せつり

「それで、どうしたの」

 型落ちアイフォンの画面の向こう側から、せつりが話しかけた。

「私は母に言われるまま、全く知らないこの場所で引越しの挨拶回りをしました。最も呼び鈴を押したのも挨拶したのも母で、私は後ろにいてただよろしくお願いしますと頭を下げただけでしたが」

「その後敷布団と毛布と掛け布団を二揃い、電気ポッドや鍋など細かな物を買うと、父と友也は帰りました。二人とも最後まで私を心配して、困ったことがあったらすぐに電話するようにと言ってくれました。母だけはこの家に私と一緒に泊まり、翌日の日曜日は細かい物の買い物やお米などの食料品を買いました。そして月曜日、つまり今日の朝早くから業者さんに電話してこの家の電気、ガス、水道の契約をしました。それらは半年くらい前まで使用していて、器具もまだ使えたので、すぐに使用できるようになりました」

「それが済むと市役所に母と私の二人で行き、この晴真市はるましへの転入届を出しました。その帰り、母がインターネットであらかじめ調べて置いた情報から見つけたスーパーに行き、当面必要なものを買ってもらいました。そして」

 ここまで説明口調だった由水可は、感情的に叫ぶ。

「母はそれらを全部終わらせると、私をここに一人置いて、さっさと帰ってしまったのです」 

「じゃあ、そのおじいちゃんが昔住んでいた家に、由水可は今一人で居るんだ」

「そうです。今一人ですごく寂しいです。泥棒に入られそうで怖いです」

「確かに一人じゃ心細いだろうけど、一人暮らしって自由じゃない」

「一人暮らしを自由と思うのは一人暮らしがちゃんと出来る人であって、私みたいに学校にさえちゃんと行けていない人が、一人暮らしなんて出来る訳ありません」

「前から言ってるけどさ、由水可なんて不登校の世界では小者なんだから、そんな大袈裟に言ったら、不登校の世界の大物に怒られると思うよ」

「確かに、学校に全然行かれなかった人から見れば、時々は学校に行くことが出来た私はそんなに重症じゃないと言われると何も言えませんが」

「でもそういう人で、いきなり一人暮らしをさせられた人はいないと思います」

「いるかもしれないじゃない。そもそも学校で優等生だったら、社会でも優秀な社員になるかわからない。それと同じように、不登校気味だったから、一人暮らしも出来ないみたいなことは決まってないし」

「決まってます」

「だからさ。あ、そうだ。明日ちょうど暇だからさ、由水可の家に行っても良い」

「私はいつでも良いです。むしろ、会いに来てくれたら嬉しいです。でも、そちらからだと本当に遠い場所なので、電車代が馬鹿にならないですよ」

「確かに交通の便が不便な場所ではありそうだけど、多分一日で一日で行き帰り出来る距離でしょ。ともかく行くから、電話したら、家の外に出て来て」

「いえいえ、駅まで迎えに行きます。申し訳ないですが晴真はるま駅という駅を検索して、そこまでは電車でお願いします」

「分かった。晴真駅ね。それじゃ、明日ね」

 それを最後に電話が切れると、改めてため息をつく。ため息なんてついてもしょうがないのは事実だけど、それでも大量にため息をつく。そうでもしないとやっていられない。

 と、ひとしきりため息を着いてから、由水可はせつりさんこと十日田勢通子(とおかだせつこ)さんとの、初めての出会いを思い出した。


 由水可は幼少のころから、自分は駄目な子だと思っていた。みんながつまずかない場面で良くつまずいで、学校を休んだ。

 でも、上手く切り抜けられる日もあった。

 小学四年生のときのあの日も、そんな日だった。その日由水可は、波風立てずに生活することが出来た。そしてその日の、学校最後の時間。四年生から六年生が、学年やクラスに関係なく好きな部に入る必修クラブの時間。運動など最初から論外。準備が大変そうな調理部も論外。と考え由水可が消去法で選んだ漫画クラブの時間。由水可がクラブの活動をやっている理科室の教室に行き、空いている席についてしばらく経つと、隣に髪の長い女の子が座った。

「はじめまして。五年生の十日田勢通子です。この勢通子って名前嫌いなんで、私のことはせつりって呼んでください」

 せつりさんは最初の挨拶から印象深かった。でも通常通りの、その場だけの通りいっぺんの付き合いで終わるだろうと思った。しかし。必修クラブでたまに会うだけの女の子。最初から周りとはレベルが違う世界で絵を描いていた女の子。彼女との縁は何故か途切れることは無かった。由水可がついに本格的に学校に行かなくなった中学時代。年に数日間登校するだけで卒業出来る通信制高校に在籍していた四年間の高校時代。それらの時代を経て二年経ち、同年代の生徒達との関係は全て途絶えたのに、せつりさんとだけは何故か途絶えることなく今に至っている。













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