、彼らは涙ぐんでいる。


「もう戻られないかと思いました……」


「女王陛下はティズ様に容赦ようしゃがないお方……その場で斬られてしまうのではないかと」


 俺と同じ褐色の肌を持つ彼らは、俺の身の回りの世話をしてくれている。


 もともとこの“黒土国ケメト”に婿むこ入りするまで、俺は小国の王子だった。

 まぁ王子といっても五男だったので、大してありがたみのある存在ではなかったんだけど。


「だから大丈夫だといったじゃろう」


 ペタペタと裸足で歩く音がする。


 部屋の奥からゆっくりと近づいてきたのは、俺の守護を任されているという神様――メジェド君だ。


 初めて顔を合わせてからすでに半年がたっているが、この奇妙な見た目には今だに慣れない。 


 真っ白い大きな布を被った人形――というのが第一印象だった。身長は五歳児程度だろうか。


 ただ、その布のすそから伸びる裸足の足は、なんていうか……おじさんの足だ。声もどちらかというと歳を重ねた男のもの。


 そして布には目、鼻、口があるんだけど、これもその、なんていうか…………ように見える。

 炭でもこすりつけて描いたような、そういう顔なのだ。


 正直、彼が俺の守護者だと聞いた時には……複雑な気持ちになった。


 でも話してみると、メジェド君は物知りで親切だ。異国から婿入りした俺の教育係のような存在でもある。


「我の命じた方法でアルシノエ嬢に近づいたか?」


 メジェド君の絵に描いたような目がこちらをじっと見つめてくる。


「はい、おっしゃる通り、おそれながらも陛下を壁際に追いつめました」


 ひぃと悲鳴をあげる従者を無視してメジェド君は続きをうながす。


「それで?」


「可能な限り近づいて、耳元でささやくようにお話ししました」


「ちゃんとティズ君は手を壁につけていただろうな?」


「えぇ、それも言われた通りに、陛下を囲うように両腕を壁に伸ばしました」


 ふむ、とメジェド君は満足げにうなずく。


「よろしい。それがいわゆる『壁ドン』である」


「かべどん……」


「若い女子おなごはそういうものが好きなのである。少し古くなりつつある手法だが……やはりまだ通用するな」


「はぁ。でも陛下は突然の無礼にたいそうご不快に思われたと思いますけど……。俺もだいぶ恥ずかしかったですし……」


 そもそもあんな強引に女の人に迫るなんて、今までしたことない。


 いや、二十三歳にもなって情けないとか、そういうことは言わないでほしい。

 しがない第五王子は、大きな隊商を率いて商売するのに大忙しだったんだから。


「いいのだ。ティズ君は普段は温厚な人柄である。そんな夫がいささか強引にせまってくるのがのだ……!」


 メジェド君はカッと目を見開く。

 いや、見開くというか、炭で書いたような目が突然大きくなった。どうなってんだろう、この神様の顔……。


「よいかティズ君、これがいわゆる『ギャップ萌え』というやつだ」


「ぎゃっぷもえ……また私の知らない黒土国ケメト語ですね……」


「あの、ティズ様、それってホントに黒土国ケメト語なんでしょうか……?」


 従者に訊かれても俺に答えられるわけもない。


「でもメジェド君、陛下には何度も「無礼だ」ってはねつけられましたよ」


 大丈夫、大丈夫、と言いながら、彼のかぶった布がヒラヒラ揺れる。


「それに、あのくらいしないとアルシノエ嬢はティズ君とは喋らんじゃろ。とりあえず話がしたいというティズ君の願いが叶ったのだから良しとしよう」


「まぁ……そうですね」


 俺は苦笑せざるを得ない。婿入りして半年、やっと「妻」と個人的に話ができたのは確かだ。無礼だなんだと怒られたが、大きな第一歩だったかもしれない。


「しかしティズ君はどうしてアルシノエ嬢と話がしたいと思ったのじゃ?」


「それは……だって、一応俺たち夫婦ですし……」


「形ばかりの夫婦など、この世にいくらでもおるじゃろ。特に王族同士の結婚ではめずらしくもない」


 確かにメジェド君の言う通りだ。

 俺もここに婿入りすることが決まった時に、人質ひとじちとしての心づもりを固めたのだ。


 黒土国ケメトは大国。それに対して俺の故国マルトゥは取るに足らない小国だ。


 だが、故国マルトゥは交通の要衝ようしょうに位置する。


 北のバビロニアとの間に位置し、交易の拠点としてはもちろん、軍事的にも重要な位置を占める。


 そんな国の適当な王子を婿に取る。それは姻戚いんせき同盟を結ぶということで、それ以上でもそれ以下でもない。

 ファラオにとって相手は別に俺じゃなくたって良かっただろう。


 でも、と俺は思う。


「幸せになるって約束したんですよね、故国に残してきた……家族に」


 いつも顔を上げて歩こうと思っている。人質としてぼんやり生きるのは性に合わない。

 せっかく夫婦になったのなら、良い夫婦になりたい。


 俺の顔をじっと見て、不思議な神様はうなずいた。


「ふむ。そういうティズ君の明朗な性格、我は好きであるぞ」


「ありがとうメジェド君」


 奇妙で謎ばかりの神様だけど、彼はいつも俺を励ましてくれる。


 そうそう、最初は「メジェド様」ってよんでたんだけど、他人行儀すぎると本人に注意をうけて「メジェド君」と呼ぶようになった。


 神様相手に気がひけるし、今でもだいぶ違和感があるけど、異国でもこんな風に親しくしてくれる人がいるというのがありがたい。


「さて、それでは次の作戦を授けよう!」


「えっ!?」


 メジェド君の言葉に、俺は軽くのけぞった。

 なんかイヤな予感がする。“ぎゃっぷもえ”とか“かべどん”とか、なんかまた変な技を伝授させられるんじゃ……。


「よいか、ティズ君、よく聞け!」


 また布の上の目が一回り大きくなった。


「次は……“頭ぽんぽん”である!!!!」


「あたまぽんぽん……? そ、それはいったい?」


 ふ、ふ、ふ、とメジェド君は不気味な笑いをもらした。絵のような口の片方の端がつり上がる。


「よいか、傷ついたアルシノエ嬢をなぐさめる際に、ちょっと偉そうに……だが少し照れくさそうな顔で……嬢の頭を軽くぽんぽんと叩くのだ!! それが“頭ぽんぽん”である!!!!」


 従者三人そろって絶叫した。


「ダメです!! そんなことしたら不敬罪で斬首です!!」


 メジェド君との間に立ちふさがった三人の後ろから顔を出し、俺はぽりぽりと頬をかく。


「お、俺もそれはちょっと無理だと思いますね……。そもそもおなぐさめする機会がおとずれないと思いますし……」


「そうかのう? けっこう使える技なんだが……」


 こうしてドタバタと俺の夜は過ぎていく。

 この国のケアトは夜も暑いけれど、この部屋の熱気は気候のせいだけじゃない気がする。


 それにしても、今日は女王と間近に顔を合わせられた。それは本当に大きな収穫だった。


 “天上のターコイズ”と称される陛下の瞳。確かに宝石のように美しく、けれど今宵その瞳が俺を見つめることはなかった。


 いつか俺たちも、普通の夫婦のように笑い合うことができるんだろうか――。


 あ、それと、今日の陛下は化粧をされていなかったな。


 正直言うと……俺は普段の着飾った彼女より、そちらのほうが親しみやすくて好ましく思うんだけど。


 もちろん、こんなことご本人には言えないけどね。

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