開業前に社員が増える

 午後1時過ぎ。スーパーの袋を思いっきり地面に置き、道端で座り込む由水可にせつりが声をかける。

「家まで後もうちょっとだから頑張って由水可」

「ついこの間まで家からほとんど出ない生活をしていたんですから、こんな重い荷物持って長時間歩くなんて無理ですって」

「わかった。あそこのベンチについたら一休みするから、あそこまで頑張ろう」

「わかりました」

 由水可は立ち上がりゆっくり歩き始める。

 この間由水可の母に何でも屋葉月の話を聞いてから、せつりは俄然やる気になっている。

 由水可にとしては、開業というのは賭け事のように思えるので、あまりよいとは思わなかった。しかし、せつりさんがやる気になっているのに水を差すのはどうなんだろうとも思った。そんなもやもやした気持ちを抱え、由水可はせつりに引きづられるままに、今日は遅めの朝食を取ると、家から少し離れたホームセンターに二人で行った。そこで、何でも屋葉月開業のための掃除用具を大量に買い込んだ。今はその帰り道である。

「まだ駄目そう」

 ベンチに座りスマートフォンでメールチェックをしていたせつりは、少し経ってから、隣に座ってスマートフォンでニュースを検索している由実可に尋ねる。

「なんとかいけます」

 由実可は立ち上がると、のろのろと歩き出した。

 そんなふうにゆっくりと歩いて、もうすぐ家に着くというときであった。

「葉月さん」

 由実可たちが住んでいる家の右隣にある鈴見家の前に立っていた女性に、声をかけられた。白髪混じりのショートの髪に少し強めのパーマをかけた髪型で、茶色い縁の眼鏡を掛けているその女性は、恐らく鈴見家の家の人ではないかと由実可は思った。

「こんにちは」

 由実可から見て、せつりは爽やかに挨拶できているように見えた。由実可もほぼ同時に「こ、こんにちは」と挨拶したが、声も小さく上手く挨拶できたとは言いがたいと由実可は思った。

「お買い物? 荷物いっぱいね」

 標準語なのだけど、由実可たちのいるところとは微妙にイントネーションが違う言葉が鈴見さんからかけられた。

「ええ。今日はたくさん買うものがあったので」

 せつりが答える。

「そうなの。ところで、二人ともこのあと何か用事はあるの」

「いえ、特に予定はありませんが」

「それならこのあとうちによって行かない。荷物をお家に置いてきた後で構わないから」

 思いも寄らない展開に由実可が固まっていると、隣のせつりが「はい、わかりました。後ほど伺います」と言葉を返し鈴見さんに一礼した。そのまま家に帰ろうとするせつりを見て、由実可も慌てて鈴見さんに一礼してからせつりさんの後を追った。


「下は今はいているパンツのままでいいけれど、上着はもう少し可愛いのに着替えようか」

「そうですね。人様のお家に伺うので、そのままで行くのは良くないですね」

 二人は着替えをしたり髪の毛を直したりなどをしてから再び家を出て、鈴見さんの家の前に立ててある四角い郵便受けの上の呼び鈴を押した。

「いらっしゃい」

 鈴見さんの奥さんは直ぐに出てきて、由水可たちを家の中に入れてくれた。


「急にお誘いしたからあまり良いものは用意してないのだけど、良かったら食べてくださいね」

 一階のリビングと思しき部屋のフローリングの床の中央にある、白い背景にレモンの実と葉をあしらったテーブルクロスのかかったテーブルに案内された二人はそのテーブルの側の椅子に座らせていただき、紅茶と苺とソフト煎餅を出して頂いた。

「本当にごめんね。こんな物しかなくて」

 鈴見の奥さんは申しわけなさそうに言う。

「そんなことありません」

 由水可は答えた。家から出されて生活するようになってからは、家で何気なく食 べていた果物の価格の高さを日々痛感するようになった。先日もスーパーの苺のある一角を見て、その価格のあまりの高さ故に素通りした由水可にとっては、苺があるというだけでありがたいことであった。

「いただきます」

 由水可ととせつりはマスクを外して自分のマスク入れにマスクをしまう。それから由水可は角砂糖を二つ、せつりは何も入れずに紅茶のカップに口をつける。その間に鈴見の奥さんから名前を聞かれたので各々名乗ると、鈴見の奥さんは自分の名前を映子だと教えてくれた。

「二人はお仕事は何をされているの」

 よくあるありふれた質問だが、無職の人間には辛い質問が来た。由実可がどう返そうか悩んでいる間にせつりが答える。

「それなんですが、今私たちが住んでいる家で、かつて何でも屋葉月という店が営業していたことはご存知ですか」

「あー、知ってる。 葉月のおじいちゃんが一人でやっていた店でしょ。えっ、ちょっと待って!」

 映子さんは大きく身を乗り出す。

「あなたたち、まさか何でも屋葉月を復活させるためにここに来たの」

「最初は違いましたが、今はそうです」

「おじいちゃんの事業を受け継ぐとか凄いじゃない。あっ」

 映子さんの顔が、急に何かを思いついたような表情になった。

「二人とも、ちょっと待ってて」

 映子は椅子から立ちあがると、ドアを開け部屋の外へと出ていった。

 それから十数分後。いつまでも帰ってこない映子のことを気にしながら、由水可たちが、夕食に何を食べるかや、今流行りの漫画について話をしているとドアが開き、映子と映子に引きずられるようにしてやってきた、もう1人の人物が現れた。ボブカットの髪型のその人はうつむいているので顔はよく見えなかった。

「お待たせしてごめんなさいね。この子はうちの息子の貴志たかし。たぶんあなたたちよりちょっと、いや、一回り年上だと思う。ねえ、これも隣同士の縁ということで、この子をそちらの会社で雇っていただきたいのだけど、どう」

「えっ」

 由水可はこのあまりにも突然過ぎる展開に対処できずに固まるしかなかった。

「うちの会社はまだ開業前で、しかも開業しても、設けを出せるかわからない状態ですがいいんですか」

「さらに言うと当面は出来高払いでしか給料は出せません。そもそも仕事が全くなくて、すぐに廃業する危険があります。それでもやりますか」

 せつりは貴志に問いかける。

「それは大丈夫。とにかく働かせて欲しいの」

 貴志の代わりに映子が答えた。

「貴志さん。あなた自身はどうですか。本当に働きたいのですか」

 貴志はしばらく黙っていたが、やがて小さな声で「働かせてください」と、言った。

「わかりました。先はどうなるか全くわかりませんが一緒に頑張りましょう」

 由水可がおろおろしているうちに、せつりが決断した。







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