晴真町(はるまちょう)
次の日の午後。
由水可は晴真町駅の改札口の近くに立ち、まだその中に入ったことのない駅の中を見つめている。
やがて。
「久しぶり」
黒いトートバッグを肩に下げたせつりが片手を上げて由水可に挨拶した。
由水可は「来てくださって本当にありがとうございます」と気持ちを込めて言った。
「おおげさだねえ」
「おおげさではありませんよ。こんなど田舎にわざわざ来てくれて、ほんとにありがたいと思っているんですから」
「東京まで日帰りで行けるところを、田舎とは言わないよ」
「確かにもっとすごい田舎があるのは知っていますけど、ここも十分田舎ですよ」
「じゃあ、その田舎とやらを一通り案内して」
「いいですよ。特に観光するところはないですけど」
由水可はせつりを連れて、町を歩き始めた。
「あちらに古そうな神社がありますよ」
「近くに行って見て良い」
「大丈夫です」
二人は神社の中に入った。少し大きめの広場のようなその境内は行事が行われる時にはそれなりに人が入るのだろうが、今は閑散としていた。
「良いねえ。静かな境内。事件の舞台にぴったりだ」
せつりはトートバッグからカメラを取り出すと、写真を取り始めた。
「ちょっと、せつりさん」
「大丈夫。場所が特定されそうなところは撮ってないし」
何枚か写真を撮って気が済むとせつりは次の場所に行きたいと言い出した。
「川があるんだ」
「わざわざ観光する程のものでは無いです」
「でも、川沿いには緑があって、休憩するにはちょうどいいし、この看板でおすすめされている健康増進ロードを歩いたら、よく健康に良いって聞く一万歩歩くことを達成出来そう。由水可はこの健康増進ロードを歩いたことある」
「いくら健康のためだとしても、そんな大変なこと、絶対に、しません」
由水可は力を込めて言った。
「たまには歩いてみたらそれなりに新しい発見がありそうでいいと思うけど。ま、でも、今日は由水可の新しい家に行きたいし、それに」
せつりは川の向こう側の何の変哲もない小さなラーメン屋の方を見た。
「そろそろお昼だし、向こう側のあの店の方が気になるけど、由水可の家に行けばもっと凄いごちそうがあるかな」
「いえ、何か出前を頼むつもりでしたのでせつりさんが行きたいなら全然大丈夫です。ちなみにここに行くのは初めてなので味は保証出来ません」
「いいねえ、未知の体験。じゃ、行こうか」
二人はしばらく歩いた後、小さな橋のある場所につくとその橋を渡ってラーメン屋へと向かい、店のドアを開ける。なかには数人が座れるカウンター席と、定員四人のテーブル席が一つ置いてあるのが見え、そのカウンター席の内側には白い襟なし白衣を着た中年の男女がいるのが見て取れた。
「いらっしゃい。うちは醤油ラーメンと味噌ラーメンしかありませんが大丈夫ですか」
中年の女性店員が問いかけた。せつりは「大丈夫です」と明るく答えてカウンター席に座る。由水可も少し慌ててせつりの左隣に座った。
「醤油と味噌、どっちにする?」
「醤油で」
「じゃ、私も同じのにしようかな。すみません。醤油二つ、お願いします」
せつりは、女性店員に注文した後、由水可に先月見た映画についての感想を話した。せつりは娯楽としての映画から勉強になるような映画まで幅広く見ており、今回見た映画は勉強になるような映画だったようだ。そのように由水可が考えながらせつりの話を聞いていると、醤油ラーメンが目の前に運ばれてきた。いただきますと言いながらラーメンに添えてある割り箸を割り、二人はラーメンを食べ始めた。
「ご馳走様でした」
ラーメンを食べ終わりお会計をした後、二人はまた川の側の道を歩く。
「すごいラーメンというほどではないけど、それなりに美味しいラーメンだったね」
「どんなに美味しくても、お財布に優しくなかったり、長時間待ったりするお店は普段使いづらいので普段行くお店としてはちょうどいいと思います」
「そうだね。さて、次はいよいよ由水可の新しい家に行こうかな」
「いいですよ」
二人は川沿いの道をさらに歩いた。途中で川沿いの道を右に曲がり、住宅地の中の道路を歩く。
家、家、家。
見渡す限り家ばかり。車が来ると家の敷地すれすれのところまで人が避けないと危ない。車同士はすれ違うことにかなり神経を使う。そんな狭い幅の坂道を上がって行くと、右手に見えてくる四本目の路地で曲がり左側から数えて三軒目の家の前で由水可は立ち止まった。
「ここです」
由水可は目の前の家を手で指し示した。
「わ、グリーンゲーブルズだ」
それがこの家を見たせつりの第一声だった。
「グリーンゲーブルズって、赤毛のアンが住んでたのですか」
「そう。マリラとマシューとアンの家」
「確かにこの家の屋根は緑色ですが、それ以外はよくある日本の住宅で、グリーンゲーブルズ要素全くありませんよ」
「別に緑の屋根ならグリーンゲーブルズでいいでしょ。それよりさ、家の後ろはどうなってるの。何か植物とか植えてるの」
「この家の以前の持ち主も私も植物を育てる根気がないので、周りは雑草だらけです。ま、雑草も花が咲くとそれなりに綺麗なんですが。ほら、あそこに咲いているたんぽぽとかいいと思いませんか」
由水可は家の右横の人ひとり通れるかどうかという狭い土地に咲いているたんぽぽを指さした。
「確かに咲いていればそれなりに綺麗だね」
そんな会話の後由水は持っている猫のトートバッグから鍵を取り出し玄関のドアを開ける。
「どうぞ、お入りください」
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